小説:クロムの蕾


<クロムの蕾 目次へ>


VIOLETISH BLUE
MOTION


 『一人で帰れるから平気』

 そう言ってタワーからエスカレーターを使って駅のある階下に潜って行った千愛理を見送り、来た時と同じ乗降スペースへ歩いて行くと、そこにはハザードを点けた車が停まっていた。

 僕がそこに辿り着く間に、運転席から降りていたウェインが後部席のドアを開ける。


 「ありがと」

 「予定通り、ホテルへ向かっていいんですね?」

 「うん」

 「……」

 ドアが閉められて、ウェインが運転席に戻る間も、なんだか思考がぼんやりとしていた。


 「―――――なにかありましたか?」

 「―――え?」

 「いえ、―――――あなたが、車に戻ってもモバイルを開かないのは珍しいので」

 「――――別に……、」

 言いかけて、

 「……そうだね、ちょっと想像もしなかった展開になったかな」

 素直に吐き出してみた。
 バックミラーに映る、普段はポーカーフェイスのウェインの表情が、珍しく驚いたままで固まっている。


 だよね。

 僕も驚いてるよ。
 今でも、千愛理に対して、特に明確な恋愛感情を見出せているわけじゃない。
 それなのに、

 『無かった事にしたいの……』

 そう言われてからこっち、内側のどこかに孔が空いたような、不思議な喪失感が拭えない。
 無性に、誰かの温もりが欲しい。

 何かで埋めたい。


 「来週あたり、ロスに一度帰ろうかな」

 「……わかりました。チケットを手配します。週末でいいですか?」

 「うん」

 今持ってる買収プランが片付いたら、来週末には行けるはずだ。
 そうなると、クリスマスはロスで過ごす事になる……。

 「ケリにどう切り出そうかな……」

 国際空港方面へと向かう独特の風景を眺めながら、やっとモバイルPCを手に取る気になった。
 スリープから復旧させて、ウェブの検索サイトの起動を待つ。

 時刻は13:35。

 「14時には間に合う?」

 「問題ありません」


 あの後、念のため大輝にマシュー・ワイズマンという男の事を調べさせて、実際にウィンストン家の執事であるという事だけは確認出来た。

 『ただ、所属は確認できたけど、雇用形態の詳細はヴェールの向こう側だったよ』

 早朝にもらった大輝からのそんな最終報告の結果、僕は、情報という武器すらも持たずに相対する事になっている。

 最後の足掻き。
 検索サイトでWinstonをワードに検索をかけたけれど、結果は、今朝とほとんど変わらない。

 例えば、お家騒動での協力要請。
 それはお金であったり、業務的なものであったり、想像しようとすれば色々あるけれど、ウィンストン家の現当主は現役の下院議長で、副大統領に次ぐ大統領権限継承権第二位の役職に就いている。

 オランダの王室にも縁が深くて、正直、僕を頼る要素がほとんどない。


 「面倒な事じゃないといいけど……」

 僕が呟いたのとほぼ同時に、車窓に一粒、雨が落ちた。



 ――――――
 ――――

 指定されたホテルのロビーに入ると、仕立てのいいアンサンブルのスーツを身に着けた金髪の20代の男性が近づいてきた。
 ウェインが透かさず間に入り、

 【失礼ですが】

 英語でそう問うと、その男はにこやかに会釈をして応えた。

 【本宮様でいらっしゃいますね? 先日、お電話を差し上げたマシュー・ワイズマンです】

 【本宮です】

 僕はウェインの肩にそっと触れた。
 それを合図に、ウェインがスッと脇に身を控える。

 【Mr.ワイズマン。……どこかでお会いしてますね?】

 記憶の糸を手繰り寄せようと、マシューの顔をジッと見つめた。

 面識はある、と思う。
 思考に手繰れそうな糸の先が見えているのに、なかなかうまく引っ張れなかった。

 【はい。お目にかかった事はございます。言葉を交わすのは、先日のお電話が初めてですが】

 切れ長の目を細めて、マシューは満足気に一礼した。

 【私の主人が部屋でお待ちです。ご足労を願えますでしょうか?】

 【――――構いません】

 導を示すように先を歩き出したマシューの後をついていく。
 3人で乗り込んだエレベーターは5Fで止まり、開かれた扉の向こうには、SPがゴロゴロ居そうだという予想とは反して全くの無人で、廊下に流れるクラシックのBGMだけが透明に響いていた。



 少し廊下を進むと、ロイヤルスイートと見受けられる豪華な一室に招き入れられた。

 【本日、このフロアはウィンストン家のみの利用とさせていただいております。本宮様はそのまま、奥の部屋へお進みください。お付きの方は申し訳ありませんが、私と共に、こちらで待機いただきたく存じます】

