小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
BEGINNING


 いつから……だろう?

 本宮君が転校してきて、まだ二か月経ってない……よね?
 沙織先生と、――――なんて……。

 「あ……」

 あれはいつ頃だっけ?

 あの、本宮君の射るような視線を送られてるんじゃないかって気にした時、沙織先生は最初は特に何の変化もなかったと思う。
 でも……それからしばらく経って、確か、すごく、本宮君を見返す沙織先生の笑顔に、ドキドキさせられた日があった。
 同じ女性なのに、どうしてこんなに気になるんだろうって、恥ずかしいくらい、胸が高鳴った。

 あれは……本宮君が頻繁に授業をさぼるようになってから……、だ。

 もしかしてあの時にはもう―――――?

 「……」

 パクリ、

 卵焼きを頬張る、本宮君のその唇から目が離せない。
 鮮明に脳裏に蘇るのはついさっき、目撃してしまった沙織先生との"あの現場"。
 乱れた先生の前髪を優しく梳いて、現れた額に、この唇が、キスをしたんだ……。


 目の前にいる、彼が―――――、

 沙織先生に……。


 「千愛理?」

 「……え?」

 「……ウィンナー、落としてる」

 「え……? あッ!」

 手に持っていたお箸の先からは、掴んでいたはずのウィンナーが消えていて、小さなため息をついた本宮君がティッシュで拾い上げてくれていた。

 「ごめんなさい」

 慌ててビニールを広げてゴミを受け取り、あたふたとするあたし。

 「それと――――」

 本宮君の手があたしの口元に伸びてきて、その指が、グイっと唇の端に触れる。

 「ケチャップ」

 目を細めて笑う本宮君。

 「あ……」

 カアア、と。
 自分の顔が熱くなったのが分かった。
 胸の鼓動も、強くて、痛くなる。
 どうしたんだろう、あたし……。

 さっきから、あのシーンを見てから、ずっと、変――――。

 でも、仕方ない……と思う。
 こういうのほとんど免疫無いし、特に、

 担任の先生と本宮君、―――――が……なんて、


 アレってそういう、事、なんだよね……?

 「あの、週末、バイトが忙しくて、……なんだかぼんやりしちゃって……」

 「ふうん?」

 あたしから指で拭い取ったケチャップを、躊躇いもなく舐め取った本宮君の仕草。


 どうしよう――――、ドキドキが止まらない……。


 「――――千愛理」

 本宮君が、持っていたお箸をお弁当箱の上に置いた。
 少し強めの、王様感覚が入ったトーンだったから、思わず「はい」って応えちゃって、

 (あたし、なんでこんな従順な返事してるんだろう)

 おかし過ぎるよ……。

 恐る恐る目線を上げて本宮君を見ると、同時に、彼の右手の指先が、あたしの顎に触れた。

 グイ、と上に持ち上げられる。


 「千愛理……、もしかして、僕に欲情してる?」


 ――――――え??

 感じていた戸惑いはどこかへ飛んで行って、思わず目を見開いてしまった。

 「も、本宮君!? よ、欲情って」

 「そういう顔、してるように見える」

 「えッ!?」

 本宮君のヘーゼルの瞳が、あたしを真っ直ぐに見つめてきた。
 親指がゆっくりと、あたしの唇の端から端まで動いている。

 「キスしたら、そのまま蕩けそうだよ。自覚ない?」

 「じ……自覚?」

 質問の意味が解らずに、あたしの頭は真っ白で、

 「わ……わかんないッ」

 逃げるように背後に反れて、本宮君の指を外した。
 触れられていた部分がすごく熱くて、そんなはずないのに、そこがスピーカーになって、胸の鼓動が漏れていきそうだった。

 「そう? ―――――顔、真っ赤だよ。……熱があるみたいにどこかジンジンしない?」

 「し、しません!」

 「ふうん……?」

 クス、と笑う本宮君は、王子様でもなく、王様でもなく、なんだか初めて見る、妖艶な色気を持った表情で、

 「も……本宮君、なんか、なんていうか……オープンだよね」

 「オープン?」

 「その……セ、……性に対して、あからさまというか……慣れているというか……」



 言いながら、自分が恥ずかしくなる。
 あたしったら、なんの話をしてるんだろう。

 ちょっとした後悔みたいな感情が、モヤモヤと心に巣食って、こんなあたしを認めたくない感情と戦ってた。
 でも次の瞬間、俯いて、グルグルと感情を回していたあたしの頭上から、それを吹き飛ばしちゃうほどの言葉が、ものすごくライトな口調で耳に届いた。

 「そうだね。僕、―――――セックスは好きだよ?」

 「!」

 ケーキは好きだよ?

 本当に、それくらい軽くて、

 でも、


 「……」

 ズキン。
 心臓に、太い杭を刺されたみたいだった。
 強くて苦しい痛みが、言い訳できないくらい、あたしを襲った。

 ……あたし、

 ――――――あたし……。


 「――――僕はね、SEXは最大の愛情表現だと思っているんだ」

 突然の本宮君の切り替えに、

 「え?」

 思わず顔をあげる。

 「誰にも見せられない姿を僕にだけ晒して、僕にしか聞かせない声、表情、――――それらを向けられて初めて、想いを感じられる。もちろん、遊びでも同じ。体だけじゃなく、それを曝け出すほどに心が開いていていないと、少なくとも僕は楽しめない」

 「遊び……」

 「そう」

 「遊び……って」

 「……たとえば、彼氏彼女でもないのに、セックスする関係のことは、千愛理はなんていう?」

 答えられる?
 そんな意地悪な光を孕んだ、本宮君の瞳。

 「セ……フレ」

 「――――うん」

 よくできました、そんな意味合いが感じられる眼差しに、またモヤモヤが募る。

 「でも僕の場合は、―――――あえて表現するなら、"愛人"の方がしっくりくるかな」

 「あい……じん?」


 愛する人、愛している、女性ひと
 沙織先生も―――――、愛している人?


 「そう。―――――だからね」

 本宮君は、さっきまであたしの唇に触れていた親指を、あたしの視線を捉えたまま、赤い舌を出してペロリと舐めた。

 そこに浮かぶ笑みは、言葉にできないほど、綺麗で――――、


 「千愛理がそんな欲情的な顔見せると、



 ――――――挑発されてるみたいで、すごく気分いい」


 爆弾が、投下されたと思った。








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