小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
MOTION


 コース料理となるランチは順調に肉料理まで進んで、最初は周りの目が気になっていたらしい千愛理も、その頃にはすっかりリラックスしているようだった。
 僕にとっては写メを撮られるのも日常だから特に気にはしなかったけれど、考えてみれば、千愛理はこれまでの女性達とは違って僕とセックスする時間を共有したいというメリットが無いから、それを我慢するという義務を課せる事ができないんだと気づく。

 たとえばイライザのように、誰にも見られたくないとホテルでしか会えなかった女性もいれば、僕と愛し合った証明を残したいと、どこまでも腕を絡ませてついて来る女性もいた。

 恋人ではなく、日本流にいえば"セックスフレンド"

 僕流に表現するなら、"愛人"―――――。


 舌を絡ませて、その全てを愛撫するには、どんな形でも"愛"が無いと無理。
 けれど僕は、ずっと僕だけが心を砕いていると思っていた。
 僕に開花された女性達は、どんなに僕が全力で務めても、結局は本当に愛する人の元に帰っていくんだと、身体だけの関係だと割り切りながらも、僕は本当は、そんな葛藤を持っていたんだ。

 でも、

 まるでルールのように数ヶ月で僕の元を去って行く彼女達には、沙織先生に言われて気づいたけれど、確かに愛はあった。
 母性本能という、僕に対して向けられた、慈しむ愛が……。

 他の女性達に睨まれても、写真を撮られて噂されても、嫌な顔一つせずに僕に付き合ってくれていたのは、僕を拒否しない事を努めた、彼女達の思いやりだ……。

 妬みを向けられて困惑する千愛理を見て、改めて、守られていたのは僕なんだと思い知った―――――。


 「本宮君……?」

 長い沈黙に不安を覚えたのか、千愛理が首を傾げて来る。

 「……なんでもないよ。味はどう?」

 「凄く美味しい。びっくりするくらい柔らかいんだもん、このお肉」

 「そうだね」


 ……何故だろう?

 千愛理といると、過去の自分が、


 ――――――、


 「そのピアス、綺麗だね」

 「――――え?」

 僕は視線を千愛理に戻した。

 「ああ、小さい頃からの僕のプライベート用」

 「凄く似合ってる。――――ルビー、だよね?」

 「うん」

 返事をした後、ふと言葉を足した。

 「言っておくけど、僕の名前の由来じゃないから」


 淡々と言い放ち、小さく刻んだステーキの肉片を口に入れる。
 千愛理が驚いたように目を瞬かせた。

 「違うの?」

 「……」

 僕はシャンパングラスの炭酸水を口に含んだ。
 ゴクリと口内の物を飲み干して、それから改めて口を開く。

 「僕の名前は、漢字に振る方のルビ」

 「?」

 少し考えるような素振りを見せる千愛理。
 しばらくの沈黙の後、

 「――――あ」

 思いついたように目を開き、まるでガーベラのような明るさの華やいだ笑顔で、僕に告げる。

 「そっか。ご両親、二人の愛に読み仮名をつけたんだね」

 「……ッ」


 唐突に核心をついたそれに、僕は思わず、口元を隠すように頬杖をついた。
 目線は逃げるように窓の外。
 クスクス、と鈴を鳴らすように千愛理が笑う。

 「本宮君、真っ赤だよ」

 「こんな恥ずかしい発想、当てたの、千愛理が初めてだよ」

 「ほんとに?」

 「うん。昔からの癖で、謎かけみたいに口にして来たけど」

 「そっか。ふふ」

 「……」

 可愛く笑う千愛理。
 不思議な感情だと思う。

 「もうとっくに離婚してるけどね。どっちも、今は別の相手と恋愛中」

 僕のこのセリフに、千愛理はハッと息を飲む。
 少し、泣きそうなその瞳。

 本当に不思議だ。
 その顔をさせたのが僕なんだと思うと、歓びに似た想いが、胸に立つ。


 「そう……なんだ。残念だったね」

 明らかに落胆した表情を隠しながら、微かな笑いを浮かべる千愛理。
 僕はクスリと笑った。

 「ショックだった? 愛とか恋とか、永遠に続くみたいな理想、持っていそうだもんね、千愛理は」

 「そんな事、――――ないよ……」


 思いもかけなかった答え。


 「―――――そう?」

 「うん……」

 千愛理の薄茶の眼差しが、ゆっくり街並みを見下ろした。
 ふと、僕の思考を過るもの。

 「千愛理、もしかして、誰かと付き合った事、――――ある?」


 僕の問いに、

 「!」

 千愛理の肩が一瞬揺れて、そして、躊躇いがちに、少し照れた顔で頷いた。


 「本当に短い期間だったけど、中学の時に、一度……」

 「……へえ?」


 何だろう……。
 千愛理といると、本当にすべてが、僕らしくない――――――。


 「キスは?」

 見る見るうちに千愛理の顔が赤くなる。


 「――――ふうん……」


 僕は千愛理の唇を見た。
 ふっくらとした、リップの色が落ちたナチュラルなピンクの唇。


 「あ、あたしの事はもういいでしょ?」

 千愛理は、両手にそれぞれ持っていたナイフとフォークをハの字に置いた。
 顔を上げ、真っ直ぐに僕を見つめて来る。


 「あたし……本宮君に話があるの」

 「――――話?」


 ドクン、と心臓が鳴る。

 ああ、この表情、
 何かを決意した、女性独特の―――――。


 「……」

 聞きたくない。


 自分でも驚くほどの、叫びにも似た言葉が胸を過る。

 けれど、心に渦巻くその感情の意味も解らないままにそんな事を口に出せるはずもなくて、

 「―――――何?」


 何でもない振りで、僕は促すしかなかった。








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