小説:クロムの蕾


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PINKISH
DESIRE




 車を降りた直後から、僕の存在が視線を集めたのには気づいていた。
 人目を引く自分の容姿を自覚しているし、むしろ、それを武器に行動してきた事の方が多いから、僕にとっては慣れた事。

 けれど――――――、


 「……凄く可愛いよ、千愛理」

 周囲から送られてくる不躾な視線を遮るように、千愛理の頬にキスをして、僕の腕に手を乗せるよう導いてあげる。
 指の先に着けた花が、僕達の間に咲いているのを愛しそうに見つめる千愛理に、思わず笑みが零れた。

 その花に込めた僕の想いの一つに気付いたみたいだ。

 「大事にしようね」

 答えを含めた僕の言葉に、千愛理がふるふると瞳を震わせて、蕩けてしまいそうなほど可愛く笑う。

 「……」

 このまま、千愛理の両頬を包み込んでその唇を深く奪えたら、今日というこの日は、最高に思い出深い記念日になったのに。


 ―――――ほんと最悪。


 『パーティの間、絶対に僕だけを見つめていてね』


 千愛理にかけたその魔法は、どうやら10分も持ちそうになかった。


 ――――――本宮の……。
 ――――――え? なぜ花菱のパーティに?


 人の波間に困惑が広がっていく。

 疑問は当然だ。
 本来なら、今日のゲストは全て身内。
 つまりは花菱をピラミッドの頂点とする関連企業が集まっている。

 例えば、本宮グループがパーティを主催したとして、ここに訪れる企業の幾つかが取引先や関連企業として招く事はあっても、その声を決して花菱にかけることはない。
 花菱と本宮が顔を合わせるとすれば、お互いがゲストとして招待された、別の種類フィールドのパーティだ。


 ――――――あのお連れの方……。
 ――――――ご存知?
 ――――――……アレよ……、


 ピクリ、と。
 千愛理の指が反応した。


 ――――――亡くなった香澄様の……、
 ――――――ああ、アノ――――――


 名を持つ者の常というべきか、何かの象徴として語られる人物の扱いはアメリカでも日本でも同じ。
 "アレ"とか"コレ"とか、存在から当然のように人権が無くなる扱いを受ける事は多い。

 千愛理は恐らく、毎年、こういう視線に晒されてきたんだと思う。
 清宮美奈子をはじめとする3人に部活舎で詰め寄られていた時の、抑制しきれなかった千愛理の感情の昂ぶりは痛々しかった。
 もしも今夜、急な仕事の都合で顔を合わせる事が出来なかった千愛理の父親が一緒だったなら、その内容はもっと俗悪なものになっていたんだろう。


 そして、

 "花菱"と並ぶ、"本宮"という集合体のオーナーである"僕"が彼女の傍に居るという事が、その視線に新たな意味をプラスさせる。


 ――――――どういう、関係……?


 人々の口の端に、卑しい思惑が広がる。
 期待が広がり、――――――逆に警戒心も、企業経営者としての思考回路に組み込まれる。


 「――――――千愛理」

 声が小さかったわけでもないのに、千愛理は僕の呼びかけに気づかなかった。
 僕の声が届かないほど思考を固めてしまったらしい千愛理の頬に指をあて、僕は屈むようにしてその顔を覗き込む。

 「約束したよね? 僕だけを見て、千愛理」

 頬から顎の先へと指を滑らし、クイッと顔をあげさせた。
 ほんの数秒だけど、周囲の雰囲気に呑まれていたらしい千愛理は、ゆっくりと焦点を僕に戻して、

 「……本宮君」

 グロスで光る唇が、掠れた声でそれを刻んだ。
 ふふ、と思わず笑いが零れる。

 「バカだね、千愛理」

 「え?」

 千愛理の疑問が集約されたその一言を塞ぐように、僕は少し開いた唇で千愛理のそれを食んだ。

 「……ッ! も、も、」

 カアアア、と肌をピンク色に染め上げた千愛理が、ざわりと揺れた周りにも気づかないほど、羞恥心で一杯になった潤んだ瞳で僕を睨み付けてきた。

 「……」

 思わず、言葉を呑みこんでしまう。

 勘弁して欲しい……。
 これってどうなの?

