小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
AGITATION


 月曜日。

 先週までとは違う始まりの朝がやってきた。
 いつもなら、本宮君とお弁当の事でメールのやり取りをして、何時ごろに登校してくるとか、何時ごろに帰っちゃうとか……。
 本宮君のそんなスケジュールを知れるのは、仮彼女としての役得で、

 でも、二日前の土曜日。
 一緒に行った水族館でそれに自ら終止符を打ってしまったあたしにはそんな役得はもう無くて、クラスの中、本宮君の席が、朝のSHRが始まろうとしているこの時間にも空いたままになっている事の、この状況でしか測れない。


 ――――今日は、お休みなのかな……?

 自分で距離をおいたんだけど、なんだかもう、たったこれだけで、とても本宮君が遠くなってしまったような気がする。


 『"別れた"にしてもいい? ヘタに騒がれて干渉されたくないし、……それでいい?』

 あの時の、本宮君の念押しに、

 『(いい……んだよね?)……うん』

 答えに迷ってしまったあたしの勘は、もしかして、何かを予感していたのかもしれない―――――。



 ――――――
 ――――

 「おはよ、佐倉」

 前の席に、大きなスポーツバックを置きながら挨拶をしてきた藤倉君に、ハッとする。

 「あ、おはよう。藤倉君」

 「佐倉、健斗から連絡きた?」

 「うん。先週、あたしのバイト先に顔出してくれた」

 「げ。オレには今朝メールだけだぜ? 贔屓だよなぁ」

 ふと見ると、本気でふくれっ面になった藤倉君の背後から近づく影。
 藤倉君の首辺りに伸びて来るその腕を視界の中に見ながら、あたしは頬杖をついて気づかない振りをする。

 「だいたいさぁ、健斗の奴、今までメールの一通も寄越さないってどうなんだって、ぐえっ」

 「なーにが贔屓だって?」

 「げぅ、けん、と、ぐるじい」

 懐かしいヘッドロックをかけられて楽しそうに悲鳴を上げる藤倉君の頭を、健ちゃんのもう片方の手がワシャワシャとかき混ぜた。

 「けん、ど、苦ジ、って」

 ジタバタと両腕を動かす藤倉君に、健ちゃんは悪戯っぽく笑って見せる。

 「悪ぃ、悪ぃ、でも、やっぱお前見たらこうしねぇとな」

 一か月以上ぶりに見るそのやり取りに、あたしも思わず笑いを零した。


 「ふふ、健ちゃん、おはよっ」

 「はよ、千愛理」

 目を細めて笑顔をくれた健ちゃんが、あたしの頭もふわりと撫でた。
 とたん、クラスの女子からの羨望の眼差しがこちらへと向かってくる。

 目や耳にかかる長さの漆黒の髪。
 その合間から覗く黒い瞳。
 178cmの身長も魅力だと思うけど、全身から不思議な色気と癒しオーラが放出されている健ちゃんは、とにかくモテる。
 そして、こんな風にあたしに接していても、女子は決してあたしに嫉妬を向けることは無い。
 何故なら、そういう"綺麗じゃない"事を健ちゃんが凄く嫌いだから。
 健ちゃんに嫌われる為に、誰もわざわざ、そんな事に労力を使わない。

 藤倉君曰く、"南"信仰の生せる業、なんだって。


 「うそ、南君、ひさしぶり」
 「やっぱり素敵ね……」

 そんな健ちゃんに寄せられる関心は女生徒だけではなく、

 「南、やっときたか」
 「お前、日数大丈夫なのかよ?」

 あちこちから飛んでくる男子からの声かけ。

 「まあ、なんとかね。あ、俺の席、千愛理の隣でいいんだよな?」

 「あ、うん」

 健ちゃんの人好きフェロモンは性別を選ばず、そして、

 「健斗〜、見かけたから来たよ〜。お昼奢ってあげるから後でメールちょうだい」

 教室のドアに立ち並ぶタイの線の数が違う女子の先輩方。

 「あ〜、すみません先輩、今月はもう無理っす。それと、アドレス逝っちゃったんで、メアド送ってもらえます?」

 「もう順番待ちなの!? あ〜、絶対、年内には連絡してよね! 後で送っとく〜」

 「はーい」

 何事でもないみたいに、ヒラヒラと手を振りながら席に座る健ちゃん。

 男女不問。
 年齢不問。

 健ちゃんの不思議なカリスマ性は、万人に有効。



 誰を相手にしても、健ちゃんへの待遇は絶対に基本ラインが変らない。
 そして、いつどんな時でも、誰を相手にしてたって、健ちゃんの態度も変わらない。
 小さい頃から見慣れているこの健ちゃんを取り囲むこのメンタルマジックには、ほんと、いつも感心してしまう。

