小説:クロムの蕾


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PINKISH
DESIRE


 舞踏会に行けるように魔法をかけられて、それだけで浮かれていたあたしに、まるで王子様のような本宮君が仕掛けてくれた、薔薇に囲まれたロマンチックな場所でのブートニア。
 YESなら、その掲げられたブーケから一輪花をとって、胸ポケットに挿し込むのが習わし。
 本宮君の煌めくトパーズの瞳は、これが嘘じゃなく、真摯な行動だと知らせてくれていて、
 あたしはただ、泣きたいくらい嬉しくて、Noなんて答えがある筈なんかなくて――――。

 「僕に答えて、千愛理」

 信じられなくらいに優しくて、それでいて凛とした本宮君の声。

 「……」

 差し出してくれたブーケの中から、どの花を返すか……。
 最後まで、迷って迷って、

 あたしは、ブラックバカラをブーケから抜き出した。

 「!」

 驚いたような本宮君の表情。

 きられてしまうかもしれないから、本当は、もっと可愛い花言葉を選びたかった。

 でも、この日が、

 今この時が、

 本宮君とあたしが、二人で最初に紡ぐ思い出だと思うと、誤魔化したりするのは、絶対に良くない気がして――――……。

 その赤黒い薔薇の花を本宮君の胸ポケットに差し、

 「ごめんなさい……」

 涙と一緒に、零れた言葉。

 「ごめんなさい」



 "あなたが欲しい――――――"


 大好きな人に、好きだって言ってもらえて、それだけで幸せな筈なのに、こんな事を願ってしまう、欲張りなあたしで、

 我儘なあたしで、


 「ごめ……」

 恥ずかしくて、目が開けられない――――――。

 そうして俯いてしまっていたあたしの身体を、

 「……千愛理」



 ――――――え?


 本宮君のマリン系の香りが、優しく包み込んだ。
 今まで、薔薇の香りが強すぎて気づかなかったいつもの香りに気づくほど、密着してきた本宮君の身体。

 「……君にあげる」

 少し低めの、掠れたような、甘い声。


 「僕の全てを、君にあげる――――――。僕の身体も、心も、――――――これからは全部、君のものだよ」

 見つめられて、
 そんな贅沢な言葉をもらって、

 本宮君から落ちてきたのは、身体が溶けてしまいそうな程の、官能的な、


 キス、

 キス、


 キス――――――。



 最初は、啄むような、胸が擽ったくなるようなキスだったのに、
 本宮君の熱が入って来たかと思ったら、
 だんだんと、
 確かめるように、味わうように、

 深く深く、あたしの中に溶けてきた。


 「……ぁ、……ん」

 首筋に、ぞくりと何かが走る。
 あたしの肌を移動する、本宮君の、指先の感触。

 「千愛理、……ちえ、り……」

 「あ……や、もとみやく、」

 彼の柔らかい舌が、あたしの口内を動く度、自分のものじゃないみたいな甘い声が、熱い息が、水音と共に漏れていく……。


 「ぁ、いや」

 身体の芯が疼くような、そんな痺れが突然這い上がってきて、

 「……ッ、ぁッ」

 自分の意志とは関係なく、痙攣するように体が小刻みに跳ねた。

 涙で視界が揺れていて、弾む息がやけに熱い――――――。
 その熱された吐息は、一呼吸毎に、何もかもを焦がしそうだった。

 「……千愛理、凄く、敏感だね」

 少しの沈黙の後、囁いた本宮君の顔はなんだか嬉しそうで、

 「……」

 屋上で、耳を舐められた時の比じゃなかった。
 制御できない快感が、本宮君の唇と指で与えられた。

 抑えきれない羞恥心と、このまま、もう全てを本宮君に差し出してしまいそうな自分の心のギャップに泣きたくなってしまう。
 自分の感情なのに、全然コントロールが効かない。


 「―――――千愛理、おいで」

 そう言った本宮君に手を引かれてぼんやりと歩いて行くと、

 「クールダウンも、ちゃんと僕の腕の中で覚えないと、ね」

 「……え?」

 気が付くと、あたしの身体は本宮君の膝の上に座らされ、頭を抱えられた体勢で、すっぽりと彼の腕の中に包まれていた。
 本宮君の、指先一本一本が、今どこに触れているのか、あたしの五感が全力で察知してる。
 その反面、こうしてもたれかかって、本宮君に抱き締められている自分の身体がまるで他人のもののようにも感じるから不思議で――――――、


 ――――――……

 ――――……



 ――――――トクン、トクン、



 怖いくらいの静けさの中、
 頬を寄せた胸板から、あたしの耳に届いてくる本宮君の規則的な鼓動――――――。

 「……」

 まるで、時間が止まったかのような安らぎが、あたしの存在に津々と訪れた。

 人の体温って、こんなに気持ちいいんだ……。
 その心地よさに身を委ねていると、どこか時間の果てまで、穏やかに落ちていきそうだった


 「……落ち着いた?」


 どれくらい時が経ったのか、本宮君がそう切り出して、あたしの頬を指の背で撫でる。

 「……うん」

 頷いたあたしに、クス、と本宮君の笑いが零れた。

 「また、心臓が壊れそうだった?」

 「!」

 屋上で、キスをした時の事を言ってるんだ……。

 「――――意地悪……」

 拗ねて目を伏せたあたしに、

 「うん」

 クス、と笑ったかと思うと、吐息が、あたしのこめかみにかかる。


 ―――――え?