 ウェインの眉間に皺が刻まれる。

 【それは、】

 【ウェイン】

 ウェインが何を言いかけたのかは分かったけれど、僕は敢えてそれを制した。

 【大丈夫。待ってて】

 【ルビ……】

 【ここで僕をどうこうするメリットがウィンストン家には一つも無い。むしろ、リスクを背負っているのは彼らだよ】

 僕が笑うと、マシューは深々と頭を下げた。

 【恐れ入りました】

 【この奥でいいの?】

 【はい】

 【それじゃあ、ウェイン。リラックスして待ってて】

 僕が言うと、ウェインは諦めたように肩で息をつく。

 【お気をつけて】

 それにひらひらと手を振って応えて、僕は深い絨毯を歩き進み、最後の砦と主張したいらしい重厚なドアを3回、ノックした。

 間があって、

 【……どうぞ】


 凛とした女性の声が、微かに届く。



 ―――――え?


 心臓が、痛いほどに飛び跳ねた。

 震える手でドアを開け、ゆっくりと足を踏み入れる。
 室内は、雨が降り出した外の影響もあってか、少し薄暗い感じがした。


 そして、部屋の中心に位置するソファに座っていたのは……、


 【マリア……】

 名前を呼べば、胸が震えた。

 腰まで波打つ金色の豊かな髪と、鮮やかなグリーンアイ。
 シックなアイボリーのスーツの胸元から覗くのは、あの夜よりも、遥かに女性らしくなったそのライン。
 アメリカの女性を代表しているような、豊満な美しさ。

 そんな彼女は、ゆっくりと首を振る。

 【……】

 僕はその仕草の意味を暫く考えて、

 【あ】

 閃きのように至ったアイデアを、口にした。

 【……そうか……。メアリー・ウィンストン――――、現当主の末の娘―――――】

 【ふふ。そうよ。ルビ・モーリス】

 オレンジ色のルージュを乗せた唇を、マリア、――――もとい、メアリーは、くっきりと笑みに象って僕の方へと手を差し伸べる。

 【マリアはお祖母様の国の発音。嘘をついたわけじゃないの】


 悪戯っぽい瞳の輝きが、僕の記憶の糸の先をあっという間に引っ張り出した。
 目の前の手を取り、その指先にキスをする。

 【また会えてうれしい、マリア】

 【ルビ……】

 僕のキスを受ける間、マリアは細い息を吐き、さっきとは全く違う、優しい微笑みで僕を見つめ返す。

 【私も、会えて嬉しい】

 【マリア……】

 【元気だった? 私のToyBoy】


 Toy Boy


 懐かしい言葉に、苦笑するしかない。

 【あなたという女性ひとは……】

 【驚いた?】

 クスクスと笑うマリアに促されるようにして、僕は向かいのソファに腰をかけた。


 【とてもね。まだ信じられないくらいだよ。……あの後、随分探したから――――】


 最後の言葉には、棘を添えた。
 男らしくないとは思うけど、あの時――――、13歳だった僕の気持ちの代弁だ。
 怒りと、絶望と、―――――そして、体においていかれた温もりの愛しさに、僕が流した、たくさんの涙の代わり――――。


 【……そうね】

 意味深な表情で、マリアは頷いた。
 僕はハッとする。

 【――――それこそ信じられない】

 嘘でしょ? の意味を込め、ゆっくりと左右に首を振ってその可能性を否定した僕に、

 【……ルビ】

 眉尻を下げて、マリアは苦笑した。
 その表情に、今僕が想定している事が真実なんだと、思わずため息が漏れる。

 【僕が探していたこと、知っていたんだね?】

 僕の問いに、マリアはゆっくりと頷いた。

 【ごめんなさい】

 少し俯いたマリアに、思わず僕も目を伏せる。

 【……あれは夢だったのかも、そう考えて諦めるのに、少し、時間がかかったんだ】


 甘くて、情熱的で、何もかもが美しかったあの時間―――――。

 【あの時……、私は17で、あなたは13。二人とも大人じゃなくて、そしてあれは、永遠に続くような愛じゃなかった。でも、瞬間的に燃えるような愛があったわけでもない。お互い、安らぎを求めた、慈しみの愛だったでしょう? だから、それでいいと思ったの】

