小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
BEGINNING


 「やっぱり来ないかな……」

 教室の廊下側。
 空いたままの本宮君の席を見て、あたしは短く息をついた。

 『今日は、まだわからない』

 行けないってメールはまだ来ていないから、今のギリギリまでちょっと期待していた。

 昨夜は、落ちついて考えると、まだ完全じゃない本宮君を途中で放って帰っちゃったような気もするし――――――。
 でも、本宮君が帰るように諭してくれたのも当然で……。

 だって、あの場にいて、あたしがこれ以上本宮君に出来る事は、何もなかった。

 どんな顔してるのか、会って確かめたかったな……。

 昨日みたいに、弱っている本宮君じゃなければいい。
 天使でも、王子様でも王様でも、

 (とにかく、いつもの本宮君に戻ってればいい……)

 前の席の藤倉君は腰を浮かせて財布をズボンのポケットにしまっている。
 そういえば今日は部会だって言ってたっけ。
 仕方ない。
 お茶でも買ってきて、ここで1人で食べよう、と頭を切り替えた時だった。

 机の上で、ジジジ、と震える携帯。
 本宮君からのメール。

 ……どっちだろう?

 ロックを解除しなくてもちょっと確認出来るその内容は―――――、

 『これから屋上に行く』

 ふわっと体の内側から明るくなった。

 (きたんだ―――、良かった)


 「あれ? 佐倉、出るの?」

 ランチボックスを手に取ったあたしに、立ちあがりかけていた藤倉君が首を傾げる。

 「うん。本宮君、登校できたみたい。メールきた」

 「そっか。良かったじゃん」

 「うん」

 「じゃあオレも行ってくるわ」

 やべー、と腕時計を見ながら歩いて行く藤倉君を見送りながら、あたしも立ちあがる。
 そんなあたしに気付いたクラスの女子の何人かが、キョロキョロと教室の入り口を見始めた。
 察するに、本宮君が来たんだと勘違いしたみたいで、でもそこに誰も居ない事を確認すると明らかにがっかりと肩を落とす。

 かと思ったら、チラチラとあたしを見ながらおしゃべりを再開したりして……。



 「……」

 何を言われているのかは、何となく想像つく。
 あたしは、誰にも気付かれないように肩を落としてため息をついた。
 千早ちゃんの友達があたしに構わなくなっても、

 ―――――つまり、

 花菱の脅威が無くなったとしても、一度建てられた壁はそうそう壊れるはずも無く。
 以前、本宮君の事で絡んできた清宮美奈子さんが挨拶を交わしてくれるようになって、少しは空気的な扱いは無くなったような気はするけれど、すっかりグループが出来上がっているこのクラスでは、女の子の友達を作るのは難しそうだ。
 まあ、藤倉君や健ちゃん(しばらく学校に来てないけど)が相手してくれるから心の8割くらいは健全なつもりだし、最近は、本宮君が女の子付きまといの敬遠手段として、『彼氏』の振りであたしの傍にいてくれるから、残り2割のダークカラーな心は、もうちょっとくらいは減っているかも。

 うん……でも、

 どんなに平気でも、女の子の友達が欲しいな……っていう願望は、やっぱり捨てきれなくて、

 「100%楽しい」

 には、どうしてもなれないあたしの弱さは、できれば、見逃してほしいと思う。

 見渡した教室内は、半分以上は席が空いていたけれど、残ったみんなは、それぞれが生きている世界の中心人物として、楽しそうにお昼ご飯を食べているところ。


 「……」

 よし!

 佐倉千愛理というあたしは、今あたしが生きている世界の中心なんだから、そんなあたしが意気消沈したら、あたしが見る世界はすべて褪せる事になってしまう。


 『千愛理は千愛理らしく』

 そうだね、ママ。

 あたしはあたし。
 あたしが見ているこの世界を、あたしなりに愛しんで楽しむ事。

 屋上行こ。

 待たせすぎると本宮君の機嫌が悪くなっちゃうかな。
 寒いの、苦手そうな顔をするのに、その寒さを時々楽しんでいるような気がするから不思議なんだよね。

 想像して、ふふっと笑いながら、あたしはランチボックスを両手に抱えて屋上へと歩き出した。


 ――――――
 ――――

 ドアを開けて屋上に出ると、上空の冷たい風が校舎内へと吹き抜けて、あたしの髪の毛は一気に後ろへと攫われた。
 厚手のブレザーとはいえ、温度の低さが染みてくる冬の風。

 「あたしバカだ。コート忘れちゃった」

 本宮君からメールが来るまではちゃんと覚えていたのに……。
 浮き足立っちゃったな……。


 反省しつつ、いつもの花壇のベンチに座ってランチボックスを開いていく。
 何となく辺りを見回すと、他のベンチには2人組の女子が2組だけ。
 みんなしっかりとコートを着ていた。
 またしても、1人のあたしの方をチラチラと見ている。

 (やっぱり本宮君目当てだよね……)


 でないと、この寒さの中をわざわざランチ場所に選ばないと思うし―――――。
 ここに来る度に同じような顔ぶれで、多分そうなんだろうなって、さすがのあたしでも気付いてました。

 ヒュ〜と音を立てて吹き抜ける風。

 「寒い〜」

 そんなに強くはないけれど、風が頬を撫でる度に自然と身震いが襲ってくる。
 明日から"Stella"のディプレイのお仕事だから、風邪引かないように気をつけなくちゃいけなかったのに……。


 「どうしよっかな……」

 教室にコートを取りに戻るべきかどうか、でも、その間に本宮君が来てすれ違ったら……

 何故か、屋上に居る女の子達が気になった。

 ――――なんだろう。

 なんか、モヤモヤするかも。

 俯いて、ランチボックスの中身と睨めっこ。

 食欲、湧いてこない。
 美味しそうじゃないって事?