 「健ちゃんって、ほんと不思議だよね」

 思わず呟いたあたしの言葉に、

 「ほんとほんと」

 藤倉君がウンウンと頷いた。

 「これもカリスマってやつなのか?」

 「クス、そうなのかなぁ?」

 そんな風にして、しみじみと笑い合ったあたしと藤倉君に、

 「違うっしょ」

 そう言って口を挟んだのは健ちゃん本人だった。


 「俺のはただの博愛主義。世間に、それを甘受する人が多いだけ」

 博愛主義かぁ……。
 確かに、表現するとしたらそうなるのかも。

 「うん、納得」

 「だろ?」

 健ちゃんがウィンクしたと同時に、SHRを知らせるベルが鳴った。


 「はーい、席について」

 沙織先生がドアを開けて教室に入ってくる。
 そして、健ちゃんの姿を見つけると、その綺麗な顔を苦笑いにして、肩で息をついた。

 「やっとご登場ね、南君」

 「どうも」

 「テスト、レポート、山のようにあるから、覚悟しておきなさい?」

 「うぃ〜っす」

 「それじゃあ、出欠を確認します。今日の欠席の連絡があったのは本宮君と……」


 え……?

 本宮君、今日は丸ごとお休み、なんだ―――――。
 視線を斜めにして、空いている本宮君の席を見る。
 そして、ゆっくりと沙織先生へと目を向けた。

 綺麗な、大人の沙織先生……。

 直ぐに、あの窓枠の中の二人の姿を思い出して、胸にチクリと何かが刺さる。


 「……ッ」

 いやだ。

 その痛みから、醜くて、黒い塊が自分の中に生まれようとしている。
 頭を振って、気持ちを切り替えようとしたけれど、今度は、じわじわと、悲しい気分が湧いて来た。

 本宮君、何処に連絡したんだろう……。

 学校に?

 それとも、直接沙織先生に……?


 『千愛理』

 本宮君の甘い声を思い出す。

 『沙織』

 そんな風に、先生の事も呼んだりするのかな―――――?


 そこまで考えて、ハッとして、

 「……」

 泣きたくなった。

 知らなかった……。
 恋は、醜い自分との戦いでもあるんだ―――――。

 窓の外に見る陽の明るさが、あたしに巣食う負の感情を浄化してくれるようにと、期待を込めて、沙織先生から視線を外した時だった。


 「本宮って誰?」

 不意に、健ちゃんが藤倉君へと尋ねる。

 「お前と入れ替わりに来た転校生」

 「貢、お前ね、入れ替わりって、俺、まだいるっつうの」

 「はは、だって、お前が休み始めた頃に来たんだもん。―――佐倉、本宮なんだって?」

 「え?」

 突然話を振られて、あたしは茫然と藤倉君を見返した。

 「……何が?」

 「だから、本宮。体調悪いの? それとも仕事?」

 重ねて訊いてくる藤倉君に、健ちゃんが不思議そうに眉根を寄せる。


 「? なんで千愛理に聞くんだよ?」

 「え? だって佐倉の彼氏の事だし」

 「はぁ!?」

 健ちゃんが驚いたように大きな声を出す。

 でも、目を見開いていたのは一瞬で、

 「なんだよ、やっぱ出来てたんじゃん。なんで俺に隠すんだよ? この前のメールの奴だろ?」

 「……」

 「水臭せぇな」

 健ちゃんの手が伸びて来て、その指先が、あたしの額をコツンと弾く。


 「あ、」

 どうしよう。

 「――――千愛理?」

 「あの、――――ね?」


 あたしが言いかけた時だった。
 被るようなタイミングで、藤倉君が笑いながら告げる。

 「そっか〜、お前知らなかったか〜。これが浦島太郎現象ってやつだな〜」

 「大袈裟。で? どんな奴だよ? 貢」

 健ちゃんが、愉しそうに頬杖をつきながら藤倉君に聞いた。

 「超美っ少年。王子様。普段は口数少ないけど、多分いい奴。――――な?」

 無邪気な笑顔で相槌を求めて来る藤倉君に、

 「……うん」


 あたしは、頷くしか出来なかった。








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