 【……そうだね。あの時の僕は子供だった】


 だからこそ、純粋に、マリアという存在に心を奪われたんだ。
 過去に、彼女に追いすがった自分の姿を思い出して、胸が軋む。


 【……で、そんなあなたが、どうして僕の前に再び現れたの?】

 【ルビ……。怒らないで】

 【怒ってない】

 【嘘よ。3年前、初めて会ったときと同じ目をしているわ。愛する人を、憎む眼差し】

 【……】


 僕は、真っ直ぐにマリアを見つめ返した。


 【僕はあなたを愛してなんかない】

 【それも嘘ね。どんな形であれ、あなたは私を愛しいと感じている】

 【……そうやって僕をからかうのは相変わらずだね】

 拗ねた気分になり、僕は組んだ腕に頬杖をついた。

 【ふふ。随分大人になったように見えたのに、あなたも相変わらずなのね】


 豊かな金髪を手で梳きながら、マリアはクスクスと肩を揺らす。
 けれど、その表情が、全てではない事は、瞳の奥に揺れる光で理解した。

 【マリア……なぜ、今になって、僕に?】

 【……】

 ふと、マリアが真顔になる。
 鮮やかなグリーンアイが、ゆらゆらと揺れながら僕を見つめていた。

 【私、もうすぐ二十歳になるわ】

 【?】

 【その日を境に、メアリー・ウィンストンとして、永遠に檻の中に入ってしまうの】

 【……】

 その言葉の意味を少し考えて、

 【……結婚、するの?】

 僕の言葉に、マリアはゆっくりと頷いた。

 【だから、あなたに会いに来た】

 【マリア――――?】

 【あなたの初めての女性は私。そして、私が私として生きる最後の男性は、ルビ、あなたに、したくて】

 【……】

 つまりは、結婚前のアバンチュール。
 けれど、マリアにとっては、儀式とも呼べるのかもしれない。
 一瞬、千愛理の顔が脳裏を掠めた。

 「……」

 けれど、

 【マリア】

 僕は、徐に立ち上がり、マリアの傍に膝をついて座る。

 【誕生日はいつ?】

 【12月、18日よ】

 【4日後――――だね】


 綺麗なマリア。
 そのエメラルドのような瞳で真っ直ぐに僕を見て、凛とした姿勢で僕に挑んでいるその気丈さなのに、

 【マリア】

 僕がそっとマリアの手を握ると、カタカタと震えていたその指先が、縋る様に握り返してきた。
 その感触に、こみ上げて来る懐かしさと愛しさがあれば、傍に居る理由には十分だと思う。

 【マリア……、あなたが望むとおりのブライダルシャワーを、僕がプレゼントするよ】

 【――――ッ、ルビ……】


 マリアの手の震えが、体中に広がっていく。
 大粒の涙が溢れ出したその頬に、僕はそっと、唇を寄せた。



 ――――――
 ――――

 僕がマリアに出会ったのは、ロサンゼルスにあるコンドミニアム型ホテルのガーデン・レストランを貸し切って行われた、僕の13歳の誕生日パーティの夜だった。

 あれから、もうすぐ約3年――――。
 正確には、2年と9ヶ月も前の事になるんだ―――――。

 ベッドに横たわるマリアの金髪を指で梳きながら、僕はその出会いの事を、ゆっくりと思い出していた。


 2年と9ヶ月前、僕の13歳のバースディパーティを主催したのは、一緒に暮らしている母親のケリではなく、彼女と離婚が成立したばかりの遺伝子上の僕の父親で、ケリへの接近禁止令を避けるためのダシに使われたのは間違いなかった。

 離婚して数ヶ月。
 結婚生活ですり減らした体重を新婚当初と同じくらいのベストに戻しつつあったケリは、元夫サイドからの熱烈説得を受けてパーティを承諾した日から再び食欲を落とし、けれど10年以上も培ってきたセレブな夫人としての振舞いを疎かにはせず、祝いに駆けつけた友人知人を笑顔で饗していた。
 夕方から始まったパーティが2時間ほど経過した頃、歓談を楽しむ大人達からは既に主人公であるはずの未成年の存在価値は外されていて、雰囲気的に用済みとなっていた僕は、チェックインしていた部屋には戻らず、無数に咲き誇るホテル自慢のラナンキュラスの花の間を縫って庭内の散策を始めていて、

 『いい加減にして。そんな事は出会った時から分かっていたはずでしょう? どうして今さら、別れ話にそんな理由を持ち出すの?』

 そんな声が聞こえてきたのは、当時160cmだった僕の腰丈ほどあるラナンキュラスの柔らかい枝を分けて進んだ先の、小さな噴水広場に差し掛かった時だった。

 『……?』

 仄白い照明に照らされるだけの薄夜に目を凝らし、花弁の多いラナンキュラスの群れの先に見つけたシルエット。

 夜風に靡く肩までの金色の髪。
 ピンクベージュのサテンのワンピースが、月明かりを浴びて煙るように輝いているその後ろ姿。
 この薄暗い世界で、存在する全ての光の片鱗を纏ったかのように僕の目に映った彼女の存在はとても美しくて――――、