 また、……キス……。

 ほんの少し唇が触れただけなのに、さっきの激しいキスと同じくらいに、あたしの心をざわつかせる。

 「赤くなった」

 「……」

 本宮君の腕が、またギュッと、あたしを強く抱きしめた。


 熱い……。
 触れ合っている部分が、凄く――――――。

 まだ、信じられなかった。

 こうして傍に、
 凄く近くにいるのに、なんだか夢を見ているようで……。

 だって、こんな風にドレスを着て、
 溺れそうなほどの薔薇の花に囲まれて、

 『君が好きだ』

 好きな人に、こんなに素敵な演出で告白してもらえるなんて――――――、


 これから目が覚めて、


 ああ、
 夢だったんだ……。

 そんな事を呟いて落ち込んでしまう自分を想像している方が、なんとなく"本当"みたい。


 「……」

 あたしは、身体を少しだけ離して、本宮君を見つめた。

 「どうしたの?」

 トパーズの目が、あたしの影を映している。


 本当にこれは、現実――――――?


 「……ほんとに?」

 「何が?」

 「―――――その……、好き、って……」

 あたしがそう言った瞬間、


 「ふうん?」

 虹彩がはっきりと見える本宮君のその瞳が、カチリと回転したような気がした。


 ……あれ?


 今、


 「ほんと、千愛理ってバカだよね」

 「――――――え?」

 「せっかく手加減してあげようとしたのに」

 「あの……」

 気が付けば、ベンチに押し倒されるような体勢になっていて……、
 あたしに身体の半分を乗せて、見下ろしてくる本宮君の笑みが、凄く妖しくて、

 「千愛理」

 少し開かれた唇から覗く舌先が、あたしの名を呼んで動くのに、何故か強く、目を奪われた。
 その舌よりも更に赤が、作り物の様に綺麗な顔の横で、キラリと光る。

 情熱の、赤――――、

 真紅の、ルビーのピアス。


 「確か前に話したよね? 僕の愛情の表現方法」

 「――――あ」


 『僕はね、セックスは最大の愛情表現だと思っているんだ』

 本宮君の手が、あたしの身体の線を、太ももから脇腹まで撫で上げて来る。
 やっぱり、本宮君の指先には、目に見えない炎があるんだ。
 ジリジリと、まるで焼かれているように、触れられたその一線に、熱が孕んだ。


 「僕の気持ちを疑うなら――――、今すぐ全力で伝えてあげるよ?」



 「……ッ」

 ああ、

 ダメ……。

 呑まれてしまう……。



 本宮君の瞳に、
 その存在に、


 深く――――――、


 深く――――――……・、





 「ルビ様、そろそろご出発のお時間ですよ」





 「……」



 …………え?



 「――――もうそんな時間?」

 まるで演技を終えた俳優さんのように、冷静にそんな事を言いながら、あたしから身体を起こす本宮君。
 その表情には、動揺も、何も、全然見られなくて、

 というより、


 「さ、千愛理様も、御髪おぐしが少し乱れましたから、この三戸部がお直しいたしましょう。それにしてもルビ様。お戯れも大概にいたしませんと、千愛理様に嫌われてしまいますよ」

 着物の袂から櫛を取り出した三戸部さんを横目に、

 「クス、そうだね」

 本宮君がその唇の両端を上げる。



 やっぱり!

 こんなところを見られちゃったのに、あまりにも普通の態度だから、もしかしたらと思ったけれど、彼は、三戸部さんがあたし達の近くまで来ていたのに気付き、このタイミングで制される事を想定した上であたしをからかったんだ。

 すっごく悔しい!

 そりゃあ、何が何でも、あたしなんかじゃ本宮君に敵うはずはないけれど、

 「……」

 あたしは口を尖らせ、"怒ってます"オーラを全開にして、結構本気モードで本宮君を睨み付けた。
 すると、あたしのそんな視線を受け止めた本宮君の親指が、胸のブラックバカラをそっと愛でる。


 ――――――え?



 「     」



 その唇の動きに、あたしはまた、嬉しさで声を上げて泣きそうになった。
 トキメキが洪水のように湧き上がってきて、涙腺から、その結晶を押し出そうとしているみたい。



 (本宮君―――――……)



 教会に描かれた天使のような、
 絵本に出て来る王子様のような、


 みんなが頬を染めて噂する、そんな柔らかな笑みを浮かべた彼は、



 I Love You


 甘く、甘く、声にすることなくその言葉を刻み、

 光が溢れたとても優しい瞳で、あたしを見つめていた――――――。








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