本宮君から連絡が来たのは、22日の夜だった。 "24日14時に、公園で" 届いたメールの内容は、ちょっと寂しくなってしまうほどに素っ気なくて、最後に会った、あの屋上でのキスの熱が、未だに強く思い出せるあたしの心を、なんだか置いてけぼりにされてしまった。 今日はその約束のイブ。 スマホの時計はもうすぐ本宮君との約束の時間で、あたしは、いつか本宮君と出会った、ブランコの囲いの前に立っている。 パパと話をしたあの日から、たくさん迷って、迷って、 それなのに今日、本宮君に会う事を諦めきれなかったあたしに自己嫌悪。 頑張る? 片想いを――――。 でもそれは、マリアさんを想う本宮君を困らせるという事。 諦める? 両想いを――――。 でもそれは、あたしの恋心を、愚かなものにするという事。 身体だけでもいいと、紡ぐものの形を変えてしまうという事―――――。 じゃあ、やめる? 本宮君を想う事を――――。 それこそ、方法が見つからないような気がする。 「はぁ……」 ため息をつくと、その悩ましさが、結晶となって、空気に上った。 "愛人"とのセックスも、心が開かれていないと楽しめないと言っていた本宮君は、一体、あたしにどんな事を、――――どんな関係を求めているんだろう……? そんな事を考えながら、約束の時間まで、あと7分と迫った時だった。 「――――――千愛理」 冷たく澄んだ12月の空気の中に、あたしの耳に熱を落とす声が通った。 「!」 弾かれたように、声がした方向に顔を向けると、冬の灰色の景色の中、煌めくトパーズの瞳であたしを見つめる本宮君が立っていて、 「……」 本宮君。 そう応えたかったのに、声が出せない。 息も、出来なかった。 真っ白なコートに身を包んだ長身の本宮君。 クリーム色に近い、軽くウェーブした金髪と、同じ色の長い睫毛に光が灯っていて、 ほんのり赤みを帯びたように見える唇は、あたしに向けて笑みを象っていて、耳の赤いルビーが、キラリと光る。 「……ッ」 体中から、 "好き" そんな言葉が飛び出していきそうだった。 あたしの好きな人は、こんなに素敵な人。 まるで天使を思わせる柔らかい笑みで、ふんわりと、でも、"愛をする"時は、そのルビーの情熱の色を持つ人。 あの唇にキスをされたんだと。 あの腕に抱き締められたんだと。 あの吐息が、あたしの耳にかかったんだと。 大きな声で、たくさんの人に言いたいくらい。 「……ぁ」 ――――――でも、言えないんだ。 だってこの人の心は、あたしのものじゃないから。 あたしのものじゃ、ないから―――――……。 だから、 「も、とみや、く、―――――あたし……」 目の前に立つ本宮君に、振り絞るように声をかける。 「あたし、やっぱり……」 「ねぇ、千愛理」 言いかけたあたしを遮るように、本宮君の低い声がした。 「開口一番、あんまりいい予感がしないんだけど」 「……え?」 「ドレスに靴にアクセサリ。忙しい中、この短期間で用意した僕の努力を無駄にするような事、これから口にする気じゃないよね?」 久しぶりの王様節。 「なに? 体調悪いの?」 明るいヒマワリが、あたしを攻めるように見つめている。 「あ、」 気圧されて、思わず首を横に振った。 「それじゃあ、気分悪い? それとも、"機嫌"が悪いの?」 揶揄するような本宮君の口調。 「……ッ」 どちらかというと、本宮君に会えた事で、悲しさ以上に、心は楽しく色づいてしまっている。 つまり、決断とは別に、本音を言うと、会えて嬉しいって感じてしまうこの気持ちは、どうしても隠せない。 「なんにしても、花菱の姫には、既に千愛理のパートナーが僕だって事は伝えてあるわけだし、それを反故にするって事は、社交界での僕の立場が完全になくなるよね?」 