小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
BEGINNING


 この気持ちを、なんて表現していいのか分からない――――。


 本宮君の、柔らかな髪をまるごと抱きしめるあたしと、隙間なくあたしの腰に腕を巻きつける本宮君。
 胸にあたる彼の頬と、漏れる息使いが熱となってあたしに吹きかかる。
 それが制服に沁みる度、体のずっと遠くで、じんわりと感じる擽ったさ。

 「本宮君……」


 慰めるように、否定しないように……、
 リズムをとってトントンと触れる。
 いくら辺りが暗いからって、道行く人が見ているんじゃないかって、気になったのは最初のうちの僅かな時間だけで――――、

 ちょっとでも、本宮君が安心して泣ければいいと思った。

 あたし達二人以外に、他に人気の無い公園。

 ドクンドクン、と、あたしの心臓の音だけが、恥ずかしいくらい体中に響いていて、こんなに近い本宮君の耳にも、きっと届いているはずで――――……

 どれくらいそうしていたのか―――、


 「……もう、帰ったら?」

 突然聞こえた、素っ気ない本宮君の籠った声。


 「――――え?」

 あたしは動揺してしまう。


 ……えっと……どうしよう……。

 「時間、遅いし、家の人が心配するんじゃないの?」

 「……うん。そう、だね……そろそろ、帰る……けど」

 「なに?」

 「あの……」


 あたしは困り果てて声が小さくなる。
 帰るように促しながらも、本宮君の両腕はあたしをがっしりと固定していて―――――。


 しばらくすると、ハッとしたように本宮君の体が離れて行った。
 途端に、制服だけの体に夜風が冷たく襲いかかる。

 ずっと暖かかったから、寒いなんて気づかなかった……。
 誰かと抱き合うと、あんなふうに温もりが分かち合えるんだ――――。

 カップルが手を繋いで幸せそうに見えるのは、その共有の暖かさが理由なのかな……?


 「……」

 でも……、あたしのは、ちょっと、違うのかもしれない。
 だって、本宮君の温もりから、あたしが既視感デジャヴで思い返したのは、小さい頃の記憶だった。


 パパに抱きあげられた事―――――

 ママに抱きあげられた事―――――


 ……どうしてだろう。

 こんな闇の中でも、まるで光を灯したように明るく見える本宮君の宝石のような瞳の憂いを見つめていると、


 (香織さん……)


 お子さんの話をした、綺麗な空気を纏ったあの女性ひとの事を思い出した。

 『私―――あの子にとっては、多分酷い母親なの。あの子が愛してくれるほどに、愛情を返せていない……。あの子のためなら、きっと命は投げだせる。でも、普段、愛を語る時、あの子が1番かと尋ねられれば即答出来ない』

 愛おしそうで、哀しそうで、

 『あの子はきっと、片想いだと思ってる――――』

 直向きな愛はそこにあるのに、見えない不確かなものに、自信を失くして揺らいでいた。


 傍に居るのに、

 "まだ"伝え合えるのに、



 そんなの、

 そんなの……、


 思い出した温もりの分だけ、涙として、想いが込み上がってきた。

 (そんなの、寂しいよ――――)



 「――――送れないって言ったよね?」

 本宮君の言葉に、ハッと我に返る。
 完全に、全然関係ない香織さんの事でここからトリップしてしまっていた。

 「うん。分かってる、――――あの……、そうじゃなくて……」


 "寂しくないよ"

 本宮君に零してしまいそうになった言葉。


 ……なんでだろう?

 だって、本宮君がなんでこうなったかなんて、あたしは知らない―――――。


 湧いてくる……。

 溢れてくる――――――。


 本宮君の、その星のような瞬きの向こう側に寄せる思い――――。


 「……ううん」

 ちょっと眉を顰めた本宮君。


 本当はどっち?

 1人になりたい?

 あたしから居るって言ったほうがいい?


