小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
AGITATION


 朝のSHR。

 「……」

 休憩時間。

 「……」

 お昼時間。

 「……」


 ――――――はあぁ……。

 無意識に、深いため息を一つ。


 あれ?
 どうしてため息なんかついたんだろう。

 「……」


 なんだか……、なんだか――――――、


 「ぷ」


 ……、


 ぷ?


 「――――え?」

 誰かが吹き出したその音に、あたしが反射的に顔を上げると、そこには、楽しそうにあたしを見る健ちゃんと藤倉君の顔があった。
 まさか見られているとは思っていなくて、

 「え? なに? どうしたの?」

 慌ててあたしが尋ねると、

 「「―――――」」

 二人はチラリと目線を合わせ、

 「ぷぷ」

 「あはは」

 何故か豪快に笑い出した。



 「……え?」

 わけが分からずに、茫然としていたけれど、次第にあたしの事を哂ってるんだと気づいて、上目で睨みつけてやる。

 「あ〜、ごめん佐倉。……だってさぁ」

 「な。くく、マジで千愛理、お前、見すぎだから」

 「―――――?」

 見すぎ?

 「え? 何を?」

 「なんだ、自覚無しか?」

 「はは、佐倉さ、今日は朝からずっと本宮の席チラチラ見て、ため息ついて、また見て、ため息ついて」

 「お前、朝からずっとそれ繰り返し。これは笑うしかねぇって」

 「―――――嘘ッ!」

 「ほんとほんと」

 「なんだよ、やっぱ自覚無しか」


 クスクスと、二人の笑い声がまた重なる。

 「……ッ」

 かあああと、鏡見なくても判る。
 あたしの顔は真っ赤。
 信じられない。

 でも確かに、よくよく思い出してみると、何となく思い当たる節がある。
 もしかしたら癖になっていたのかもしれない。
 だって今も、気を抜くと、本宮君の席に視線がいきそうになるんだもん。

 「くくく、いいぞ、千愛理」

 健ちゃんが肩を揺らして笑いを堪えながら、あたしの頭をぐりぐりと撫でた。

 「うん、ちゃんと女の子の顔してるじゃん」

 「……」

 「可愛い可愛い」

 「健ちゃん……、あたし、元からちゃんと女の子だから」

 健ちゃんが言う"女の子の顔"がそういう意味じゃないって知っていたけど、あえて茶化すようにそう言った。
 でないと、今のあたしはなんだか恥ずかし過ぎる……。

 「わかってる」

 健ちゃんも、あたしの返しの意味をちゃんと分かってて、そう応えをくれて。

 「ってか、幼馴染がやっと真面目に学校来出したかと思ったら、今度は彼氏だもんな〜、佐倉も気が休まらないよね」

 「あ」

 "彼氏"

 そのフレーズに、あたしはまた思考を止めた。



 言うなら、今!

 「あのね、」

 「なあ貢、今日さ、放課後って部活あんの?」

 「え? いや? 今日は休み」

 「……」

 健ちゃんに横槍入れられてまた失敗。
 なんか、タイミングが、うまく掴めない。
 こういう話って、構えずに、さくっと言える事なのかな?

 「千愛理は?」

 「え!?」

 「バイトあんの?」

 「あ、ううん。あたし、今日はお休み」

 今夜は、閉店後の"Stella"2号店に下見に行く事になっているから、明日の学校の事も考えて、お店の方はお休みを貰っていた。

 「ふうん、じゃあさ」

 口をニッと笑みにして、健ちゃんがポケットから何かのチケットを取り出した。

 「これ、今日3人で行かね?」

 「なになに〜?」

 藤倉君が健ちゃんからチケットを取り上げる。

 「お、ホテルのディナーバイキング券」

 「さっきさ、先輩に復学祝いにもらった」

 「復学祝いって、はは、なんだそれ」

 「まあ、くれるっつうから貰ったんだけどさ、期限見てみ」

 「……げ、今日までじゃん」

 「太っ腹な筈だよ」

 「やられたな〜」

 あはは、と笑いながら、

 「はい」

 と藤倉君があたしにチケットを見せて来た。
 受け取って内容を見て見ると、空港近くにある高級ホテルの、ディナーバイキングの無料招待券。



 「無料タダ! すごい」

 「だろ? 5時からだしさ、こっからモノレール使っていけば、そんなに時間もかかんねぇし」

 「乗った!」

 藤倉君が片手を上げる。

 「おし! 千愛理は?」

 「あ、……うん。いいよ」

 桝井さんとの約束は21時だから、それまでに家に着けば問題ない。
 あたしが頷くと、

 「よし、決まりな」

 健ちゃんがポンポンとあたしの頭を撫でてくれる。

 「あ」

 ふと、健ちゃんの肩越しに見える教室のドアの向こうに立っている存在に気づいた。

 「―――――千早ちゃん?」

 ドアに隠れるようにして、こちらをジッと見ていたのは千早ちゃんで。

 「あ?」

 健ちゃんが振り返るのと同時に、その姿は消えてしまった。

 「――――千早って、千愛理の又従姉妹の?」

 「……うん」

 そう言えば、もうすぐ、クリスマスパーティの日だ。
 千早ちゃんは、もうパートナー、決まったのかな?

