小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
BEGINNING


 "Stella"の次代イメージキャラクターである天城アキラと、僕の母親であるケリとの写真が出回っている。

 そんな事態を、ジョニー企画経由で把握してからおよそ5時間。
 一時も息をつけないスケジュールだった。
 急遽実施するよう指示した"Stella"からの配信用草稿の起案と、活字を抑える手段である本宮各社から打ち出された洪水のような広告の可否決済。
 Web会議室内では、"Stella"広報部へのスケジュール策定の指示、その会議進行の承認。
 そんな社長権限や執行権限を駆使する一方、ウェインには、写真を撮って出版社に持ち込んだ一般人に対してデータの譲渡交渉代理人をさせて、大輝監修の法的根拠をつけた契約書と誓約書に捺印させるように逐一指示したり、今後一切、この件に関してデータの所有権を主張する事ができないように徹底的に周囲を固めて、短時間では完璧な物理的ソフトデータの残留チェックが出来ない事も懸念されたから、PC類やデバイス、モバイルも含め、全て新品に取り換えたうえで回収させたりとの対応も講じた。

 この事についてケリに連絡をしたのは、会見も終わり、事態が収拾できた後。

 僕にとって、ケリを守る事は当然の事で、問題なのは、その責任の半分が天城アキラにあるという現実。

 『……ルビ? 今、学校の時間でしょう? どうしたの?』

 気だるそうな声が起きたばかりだと知らせてくる。

 「―――寝てた?」

 『今起きた』

 「あいつ、明け方まで居たんでしょ?」

 『……!』

 息を呑む様子が聞こえてくる。
 普通の感覚として、息子に突っ込まれる話題ではないと思うから、仕方ない。

 「写真撮られてるよ、昨夜、マンション前で」

 『嘘……、どうしよう……まだ天城さんは何も知らないのに……』


 "マスコミ"が、どれだけ報道される側を人間として扱わないか、僕達はよく知っている。
 あいつらにとって、僕とケリは道具に過ぎない。
 ケヴィン・モーリスというブランドを付けた、噂や嘘で塗りたくり易い、着せ替えさせ易い、ただのアイテム。

 身を以て知っているだけに、今のケリの表情は想像できる。



 「ケリ。大丈夫。ゲラ刷りの時点でジョニー企画側が入手できたから、とりあえず、"Stella"やあの人達とは別に動いて、明日発売分と他に写真が売られた出版社、雑誌社、どうにか全部に手を廻せた」

 『ルビ……』

 「ま、約1ヶ月、うちの関連会社は過剰なくらい広告を出すことになったけどね。ついさっき"Stella"の公式サイト内でエリカがCEOとして次年度のイメージキャラクターを発表した。ジョニー企画側にはこの"Stella"の関連記事と広告でケリとの記事を引っ込めるよう火種を逸らしたって事にしてる。多分、あの人達が感知してるのは数社くらいだと思うから、騒がれない事には疑問は湧かないんじゃないかな」

 僕にしては珍しく、そうやって一気に捲し立てたのは、これから投下する爆弾のせい。

 「ケヴィンの事、まだ話す段階じゃないんでしょ?」

 僕が尋ねると、ケリの吐息が返事をする。
 僕も、意地でもとそれを告げた。

 「今後1ヶ月、ケリに関する記事はインターネット内も含めて僕が必ず抑える。ただし責任ある立場としてはこんな事、褒められたものじゃないからね。僕の優秀なブレーン達が目を瞑ってくれる1ヶ月くらいが限界。それまでには」

 間をおく。

 「―――――それまでには、ケリ。天城アキラと別れるか、マスコミ対策不要の"俳優じゃない"別の男を探すか、どっちかにしてよね。……じゃ」

 『え?』

 どっちを選んでも、天城アキラと別れる内容。
 目を丸くした顔が想像できる、気の抜けたようなケリのその声を最後に僕は逃げるように通話を切った。
 相手にしているうちにどうせ僕が絆されて妥協して、ケリの懇願に負ける羽目になるんだ。
 こういう時は逃げるが勝ち。
 少しくらいは、息子と恋人の間で揺れればいい。


 『――――ルビ?』

 ちょうど電話が切れたタイミングで、さっきまで無人だったWeb会議室にエリカが映り込んで僕を呼んだ。
 ショートカットがよく似合う綺麗な顔に、トレードマークの赤い唇が不機嫌そうに結ばれている。



 「やあ、エリカ。ご苦労様」

 『やっと解放されたわよ。最近のインンタビュアーは馬鹿な質問しかしてこないから本当に時間の無駄で疲れるのよ。この私がここまで尽力したのよ? もちろん"オオモト"はどうにかしたんでしょうね?』

 「もちろん」

 椅子のひじ掛けに頬杖をついて、僕は飄々と答える。

 「データからコピー回数も確認したし、しばらく動きもマークする。ケリにもしっかり釘をさしておいた」

 『ケリに?』

 「うん」

 『……嫌な笑顔ね』

 エリカの頬がピクリと動いたのを見逃しはしない。

 「どうとでも」

 昨日のジョニー企画との契約の場で、らしくなく、僕の子供染みた茶番に付き合わせてしまった手前、どうしても虚勢を張ってしまうのは照れ隠しか、意地なのか……。

 『まあ、ケリが幸せになれるんならいいと思うわよ?』

 何かを想うように、少しだけ目を伏せたエリカ。

 「ふ〜ん。まあ、いいけど」

 反撃と言わんばかりに、意地悪く僕が意味を含ませた言葉を返すと、エリカの目線が鋭く僕を見据えた。

 『―――何が言いたいかは判るけど、それは私に対する越権行為よ』

 綺麗な顔は、怒るともっと美しく輝く。
 その白い喉笛は、キスマークが映えそうだといつも思っていた。
 まあ、母親の親友だし、本当にその気になる事はない……というより、どんな状況になっても、自制は出来るつもり。

