小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
BEGINNING


 『フラワーショップあかり』でのバイトの帰り道。
 いつもなら脇目も振らずお家に一直線なのに、今夜はどうしてだか、あの公園の前で立ち止まってしまった。

 まるで何かに惹かれるように体ごと公園の方を向いたあたし。

 以前、本宮君に助けてもらったあの公園は、まるで隔離された世界のように、光がある通り側とは違って気持ちが思わず沈んでしまうほど静かだった。
 今のマンションに引っ越して来て5年くらいだから、この公園に小さい頃の思い出があるわけじゃないけれど、僅かな明かりに浮き上がるジャングルジムやブランコっていう遊具は、そこにあるだけで色んな記憶とリンクする。

 病院の片隅にあった滑り台で、お腹で滑るのが好きだったあたしを見守りながら、ママはクスクスと笑っていた。

 心に場景を思い返させる場所は、どうして足を踏み入れるだけで胸がトキメキに高鳴るんだろう。

 一歩、一歩、

 進む度に土を踏む音がシャリ、シャリと微かに響く。

 「?」

 ふと、誰も居ないと思っていた公園に人のシルエットを見つけた気がした。
 そんなに距離があるわけでもないから、ほんの数秒で、あたしは緊張に体を固まらせることになる。

 ブランコを囲む手摺に体を預けて座っているのは……、


 「―――――本宮君?」

 あたしは思わず呼んでしまっていた。

 疑問形になったのは、目に入った彼の格好が見慣れた白邦の制服じゃなくて、シルバーに黒の細いストライプが入ったスーツベスト姿だったから――――。

 学生には縁の無い、高そうなスーツを自然に着こなしている本宮君は、いつもよりも更に大人っぽく見えて……。

 そんな戸惑いが、語尾が上がる結果になってしまった。

 一瞬だけ体を震わせ、ゆっくりと顔をあげる本宮君。
 手摺の低さが作用して、あたしが見下ろすようなポジションで、つまり、まるで本宮君が見上げてきているかのよな位置関係で、

 「千愛理……」

 困惑の後の、睨みつけるような琥珀の瞳。
 それなのに、何故かあたしは、

 「……」


 ……何だか、あたしまで哀しさを貰ってしまった。

 何か、あったのかな?

 本宮君の薄茶色の長い睫はしっとりと濡れているようで、潤んだような瞳には、いつもの強い光が無いような気がした。


 「バ……バイトの帰りなんだ」

 無理に弾ませたあたしの声が空しく響く。

 「――――結構遅い時間になるんだね」

 本宮君の、いつもよりも低い声。

 「……うん。片づけしてると、だいたいこんな感じかな……」

 「そ……」


 普段通りを努めようとしても、思い出すのは屋上での今朝の事。
 あの時から様子がおかしかった。

 やっぱり、何かあったんだ――――。

 あの時と似たような胸の痛みが、あたしに喉元に舞い降りている。


 「あの……」

 大丈夫?

 なぜだか、手を伸ばして抱きしめてあげたい衝動に駆られていた。
 大丈夫だよって、小さい子にするみたいに、「よしよし」って包んであげたい。

 でも―――――、

 『何をされてもいい覚悟がなきゃ、慰めるなんて態度、男相手にとるべきじゃないよ』

 本宮君が言い放った言葉が脳裏にリフレインしてきて、差し出そうとしていた手を、思わず引っ込めてしまった。

 また"あんな風"に返されたら、今度は……、


 対処しきれない自分を知っている。
 だからこそ、

 どうしていいのか、迷ったのは事実。


 でも―――――、

 やっぱりあたしは、堪え切れずに右手を出した。
 本宮君の白い頬に、そっと触れる。

 驚いたように目を瞠る本宮君。


 ねえ、冷たいのは……風のせい?

 それとも――――、泣いてたの?


 真意を量るようにジッと見つめてきた本宮君に、あたしは逸らす事なく目線を合わせた。


 「――――本宮君」

 大なり小なり、人には、譲れない事があるんだよ。
 あたしは今、あなたの心配をする事を、やめるなんて出来ない。
 こんな弱々しく見える本宮君の事に、気付かなかった振りなんて、出来ないよ―――――。


 『セックス、それが、僕が欲しい、甘いもの』


 「本宮君、――――あたし、本宮君が求める慰め方は、よく分からないけど……」

 けれど、こんなに、貰い泣きしそうなくらいに心配しているあたしには、クラスメイトとして、それを伝える権利くらいはあるはずだ。

 「でもやっぱり」

 少しだけ、声を大きくする。

 「心配な時は、心配なんだよ!」


 「千愛理……」

 ユラユラと、そのヘーゼルの瞳が潤んでくると、今は輝きが失くなってしまっているヒマワリの代わりに、街灯が反射して光が宿る。


 「あ」

 気がつくと、本宮君の頬に触れていたあたしの右手は、彼によってギュッと握られていた。

 大きくて、暖かい手。

 今は寒そうな本宮君の心に、すごくアンバランスな感じがした。
 次第にあたしの手も同じ温度になって、繋いだ手が、まるで溶け合っていくような錯覚を覚える。

 トクン、トクン、トクン、

 繋がった所から、心臓の音が響き合っていた。
 そのリズムさえも、1つになったように聞こえてきた。


 「千愛理」

 縋るような本宮君の眼差しが、初めて教室で見つめられた時の衝撃とは全く違う儚さで、あたしの中に入りこんできた。

 それはスローモーションのように色づいていって、まるでこの世界に2人だけしかいないような、静かで、なんだか現実味のない、神聖な時間――――。

 数十秒か、数分か―――、

 ただ見つめ合っていたあたし達。
 本当に、このまま1つになってしまいそうで、切なくなった。


 「――――本宮君」

 あたしは、もう片方の手から鞄を手放し、そのまま彼の柔らかい髪に触れた。

 「……千愛理?」

 微かに目を見開く本宮君。

 「ママが言ってた。―――――男の子だって、泣いていいんだって」

 あたしがそう言った瞬間、

 「!」

 本宮君の方に、体を強く引っ張られた。
 きゃ、と声が出そうになる。

 「本宮く、」

 本宮君の両腕が、あたしの腰に廻ってた。
 引き寄せられたあたしの体は本宮君の足の間に収まっていて、身動きが取れないくらいにしっかりと抱え込まれてしまっていて、

 「……本宮君」

 あたしの胸に頬を埋めている本宮君は、心なしか震えているような気がした。

 (本宮君……)

 そんな彼を見ていると、やっぱり泣きそうなほどに胸が痛くなる。

 「泣かないで」

 (本宮君……)

 あたしの視界も何だか潤んできてしまって、

 (本宮君が哀しいと)

 あたしも、泣きたくなってしまう――――。

 (本宮君……)

 湧き上がる想いのまま、あたしは、本宮君の頭を、ギュッと抱きしめていた。








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