 なんか……やだな。

 おかずを見つめたままのぼんやりとした時間が1分ほど続いた頃、


 「――――千愛理?」

 不意に、冬の風を温めるような、少し低くて甘い声が、はっきりとあたしの名前を紡ぐ。

 「え!?」

 顔をあげると、そこには、ライトブラウンのダッフルコートを着た本宮君が立っていた。

 「どうしたの? ……っていうか、千愛理ってバカなの?」

 「えッ?」

 現状にまだ付いて行けていないあたしの頭に、バカの一言がリフレインされる。



 悪気も無さそうな無表情さで、ただあたしを見下ろしてくる本宮君。
 いつもと同じはずの綺麗過ぎるそのトパーズの色になんだかとても耐えられなくて、あたしはまた、お弁当に視線を戻した。

 なんか、ちょっと落ちてた気分に、止めの追い打ちかけられた気分……。

 「なんでコート着てないの? バカは風邪引かないなんて本気で思ってるわけじゃないよね?」

 「……」

 「千愛理?」

 「えっと……忘れちゃって……」

 どうしてだろう。
 声が、うまく出ないけど、

 「あの、大丈夫。お茶も買い忘れてたから、今から買いながら取って」

 立ちあがったあたしの頭に、

 「……え?」

 バサリ、と重たいモノが圧し掛かって、あたしの視界を塞いでしまう。

 瞬間、
 あたしの体中を駆け巡る甘い香り。

 ……本宮君の香り……

 ふと、まるで金縛りにあったみたいに固まっちゃったけど、

 「えッ? えッ?」

 あたしは、慌てて頭からソレを?した。
 じっくり見なくても判る。
 さっきまで本宮君が着ていたライトブラウンのダッフルコート。

 「本宮く……」

 本宮君を見ると、さっさとランチボックスを挟んだ隣に腰掛けていて、既に優雅に長い足を組んでいる。
 スマホの画面を見つめるその目線が何度か動いた後、チラリとあたしの方を向いた。

 「……食べないの?」

 「えっ? あ、食べるよ。でも、コート、お茶とか、」

 「ポケット」

 「え?」

 多分メールをしてるんだと思う。
 器用に指を動かしながらも、淀みなくあたしに言葉を紡ぐ。

 「コートのポケットに入ってる。お茶」

 「……」

 あたしは慌ててポケットを探った。
 両ポケットに、それぞれ違うメーカーのお茶のミニペットボトル。

 暖かい……

 「喉が渇いたから、ついで」

 「――――うん」

 本宮君。
 意外と、本宮君もバカかもだよ。


 「ふふ」

 思わず笑ったあたしに、本宮君がムッとした様子になる。

 「なに?」

 「ううん」

 首を振ったあたしに不可解な表情を返しながら、メールが終わったのか、スマホをブレザーのポケットに片づける。

 「――――コート、着ないと貸した意味ないよね?」

 「うん。ありがとう。本宮君は寒かったりしない?」

 「別に」

 コートの袖に腕を通して、あたしは準備してきたお箸をケースから取り出して差し出した。

 「はい、お箸」

 「……」

 「あったかい、です、コート。ありがとう」

 「――――いただきます」

 「はい」

 あたしの作って来たお弁当を食べる時、本宮君は必ず「いただきます」と言ってくれる。
 これもきっと、本宮君がキラキラ輝く理由の1つ。
 育ちがいいとか、そういう事じゃなくて、
 きっと、素敵なご両親に育てられているんだと思う。


 「ここに置くね」

 お茶のキャップを一度開けてから閉め直し、本宮君の分をランチボックスの傍に置いた。

 「いただきます」

 あたしもそう言って、さっそくお茶に口をつける。
 ほんの少しの量なのに、喉を通って、胃に届くと、心のトコまで暖かくなった。
 コートと同じくらいの暖かい優しさが、キュッとあたしを切なく包んだ。


 暖かいペットボトルが入ってる自動販売機は、実は学食のトコにしか設置されていなくて、登校に使われる校舎正面から屋上まで続く階段がある方とは正反対。
 つまり、登校してきたばかりの本宮君がそこにたどり着くには、一度、反対の方向に進まなくちゃいけないわけで……、

 いつもは、きっと本宮君は面倒だろうなと思って、来る途中にある自販機で冷たいお茶を買っていた。

 「すっごくあたたかい……。ありがとう、本宮君」

 あたしがそう言うと、

 「――――うん」

 ほんの少しだけ、本宮君の瞳の中のヒマワリがふわりと咲いた気がした。








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