 「エリカがゲイじゃなきゃ、抱いて慰めてあげたのに」

 からかい全部の僕の呟きに、ピクリ、とエリカの頬が本日二度目の痙攣を見せる。

 『エロガキ! あんたと"する"くらいならウェインの上に乗る!』

 「いいね」

 クククと肩を揺らして笑う僕を呆れ顔で睨むエリカ。
 しばらく軽薄な沈黙が続き、

 『―――ったく……』

 禁煙風潮のこのご時世。
 所定の位置でないと火を点けられない煙草を弄びながら、大袈裟に息を吐いた後のエリカの言葉。


 『ケリ、……ケヴィンの事、天城アキラに話せるかしら』

 「どうかな」

 そう応えながら、暫くは無理だろうと思っていた。


 『バレた時、どっちかっていうと、警戒すべきはジョニー企画の方よね』

 「多分ね……」

 ハリウッドスターの元妻。
 そんなケリのステータスと利用価値に気付いた時、ジョニー企画はどう"出る"だろう―――。


 『私はただ、ケリが幸せなら、それでいい―――』

 20年近く、密やかな想いを紡いできたエリカの言葉は、まるで祈りのように僕の鼓膜に響いていた。




 ――――――
 ――――

 白邦学園の正校舎に足を踏み入れた時、ちょうど昼を知らせる本鈴が鳴った。
 スマホを取り出して千愛理にメールを送る。

 *****************************
 To Chieri Sakura
 件名
 本文 これから屋上にいく
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 来るか来ないかは迷ったけれど、今朝送った僕のメールの内容なら、きっと彼女は僕の分も持ってきているだろうから、それを考えると比重は傾いた。

 教室から、学食や売店へ向かう生徒達が疎らに出始める。

 「本宮様よ」
 「お綺麗ね」

 「重役出勤だな」
 「白邦でアリなのか? それ」
 「特例だろ? 家の力」
 「さすが」

 噂話は相変わらずうるさい。
 そして、内容のない会話だといつも思う。
 特に男達。

 女子は「綺麗」「可愛い」と愛嬌を振りまいていれば生きていけるだろうけど、それなりの数の社員、その家族の生活を支えるために会社を切り盛りしなければならない重責を担う彼らは、これから忙しくなる一方の人生の中で、一体どの段階で成長しようと努力するんだろう。

 「君達も、親御さんの会社の役員名簿に名前を連ねれば同じ事ができるんじゃん?」

 「!」

 微笑みは絶やさず、いつものように聞こえない振りをしてやり過ごそうと進んでいた廊下の向こうで、爽やかな満面の笑みでそう言ったのは、藤倉貢だった。

 「え……? どういう事かな? 藤倉君」

 家の力、と言っていた生徒が小さな声で聞き返す。

 「白邦の規則にあるんだよ。就業している生徒に対しては登校義務に対する遂行の軽減を認めるって。だよな? 本宮」

 「――――うん。確かにそうだね」

 僕はにっこりと笑って頷いた。
 それを見ていた女子が頬を染めて目を逸らしたり、俯いて上目で返してきたり。


 ――――疲れる。

 「って事だから、重役出勤したければ、親御さんに頼んでみたらいいんじゃん? 本宮、メシ行こうぜ」

 バツが悪い表情をしながら散っていく男子生徒達に背を向けて、藤倉貢は来た廊下を戻りだした。

 「お礼、言った方がいいのかな?」

 僕は藤倉の背中に問いかけた。

 「いいよ別に」

 軽い口調で応えながら、彼は振り返る。

 「それより、佐倉の事なんだけど」

 爽やかな笑みの向こうに、問いただすような真摯さが見える。

 「オレが言うのもアレなんだけどさ、大事にしてやってよ。知ってると思うけど、すごくイイコだからさ」

 イイコ。
 良い子。
 良い

 どっちの日本語に解釈すればいいのか。

 「それは、……君に、千愛理に好意があるという意味が含まれてる?」

 「え? ああ、違う違う」

 藤倉はひらひらと手を振った。

 「そのまんま、深い意味でとらないで。彼女の事は、小学校の時から知ってるからさ、オレ」

 屋上に繋がる階段前で立ち止まり、僕を真っすぐに見つめてくる。

 「佐倉って、すっごいフェアなんだよね」

 「フェア?」

 「人に対しての、偏見とか、見た目での分類とか、そういった事がさ、彼女の眼のフィルターには一切ないんだ」

 「……」

 甘いものを欲しがっていると、浮浪者にアメをあげたかった千愛理。
 やっぱり心配なんだよ、と。
 感情に従い、僕に与えられた仕打ちも忘れて、泣き場所として身を貸してきた千愛理。

 「――――確かに」

 「だろ? あれが意外と忘れた頃に厄介でさ、結構ハラハラした事が多かったよ。だからま、オレ達としては、これからの本宮の苦労が偲ばれるわけ」

 同情したような、複雑な笑いを含ませる。

 「だから、せっかくタイミングがあったからさ、エールな!」

 どう応えていいか判らず、僕は笑うだけで返した。

 「っと、やべ! 部会遅れる! じゃあな、本宮、オレ行くわ」

 「うん」

 慌ただしく駆けて行く後ろ姿を少しの間だけ見送って、


 "オレ達"


 気になったフレーズはあったけれど、小学校から一緒だという仲間内の符丁なのだろうと解釈して、僕は階段を上り始めた。








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