桜の花びらのような柔らかいピンク色の生地に、縁取りのオレンジとグリーンのオーガンジー。 僕のイメージで、千愛理はそんな優しい花で、 花弁と 胸から首の後ろまで布が続くホルタータイプのデザインが、全体を引き締めていて甘すぎず、 型のとられたウエストは、腰を抱くのに都合が良さそうで、 中心で割れたオーバースカートは、まるで花弁の一枚。 中に見える硬いレース生地が、彼女の芯の強さを表しているみたいだった。 これを着た千愛理を想像しただけで胸が弾むような気分になって、声のテンションだけでそれが伝わってしまったらしい健斗には、電話の向こうから大笑いされてしまい、 けれど、現実に今、 薔薇の花の壁から姿を現した千愛理は、僕が想像した以上の仕上がりで、 しかも、 そうするようにとオーダーしたから当然だけど、髪型から爪の先まで、目に見える彼女の全ては僕が頭に思い描いた通りで、 「……千愛理」 彼女に向けている想いの全てが、その姿だけで、満たされてしまった――――――。 可愛い……。 凄く、綺麗で可愛い……。 ああ、僕は本当に、どうしようもないくらい―――――、 「千愛理……」 好きな人、 愛しい人……、 ただそれだけで、こんなにも胸が溢れてしまう――――――。 「千愛理……」 これから予定していた段取りを全て放り投げて、 「キスしていい?」 思わず、理性も飛ばしそうになってしまった。 唇が合わさる寸でのところでそれを制したのは、 「……うん」 僕を、好きだという目で見つめながら、そう答えた千愛理の、悲しみを湛えた表情に気づいたから。 だから……、 「You are dear.」 「……え?」 「Please become my lover, Chieri」 右膝をついた姿勢で、ブーケを掲げてそう言った僕を、千愛理は泣きそうな顔で見下ろしていた。 その瞳は、明らかに混乱で揺れていて、 (……まあ、僕が放置で泣かせてしまった事が大きな要因だけど) でも、そうやって惑う彼女に、どこか安堵する僕の未熟な恋心。 薔薇の香りに酔わされているのか、 それとも、僕に 千愛理の体温が上気していく様が、頬の色付きではっきりと分かる。 時折その顔色に、躊躇いのような翳りが混ざるのは、少し遠回りをした僕のせい。 お互いの気持ちは通じていたのに、僕の些細なプライドを言い訳に、変な建前をつけて意地になり、時間をかけてしまったせいだ。 けれど、迎えに行った公園で、僕を目にした千愛理が、その眼差しの中にゆらりと恋情の花を咲かせた時、 思わずほくそ笑んでしまう程の歓びが、また僕の心を蝕んだ。 逆に言うと、彼女をここまで曇らせる事が出来るのは僕で――――。 それだけ、彼女の心の中に、僕が住み着いているという証明の片鱗。 『やっぱりダメ……』 もしかしたらそう言って、パーティに行く事すら拒否しそうだった千愛理の揺れる眼差しをに気づき、"社交界での立場"だとか、"僕と一緒に過ごしたくないのか"なんて、意地悪な言葉が嘴から零れたのも、考えるよりも先に、僕の弱さが露呈した結果だった。 ……僕の本命の愛し方は、ケリよりも、"あいつ"の方に近いDNAを持っているのかも知れない――――― 『特別な思い出は、未来での支えになる。いい意味でも、……悪い意味でも―――――ね』 僕が通っていた大学は、身近にあるハリウッドの影響もあってか、大袈裟な恋の演出は日常茶飯事で、モブを巻き込んだ告白シーンや記念日を祝うシーンもよく学内で見かけた。 特に、卒業シーズンが近くなると、このブートニアを使って卒業後の約束を誓うカップルが多くて、 『学生の内にたった一人に決めてしまうなんて、オレ様からしたら気が狂ったとしか思えない! 卒業したら、これまでとは違う新しい世界で、新しいジャンルの美人と出会う機会が増えるのは間違いないんだぞ!?』 『そうかな? 出会うのが遅いか早いかの違いで、その人にとっての運命ならいいと思うよ。――――それにしても、驚いたよ、ルネ。君は意外とロマンチストだね。ブートニアを交わしたら、心変わりなんか有り得ないと思っているんだ? 初めて君が可愛く見えたよ』 卒業近くの毎週末、泊まりに来ていたルネと大輝のそんな舌戦の後、時々それに参戦していたケリが、先の言葉を綴った。 "いい意味でも、悪い意味でも、特別な思い出は、二人にとって支えになる" 千愛理がくれたラブレターに、どう答えを返そうかと考えた時、真っ先に浮かんだのがこのブートニアだった。 花に親しんでいる千愛理なら、現代の日本の結婚式に取り入れられているブーケ・ブートニアの前身であるこの古い慣習の事も、きっと知っている筈。 初めての恋に臆する僕の背中を押すためにも、 千愛理の、不実に見えているだろう、僕への不安を取り除くためにも、 きちんとした契約の取り交わしを、儀式にして思い出に残すのは、今後の僕達の為に最善だと考えた。 「―――――君が好き」 一度口にしてしまえば、もうそれを綴る事に怖さは無くて、 「今、僕の心に居るのは、君だけだ」 「……」 「君が好きだよ、千愛理――――――。僕の 走り出す心を抑えるように、必死に涙を堪えている千愛理。 躊躇わないで。 そうさせたのは僕だけど、 早く、早く、 答えが欲しい。 息を止めるほど、その身体を抱き締めたいから――――――……。 