その週末の夜、あたしは桝井さんに連れられて、再び"Stella"2号店を訪れていた。 前回の"Stella"は、ロールカーテンが下りて通りからは目隠しされていたけれど、この店舗はシースルーのシャッターのみで、あたしがアレンジする姿は、思ったよりも目立っている気がする。 行き交う人が、店内の明かりに気づいて、チラチラと立ち止まって覗いている姿が時々目に入った。 華月流のイベントの時は、周りを囲むのはほとんど門下生か関係者の人達で、勉強や評価のために見ているという前提だから、全然気にした事は無かったけれど、今の気分は、 ―――――檻の中の動物? うん。 そんな感じ。 物珍しそうな目線が、凄く気になる。 桝井さんが、気休め程度に背の高いショーケースを動かして遮ってくれたけど、やっぱり落ち着く事は出来なかった。 「千愛理ちゃん、大丈夫かい?」 桝井さんが気遣って声をかけてくれて、 「あ、……――――はい。大丈夫です。始めてみますね」 あたしは、自分の仕事をするスペースを、再確認の為に見直した。 あかりちゃんが搬入してくれた花達と、桝井さんが手配してくれた中心となる大きな燭台。 今回の芯となるピンク色の大きいキャンドルは、一度溶かして、ガーベラを添えて固め直した。 グリーンのアクセントが効いていて、可愛いらしいキャンドルに仕上がっている。 店内に実が零れ落ちないように、ほとんどの材料にコーティングをかけてあって、イブに向けて自然と花開くのは、薔薇の花だけ。 「……」 深呼吸を一つ。 今回は、あたしの心だけを見てイメージした。 どんなにコンセプトを考えて、クリスマスらしく可愛く演出して飾ろうとしても、今のあたしの気持ちがそれを認めない。 だから、正直に。 正直に。 現状の、本宮君との関係に、 初めての恋に、それを取り巻く何もかもに戸惑っているあたしの、全てを、ここに――――――。 パチン、パチン。 茎に鋏を入れて、オアシスに一挿しする度に、次第に心が落ち着いて来て、 いつの間にか、 ―――――無心になっていた。 燭台の根本は、赤黒い色が特徴的なブラックバカラという品種の薔薇が中心。 薄い紫と桃色のストックで立体感を出して、青と銀で色づけした松ぼっくりで隙間を埋めていく。 全体的に下に流れるボリュームは、ピンク色のコキアで演出。 それに寄り添って下ちるサンキライ。 それは、 その、紅い実は、 ―――――零れ落ちるあたしの恋心……。 そして、見上げる位置にあるキャンドルに閉じ込めたピンクのガーベラは、本宮君への純粋な恋心。 ……赤黒いブラックバカラは、あたしの醜い恋心。 願いを込めた、その恋心を囲むのは、芽吹く色のオールドダッチ。 その中に、一輪だけ、クリスマスローズ。 「……」 一応の型を仕上げたあたしは、脚立から降りて、遠目にそれを眺めた。 360度からバランスを確認しながら調整で花を足して、更に、リボンや、最低限のクリスマスアイテムを足していく。 これが、今のあたしに出来る、全て――――。 「―――――桝井さん、終わりました」 レジ横の椅子に座って、真剣な顔で資料を読み込んでいた桝井さんに声をかける。 「あ、……ああ、すまない、いつのまにか集中してしまって、――――……」 苦笑しながらアレンジに目をやった桝井さんが、次第に閉口して、目を丸くした。 その反応に、ドキリとする。 「千愛理ちゃ、」 ダメ、なのかも知れない。 クリスマスに向けたウキウキするようなアレンジを望んでいたとしたら、これはあまりにも、切ないイメージだから―――。 「…… ポツリ、呟いた桝井さん。 「……え?」 あたしが訊き返したのと同時に、桝井さんは携帯を取り出した。 「……、もしもし? 他にまだ誰か残ってるか? いや、ポップの差し替えだ。言うぞ? " まるで、人が変わったかのような桝井さんの強い指示。 ――――ううん。 最初のアレンジで怖気づいていたあたしに、これは仕事だと諭してくれた時も、同じような強い目をしていた。 きっとこれが本来の、仕事をする桝井さんの姿。 「千愛理ちゃん、悪いんだけど、あそこでコーヒー飲みながらちょっと待っててくれる?」 「あ、はい」 示されたお客様休憩用のソファに向かい、その横のテーブルに置かれていた缶コーヒーを手に取った。 