 ちゃんと見極めたい気がするけれど、それとは裏腹に、俄然走り出したあたしの脳内イメージ。


 白、白、白、白、

 青、青、青、白、白、白、青、光、


 そして、―――――赤


 今すぐにでも、このイメージをどうにかしたいと心は逸るのに、本宮君を思う微かな胸の痛みが、ここを離れる事を拒否している。

 いったり、きたり、

 自分の感情が、揺れ動く。


 でも――――、


 「――――また明日ね!」


 名残惜しいような心の片鱗を無理やり掻き集めて、あたしは夢中で駆け出した。
 一歩体を動かせば、加速するのはあっという間で、スカートの裾が跳ねるのなんて、気にしてる暇なんかなかった。


 早く、

 早く、

 ビジョンが消えちゃう――――ッ!



 6分、夢中で駆けた。
 エレベーターのボタンを2度押ししたのは初めてだった。

 玄関に着くと、まずは一息。
 自分を落ち着かせるように意識してゆっくりとした所作に変える。
 靴を並べて、お水を飲んで、そして、

 「ふう」

 深く深呼吸をして机に向かった。
 手には桝井さんから渡されたファイル。


 1分も経ってない。
 迷いがない時は、こんなもんなんだろうなって思う。

 鞄からスマホを取り出して、桝井さんの名前をタップ。
 2コールで、落ち着いた大人な雰囲気がそのままの、桝井さんの声が聞こえてきた。


 『千愛理ちゃん? こんな遅くにどうしたの?』

 苦笑が交じってる気がする。
 たぶん、あたしが怖気づいて連絡してきたと思ったのかもしれない。
 そんなふうに信用を失くすくらい、この前のあたしは、用意された大きすぎる舞台に萎縮してしまっていたから……。

 「あの、コンセプト、決まりました」

 そう言ったあたしに、桝井さんは、しばらく無言だった。

 『――――わかりました。リストNoを、佐倉さん』


 "佐倉さん"

 そう呼ばれると、少しは取り戻せた気がする。

 "利用するつもりで"

 そう契約したあたしの強さから、失っていた自信という希望。


 「はい!」

 "Stella"で用意できるアイテムの一覧から、望んだものを告げていく。

 『―――了解。明日には運びこめるよ。それじゃあ、土曜日に』

 「はい」

 『楽しみにしてますよ、佐倉さん』

 「はい!」



 動き出したんだ。
 もう、止まれない。



 桝井さんとの電話が切れると、直ぐにあかりちゃんにかけた。

 『千愛理? どうしたの?』

 「あかりちゃん、明日、花市行くでしょう?」

 『ええ』

 「桝井さんとの仕事に、どうしても必要なお花があるの」

 あかりちゃんの呼吸が、一瞬だけ飲みこまれた。


 『――――任せて』


 改めて紡がれた言葉は、何だか弾んでいるように聞こえる。
 あたしが悩んでいたのを知っていたから、きっと安心して笑ってくれたんだと思う。

 「ユキヤナギ、ラナンキュラス、アメジストセージに、かすみ草。枝はできるだけ大振りがいい。ラナンキュラスは、赤とピンク、青に近い紫。それから、色付けと、ワイヤー入れするから、明日からお店の作業室を借りたい」

 『わかった! 千愛理、がんばれ!』

 「うんッ!」


 通話を終えると、ちょっとした達成感が出てきた。
 まだ気が早いけど、走り出した自分のことがちゃんと見れた。
 あたしがどこにいるのか、分かっている事がとっても嬉しい。

 目を閉じて、本宮君に買ってもらったスマホを胸に抱きしめる。


 公園で、本宮君の辛そうな顔を見ていたら、心がギュッと掴まれたみたいに、苦しくなった。
 同時に思い出したのが、

 息子さんへの香織さん想い……。
 ママのあたしを見つめる眼差し……。

 目には見えない、けれど確かにある、無条件に、誰かが誰かを守りたいという愛情――――。

 今朝の屋上でのような"王様な彼"とも、
 普段みんなに見せる"王子様の彼"とも違う、

 ただただ弱った"本宮君"を、あたしは一心に抱きしめたいと思った。

 震える温もりを感じて、やがて彼と鼓動が1つになった時、あたしの中に不思議な感覚が満ち溢れた。
 香織さんの事を思い出すまで気付かなかったけれど、

 あれはきっと、母性本能―――――。


 イメージはついた。
 もう大丈夫。
 準備をしっかりやって、本番は、精いっぱい花達と向き合おう。

 晩御飯も食べずに眠ってしまったその夜は、家族で遊園地に行った小さい頃の思い出を、久しぶりに、夢に見た――――――。








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