「……あ」 そっか。 そういう事も、考えなきゃいけないんだ。 「……」 「大体、今日はイブだよ?」 「……」 「千愛理は僕と一緒に過ごしたくないの?」 「……え?」 思ってもいなかったセリフに顔を上げると、本宮君の右手が、あたしの頬に優しく触れた。 「冷たいね。長く待ってた?」 「……」 でも、触れられてるところから、熱が上がっていく。 「僕の事、好きでしょう? 千愛理」 本宮君の左手が、あたしのウエスト部分に添えられて、 「……ッ」 顔が近づいてきたかと思うと、耳元に「ちゅ」と唇が触れる音がした。 きゅん、 身体の奥から、ときめきが駆け上がる。 「……本宮君……」 「僕と、イブを過ごしたくないの?」 「―――――」 「どうする? パーティ。千愛理が決めていいよ?」 本宮君の目に、悪戯っぽい光が見て取れる。 ――――きっと、本宮君は解ってるんだ。 あたしが、どういう葛藤で、ここに立っているか。 だって、もう気持ちは伝えてある。 全ては、本宮君が握ってる。 「……一緒に、行ってください……」 「うん」 本宮君の笑みが、あたしの額にかかる。 そして、少し長めに、唇が押し付けられる。 今度は額から、体中に熱が降ってきた。 このまま、雪のように溶けてしまいそう――――――。 身体が触れるか触れないか、そんな位置にいる本宮君がもどかしい。 強く、強く抱きしめて欲しい。 恥ずかしい程の欲望が、まるで燻りのように、心に灯る。 「……それじゃあ、舞踏会に行く準備をしようか? シンデレラ」 「―――――え?」 「おいで、千愛理」 「……」 あたしは、まるで地に足が着かない状態で、本宮君に手を引かれるまま、促された車に乗り込んだ。 ―――――― ―――― うそ……。 「……」 言葉が出ないって、こういう時に使うんだと思う。 あたし達を乗せた、ウェインさんが運転する車は、あの公園から30分くらい走ったところで大きな門をくぐり、 そこから数分。 目前に見えてきたのは、まるでヨーロッパのガイドブックに見るような、白亜の建物。 高さは3階建。 けれど建物自体のその幅は、まるでリゾートホテル並みだった。 ウェインさんがドアを開けてくれて、本宮君があたしの手を引いてくれて、 「……」 車を出ると、パパと同じくらいの年齢の人が、素敵なグレイのスーツ姿で立っていた。 「お帰りなさいませ、ルビ様」 綺麗に体を折り曲げたお辞儀。 柔らかそうに見えたのに、漆黒の髪が乱れないのが不思議だった。 「お嬢様も、ようこそおいでくださいました」 「……ぁ」 喉が張り付いたみたいに声が出せなくて、あたしは慌ててお辞儀をする。 それを快く笑顔で受け止めてくれたその人に、本宮君が声をかけた。 「三戸部さんは?」 「すぐに参りましょう」 「そう」 ミトベ? 「おいで、千愛理」 「え? あの、」 やっと声が出たのに、本宮君は振り向きもせずに、あたしの手を引いて、ぐんぐんと大きな扉の中へと進んで行く。 お屋敷の中に入ると、まるでテレビの中の世界のように、メイドさん達が数人並んで出迎えてくれた。 「「「お帰りなさいませ」」」 笑顔が、キラキラ輝いて見える。 そんな魔法が掛かってしまいそうなくらい、お屋敷の内装は本当に凄くて、 「ここ……、本宮君の家?」 思わず呟いたあたしに、本宮君が足を止めた。 「違う。僕の母の実家」 「――――お母さんの?」 「うん」 「――――ほんとに王子様だね、本宮君」 「……」 あたしは、ゆっくりと中を見回した。 華月流の関係で、こういうお屋敷には何度か訪れた事があるけれど、だからこそ、このお屋敷の凄さが良く分かる。 