小説:クロムの蕾


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VIOLETISH BLUE
AGITATION


 本宮君の胸に頬を埋めて、その背中に縋るようにしがみついて、

 「……ふ」

 凄く切なくて苦しいのに、

 「千愛理」

 その優しい声が、囁くようにあたしの名前を呼ぶから、

 「ぅぅ……」

 沙織先生も、マリアさんも、こうして本宮君に抱きしめられてるんだという切なさと、それでも、こうして今、抱きしめてもらえる幸せとが複雑に混ざって、溢れ出たその感情が、涙となって滲み出る。
 あたしの漏らした声にまるで応えてくれるように、本宮君の腕に力が入ったのを感じると、あたしも返事をした方が良いような気がして、本宮君の背中に廻した手で、コートを痛いくらい握りしめた。

 「……最近は、仕事が忙しくてなかなか会えなかったから、寂しい思いをさせたみたいだ」

 あたしの頭をポンポンと叩きながらそう言った本宮君の笑い声が、その胸板に密着したあたしの耳に良く聞こえる。

 「パーティの件は大丈夫。ちゃんと僕がエスコートするから」

 あたしと千早ちゃんの会話から、状況が飲み込めたらしい本宮君がそんな事を話していた。


 一緒に――――、パーティに行ってくれる……って事?

 まるで、本宮君の温もりという麻薬に侵されてしまったあたしは、ぼんやりとした意識の中、そんな事を考えた。


 「……それなら、いいの」

 背後から聞こえる、ホッとしたような千早ちゃんの声。


 ――――千早ちゃん……。


 良く――――、解らない。

 結局千早ちゃんは、あたしに何が伝えたかったんだろう……。
 あたしに何が、言いたかったんだろう……。
 パーティには、本宮君と来るのか、それとも、健ちゃんと来るのか、それを確かめたかった――――?

 でも、一体何のために……?


 「うん。千愛理の事は僕に任せてくれていいよ。だから、――――君も素直になったら?」

 ―――――え?


 千早ちゃんが素直になるって、どういう意味?
 思考が一気に覚醒して、思わず顔を上げようとしたけれど、

 「!」

 本宮君に後頭部をしっかりと掌で押さえられていて、それ以上身動きが取れない。

 「ねぇ千早さん」

 頭の上で奏でられる本宮君の声の旋律。

 「え?」

 「用が済んだのならもういいかな? これから、千愛理と屋上デートだから」

 え?

 「……いいわ。確認したかったのは、それだけだから」


 え?

 ちょ、

 「そう。それじゃあ、僕らはこれで失礼するよ。行こう、千愛理」

 「え? あ、」

 まるで引きずられるように階段を上らされたあたしの肩は本宮君の両手にがっしりと掴まえられていて、千早ちゃんを振り返る余裕なんか全然なくて、

 「あの、もと、」

 「―――――何?」

 「……」

 笑顔なんだけど、笑顔じゃない。
 さっきの、ほんのひと時、あたしを優しく包み込んでくれていた本宮君とは、少し違う。

 「どうしたの? 千愛理。どこか痛い?」

 ヘーゼルの瞳をあたしに向けて来るけれど、

 「……」

 これはきっと、今ちょうど、屋上からのドアを開けて階段を下りてきた女子生徒への演出で、

 『本宮様よ、お優しいのね』

 クスクスとそんな噂をされちゃうけど、

 (痛くないよね? じゃあさっさと歩こうか)

 本宮君の心の声が、そんな風に聞こえるのは、あたしだけ――――?
 今気づいたけれど、絶対に本宮君、――――機嫌悪い……。

 ガチャリ、屋上に出るドアを本宮君が開けた。


 「……わッ!?」

 途端に巻き上がる冷たい風。
 煽られたスカートの裾を慌てて抑えたけれど、そんな騒ぎは一瞬だけで、ドアが閉まると同時に、風の抜け道を失くした屋上は、冬の冷気だけが残る殺風景な場所になる。

