小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
AGITATION


 桝井さんに連れられて向かった"Stella"2号店は、店内中央に1mほどの円形のステージが設けられていて、それは必然的に、前面だけに気を配れば良かった最初の店舗とは違って、360度の視野バランスが構図に求められる難易度が上がったものだった。

 普通に盛りをすればいいんじゃない。
 宝石を生かせるようにアレンジしなくちゃいけないんだ――――。
 イメージを先行させて作り出せた前回のモノとは、まったく違う力が求められている……。

 閉店後の店内を、ステージを中心にしてゆっくりと歩きながら、

 「……」

 大丈夫、かな……?
 心の中で思わず弱気が出てしまう。

 「アレンジは今週末という事でいいかな? 出来ればイブには完全に花開く形にしてほしいんだけど」

 手帳を見ながらの桝井さんの言葉に、

 「あ、……はい」

 応えた声は小さくて、自分でも情けなくなるくらいだった。


 「――――千愛理ちゃん、どうかした?」

 「――――えッ?」

 驚いて顔を上げると、見透かしたような大人の眼差しがそこにはあって、


 「……いえ」

 「―――そう。それじゃあ続けるよ」

 「はい」

 あたしは、背筋を伸ばす。
 これは契約をしている仕事なんだ。
 あたしのテンションや心のポジションは"Stella"には関係ないんだから、しっかり全うしなくちゃ。

 「こちらで用意できるアイテムは前と同じカタログを見てもらうとして――――、今回の予算なんだけど――――、それから」

 桝井さんの話を聞いて、頷いたり質問したりしながら、段取りも最終段階に入った頃、


 「遅くなってごめんなさい」

 バックヤードへの扉が開いて、照井さんが入って来た。

 「よ、お疲れ。予定より遅かったな。何かあったのか?」

 「社長のアレキサンドライトが届いたから、閉店後に工房の方に廻してきたのよ。佐倉さん、ごめんなさい」

 「いいえ」

 「これ、お詫びね」

 ウィンク交じりに差し出したのは有名ドーナツ店のロゴが書かれた紙袋で、

 「いつもありがとうございます」

 「じゃあ、少し休憩しようか。あ、千愛理ちゃん、あそこのテーブルを使っていいから」

 「あ、はい」

 「佐倉さん、行きましょ」

 桝井さんの視線が示す店内の端にソファとテーブルがあって、照井さんに先導されて腰掛ける。

 「照井」

 「ん?」

 「工房に出したのはアレキサンドライトだけか? コンクパールは?」

 「それがさぁ」

 照井さんは、持っていたバッグを開いて、黒の小箱を取り出した。
 テーブルに置かれたそれは、上部分だけが透明なガラスで覆われていて、中にある石が見えるようになっている。
 黒の台紙の上には、そう、――――まるでジェリービーンズみたいな光沢をした、桃色の丸い石。
 暫く魅入られたように見つめていたあたしは、