「千愛理……、僕に答えて?」 「……」 やっと動き出した千愛理の目が、不可解そうにブーケを見つめている。 自分がコーディネートした種類で作られている事が不思議で仕方ない様子で、けれど、それを説明して時間を取る気が無い僕は、目の前にいる千愛理を一秒でも早く抱き締めたくて、答えを急がせる。 「千愛理」 左手に掴んでいた、千愛理の右手指の先の花に、唇を寄せた。 「僕に答えて」 「本宮君……」 呟いた後、桃色の口紅が乗る、ふっくらとしたその唇が、不意にキュッと閉じられる。 真っ直ぐに、僕を見下ろしてくるその瞳。 それを受け止める僕の瞳孔に、真剣に語りかけて来る熱視線。 「……」 魅入られたように、僕はまた、この眼差しに動けなくなる。 千愛理からのひたむきな想いの光線が、僕の奥に刺しこまれてきた。 「……」 どれくらい見つめ合っていたのか、ふと、千愛理の左手がゆっくりと動き出し、僕の掲げていたブーケから、一輪の花を選び出した。 ――――――え? 敢えて選択したその一輪を、僕の胸ポケットに、そっと挿し込む。 「千愛理……」 僕の声に、少し驚きのトーンが含まれて、それをどう受け止めたのか、千愛理が、弱々しく眉根を寄せた。 「……ごめんなさい」 ぽろり、頬を伝う、大粒の涙。 「ごめんなさい……」 「千愛、」 「ごめ……、」 ああ、 もう、 「―――――千愛理」 僕は立ち上がり、包み込むように、千愛理の身体を抱き締めた。 「……本宮く……」 その小さな声に反応するように、抱く腕に、ギュッと力を籠める。 すると、千愛理も、僕の腕に手を添えて応えた。 「……君にあげる」 耳元で囁くと、 「……え?」 震えるように、僕を見上げてくる千愛理。 顔を歪めて涙を流す千愛理の両頬を、僕は愛しく、両手でそっと包み込んだ。 「僕の全てを、君にあげる――――――」 「……ぅ」 開かれた千愛理の唇から、熱い息が漏れて、僕を誘う。 「僕の身体も、心も、――――――これからは全部、君のものだよ」 胸に挿し込まれた花は、ブラックバカラ。 花言葉は、 "熱烈な恋" "嫉妬" そして、 "あなたが欲しい"――――――。 「千愛理」 お互いの唇が触れ合う瞬間まで、僕達の目は開かれていた。 好き――――― 言葉にはしなくても、絡み合う視線だけで全てを伝えあえた。 触れた途端、 胸の切なさや軋みが、甘い花の味となって僕を魅了して、 何度も何度も、千愛理の柔らかい唇を啄み、 そのキスが水音を含むたび、僕のタキシードの袖を掴んで縋ってくる千愛理がまた愛しくなって、 「……ぁ、……ん」 舌を絡めとり、耳の下から首筋まで、触れるか触れないかの距離で、優しく指先を肌に遊ばせ、 「千愛理、……ちえ、り……」 「あ……や、もとみやく、」 ビクビクッ、 「!」 身体を震わせた千愛理の反応に、僕はハッとなって手を止めた。 目を開けると、そこには恍惚な色気を滲ませた千愛理の顔があって、 それを見た僕の心臓が、更に加速して早鐘を打った。 ……また、我を忘れた。 溺れそうだ―――――。 「……千愛理、凄く敏感だね」 「ぁ、や、」 耳の近くで囁くだけで、僕の指が頬に触れるだけで、過剰に反応する千愛理の身体。 「お願い、いま、触られると……」 「千愛理……」 「なんだか、怖いから……ッ」 身体を 「……」 やばい。 これはちょっと、想定外、かも――――――。 「―――――イった、とか、わかる……?」 口許に笑みを隠しながら小さく尋ねると、千愛理は顔を真っ赤にして激しく首を振った。 立っているのもやっという感じで、腰が引けている。 辺りを見回すと、円を描く薔薇のラインに沿って幾つかベンチがあって、 「千愛理、おいで」 その一つにエスコートしようと背中に触れるだけで、過敏に睫毛を震わせる千愛理。 それでも僕は、お互いを触れさせることをやめない。 「本宮君……」 泣きそうな顔で僕を睨んでくる千愛理に、ふふ、と笑いを聞かせた。 「ダメだよ。クールダウンも、ちゃんと僕の腕の中で覚えないと」 「――――――え?」 半ば強引にベンチまで引き連れて行って、戸惑う千愛理を、有無を言わさず片腿に座らせた。 支えるように腰に両腕を廻し、斜めに向き合った千愛理の身体をそっと抱き締める。 「……恥ずかしい……」 「誰も見てないよ」 「でも」 「しぃぃぃ……」 子供に聞かせるように唇に指をあてると、千愛理はまた、苦しそうに眉間を寄せて、熱い息を吐き出した。 「……千愛理のこういう顔は、僕だけのものだよ」 「……」 「熱くなるのも、それを冷ますのも、これからは全部、僕の腕の中でだけ。いい?」 当たり前の確認に、僕の人差し指で唇を封じられている千愛理は、ただコクリと頷いた。 その頭を引き寄せて、僕の肩に乗せる。 密着する体。 共有する熱。 官能的なさっきまでの迸りとは違う、優しい鼓動の余韻が、お互いの体温に吸い込まれていく。 ふと、 強張っていた千愛理の身体から力が抜けて、その存在の重みが僕にかかってきた。 その瞬間、 千愛理が僕のものになったんだという実感が、なおさら沸々と湧き上がってきて、 「好きだよ、千愛理」 「……あたしも、好き……」 時々、愛しさのあまり自然と零れる言葉を伝えあいながら、 僕達はしばらくの間、まるで一つのオブジェのように薔薇の景色の中に、埋もれていた。 |