 チラリ、

 あたしの視線は、また無意識に、本宮君の席に向けられていて、

 昨日と今日、二日連続で休みなんて今まで無かったのに、関係をリセットした途端、こんなふうに顔も見れなくなるなんて……。

 なんだか、本宮君に、故意に意地悪をされているみたいだよ。


 ねぇ、ママ。

 好きな人が見れない日って、寂しいんだね―――――。


 こんな事で泣きそうになるあたしは、ちゃんと恋、出来るのかな―――――?



 放課後、三人で健ちゃんの計画通りにモノレールを使って移動して、駅から徒歩で初めての景色を楽しみながら目指すホテルの正面についたのは17時過ぎくらい。
 クリスマスを一週間後に控えたこの季節。
 もう辺りは真っ暗で、ホテルの門の横にあるツリーに見立てられた大きな木は、シルバーの光でライトアップされてとても綺麗。
 その足元に並べられたポインセチアはとても色が濃くて、遠目に見る土の状態も、葉っぱの瑞々しさも、きっと素敵な庭師さんが管理しているんだなって思った。

 「……綺麗だな」

 ふと、上から降りて来た健ちゃんの声。
 見上げて、健ちゃんと目を合わせる。
 あたしが見ていたポインセチアの事を言っているんだと、その目の優しさで直ぐに判った。

 「――――うん」

 返事をすると、健ちゃんが頭を撫でてくれる。
 小さい頃からあたしの世界を共有してくれた健ちゃん。

 多分、パパの次に、―――――そして、あかりちゃんよりも、あたしに近い。

 「ふふ」

 なんだかご機嫌上昇。
 気分良くホテルへと足を踏み入れて、

 「すごい!」

 「お〜、ほんとすごいね」

 あたしに続いて、藤倉君の感嘆の声がする。
 初めて訪れたホテルのロビーは、ライトじゃなくて高級感でキラキラしていて、でも萎縮しちゃうほど眩しい! っていう煌びやかな感じじゃなく、

 ――――憧れ、そう、歴史ある敷居の高さに憧憬を抱くっていう、そんな華やかさを胸に咲かせてくれる厳かな煌びやかさ。

 シャクナゲ、フィリカ、さつま杉……、
 ストックで形をとって、枝で広げて―――――、


 「はい、千愛理。そこまでね」

 コンと、額を小突かれてハッと我に返る。



 頭の中でフラワーアレンジをしながら歩いていたあたしの記憶はいつからか途切れ、いつの間にか、目の前にあるのはレストランの入り口。

 「あ」

 「感動すると"飛ぶ"クセ、外では気をつけろって言ってるだろ?」

 「……あは」

 「ったく。ほら、案内してくれるって」

 きびきびした所作のスタッフさんがあたし達の前で歩みを促している。
 案内されたのは窓側の4人掛けテーブルで、遠くに庭の小さな噴水が見えた。
 最奥のバイキングスペースとの距離はちょっとあるけど、店内が見渡せる落ち着いた感じの位置取りの席で、窓際に座ったあたしの隣に健ちゃんが、そして、あたしの向かいに藤倉君が着席。

 「お時間は只今より120分となっております。本日のメインディッシュはテンダーロインステーキと舌平目のムニエルでございますが、お好みがございましたらどちらか一方のメニューに変更可能です。いかがなさいますか?」

 スタッフさんの質問に、健ちゃんがあたし達に目を配り、

 「そのままで」

 「かしこまりました。では、ごゆっくりお楽しみ下さい」

 去って行く後ろ姿にホッと息をつく。

 「なんかさ、お行儀よくしなさい! って圧巻されてる感じがするよな」

 藤倉君の言葉に、あたしは苦笑を返した。

 「うん。慣れないっていうか、緊張するね」

 「なんだそれ」

 健ちゃんがプッと笑う。

 「変に気構えるなよ。あの人達、それ演出するのが仕事だし、俺らはその雰囲気を客として楽しめばいいの」

 そんな健ちゃんらしい発想に、

 「さすが健斗」

 「だね」

 あたしも藤倉君も、肩を上げて笑った。

 「なんだよ。よし、じゃあ取りに行こうぜ」

 少し不本意気味な表情を浮かべながらも、最後は笑顔になって立ち上がった健ちゃんに続いて、あたしも席を立つ。

 「うん! たくさん食べようね」



 目の前の輝く料理畑から、色とりどりのおかずをプレートの中に乗せていく。
 お皿への盛り付け、これもバイキングのちょっとした楽しみ。
 まるでアレンジをしている時みたい。