 僕に向けて来る千愛理の眼差しの意味がはっきりと分かる今、この熱の浮かぶ表情かおは、例えようのない破壊力を持っていた。


 「――――――千愛理」

 千愛理の腰に添わせた手にグッと力を籠める。

 「も、……ルビ君?」

 身体を引き寄せられても、体勢を崩さないように必死に踏ん張って堪えている千愛理。


 「……」

 このまま崩れて、僕に凭れて、全てを投げ出せばいいのに――――――。


 深いため息が漏れた。


 どうしよう――――――。
 本当にどうしてくれようか。

 千愛理を想うと、胸が、


 「――――――痛い……」


 「え?」

 「あまり見ないで。」

 今までの、甘えてきた女性達を相手にしてきた経験キャリアなんか、本物の恋には何の役にも立たない。
 だって、こんな風に僕が挙動に困って狼狽える何てことは、どんなシーンでだって一度も無かった。

 どうしていいのか、

 「……わからない」

 二人の距離でやっと聞こえるほどの僕の言葉に、

 「え――――――?」

 困惑気味に首を傾げる千愛理。

 「あの……」

 視線を逸らそうかどうしようか、薄茶の眼差しが彷徨っている。
 ずっと見ているように約束させられていたのに、正反対に事を口にする僕の対処に本気で困っている仕草がまた可愛い。

 「……ダメだ」

 「え?」

 「やっぱり、見てて」

 「……えっと……」

 「見てて」

 「……うん――――――」

 真っ直ぐに僕を見上げて来る千愛理を見ているだけで、鼓動が早鐘を打って苦しくなった。
 今までとは、何もかもが違う。

 目の前にいるだけで愛しく募るその感情は、屋上で見せた色香立つ千愛理の姿を思い出させて、僕の愛撫に喘ぐ千愛理の可愛い声が記憶を擽ってくる。


 煽られる――――――。

 息が、熱くなる……。


 吸い込まれるように、キスをしようと身を屈めた時だった。


 「――――――社長」


 ピシリと、空気を鞭打つような、そんな力を持った凛とした女性の声。

 ここには、"社長"なんて肩書の人間は関連企業の数だけいるはずなのに、何故か僕は、僕の事だと理解した。


 現実に還らされ、声のした方へとゆっくり顔を向ける。

 そこにいたのは、胸元のフリルが華やかさを出してはいるけれど、黒のかっちりとしたロングタイトのスーツに身を包んだスレンダーな女性で、左サイドにまとめた艶やかな黒髪と、細いチェーン付の金縁の眼鏡が、如何にも、という雰囲気を醸し出している。


 「――――――誰の差し金?」

 千愛理の手を誘うように僕の腕に絡めさせて、一人にしないように手を重ねる。


 「ジェネラルカウンセルです。社長」


 大輝――――――?

 「……」


 ――――――あれ?

 赤い口紅が印象的な顔立ちだけど、見え隠れする面差しに、どこからか懐かしさが漂ってくる。


 どこかで、会ってる……?

 どこで会ったっけ?


 『……初めまして、ルビ。……やだ、随分可愛い男の子ね』


 不意に、蘇って来たその記憶に、


 「――――――え?」


 僕は思わず、目を瞬いていた。



 フリーズした僕を他所に、彼女は千愛理へとその宝石のような黒い眼差しを向ける。

 「初めまして千愛理さん。わたくしは本宮グループ秘書課所属の牧村亜里と申します」

 「あ……はじめまして。佐倉千愛理です」

 僕の腕から手を離して、亜里と握手をしようとした千愛理の手を止める。

 「亜里、ちょっと待って、牧村って?」

 「―――――わたくしの名字ですが、何か?」

 にっこりと笑う眼鏡の下で、策士の目が光る。

 「……ルネは知ってるの?」

 「あら、お気づきでしたか?」

 「まさか。今初めて気づいたよ。君はいつも、カメラにはルネに隠れるように映っていたし、雰囲気も昔と随分違っていたからね――――――」

 「ふふ。バレるとすれば社長からだと思っていたので多少の警戒はしておりました。けれどその事と、わたくしが千愛理さんとの握手を阻まれる事は別問題ではありませんか? 少なくとも、わたしくは千愛理さんの敵ではありませんし」

 「……」

 本当にこの兄妹は……、

 「亜里。まだ僕の質問に答えてないよ?」

 追って質した僕の言葉に、女性にしては長身の亜里は、同じ高さの目線からニコリと返す。

 「ルネは――――――、まだ知りません」

 「嘘でしょ」

 間髪入れずに応えて、思わず心中で頭を抱えた僕に、亜里は呑気に告げる。

 「彼の要望は大輝と渡り合える有能な秘書です。わたくしがそれを満たしていないとでも?」

 「……君がその大輝の妹と知ったら、怒りに気が狂うと思うけどね」

 呆れた事を隠さずに顔に表すと、亜里はさすがに肩を上げた。

 「その程度なら、こちらから捨ててやります。わたくし達の事はどうかお気になさらず」


 という事はつまり、


 「……"した"んだ」

 「社長、セクハラです」

 澄ました顔で応えた亜里。


 「――――――ふうん?」

 亜里の様子からすると、少なくともこっちは本気に見える。


 ルネは――――――?

