小説:クロムの蕾


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PINKISH
DESIRE




 ――――――
 ――――

 (す……、凄い……です)


 「まあ、千愛理様。とっても綺麗にお仕度出来ましたこと」

 三戸部さんが笑い皺いっぱいに、この広い部屋全体を映せるほど大きな鏡の向こうからそう言ってくれる。

 「……」

 あたしの隣では、スタイリストさんだという女性が満足気に微笑んでいて、

 「久しぶりにいい素材に出会えましたわ」

 最後の仕上げとばかりに、ドレスの裾へと香水を振りかけた。
 ふわりと、立ち上ってくる甘いフローラルの香り。
 鏡の中のあたしは、本宮君のいう"魔法"にかけられて、自分でも言うのも恥ずかしいけれど、本当にお姫様になってしまった。

 プロって凄い……。
 心から素直に感激してしまう。
 淡いパステルピンクの、光沢のある生地のドレス。
 膝丈より少し長くて、オレンジとグリーンのオーガンジーで僅かに裾をとっていて、ホルタータイプのVネック。
 その胸元には花のようにタックが取られていて、型を作られたウエストラインまではいたってシンプル。
 そこから裾までの、オーバースカートのふっくらとしたシルエットが凄く可愛い。

 セットのストールも、オーガンジーとファー生地との異素材コラボで甘すぎなくて、肩より下げて羽織るようにアドバイスを受けたその姿は、子供の頃に夢見た童話のお姫様さながらだった。
 靴は、コーラルピンクとベージュの切り替えが可愛い、足首までのストラップ式で、持ち手がパールになったバッグもお揃いのデザイン。
 ふんわりと斜めに作られた前髪以外は、すべてサイドからの編み込みでひっつめて、その編目には、淡いピンクと紫の小花が散りばめられた。

 そして……、


 『爪はポリッシュのみとのご指示ですので』

 手と足の爪を丁寧に磨かれて、

 『仕上げにこちらを』

 『……え?』


 右手の、人差し指と中指の爪の先に接着された、髪に飾られたのと同じ花。
 確かに可愛いけれど、こんなところまで当たり前のように気が回る本宮君に、なんだか少しだけ、心が陰る。

 今まで、こんな風に魔法にかけてきた女の子が、一体何人くらい、いるんだろう――――――。


 「さ、千愛理様。ルビ様がお待ちかねですよ」

 ぼんやりと考え込んでしまったあたしの顔を覗き込むようにして、三戸部さんが目を細めた。

 「こちらへ」

 言いながら、間髪入れずに歩き出した三戸部さん。

 「あ、はい。―――――あ、ありがとうございました」

 お世話をしてくれたスタイリストさんとメイドさん達にペコリと一礼して、慌てて三戸部さんの後を追いかける。

 (あ、良かった)

 5cmのヒールは、思ったよりも歩きやすくてホッとした。
 驚いた事に、靴のサイズは3つ用意されていて、足首のストラップまでピッタリと合うものを選ぶことが出来たから、こんなに高さがあるのは初めてだったけど、歩くのに問題はないみたい。

 そういえば……、


 『ドレスは僕にプレゼントさせて。靴も、アクセサリーも、千愛理を包むものは、僕が全て用意する』

 本宮君はそう言ってくれたけど、あたしが招待されたパーティで、本宮君は、そのパートナーとして付き合ってもらう立場なのに、これ、本当にプレゼントして貰って、いいのかな……。

 「……」

 あたしは思い切って、先を歩く三戸部さんに声をかけた。

 「あの……、三戸部さん」

 「なんでしょうか?」

 肩越しに僅かに振り返った三戸部さん。


 「―――――あの……これ、全部でお幾らくらいするんでしょうか?」


 ピタリ、

 三戸部さんの足が止まった。



 「お幾ら、とは――――?」

 「あの……、今回のパーティは、あたしの都合でお誘いしているので、せめて半分だけでもと」

 「―――――なるほど」

 なんとなく、真顔になっていた三戸部さんの顔に、再び笑みが戻った。

 「千愛理様」

 「あ、はいッ」

 何故か、三戸部さんの声に力が入ったような気がして、あたしも背筋を伸ばす。

 「殿方が女性に衣装を贈るのには、ちゃんとした意味があるのです」

 「……え?」


 ―――――意味?