 まずは目で食べるのが女の子の食事の基本。
 その定義は、あながちウソじゃないな、って、こういう時はほんとに思う。

 「お花に囲まれてる時と同じ気分」

 上機嫌でそう言いながら食べていると、

 「食いすぎるとデザートが入らなくなるぞ」

 「別腹になる予定なので、大丈夫です」

 「佐倉にも"別腹"とか、そういうのはあるんだな」

 「え?」

 「食欲、物欲、無さそうに見える」

 「はは、なんか分かる、そのイメージ」

 「―――――普通にお腹すくし、欲しいモノもあります、けど……?」

 「う〜ん、そうじゃなくて」

 「貢、やめとけって。こいつ、貪欲になるのは花が関わった時だけだから」

 「それも見た事ないし、オレ」

 「あ〜、そうかぁ」

 咥え箸をしながら、健ちゃんがあたしを見た。

 「そろそろ展覧会とかあったよな?」

 「え? ……うん、華月の新年展覧会があるけど、――――」

 何となく、濁したい気分。
 でも、目敏い健ちゃんがあたしのソレを見逃すはずも無く。

 「何?」

 視線に負けて、白旗。

 「―――――実演しないかって言われてて」

 「え!? 佐倉なにするの?」

 「展覧会で、生け花するところをお客さんに見てもらうの」

 「おおッ、何気に佐倉ってすげぇの?」

 「そ、すげぇの」

 「そんな事ないよ。あたしのは、小さい頃からずっとやってれば、年数的に普通に貰える位のお免状だし、高校生で同じ職位の人は全国にたくさんいるよ?」

 「でもオファー掛かるって事は、華月では認められてるって事だろ?」

 「―――――目をかけては、もらえてると思う」

 何となく、空を見つめたまま、あたしはポツリと言った。



 「でも、もう、」


 ―――――もう道は分かたれてるの。

 あたしが進むべき道に、華月の本流に入るという選択肢は既にない。
 高校を卒業するタイミングで師範せんせいにお話ししようと思っていたけれど、長引けば長引くほど、向こうからの期待も、しがらみも、どんどん増える気がする。
 苦しくなる前に、意志を伝えるべきなのかもしれない―――――。

 「――――あんま、無理はすんなよ?」

 そんな言葉が聞こえて、顔を上げると優しい健ちゃんの笑顔があって。

 「うん」

 あたしは、不思議な安堵感に包まれながら、しっかりと頷いた。


 ―――――その時、


 「あれ、本宮じゃない?」

 「え?」

 反射的に、藤倉君に言われて顔をあげる。

 「ほら、あそこ」

 指差された方を見ると、

 「あ」

 レストランの入り口に立っているのは確かに本宮君で、

 「うそ……」

 体中が心臓になる。
 すごい、偶然――――。

 「本宮?」

 健ちゃんがあたしを見た。

 「――――って、お前の彼氏の?」

 「あ……えっと、」

 どうしよう、まだ言ってないんだった。

 「あの、あたし達、」

 「なんだ、連絡取ってたんだ? 佐倉探して迷ってんじゃないの? 合図してあげれば?」

 藤倉君がニヒヒと笑いながらからかってくる。
 あたしは気まずいまま首を振った。

 「違う、偶然」

 「へぇ? 凄いな。でも良かったじゃん」

 「……」

 「千愛理?」

 「―――――うん」


 健ちゃん。

 本当にそう。
 会えて嬉しい。

 本宮君に会えて嬉しい。

 胸の奥から悦びがじんわりきて、勇気を出して立ちあがろうとして、

 「――――え?」

 次の瞬間には、まるで心の内側が、何かで引き剥がされたような衝撃を受けていた。

 レジでスタッフと何かを話している本宮君の腕に、金髪の綺麗な女の人がするりと腕を絡めて来て、その赤い唇が何かを話すと、本宮君が身体を屈めて耳を傾ける。
 その間、もう片方の彼の腕が、その女の人の細い腰に廻って、その身体をしっかりと抱き寄せて、

 「……ッ」


 本宮君の、あの形のいい唇が何か言葉を刻み、

 そのまま、彼女の額に、



 ―――――キスをした。








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