 「可愛い……」

 思わず口に出てしまう。

 「ふふ、可愛いでしょ?」

 照井さんが、あたしの方へと差し出してくれた。
 間近で見ると、その艶のある綺麗さが良く分かる。


 「こんなにピンク色の真珠なんて、あるんですね」

 「コンク貝という巻貝から採れる貴重な真珠なの。巻貝だから養殖が出来なくて、市場に出回る数が少ないのよ」

 桃色に、それよりも薄い、白に近いピンク色の、例えるならヒョウ柄のような模様が付いている。

 「これは火焔模様といって、綺麗についているほど価値が上がるの」

 言われてじっくりと観察すると、その真珠には、満遍なくその模様が付いていた。

 「―――――社長、何かあったのかしら」

 ため息交じりに呟いた照井さんに、桝井さんが眉を顰めながら近づいてきた。

 「どうして?」

 「コンクパールの加工は、もういい、って……」

 頬杖をついて、新たなため息をまた一つ。

 「もしかして、振られちゃったのかも」


 「振られたかぁ……、そうかぁ」

 後頭部を掻きながら、桝井さんが眉根を中央に寄せた。

 「うん。まだ確かめたわけじゃないけど、社長、"もういいんだ"なんて、凄く寂しそうな声だったもの。これが社長の初恋かもって、凄く張り切って手に入れたのに……」

 「ん? ――――初恋は違うだろ?」

 「え?」

 「ほら、3年くらい前に、グループ会社の情報部総出で一人の女性を探した事があっただろ?」

 「ええ? あれが初恋になるの!? だって、一晩限りの相手だったんでしょ?」

 「そうだけど、あの後の社長の堕ち様は凄かったからな」

 「う〜ん、確かに」


 二人の会話を聞きながら、なんだか居たたまれなくなってしまう。
 ……これって、部外者のあたしが聞いてていい話なのかな……?
 そんな風に桝井さんと会話をする間も、照井さんがジェスチャーで、これ? これ? と矢継ぎ早にドーナツを袋から出してあたしに見せてくる。

 「あ」

 思わず頷いた好きな種類のドーナツを、「はい、どうぞ〜」と即座にあたしの前に広げたティッシュに置いてくれて、

 「……いただき、ます」

 邪魔にならないように、小さく呟きながら会釈をして、両手に持ったホワイトチョコドーナツに噛り付く。

 その後も、やっぱり二人の会話は繰り広げられて、

 「今度の女性も、"そういう相手"だったのかしら」

 「なんだ、妬きモチか?」

 「違うわよ。私は、社長には、ちゃんとした恋愛を経験して欲しいの。あの年であんな愛し方しかできないんじゃ、社長はいつ恋の醍醐味を経験するのよ。今しか味わえないキュンな感覚って絶対あるでしょ!?」

 「まあ、――――そうだな」

 曖昧に笑った桝井さんに、照井さんはフンッと鼻を鳴らしてドーナツに噛り付いた。



 「一晩限りの相手、……かぁ」


 こういう話を聞くと、何故か思い出すのは本宮君の事で、

 『セックスは好きだよ』

 綺麗な顔で、飄々と言ったあのセリフ。

 『僕はね、セックスは最大の愛情表現だと思っているんだ。誰にも見せられない姿を僕にだけ晒して、僕にしか聞かせない声、表情、それらを向けられて初めて、想いを感じられる。もちろん、遊びでも同じ。体だけじゃなく、それを曝け出すほどに心が開いていていないと、少なくとも僕は楽しめない』


 "楽しむ"―――――。

 エッチをそんな風に考える彼は、一晩だけの相手なんか、きっとたくさん"いた"んだと、

 ……ううん、きっと、……"いる"んだと、思う―――――。


 胸が痛い。
 そう感じるのは、あたしがまだ未経験で、―――それを割り切れない子供だから……?


 「……」


 『千愛理』

 屋上であたしを惑わせたあの甘い声で、


 『マリア』

 誰かの名前を、囁いているんだ―――――。




 「さ、……佐倉さん?」

 「千愛理ちゃん?」


 「――――え?」

 呼ばれて顔を上げると、桝井さんと照井さんが、二人揃って目を丸くしていて、

 「え?」


 「え? じゃないわよ! 誰かに遊ばれちゃったの? 悪い男に引っかかってるの!?」

 「え? え?」

 「千愛理ちゃん、もし困ってるなら直ぐに言うんだよ。R・Cの名において、どんな手を使ってでも助けてあげるから」


 ????

 えっと、あたし、何言ったっけ?

 記憶を巡らせて、


 「あ」

 思い当たったセリフ。


 "一晩限りの相手"


 もしかしてあたし、口に出してた?

 「どうなの? 困ってるの?」

 悲しそうな照井さんの表情。

 「すみません!」

 ごめんなさい、って体中から叫びたい。

 「すみませんじゃなくて、」

 「違います! 誤解です! あたしは無事ですから!」


 あ、あれ?
 無事ってのも変、だよね――――?