今、あたし達が立っている玄関ホールは吹き抜けで、上空とも呼べる位置にあるシャンデリアはブラウン。 誂えて敷き詰められた絨毯、綺麗にレイアウトされた品の良い調度品。 まるで絵画のように刺繍が入った広い壁。 美術館のようにスペースを作られて、国宝級の壺に活けられたフラワーアレンジメント。 これを維持するのに、いったいどれだけの経費と、労力がかかるのか、あたしは良く知っている。 そして、一際存在感を放つ、正面の盛り。 あたしは、思わず足を向けてしまっていた。 威風堂々。 その言葉が良く似合う。 こんな息吹を、生け花に籠められる人は多くはない。 「これは……、緋雨様―――――?」 「あら、良くお気づきです事」 「!」 引き寄せられるように本宮君から離れていたあたしの背後で、突然、女性の声がした。 振り向くと、そこに居たのは、50代くらいの着物姿の女性で、 「お初にお目にかかります。私は、本宮家の女中頭を務めている三戸部と申します」 迸る威圧感と、それを隠す美しい所作に思わず見惚れてしまう。 「あ、初めまして。佐倉と申します。あの、本宮君とは、同じ高校で、いつもお世話になっています」 「こちらこそ。ルビ様が困らせているのではありませんか?」 「え?」 困らせて――――? そんな事を考えて、思い出すのは、赤面しそうな事ばかりで、 「いえ、……とんでもない、です」 「ふふ、―――――まこと可愛らしい、まるで花のようなお方ですね」 「―――え?」 後半は、声が小さくて、うまく聞き取れなかったあたしに、三戸部さんはニッコリと目を細めた。 「お察しの通り、こちらは華月流のご長男、出雲緋雨様に赴いていただき、当家の家宝の花器に息吹をいただいたものです」 ああ、やっぱり。 緋雨様が、花を活ける姿を思い出して、心を静粛にする。 そして、新たな気持ちで目に入れたその花は、心が揺れる事すら、許さないほどの美しさ。 「佐倉様には、花の心得があるようですね」 「――――華月流で学ばせていただいております。稽古に励む身分ではありますが、幸いにもお免状はいただけました」 「華月流の座学も、しっかりと学ばれているようですね」 「……恐縮です」 華月流は、本流に近ければ近い程、位が上がれば上がる程、対外用の話術も習得を義務付けられる。 内面から自分を作る、それを日々にして、理想とする人へと成果する。 花も、人も、そうした積み重ねで育まれるのだと、その理念を、お稽古の過程に習練させている。 「安心いたしました。見かけはどう飾れても、ご器量にお化粧できませんからね」 「――――え?」 その言葉にあたしが首を傾げたと同時に、三戸部さんがくるりと身体を反転させて、何故だか不機嫌そうな顔をしている本宮君へと向き直る。 「ルビ様。それでは、千愛理様をお預かりいたします」 「うん」 ――――――え? 今、あたしの名前―――――? でもあたし、苗字しか言ってないのに。 それに、預かるって、 え? 混乱した思考の途中で、また新たに混乱の種。 いつの間にか傍に来ていたメイドさん達が、あたしの両脇に立って二の腕をしっかりと捕まえた。 「えッ?」 半ば持ち上げられている感じがするんですけどッ!? 「ちょ、え、本宮君!?」 「千愛理様をお連れして」 軽くパニック中のあたしを他所に、三戸部さんの声が玄関ホールに高々と響き渡ると、 「「はいッ」」 両サイドから楽しそうなメイドさん達の声が呼応する。 「――――、本宮く、」 助けを求めるように本宮君を見ると、あたしと一緒の時には滅多に出さない、あの天使の笑みを浮かべていて……、 【魔法にかけられておいで。僕のお姫様】 「魔法って、きゃ」 混乱の中、 本宮君の言葉が英語だったと気づいたのは、それから少し経ってからだった。 |