小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
BEGINNING


 例えば、

 キャップを一度開けたペットボトル。
 僕に渡す赤いお箸。
 いただきます、と僕が言う度に、普段と違って、「はい」と返事をするところ。
 多分そういう、状況によって相手を尊重しようとする雰囲気が、その空気作りが、……少しだけケリに似ているんだと思う。

 "大和撫子"―――――、

 これもそんな言葉で括れるものなのかは解らない。


 クラスメイトである清宮美奈子も、"生まれ"の派閥を名乗るだけあってその所作も美しい。
 白邦に通う他の女生徒も、地位や身分があっての教育や躾の賜物で、似たような振舞いは出来ると思う。

 でも、ケリや千愛理の雰囲気は、もっとベースが違っていて、見ているだけで、不思議な安らぎを感じたりするんだ――――――。


 「……」

 ランチボックスに詰められたお弁当のおかずを口にする僕に、突き刺さるような千愛理に視線。
 銜え箸をした割り箸に、そろそろ歯型が残るんじゃないかと思った。

 「……何?」

 少し睨みを効かせて問いかけると、千愛理はハッとしたように目を見開いた。

 「あ、ごめんなさい」

 弾かれたように返ってきた言葉。

 「――――答えになってないよね?」

 「あ、えと、あの」

 僕の眼差しと交差した千愛理の薄茶の瞳が、チラリと左に逸れた。
 見ているのは、耳……?

 「ピアスのあな、あいてるんだな……って」

 「……」

 言われて、僕は誘われるように千愛理の耳たぶを見た。
 白くて小さめの耳たぶには、どちらも傷1つ無い。
 まっさらで、無垢なそこを、舌先で愛撫した昨日の事を思い出した。
 ほんの少しだけ熱が蘇る。


 「―――――千愛理はあけないの?」

 誤魔化すように口を開く。

 「う〜ん」

 上目になってしばらく考えるような仕草をしてから、彼女は微かに笑って肩をすくめた。

 「やっぱり怖いかも。それに、最初はずっと着けっぱなしじゃなきゃだめなんだよね? うちの学園だと、夏休みじゃないと無理だから」



 白邦学園は、ピアスの装着は禁止。
 婚約者がいる生徒もいるから指輪は規制していないけれど、耳に孔を空ける前提があるという事で、ピアスについては厳しく監視されているらしい。
 どうせ注意程度だろうと高を括っていたら、外し忘れたピアスを見つけた沙織先生に、「見つかったら反省文30枚。ふふ、書けそう?」と言われて驚いた。
 個人指導という事で、反省文30枚に匹敵する卑猥な言葉を先生の耳に囁き続けたのは、そんなに前の話じゃない。

 「ピアスは可愛いデザインが多いから憧れるんだけど、痛いの苦手だし」

 はにかんで笑い、おにぎりを頬張る千愛理。

 「……」

 僕は、千愛理の左の耳たぶに右手を伸ばした。
 伏し目がちだった彼女は、僕の爪の先がそこに触れるまで、まったく気付いていなかった様子で、

 「痛ッ」

 齧りかけのおにぎりを落としそうな程に飛び上がった千愛理の体。
 いつも真っすぐに僕を見つめる眼差しが一瞬だけ苦痛に歪み、それから、泣きそうな色で視線を上げてきた。
 薄茶の瞳が、湧きあがるたくさんの疑問を、隠さずに僕に向けている。

 「本宮君……?」

 驚きで、震えている、声。


 「―――――それくらいじゃない?」

 「……え?」

 ワケがわからないという表情で、千愛理は小さく聞き返した。

 「ピアス、通す時の痛み」

 「―――――え?」

 「多分、ね」

 「……た、多分って!?」

 状況が読みこめて安心したのか、千愛理の声がいつもの調子を取り戻していた。

 「ピアスの孔をあけたのは生後100日のお祝いでだったらしいから、さすがに僕も覚えてない」

 「……えッ?」

 千愛理の目が丸くなる。

 「赤ちゃんの時に!?」

 「そう」

 「――――そうなんだ……」

 呟きながら、僕がつけた爪の痕を慰めるように、指先で撫でる千愛理。

 気付いたら、僕の手もそこに重なっていた。
 その小さな掌ごと包み込んで、親指でなぞるように千愛理の耳の輪郭に触れる。


 驚いたような千愛理の目と、少し赤く染まるその頬。
 僕の視線を、ただ受け止めて返す、薄茶の眼差し。


 「昨日は、―――――ごめん」

 やっとの思いで絞り出した僕の言葉に、

 「――――え?」

 千愛理は小さくそう返した。


 「ちょっと、いろいろあって、関係ない千愛理に八つ当たりした」

 「……うん」

 見つめ合ったまま、数秒して、千愛理が微笑む。

 「もう、……平気?」

 その言葉に、昨夜の僕の、弱いの限りを現していた醜態が含まれているのが解る。

 けれど何故か、それを知られた悔しさも羞恥心も、特に何も湧いては来なくて、僕は素直に頷けた。

 「あ、あの……、本宮君」

 「何?」

 「は……ずかしい、かも」

 チラリと、視線が僅かに横を向いた。
 促されるままそこを見ると、別々のベンチに座って同じように食事中だった2組の女子4人が、食い入るようにこちらを見つめている。

 顔を真っ赤にしながら、フリーズ中だ。


 「……、昨日の続き、して見せる?」

 「も、本宮君!」

 僕の手から逃げるように体を反らし、肩を揺らして笑いを噛み締める僕を睨みつける。


 「わ……笑いすぎだから」

 「――――――うん」


 こんな風に、誰かとの会話で自然と笑ってしまう僕は、僕が作ってきた、僕が思う本宮ルビじゃないけれど……。


 「あ」

 誤魔化すように慌ててお茶を呑んだ千愛理のふっくらとした唇に、零れた雫が1つ、奇跡的に下がっている。
 それを流さないようにと意識しながら、ゆっくりとした動作でポケットからハンカチを取り出した千愛理より先に、

 「……」

 ―――――僕の指の背がそこにたどり着いた。
 唇の形が少し変わるほどに、押しつけるようにその雫を拭って取って、


 「……え?」

 ぼんやりと、僕の指を見送っていた千愛理から、そんな声が漏れたのと同時に、僕は、指を濡らしたお茶を、ちゅ、と音を立てて吸い上げる。


 「……ッ」

 顔を真っ赤にする千愛理に、僕はクスリと笑って言った。

 「早く食べよう。お昼時間が終わる」

 「……うん」


 もしかすると、こんな風に安らいでしまう僕の事も、知らなかった僕の一面として認めてもいいのかも……、と。

 穏やかに、そんな事を考えていた。








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