小説:クロムの蕾


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PINKISH
BE DYED


 最初の出会いは、ケリと別れて暮らす、その区切りのディナーの席。

 ケリがマンションで作ってホテルの部屋に運び込んでいた料理に交ざり、そのテーブルに控えめに華を添えていた3つのアレンジは、それぞれカラーが違っていたけれど、どれも僕の目を引いた。
 見ていると、ふと穏やかになっている自分に気づく、そんな不思議な優しさを醸し出した、ケリとは全く違う雰囲気のアレンジ。

 高校生がアレンジしたと興奮するケリの様子だけで胸がいっぱいで、その時は特に深追いはしなかったけれど、会議の時、どんなアレンジならケリが気に入るか、そんな話が出た時に、思わず糸口として提供してしまうほど、僕の心には残っていた。


 二度目は、"Stella"日本支店の正面ディスプレイコーナー。
 今でも、記憶を巡れば、いつだって鮮明に思い出せるし、僕のスマホにはその画像も入っている。
 僕とケリが、長年迷い込んでいた母と子としての道を、一瞬で探し出して導いてくれたあの暖かな光の世界。

 所縁ゆかり深いラナンキュラスの花。
 馴染のあるトパーズとルビーの、色鮮やかなコラボレーション。

 誰かから、誰かへ、

 そんな、

 無償で、

 無垢の愛情を現した、


 心を洗われるほどに、愛が満ち足りた優しい世界――――――。

 ケリの愛情を確認する前に、僕が思い出したのは、あの公園でのひとときの事。
 千愛理の包み込むような優しさに、自分を見失いそうなほどに溶かされた、あの夜の公園での事。

 女神に愛を求めた天使と、
 その天使に微笑んでいた女神。


 あれは、あの夜の僕だった。
 そして、あの夜の千愛理だった。



 『あの少女は、ケリのお気に入りのコーディネーターです』

 『!?』

 ウェインに言われて、慌てて確認した契約書の中身。
 契約内容だけを確認していたそのPDFファイルの下の署名欄に、間違いなく、佐倉千愛理の文字。

 『千愛理……』

 その文字を見て、じわりと胸が熱くなった。



 君を好きだと知る前に、

 君が好きだと、自覚する前に、



 僕はもう既に、


 そのずっと前から、


 見え隠れする君の存在に、


 ―――――心は奪われていたんだ。




 PiLuLuLuLuLu、PiLuLuLuLuLu……

 「……」

 鳴り出したスマホを手に取ると、着信名は桝井さんだった。

 「―――――はい」

 『あ、社長、桝井です。取り急ぎのご相談が』

 「……続けて」

 『"Stella"2号店でイベントをうたせて下さい』

 「イベント?」

 『イヴまでの二日間、ファイア系や天然石を扱わせて欲しいんです』

 例えば、オパールや、琥珀。

 「――――動きがあまりないアイテムだね。採算どころか、赤が出ない? それに、準備期間が1日というのは気になるかな。企画があるなら温めたほうがいいんじゃない?」

 『テストケースにします!』

 「テストケース?」

 『今、目の前にある、このアレンジの傍でやってみたいんです』

 「……」


 つまり、出来上がったアレンジに合わせて販売計略がとれるかどうか、その手法を模索したいという事。

 『アレンジは生き物です。二度と、同じ想いは具現化できない。今ここにある、このアレンジじゃないと』

 「――――コンセプトは?」

 『聖夜イヴ奇跡ジュエルはたった一人のために。――――ジュエルには、奇跡という漢字をあてます』

 確かに、天然のファイアやインクルージョンはその石でしか現れないもの。
 つまり、世界にたった一つしかない宝石―――――。

 「ターゲットは?」

 『シニアを狙います。2号店の立地なら可能です』

 「……」

 『――――社長……?』

 「……分かった」

 『ありがとうございます!』


 一日で成せる企画じゃないけれど、勝算は無いわけじゃない。
 旧"Stella"の主だった客層は、富裕層における、現在のシニア層。
 離れたファンにもう一度目を向けてもらえるチャンスがあるのなら、この企画の一手は、いい切欠になる。

 「ただし、ゴールには、旧"Stella"ファンのシニア層を取り戻すという目的を追加してもらうからね」

 『! ――――承知しました』

 「次年度の二期までには結果を出して」

 『はい!』

 返事を聞いたタイミングで終話を押して、僕が無言になると、車内は再び無音になった。
 時折、微かに届く、車道からの喧騒。

 「――――いいんですか?」

 運転席から、ウェインがバックミラー越しに尋ねてきた。

 「―――――うん」

 小さく頷き、僕は改めて、車窓の彼方へと目を向ける。


 僕との通話が切れた事を確認した桝井さんは、真っ直ぐに千愛理と照井さんが向き合って座る場所へと駆け寄って行った。
 通りを挟んで向こう、"Stella"2号店の店内は、きっと中にいる人間が思うよりも、その奥まではっきりと全貌が見えている。

 「千愛理……」

 最初のはさみ入れから、仕上げの一本が挿さるまで、僕はずっと彼女の姿を見つめていた。
 幼い頃、ケリがリビング用の一盛を作り上げるその傍で、幸せに包まれて眺めていたあの時間と同じくらい、とても愛しめる時間だった。


 人を想う思いは、こんなにも胸を痛くする。

 そして、


 なんて容易く、その想いは結晶となるんだろう――――――。


 「……ッ」

 初めて知る感情は、絶え間なく何処からか溢れてきて、留まる事が出来なかった一滴が、熱を持ったまま、僕の頬を滑り落ちた。



 千愛理、

 千愛理―――、


 君の名を想うその度に、

 僕の知らない僕が、

 ひっそりと開花していく――――――。



 「出して。――――このまま、本宮の屋敷へ」

 「はい」

 ウェインの返事と同時に、車はゆっくりと走り出した。
 後方に消えていく明かりに後ろ髪を引かれながら、僕は向かうべき道の先を見る。



 ストック、

 ブラックバカラ、

 オールドダッチ、


 そして、一挿しだけの、クリスマスローズ。


 『好き……、好きなの……、本宮君が、……好き』

 あの、震えた声を思い出して、口許に自然と笑みが溜まる。


 千愛理。
 確かに受け取ったよ、君からのメッセージ。


 「……僕もだよ」

 本当は、今すぐにでも伝えたい。
 そうすればきっと、また別の愛に溢れたアレンジが仕上がるんだろう。
 笑顔に満ちた、もっと明るくて、本来の君らしいアレンジが……。


 ――――けれど、

 キスの熱で伝えられなかったこの想いを、どうやって君に伝えるか。
 それを考えるのは、今の僕の愉しみでもあるから、


 「もう少しだけ、僕を想って泣いていてよ、千愛理」

 ほくそ笑んだ僕の言葉に、ウェインの微かなため息が聞こえたような気がした。








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