 「……、びっくりした……」

 風の音が静まって、呟いたあたしの声がはっきりと辺りに響いた。
 今の風の冷たさで、頬の涙の跡も一瞬で乾いてしまったみたいで、ほんのちょっと、良かったって思う。
 ベンチ花壇が点在するコンクリート色の屋上には、もう誰も残っていなくて、

 「あの……」

 短い時間の中で、色んな事がありすぎて、現実に付いて行けていないのがあたしの本音。
 隣に立つ本宮君の顔を、上目で見た。

 「!」

 ドキリと、心臓が鼓動する。
 あたしを見下ろすヘーゼルの瞳が、その中に咲く明るいヒマワリが、ジッとあたしを見つめていた。

 でも不思議。
 この前の、あのビームみたいな怖さが無い。

 どちらかというと、―――――、


 「……寒い?」

 ポツリ、尋ねてきた本宮君。


 「…………」

 首を振りながら、思わず後ずさりするあたし。

 「どうして離れるの?」

 あたしが離れた分、また詰め寄ってくる本宮君。

 「……だって、――――あ」

 背中に壁があたる。

 いつかの既視感デジャブ

 違うのは、反射的に顔を上げたあたしの目に映る本宮君の、その唇の端に浮かんだ、不敵な笑み―――――。


 「ッ」

 その綺麗さを直視出来ずに、思わず下を向いてしまう。
 ドキドキし過ぎて、心臓が口から飛び出そうだった。



 今の本宮君は、怖いというよりも、

 ――――妖しい。

 天使の笑みなんて欠片もなくて、見ていると胸が破裂しそうなくらい、凄く、色気が溢れて、綺麗だった。
 こんなに綺麗な黄色の瞳なのに、あたしには、赤の炎が、その眼差しの中に窺える。

 そう、まるで、本宮君がプライベートで着用している、あの、赤いルビーのように――――――。


 なんで、こんなに素敵な人を、好きになっちゃったんだろう……。
 どうして、好きになっちゃったんだろう―――――。
 そんな事を考えなくちゃいけない自分の恋心が切なくて、なんだか悲しくなってしまう。

 「……ッ」

 焼けつくような喉の痛みを、ゴクリと呑みこんだその時、

 「千愛理」

 あたしを呼ぶ本宮君の全身がグッと押し付けられてきて、壁との間に挟まれたあたしは、ピクリとも身動きが取れなくなってしまった。
 そのまま、あたしの足の間に本宮君の片膝が強引に割って入って来る。


 ――――え?

 「もとみや、く」

 全身を振り絞るように言ったのに、あたしの声は掠れるほどに小さくて、

 クス、

 本宮君のそんな笑い声の方が、はっきりと聞こえた。


 「……ぅ」

 もう、ダメ。
 息が、出来なくなる―――――!

 「千愛理」

 「……ねが、はなし、、」

 酸素が取り込めないような苦しい呼吸で、なんとか紡いだ言葉も、

 「――――ダメ、逃がさないよ?」

 囁くように耳元で応えられて、体中がゾクリとする。
 また、泣きそうな気持ちになってしまう。

 「ぅ……」

 「千愛理」

 名前を呼ばれて、誘発されたようにジワリと涙が浮かんだ時、

 チュ、


 「――――ぇ」

 不意に、右耳のすぐ下に本宮君の唇が触れた。
 わざと立てられたようなリップ音が、はっきりとあたしの体中に響いて、キスをされたんだと意識させられる。

 「も、と、」

 痺れたように、体が動かなかった。


 ――――どうして……?

 「僕の事、好きだよね? 千愛理」

 ―――――え?

