小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
BEGINNING


 ウェインの運転する車が、運良く空いていた路上駐車場に納まると、僕はすぐさまドアを開けて車から降り立った。

 時刻はもうすぐ11時。
 休日の商業街は既に賑やかで、まだ距離がある近隣では有名なスクランブル交差点を目指して、人の波が幾重にも流れていた。

 日差しはすっかり冬のもので、街路樹にはクリスマスイルミネーションの準備が始まっている形跡が窺える。


 「あ、しゃ、――――と。……ルビ、こちらです」

 僕の姿を見つけるなり、「社長」と呼びそうになった桝井さんは、寸での所でなんとか切り替えて僕の名を呼んだ。
 聞き逃していないという意思表示で僕が僅かに口の端をあげると、近くまで来た桝井さんが一瞬だけバツの悪い顔をして、「あぶないあぶない」と笑いつつ頭の後ろを掻く。

 「なかなか慣れませんね」

 「わざわざ使い分けるからだよ。僕は会社でもルビで構わないのに」

 ロスに居る頃から再三そう言っているのに、桝井さんを始めとする他の社員も頷いてくれなかった。

 「ケジメは大事ですよ。特に日本人にとってはね」

 けれど、未成年のサクセスストーリーが少ないこの日本では、見るからに未成年の僕が「社長」なんて呼ばれたら、大抵は怪訝な顔をされてしまう。
 地位は地位だと、そんな理屈が通用して認められるのは社交界でだけ。

 「まあ、今日のように外で会う機会はそうそうありませんから」

 屈託なく言いながら先を歩く桝井さんについていく。
 後ろから、一定距離をおいてウェインもきていた。

 「開店に間に合いましたね」

 立ち止ったのは、"Stella"日本支店の前。
 店のシースルーシャッターはまだ上がっていなくて、正面入り口の右側にあるディスプレイコーナーは、目隠しのためのロールスクリーンが下がっていた。
 店構えは、店内が見えるデザインじゃないから、"Stella"の顔はそのディスプレイコーナーになる。

 「ケリさんも、もう近くまで来ているようです」

 続いた言葉に、ドキリとする。
 電話では何度か話をしているけれど、直接顔を合わせるのは、久しぶりだ。

 「―――――そう」

 ケリ、来るんだ。
 一瞬ぼんやりと思考を馳せたところに、

 「「「おはようございます」」」

 男女複数の挨拶が僕に向けられる。


 見ると、R・Cの見知った社員達がいた。

 「おはよう。―――――みんな、休みなのに集まったの?」

 僕の質問に、社員同士が気恥ずかしそうに顔を見合わせた。
 苦笑した桝井さんが代表して応える。

 「気になるんですよ。ケリさんを射とめたコーディネーターのアレンジが」

 ケリの、日本支店でのフラワーアレンジディスプレイに対する評価を気にした事が発端だった今回の企画。

 「野次馬も集まってきましたね」

 桝井さんに言われて辺りを見回すと、いつの間にか、"Stella"前に立っている僕達につられて通行人が遠巻きに何人も足を止めていた。
 その中の、点在する女の子達の集団が、携帯やスマホを僕に向けて写真を撮っているのがわかる。
 瞬間、桝井さんの体がピクリと反応しそうになったから、僕は慌てて告げた。

 「放置してていいよ。対処を始めると限が無いから」

 「―――――はあ、見た目が無駄に良いのも大変ですよね……」

 腕を組んで真剣に悩む様子の彼に軽く笑って返し、僕は指先で袖を上げて腕時計を見た。

 10時58分。
 それを見た桝井さんが頷く。

 「そろそろシャッターが上がりますよ」

 「出来栄えは?」

 「……正面から観るのは、実は私も初めてです」

 「え?」

 僕は桝井さんの言葉に目を瞠った。

 「――――事前チェック、してないの?」

 「もちろん、仕上げは見ました。中から、ですけど」

 「解ってると思うけど、ここのディスプレイコーナーはブランドの顔と言っても過言じゃないよ?」

 「はい」

 僕に真っすぐ、視線を返してくる。

 「――――桝井さん」

 僕は厳しく目を向けた。
 ギギギ、ガゴン、ゆっくりとシャッターが上がって行く。
 意図して、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 「ケリへの意向がある事はただの切っ掛けで、予算が取られている以上、この結果は評価に繋がるのは解ってるよね?」