 全てを奪われるように見入っていると、彼女はついと夜空を見上げた。
 その拍子に、彼女の鮮やかなグリーンアイから、まるで宝石のような涙が零れ落ちる。

 『……もういいわ。私の名前のせいでいい。これ以上話をして、いままでの思い出まで汚されたくないもの。大好きだったわ。さようなら』

 通話を終え、パタンと携帯を折り畳んだかと思うと、逡巡したのは一瞬で、彼女はその白い腕を振り上げ、ラナンキュラスの茂みへとその携帯電話を投げ捨てた。

 『え?』

 僕の口から、思わずそんな驚きが漏れて、

 『誰!?』

 身構えたような警戒の態度で僕の方を振り返る。


 彼女の背景に咲き乱れるラナンキュラスの花が風に揺らされ、柔らかい色彩のピンクが放たれたように僕達の周りを彩っていく。

 『―――――驚かせてごめんなさい……』

 どうにか、僕は口を開いた。

 彼女がいる景色は、とても綺麗で、
 産まれてから見つめて来た全ての中で、一番綺麗で、
 その美しさに、体中が金縛りにあったようだった。

 でも、

 『綺麗……』

 そう呟いたのは僕じゃなくて、涙の跡を頬に残していた彼女だった。

 『あなた、男の子なのにとても綺麗ね』

 『……どうも』

 少し、がっかりして一言返す。
 やっぱり、見た目に何もかもが価値を奪われていく。
 そんな僕の態度に、彼女はくすりと笑い、肩をすくめた。

 『言われ慣れてるか、それとも、自分の容姿に関心がないの?』

 『……あなたの方が綺麗ですよ。その涙なんか特に』

 『生意気ね』

 確実に年上目線での言葉の後、その単語の意味合いとは裏腹に優しく目を細め、彼女は夜空を見上げた。
 僕も釣られて顔を向ける。

 星は見えない。
 都会の灯りの眩しさに、本来の宇宙そらの美しさはそこにはない。

 『小さい星なんか、全然見えないわね』

 彼女は、小さくそれを紡いだ。

 『でも、本当は輝いているの。――――周りが明るすぎるだけよ……』

 新たな涙が頬を伝う。

 『私は、ちゃんとここにいる』

 それは、自分を奮い立たせる呪文のようで、

 『私はここにいる』

 僕よりも、ほんの少しだけ高いその背筋を伸ばし、流れる涙をそのままに、拳を握って立っている。



 ああ、そうか。


 この人もきっと、僕と同じなんだ。

 有名すぎる父親のせいで、幼い頃から普通ではない環境に育ち、その理由はすべて、『彼の子供だから』。
 幸せも不幸も、あれもこれも、最後にはすべて、『彼の子供だから』。

 ……彼の『妻』だから。

 けれど、周囲がどんなにそう結論付けようと、生きて成しているのは自分達本人で、でもその輝きは、戸惑いは、――――それに抱く悲しみさえも、強すぎる彼の光の陰に、誰にも見留められる事はない。
 生きていくうえで、その葛藤がどれほどの苦しみか、誰にもわからないだろう。

 自分という存在を、その意義を、何度も何度も見失う。
 僕とケリは、そこに足を取られないように必死にその現実を歩いてきた。

 そしてそれは、血の滲むような苦しさの果てに保たれているものだという事を、要因である"あいつ"は、結局離婚に至るまで、――――もしかしたら離婚に至った今でさえも、気づいていない。


 『うん……。あなたは、ここに居るよ』

 『……』

 僕は、無意識のうちに、ただ黙って僕を見つめる彼女の頬に触れ、そこに流れ落ちる涙を、何度も何度も拭ってあげた。
 エメラルドのように美しい彼女の瞳に、悲しい顔をした僕が映っている。