プルトップを引いて、甘いコーヒーを一口飲んでいる間も、桝井さんはまた別の誰かに電話をかけている。 「……」 とりあえず、今回のアレンジも却下されないらしい事だけは、何となく判った。 その事にホッと息をついて、もう一口、と缶コーヒーを口に運んだ時、 「お待たせ〜」 裏口からやって来たのは照井さんで、 「佐倉さん、調子はど」 いつもの明るい声が、店内に入ってアレンジを目にした途端に、言葉を止めた。 どれくらい、そこで立ち止まっていたのか、 「……凄いね」 ポツリ、届いたのはそんな言葉で、それから、我に返ったように、あたしの方へ歩いて来る照井さん。 「凄い、あれ、ギュッと来る」 胸に手を当ててそう言ってくれて、 「今の、佐倉さんの気持ち?」 店内を歩き回りながら電話を繰り返している桝井さんに聞こえないようにと配慮してくれたその小声の問いに、 「……はい」 あたしは素直に頷いた。 「そっか……」 照井さんが、改めてアレンジへと目を向ける。 「あれは、佐倉さんのラブレターなのね」 ラブレター……。 「そう……なのかも」 あれは、本宮君に向けた、今のあたしの、正直な気持ち。 あの日から、一度も会ってない。 声だって聴いてない。 メールも、出せずにいる。 マリアさんを想う彼に、一体どんな言葉を綴ればいいのか、あたしには全然解らないから……。 彼女じゃない位置付けで、でもキスはした関係で、 けれど本命が居る人にとって、そんなあたしからのメールは、どこまでがOKで、どこからが邪魔なんだろう。 その線引きが分からずに、パーティの時間を知らせるメールさえも送れずにいるあたし。 健ちゃんは、 『約束を破る様な奴じゃないんだろ?』 と、笑って頭を撫でてくれたけど、 『……うん』 その返事にすら、自信は無かった。 「なんだか最近、周りにロマンチックな話ばかりね」 照井さんのクスクスと笑う声。 「え?」 顔をあげたあたしに、照井さんは肩を上げた。 「実は、前に話してたコンクパール。ほら、うちの社長が、もう加工しなくていいって話になった」 思い出す。 あの、ジェリービーンズのような、可愛らしいピンク色の真珠。 「―――――ああ、はい」 「あれね、今、超特急で加工の真っ最中」 「え?」 「イブに間に合わせて欲しいって」 「それじゃあ……」 思わず笑顔になったあたしに、照井さんが、頷いた。 「きっと気持ちが通じたんじゃないかしら」 ふわっと、寂しく枯れていたあたしの心に、優しい空気が満ちて来た。 誰かが、恋で幸せになった話って、こんなに素敵な事なんだ。 「ねぇ、佐倉さん。――――花には、花言葉があるでしょう?」 照井さんが、アレンジを見ながら呟いた。 「はい」 「宝石にもね、石言葉っていうのがあるの」 「石言葉?」 「そう。例えば、ダイアモンド」 照井さんが指示したショーケースの中には、色んなデザインのマリッジリングで、そのどれにも、無色透明のダイアモンドが輝いている。 「あの石の言葉は、"変わらぬ愛"」 「変わらぬ、愛」 だから、永遠なんてキャッチフレーズがついて宣伝されるんだ。 「有名なところで、エメラルドは、"幸福"。サファイアなら、"誠実"ね」 「……ルビーは?」 ふと、口から出てしまった。 「ルビー?」 首を傾げた照井さんが、パチパチと瞬きをした。 間をおいて、「……そう、ルビーね」と笑みを零す。 「ルビーはその色の通り、"情熱"よ」 情熱。 時々、本宮君の指先に灯るように見えるあの赤の炎は、きっとその情熱。 「そして、――――"疑惑の愛"」 「―――――え?」 ドキッとする。 "疑惑の愛" それは、どっちの意味だろう。 「……疑惑、」 "その愛を信じてはいけない" "愛は信じられない" 本宮君に向けるべきものなのか、 それとも、本宮君が向けているものなのか―――――。 「―――――ねぇ、佐倉さん」 ふと、あたしを呼ぶ声が大きくなったように感じて顔を上げると、案の定、照井さんの目が、真っ直ぐにあたしを見つめていた。 その表情は、なんだか意味ありげに見えて、 「照井さん……?」 語尾を上げたあたしに、照井さんが目を細める。 「コンクパールにもね、もちろんあるの」 「え?」 「石言葉」 「あ、……はい」 なんだろう? なんだか、照井さんが――――――、 「それはね―――――」 |