 これまでのルネの女性遍歴から考えると、秘書と身体の関係を持ってなお、傍においている事自体が珍しい……。
 つまり、ルネも意外と気に入ってる?


 「……」

 考えないようにしても、事の顛末を想像して、僕の口許には自然と笑みが溜まった。


 「――――――社長、性格の悪さが滲み出るお顔になってますわよ?」

 「……そう?」

 僕がニッコリと目を細めたタイミングで、

 「も、……ルビ君?」

 戸惑った様子で僕を見上げて来た千愛理が状況の説明を求めていた。
 "本宮君"と呼びそうになった事は、今回だけ特別に、聞き逃してあげる事にする。

 「千愛理。この人は僕の秘書で、牧村亜里さん」

 「……秘書……」

 「そ。レストルームを使う時は、必ず亜里と一緒に行くようにしてね?」

 「え?」

 「僕は中までは入れないから」

 「あ、……はい」

 その歯切れの悪い千愛理の応えには何か複雑な顔色が窺えて、

 「……?」

 僕は少し考えを巡らせ、そしてふと、その要因に気づく。

 そうか――――――。

 クスリと、さっきまでとは全然違う笑みを誘われた。

 「――――――千愛理」

 その耳元に唇を近づけて、囁くように言葉を伝える。

 「亜里は昔関係があった女性とかじゃないよ。僕の信頼する仲間ブレーンの妹」

 「あ、」

 途端、顔を真っ赤にした千愛理が、俯き加減で呟いた。

 「ごめんなさい」

 「どうして謝るの?」

 「その……、なんだか恥ずかしくて」

 「何が?」

 「うまく隠せない自分が、子供みたい、だと思う……」


 ――――――……、

 何これ。

 ドキドキと、僕の胸が強く鳴った。
 こんなに僕の事を煽れるなんて、ほんと色んな意味で甘く見てた――――――。

 「……ねぇ、千愛理」

 気が付けば、僕の指先はじっくりと千愛理の頬をなぞっていて、

 「え?」

 「――――――今夜……」

 誘いをかけようとした僕の言葉を、

 「社長」

 亜里の声がピシリと止めた。

 「千愛理さんが、嫁入り前の未成年だという事をお忘れなく」

 金縁の眼鏡を人差し指でクイッと上げると、垂れたチェーンもシャランと動く。
 その漆黒の目は明らかに周囲からの視線を気にしていて、まあ、それも解らないでもないけれど、


 「……亜里、君の今夜の仕事は?」

 尋ねた僕に、

 「パーティでの社長のサポートと、千愛理さんのガードですが?」

 笑顔を崩さず応えた亜里のこめかみが、それでもピクリと引き攣っていた。
 これから始まる僕の言葉に備えようと構えるところが、本当に大輝そっくりでため息が出そうになる。

 まあ、顔に出てしまう時点で可愛いものだとは思うけれど――――――。


 「……なら、恋人同士の僕達が何をしようと、君の業務には関係ないよね?」

 目を細めて告げた僕に、今度は亜里が、ふふと笑った。

 「ですから、千愛理さんのガードです」

 「……?」

 「見るからに初心者の千愛理さんを、社長の毒牙にかけないためのガードです」

 「……」

 「…………はぁ」


 溜息をついた僕に、

 「あの……ルビ君?」

 困った様子で千愛理が目線を上げてきた。
 僕の腕に添えられた指が、僅かに袖を引いている。

 これが無意識なら、千愛理は結構な甘え上手。

 「ごめん。もう終わる」

 「えッ?」

 終わる、という表現に目を丸くした千愛理に悪戯っぽく笑って見せて、僕は内ポケットからスマホを取り出した。

 「亜里。預けておくね。R・Cのアプライザーから連絡が入る予定だから」

 「かしこまりました」


 豹変した僕達の会話に、千愛理が不思議そうに首を傾げる仕草がまた可愛い。


 「―――――行こうか、千愛理。花菱の御大への挨拶は早めに済ませておこう」

 「はい」

 頷いた千愛理の様子からは、もう周囲の目を気にする暗さは見えなくて、遊び半分の亜里との会話は、無事に功を奏したらしい。   
 視界の隅で微かに頷いた亜里に、僕もふと笑みを返した。








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