 思わず顔を上げる。
 そこには、あたしを見下ろす、優しいヘーゼルの瞳があって、さっきまで見え隠れしていた機嫌の悪さは、もう無いように思えた。
 その代り、赤の燻りが、あたしを射るようにそこに在る。

 「好きでしょ?」

 「……ッ」

 まるで、その赤が刺さったかのように、あたしの身体の熱が一気に上がった。

 「……真っ赤だね、千愛理」

 クスクスと、楽しそうな本宮君の声。
 あたしの左手が、絡め取られるようにして彼の右手に捕まった。
 指の間に、本宮君の指が入り込んでくる。

 「ぁ」

 ゾクリとする感覚が、肌の上を駆け抜ける。
 それを解って抑えてくれるかのように、改めてギュッと強く握られたかと思うと、そのまま、顔の横に押しつけて固定された。
 全身が、完全に壁に張り付けの状態で、目を開けると少し屈みこんだ本宮君の顔があって、

 「も、本宮く、」

 「好きって言って?」

 「――――ッ」

 あたし自身がまるでサラウンドスピーカーで、もうドキドキなんてもんじゃない。
 ドクドクと鳴り響いて、この生きている証すら止まって欲しいと願うくらいに激しい鼓動。

 「……だ」


 もういやだ。

 苦しい……。
 何もかもが―――――。

 何も応えないあたしに飽きたのか、本宮君の唇から、ふと息が漏れたのを頬に感じた。


 「好き」

 ―――――え?

 それを口にしたのは間違いなく本宮君で、
 恐る恐る顔を上げると、さっきと変わらない笑顔であたしを見下ろしている本宮君が居て、

 いま……、

 「―――――言って?」

 え……?

 「……あ」

 あたしバカだ。
 本宮君に「好き」って言われたのかと思った。

 「……」

 自分の勘違いに、恥ずかしくなって、更に顔が燃えるように熱くなる。
 そんな事、ある筈無いのに……。



 ある筈、ないのに―――――。

 「言って? 千愛理」

 「……」

 「千愛理?」

 痺れを切らしたのか、本宮君の声音が少しだけ強くなる。
 こんな体勢で、こうして聞いてくるからには、きっと素直に認めれば、本宮君はあたしの気持ちを受け入れてくれるんだと思う。
 他の、たくさんの女の人達と、同じような位置ポジションに―――――。

 でも――――、


 『千愛理には、素敵な恋をして欲しいな―――』

 ごめんなさい、ママ。

 あたし、

 あたし――――――、


 「……き」

 この声が、あたしの名前を呼んでくれるなら。
 この腕が、あたしを抱き締めてくれるなら。

 「聞こえない」

 「――――好き」

 口にした瞬間、本宮君の唇が、あたしの額に降りてきた。

 「Good Girl」

 キスをされた場所から、幸せがはらはらと降ってくるみたいだった。
 Good Girlなんて、まるで、子供にご褒美をあげるみたいに――――、

 「……ッ」

 でも、
 それでも、

 「――――好き」

 気づいたらもう一度、そう口にしていて、

 「クス、……もう一回」

 「……好き」

 「もっと」

 「好き……、好き」

 その言葉を紡ぐうちに、涙もぽろぽろと溢れて来た。


 「好きなの、好き」

 「うん」

 「本宮君が、――――ッ」

 最後の言葉を呑みこんだのは、本宮君の唇が、あたしの唇に触れたからで、

 今、――――キス……、

 目を見開いて固まるあたしに、本宮君があの天使の微笑みを向けて来る。

 「……」

 そんなあたしにはお構いなしに、額に、目元に、頬に、唇に、繰り返し何度も、本宮君の唇が落ちてきた。
 キスをしながら、あたしの涙も拭ってくれている本宮君。

 「それじゃあ、先週の話は、無しでいい?」

 「……」


 敵うワケ、無い……。
 恋愛初心者のあたしが、本宮君に抗うなんて―――――、

 「……うん」


 あたしは、馬鹿だ……。

 この恋は、きっと辛いものになる―――――。

 分かっていても、


 「千愛理」

 本宮君の顔が、近づいてくる。
 あたしの顎に添えられた手が、慣れた様子であたしの唇を開かせた。
 こんな事にも、また涙は溢れて来るのに、

 名前を呼ばれて、啄むように合わさった唇の温もりを感じていたら、

 こんなに幸せなんだから、


 あたしはもう、それでいいと思った――――。








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