 「もちろんです」


 自信が窺える桝井さんの横顔。
 脅しは通じない、か。
 僕は短息を吐いた。

 「ったく」

 「申し訳ありません」

 目を細めて笑いながら伝えてくる時点で、自分がチャレンジした事が、道楽だとも分かってもいるんだろう。
 それでも、揺るぎない手応えは感じているようだ。



 「――――で? そのコーディネーターは?」

 周囲に一瞥やりながらの僕の問いに、

 「ああ……」

 桝井さんが困ったように笑う。

 「さっき自宅まで送ってきました。彼女、緊張がピークを過ぎたみたいで、最後の一挿しで力尽きましてね」

 「そう……」


 高校生、だったっけ?
 記憶を手繰って、ケリがディナーテーブル用に持ってきた例のアレンジを思い出した。
 優しいアレンジだと思ったのは確か。
 初めて目に入れた時から、ケリの花には感じた事が無い、広がるような柔らかさがあった。

 ケリの花は、絢爛ではないけれど、上品な艶やかさがあり、背筋が伸びる。
 そのコーディネーターの花は、ふと安らぎを思って笑みを誘う感じ。
 同じ材料を使っても、アレンジする人によってこれだけ表現する世界が違うのは、花の世界ならではなんだと思う。

 (さて……)

 どんなアレンジになったか、桝井さんには悪いけど、見物としか言いようが無い。


 「ルビ」

 その声が聞こえたのは、そんなはずはないのに、焦らすほどにスピードを抑えているかのようなシャッターが、もうすぐ上がり切る頃だった。

 「おはよう、間に合ったみたいね」

 「!」

 少し息を切らして横に並んだケリの声に、僕はハッとして振り向いた。

 「ケリ」

 ケリから少し離れた場所に、トーマが立っているのが見えた。
 目が合えば、僅かな一礼が返る。
 その隣にはウェインもいた。

 「……おはよう、ケリ」

 ベージュのコートに身を包んだ、冬の陽光に染められた髪の緑色が輝く姿。
 そんなに長い間離れていたわけでもないのに、懐かしささえも感じてしまった。

 「……」

 「……」

 それきり、お互いに言葉が探せない。
 ほんの数日の間に、お互いが知らない事がいろいろありすぎて、これまで感じた事が無い壁が見える。
 電話なら、悪態もつけて、何も問題なかったのに―――――


 「……、ケリさん、おはようございます」

 珍しく会話のない僕達を気遣ったのか、桝井さんが声をかけてくれた。
 他の社員達も口々に挨拶を入れてくる。

 「おはようみんな。桝井さんも、連絡ありがとう」

 「いいえ。……あ、ルビ」

 桝井さんに促され、僕は再び店内を見た。
 ディスプレイコーナーの中に入っていた店員が、こちらを見つめている。

 僕からの合図を待っているらしい。
 そんなつもりはなかったけれど、仕方なく、小さく頷いて見せた。
 ゆっくりと、引き上げられていくロールスクリーン。
 全貌を現す、ケリが気に入ったというフラワー・コーディネーターの造った世界。


 ハッと、ケリが息を呑んだのが聞こえた。


 僕も、何も言葉に出来なかった。



 「うわあ……」

 「……綺麗」

 「すげえ――――――」

 周囲の様々な歓声が、さざ波のように繰り返し心を揺さぶった。


 「ルビ……」

 泣き出しそうな声で、ケリが僕を呼ぶ。

 「……うん」

 そのフラワーアレンジから目が離せないまま、僕は自然に、求めるようにしてケリの腰を抱いた。
 ケリも、体重をかけて身を寄せてくる。

 「凄い……」

 桝井さんの、歓喜を隠し切れていない声。


 "凄い"