 「いつか千愛理様はそのお心に添えましょうから、今はそのお気遣いだけで充分かと存じますよ」

 「……?」

 「さ、ルビ様が予定されていたお時間を過ぎてしまいました。お急ぎください」

 「え? あ、……はいッ」


 早足になった三戸部さんに、転ばないように必死についていくあたしは、すっかりと話をはぐらかされてしまっていた。



 ――――――
 ――――

 「あの……ここは?」

 長い廊下と階段を進み、最初の玄関ホールに戻るのかと思っていたあたしが辿り着いたのは、渡り廊下でお屋敷から繋がっている、ガラス張りの大きな建物の前で、

 「こちらは温室でございます」

 「温室?」

 「はい。ルビ様が、ぜひ温室の薔薇を千愛理様にお見せしたいと」

 「……え?」

 「中に入られましたら、そのまま真っ直ぐに奥までお進みくださいませ」

 「……」

 三戸部さんの掌に背中を軽く押され、入口に立っていた作業服を着たおじいさんがニッコリとドアを開けてくれた。

 「……ありがとうございます」

 何だか違和感を思いながらも、ゆっくりと足を進めて、
 温室に足を踏み入れた、

 ――――――途端、

 「すごい!」

 思わず、体中で叫んでしまった。


 咽かえりそうな程、室内に充満した甘い香り。
 視界の先、見渡す向こう側へと広がっているのは、


 薔薇、薔薇、薔薇――――――、


 品種ごとにブロックがわけられていて、使われている土も全て違う。
 その栄養分を吸い尽くすように、逞しい茎の色で伸びた緑の先に咲き誇るのは、生命力に満ちた大輪の薔薇の花。

 真紅、紫、白、オレンジ、ピンク。


 凄い、


 凄い、


 凄い――――――、


 まるで薔薇の海。
 夢の世界に入り込んだみたい……。
 こんな景色、あかりちゃんが見たら、きっと感激で泣いてしまう……。

 種類や色を追いながら、誘われるようにして奥へ奥へと足を進めていく。

 気づいたら、軽くステップを踏むように、くるくる回りながら楽しんでいて、

 どれくらい進んだのか、


 「――――あ」

 突然感じた人の気配に、あたしの口から思わず声が漏れて、足を止めた。
 そんなあたしの声に、目の前に現れた彼も、弾かれたように顔を上げていて、必然に、目が合う――――――。


 「本宮君……」

 「千愛理……」


 ――――――時間が、止まったかと思った。


 温室の最奥、周囲をまあるく薔薇に囲まれたそのスペースの中央。
 タキシードに身を包んだ彼は、まるで本当にどこかの国の王子様のように、輝きを放ちながらそこに居た。
 着用した黒と白のコントラストが、クリーム色に近い金髪と、宝石のようなトパーズの瞳をとても美しく引き立てていて、


 カッコいい――――。

 本当に、本当に王子様みたい……。


 心臓のドキドキが、耳がスピーカーになって聞こえちゃってないかな……?

 あまりの素敵さに、


 どうしよう。

 見ているだけで、呼吸を忘れてしまいそうになる――――――。



 「千愛理」

 本宮君の唇が、もう一度あたしの名前を刻んで、その眼差しが、確かめるように上下に動いた。

 緊張する。
 見られているんだと思うと、足が震えてきて、堪らずに俯いてしまった。

 似合わない、なんて。
 ダメ出しされたら、立ち直れる自信、無いかも――――――。


 「……ダメだよ、千愛理。顔をあげて?」

 「……うん」

 言われて、顔を上げようとしたけれど、

 ……ダメ……、身体が硬直して……、思うように、指先すらも動かせない。

 「……ッ」


 どくん、どくん、どくん、

 どうしよう……。

 あたしの存在が、まるで心臓一つのようだった。

 身動きが取れなくなってどれくらい経ったのか、カツ、カツ、と、本宮君がこちらへと近づいて来る足音がする。

 「!」


 そして彼の手が、俯いていたあたしの視界に入ったかと思うと、

 「……ぁ」

 顎に添えられて、上を向かされた。
 視線がぶつかる。
 そのヒマワリに、吸い込まれそうになる――――――。

 本宮君の呼吸が、僅かに額に触れた。

 「――――うん。凄く綺麗だ」


 ――――――え?


 そう言って、本宮君が顔に浮かべたのは、あたしの心臓がキュンと音を立てながら縮んで形を変えてしまいそうなほどの優しい笑みで、

 「……ほんと?」

 「うん。凄く可愛いよ。誰にも、見せたくないくらい……」

 本宮君の声が、小さく掠れる。

 「このままここに、閉じ込めておきたいくらい……」

 頬に、本宮君の指先が触れた。
 ぞくりと、何かが体の芯を走り抜ける。

 「……ッ」

 あたしの顔は、きっと火が着いたように赤くなっていると思う。
 本宮君の言葉は、まるで媚薬のようにあたしの身体に浸食して、
 恥ずかしさと、その甘さで、チリチリと痺れてきた掌から、気を抜くとバッグが滑り落ちそうになっていて、慌ててパールの持ち手を手首にかける。