 『―――――あなたも、泣いちゃいそうね』

 ふと、震えていた彼女の唇から、そんな言葉が零れた。


 ああ、そうだ。
 僕は、泣きたかったんだ。
 こうして、誰かと――――――。

 『――――うん』

 『泣かないで』

 『うん……』

 僕らの唇は、ごく自然に引き寄せられ、優しく重なり合い―――――、


 『私の部屋に、来る……?』

 意味を持っているであろうその言葉に、僕は迷わず頷いた。


 『あなた、名前は?』

 『ルビ』

 『ルビ――――』

 僕の名前を噛みしめるように呼んで、

 『私は、―――――マリア』

 『マリア……』

 『そう。――――来て』

 マリアに手を取られ、ラナンキュラスの花の香りの中を足早に進む。
 誘われたのは、周囲を花の塀と池の堀に囲まれたコテージで、このホテル自慢のVIPパレスだった。
 建物に入る直前、スーツを着こなした若い男が、庭先から僕達に向かってお辞儀をしているのが見えたのに、

 『気にしないで』

 更に強引に腕を引かれ、僕は挨拶すら出来なかった。
 部屋に入った途端、パンプスを脱ぎ捨ててベッドにダイブしたマリア。
 ピンクベージュのワンピースの裾がめくれて、花のレースが可愛らしい太股半分までのストッキングと、同じ花のフリルがついたガーターベルトが露わになっている。

 『……マリアは、花のように綺麗だね』

 『嬉しい。―――――きて』

 マリアの華奢な両腕が、僕へと伸ばされた。


 『――――僕、こんなに女性の近くに行くのは、……初めてなんだ』

 告白した僕に、マリアは微笑んだ。

 『光栄だわ』

 マリアの指が、僕の指を絡め取る。
 大きく鳴る僕の心臓の音が、まるで繋がったように、マリアの指先にも振動していた。

 『ルビ、私が、教えてあげる』

 『マリア……』


 そこからは、まるで夢のような世界で、

 女性の柔らかさと、
 温かさと、
 そして、我を忘れそうなほどの快感と、

 『……ッ、ごめん、マリア、もう』

 『ぁ、いいの……、あぁ、きて、ルビ』

 『ッく』

 一度目は、ただ夢中だった。

 二度目は、どうすれば女性を夢中にさせられるか、幾つかの手解きを受けながら揺れて、
 三度目に、初めてマリアを高みまで連れていけた。


 その表情の美しさに、僕の脳に、全身に、限界のない歓びが駆け巡る。
 全てを曝け出して、見せつけてくるこの官能に震える表情は、この時だけは、僕だけのモノ――――。



 『―――く、……はあ、ぁ、はぁ……』

 息が止まりそうなほどに全力で放った精に、思わずマリアの身体の上に倒れ込んでしまう。

 『あッ、ごめ、』

 慌てて仰け反ろうとした僕の肩を、マリアは掴んだ。

 『ルビ、これは女にとって、幸せのウェイトなの』

 『え?』

 『女は余韻が長いのよ。その間、温もりを遠ざけちゃダメ』

 『……』


 繋がったまま、僕はマリアの肩をギュッと抱いた。
 触れ合った肌の部分から、融解しそうなほどの熱の迸りを感じられる。

 ごく自然に、僕はマリアの額にキスを落とした。

 『ルビ、今のキスはスペシャルに最高。こういう気持ちは、絶対に忘れないで』

 そう言って目を細めたマリアに、僕は反射的に苦笑を返した。

 『あなたにリードされる自分が、……少し恥ずかしくて、けれど愛おしい……。――――不思議な気分だ』

 『ふふ。ルビは素直ね。――――あなたはきっと、女性を魅了して止まない男性になる。あなたの初めての女性になれて、凄く嬉しい』

 『――――』

 『ねぇ、ルビ。セックスは、――――――メイクラブは女性を幸せに出来る方法の一つよ。これから、たくさんの女の子を幸せにしてね?』

 『……別に、一生たった一人でもいいよ?』

 僕は、真剣に、マリアの目を見つめて告げた。

 『僕は、あなたという星を、ずっと見ていられると思う―――――』

 『……』

 マリアの、エメラルドの瞳が、僅かに揺れた。

 『―――――嬉しい……。素敵な告白ね』

 『マリア』

 僕の前髪を撫でて、マリアは優しく微笑んだ。

 『夜はまだ長いわ。もっと色んな事を教えてあげる。私のToy Boy』

 『マリア』

 女性を初めて知ったその夜。

 『マリア』

 その名を、何度呼んだだろう。
 この温もりを、優しさを、ずっと傍におけると信じていた僕が目覚めた朝、



 ―――――マリアは姿を消していた。




 数日は、必死になって行方を捜した。

 R・Cのコネを使い、"Stella"の人脈を使い、それでも見つからなかったマリアを想って落ち込んだその後、

 『ああ、……そっか……』


 ふと気づく。

 咲き誇るラナンキュラスの花の中に投げ捨てられたあの携帯電話のように、

 僕も、捨てられたんだと思った。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。