 確かに、一言で表現するなら、それに尽きると思った。


 右の高い位置にセットされた女神の胸像から、大きく左下の天使像へと伸びていく白と青の流れ。
 女神が胸に抱く淡いラナンキュラス。
 少し低い場所にある天使像の胸の赤いラナンキュラスを、護るようにして絡む白と青のコントラスト。
 ワイヤーで造り出したその独特の立体感は、まるで女神像から溢れ出たものが、天使を包み込んでいるようだった。

 天使像の下に、スタンドを利用して飾られているトパーズの原石。
 ウォールスクリーンに在る金色の月。
 女神像の下に飾られたルビーの宝飾が、零れ落ちた涙か、溢れ出た愛のように、ゆらゆらと煌めいている。

 女神から、天使に向けられた愛の片鱗が、花に具現化されている。



 母親から、子供への、

 誰かから、誰かへの、


 無償、

 無限、

 無垢な愛情を現した、


 驚くほど優しい世界――――――。


 その世界は、誰もが焦がれる、泣きたいほどに優しい愛に溢れていた――――――。



 「ルビ……」

 僕の服を掴むケリの手に力が入り、間をおいて、ケリが僕を見上げてきた。
 漆黒の瞳が、ゆらゆらと揺れている。

 「ルビ」

 名前を口にした反動で、大粒の涙がポロリとケリの頬を伝った。


 「あなたを、……愛してるわ」

 「……!?」

 唐突に告げられたそれを次第に理解し、僕は目を見開いた。

 「私も……、天城さんとのことはまだ始まったばかりで、こんな私の変化を、あなたにどう伝えていいのか解らないけれど、でも……、これだけは確かなの」

 伸びてきたケリの手が、僕の髪をそっと撫でた。
 愛おしそうに、指で髪を梳いて、目を細めて笑みを向けて来る。

 「ケリ……」

 胸が、詰まる。

 「……」

 耐えきれずに、僕は、思わず目をそらした。

 「ルビ、私を見て」

 「……ッ」

 いつだって、ケリの視線は僕を飛び越えていた。
 僕を見ているようで、いつだって、"あいつ"を求めていた。

 そんな現実を認めるのが嫌で、僕はケリと一緒の時はいつも優位に立とうと気張って努めてきた。

 「今までの私を正当化なんかしない。日本にきて、あなたと離れて、たくさん考える機会があったの。そして気付けた……」

 「……」

 「弱い私は、知らず知らずのうちに、あなたをたくさん、傷付けてきたんでしょうね……」

 「……」


 両頬を包まれて、促され、僕はゆっくりと目線をケリに合わせる。



 「ルビ」

 「……!」



 ―――――ああ、

 ――――――――――今、


 ケリが見つめているのは、僕の中に見える誰かの面影じゃない。
 ちゃんと、"僕自身"を見ているのが分かる。


 「―――――Mom」


 何年か振りに、自然にそう呼んでいた。
 初めて、ケリを疑わずに、その視線を受け止める事ができた。
 引き寄せられるように、求めるように、きつくケリを抱きしめる。


 【ルビ、あなたは私にとって、掛け替えのない大切な人……】

 僕の腕の中で、ケリの唇から紡がれる言葉に、

 【あなたを愛しているわ。これだけは、私にとって、決して迷う事は無い、たった1つ確かな事】


 ―――――泣きそうだ。

 【あなたにとって、私がそうであるように】

 【……ケリ】


 僕と同じだけの愛を、僕に示すと伝えるそのセリフ。


 【とっても、とっても、愛してる―――――】

 【―――――うん】


 どんなにカメラのシャッターを切られても、僕はしばらく、抱き締めたケリを離す事が出来なかった。








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