 その間も、まるで金縛りにあったみたいに、本宮君から視線を逸らすことは出来ず、

 ――――――あ、


 くる……。


 「キス……、してもいい?」

 尋ねてくる本宮君の、熱い眼差しに、

 「――――うん」

 あたしにNoなんか言えるわけなくて……。


 「千愛理……」


 本宮君の左手が、あたしの右手を優しく取った。
 指の先を軽く絡め、それを合図に、本宮君の顔がだんだんと近づいて来る。
 視界の隅に見えた、あたしと本宮君の合わさった手の間に咲く指先の花が、叶うはずの無い恋心の代わりに、ひっそりと綻んでいるようで、


 「……」

 本宮君にとって、あたしがどんな存在なのか、会えなかった時はあんなに一杯考えたのに、

 こうして触れて、声を聞いて、息がかかると、

 何も考えられなくなる……。


 "――――――好き"

 心の中で、大声で叫んで、


 これからの事、
 泣いてしまうだろう未来の事、
 たくさんたくさん覚悟して、

 「……」

 そっと、目を閉じた時だった。






 「――――――You are dear」





 「……―――――え!?」


 耳元で囁かれた言葉に、思わず目を開いてしまう。
 でもそこには、ある筈の本宮君の顔は無くて、探すように視線を迷わせたあたしは、

 「も、とみやく……?」

 眼下で、地面に片膝をついた体勢であたしを見上げている本宮君を見つけて、とても驚いた。


 「ど、……ど、したの? 本宮く」

 慌て過ぎて、戸惑いすぎて、言葉がうまく出てこない。

 「千愛理」

 左手は、あたしの右手を掴んだまま。

 かさり、
 そんな音と共に、あたしの前に差し出されたのは、


 「……え?」


 ストック、ブラックバカラ、オールドダッチ、クリスマスローズにコキア……。

 見覚えがありすぎるアレンジの、小さなブーケで、


 これって―――――?
 状況について行けずに、頭が真っ白になっているあたしの耳に、また新たな混乱が舞い降りる。


 「Please become my lover, Chieri」


 その言葉に、

 「……」

 ほとんど反射的に、じわり、涙が溢れて来た。

 「……嘘」

 あたしは、小さく首を振る。

 「だって、本宮君には、マリアさんが」

 「マリアとは、そういうのじゃなくて……」

 言い難そうに、眉間が寄ったのは一瞬で、

 「彼女とは何も続いていない」

 真っ直ぐにあたしを見上げて来るその眼差し。

 「今、僕の心に居るのは、君だけだよ、千愛理」

 そう言った彼の、少し赤く染まった頬の色。

 「千愛理」

 あたしと見つめ合う、本宮君の、瞳の中のヒマワリが、次第に潤いを帯びていく。



 「君が好きだよ」


 「……ッ」



 体中に、宇宙が広がったみたいだった。
 奇跡みたいな幸せが、無限に溢れて来るみたいだった。

 「本宮君……」

 「千愛理」

 ブーケを一段と高く掲げて、本宮君は、もう一度告げる。



 「君が好き、千愛理」



 You are dear.
 Please become my lover, Chieri


 「僕の恋人ステディになって欲しい」


 膝をついて、手をとって、ブーケを差し出しての愛の言葉。



 これはブートニア。
 本来なら、プロポーズの時に使われている欧米の古くからの慣習で、答えがイエスなら、女の人は、そのブーケから一輪の花をとって、相手の胸ポケットにそれを挿す。

 あたしは、まだ真っ白な頭で、ぼんやりとそのブーケを見た。
 どうして、彼がそのアレンジを持っているのか。

 ストック(永遠の恋)
 ブラックバカラ(熱烈な恋)
 オールドダッチ(あなたに幸せを)
 クリスマスローズ(わたしに幸せを)
 コキア(あなたに打ち明けます)


 これは、この花達は、

 あたしが"Stella"2号店のディスプレイに使った、照井さんの言うとおり、ある意味、本宮君へのラブレターで、


 あなたが好き。
 苦しいくらい好き。
 あなたに幸せになって欲しい
 でも、あたしの事も見つめて欲しい。

 あなたに愛される人に、
 嫉妬してしまうほど、


 ……あなたが好きなの――――。




 「本宮君……」

 この気持ちを、受け止めてくれるの?

 あなたに出会って、どんどん変わっていくあたしを、
 もう自分でもどうにも出来ない―――――。

 全部全部、初めての感情で、
 胸が痛くなるくらい純粋な"好き"も、
 悲しいくらい、苦しい"好き"も、

 『沙織先生に、マリアさんに、その指で触れているんだ……』

 醜い、心も――――――……、



 「千愛理……、僕に答えて?」

 あたしを見上げてくる本宮君は、これまでに見たこともないほどに、真剣な表情をしていて、

 これが、

 今起こっている事が、

 からかわれているんじゃないという事を、夢じゃないんだという事を、
 張り詰めた空気で伝えてくる。


 なら、

 あたしは―――――、


 あたしの、答えは―――――……、








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