 「「―――――え?」」

 「あの、すみません。知り合いに、そういうのが普通の人がいて、あの、そういう考え方を理解できないのは、あたしがお子様だからなのかなぁ、って」

 「「……」」

 暫くの沈黙の後、

 「なんだ」

 三人の吐く息が、はぁぁぁ、と重なった。

 「もう! 佐倉さんが突然あんな事言うから、驚いちゃった」

 「ほんとだよ。心臓に悪い」


 「ほんとにすみません」

 焦りすぎて、手に持っていたドーナツに、指の跡がくっきりと残っている。
 ぺったんこになったそのドーナツを、はう、と一口、食べた時だった。

 「佐倉さん」

 照井さんがあたしを見て、にっこりと笑った。

 「理解出来ないからお子様、なんて、そんなんじゃないと思うわよ」

 その言葉に、慌てて口の中のドーナツを飲み込む。

 「……、あの……?」

 「だって、私も完全に無理だもの。その考え方」

 肩をあげて苦笑する照井さん。

 「え、……でも」

 チラリと桝井さんを見た。
 すると、桝井さんも困ったように額を指で掻く。

 「う〜ん、うちの社長もね、別に手当たり次第ってワケじゃないんだ。ちゃんと愛情を持ってベッドを共にしてるって、そのポリシーはあるらしいし」

 「え〜と……」

 どう返せばいいんだろう?
 思わず照井さんに助けを求めると、両手を挙げられてしまう。

 「ごめんね。社長に関しては、昔から知ってるだけに身内贔屓が凄いの。だから私も、肯定はしないけど、否定も出来ない」

 「……」

 困りました。



 「照井。千愛理ちゃんが固まってる」

 「あら、ごめんね」

 「あ、――――いえ」

 小さく首を振って、ドーナツを齧る。

 「佐倉さんってぇ――――」

 不意に、照井さんの声のトーンが上がった。

 「はい?」

 「今、彼氏いるんだっけ?」

 「あ、……いえ」

 心なしか、照井さんの目が、あたしの動きを制してる気が……、

 「照井ぃ〜?」

 桝井さんの呆れ顔。

 「だって、ちょうどいいじゃない! 社長と!」

 「お前なぁ」


 社長……?

 社長、―――――"と"?


 「――――、……えッ?」

 やっと意味が通じて、同時にドーナツを落としそうになった。

 社長さんとあたしって事??

 「いえ、無理です!」

 立ち上がりたい程の勢いで答えちゃいました。

 「えッ? どうしてッ?」


 え?

 え?

 どうして?

 「っていうか……」

 ……そんな大人な男性、多分、高校生のあたしよりも照井さんの方が年齢的にいいんじゃ……、

 そこまで考えて、

 『私も完全に無理』

 思い出した照井さんのさっきの言葉。
 社長さん、好みじゃないって事なのかな?
 でも、どっちにしても、あたしには手に余る男性だと思いマス。

 「あの……、あたし、す、……好きな人が、いますから……」

 顔が、真っ赤になっているのが自分でも分かる。


 あたし、初めてだ。
 こういう事、誰かに打ち明けるの――――。

 「「……」」

 今度は、別の意味で顔色を赤く変えている二人。

 「やだ。胸がトキめいちゃったわ、私」

 「……はあ……、これが普通の高校生だよな……」

 深いため息をつきながら、小刻みに頷く桝井さん。


 「……あの……?」

 あたしが首を傾げると、ふ、と桝井さんが気を取り直したように笑った。

 「いや、何でもない。――――おっと、もうこんな時間だ。千愛理ちゃん、食べたら今日は送っていくよ」

 「え? でも」

 「大きさを見てもらうだけの予定だったし、ある程度の説明は出来たからね」

 「あ、はい―――――」

 照井さんが、テーブルの上に置きっ放しだったコンクパールをバッグに仕舞った。

 「それ、"Stella"に保管しとくのか?」

 「そうよ。きっと、――――きっといつか、社長のハートも、こんな色に染まる日がくるんだから」

 「―――そうだな」

 目を細める桝井さん。
 本気で、社長さんのハートがコンクパールの桃色になる日が来ると、信じてるって、ううん。そうなって欲しいって、そんな優しい笑顔。

 この前も思ったけど、R・Cの社長さんは、凄く社員の人に好かれてる。
 大事にされてる。

 まるで宝物のように、その存在を、動向を見守られてる。

 どうしてだろう?
 前はスーツを着こなした20代の素敵な大人の男性を想像していたんだけど、今は不思議と、大学生くらいの、女の子と遊ぶのが大好きな、ラフでやんちゃなイメージが、あたしの中に新しく植え付けられていた。








著作権について、下部に明記しておりマス。



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