小説:クロムの蕾


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PINKISH
DESIRE


 「やあ、初めまして、会えて嬉しいですよ、本宮さん」
 「――――僕もです。どうぞよろしく」
 「名刺をお渡ししてもいいかな」
 「――――ぜひ。……ああ、お名前は存じています。先日の中東での采配はお見事でした」
 「ほう、アレをご存知とは」
 「――――並びを抜きんでた行動はどうしても記憶に留まります。うちのブレーンが先を越されたと苦言を呈しておりました」
 「そうですか。悪い気はしませんな」
 「――――次はこちらのブレーンの名前を覚えていただきます」
 「頼もしいですね」
 「いいですねぇ、土俵が同じだと。私は本宮さんとはほとんど関連のない部門でね」
 「――――ああ、そうですね、確かに。……ただ、奥様には"Stella"をご贔屓にしていただいている縁があるようですね」
 「ん?」
 「――――あのネックレース、僕が経営権を持つ"Stella"の品です。仕入れた時に、特に話題になった逸品なので覚えています」
 「それはそれは。たまには妻の買物狂も役に立つものですな」
 「――――あの宝石いしと再会出来るとは思ってもいませんでした」
 「……それほどのものでしたか?」
 「――――あの内包物の美しさは"世界で一つ"という価値を超えています。選んだ奥様の聡明さが窺えますね。次回ご来店の際には、直接アプライザーが対応させていただきますのでぜひご連絡を」


 記憶の格納の才能ギフトは、こういう時に役に立つ。

 僕にとっては資料で流し見たただの文字の羅列でも、本人にとっては重大な一つ。
 それが誰かの口端から話題になるという現実は、ビジネスに勘が良い人には警戒心をより強固にしてしまう事もあるけれど、およそマイナスにはならない。
 社交会における初対面の会話として、アイテムは出しつつ、結果、当たり障りが無かったというのが一番望ましくて一番難しい。
 余程の目的が無い限り、誰もに平等に撒き餌をして、それを手繰ってきた相手を人脈とビジネスに繋げていく。


 ――――――正直言って、これまではそれが面倒で、"こういう場"を敢えて避けてきたけれど、千愛理を懐に入れたからには、花菱の扱いをこれまでと同じようにとはしたくなかった。
 この花菱の面々は、本宮のこれからの態度で千愛理の価値を量ろうとする筈だから。

 こういう攻防も含めて、今後は、僕の言動全てが千愛理を守るという事に繋がる。
 大輝もそれを分かっているからこそ、それをサポート出来るようにわざわざ亜里を寄越した筈だ。


 「この機会にぜひ交流を」
 「――――ええ、僕もそう望みます」

 グループの主だった経営陣に囲まれて挨拶を交わし始めてから数分、


 「……?」

 僕の背後に控えていた筈の亜里が、不意に視界の中に入って来た。
 釣られた僕を誘導するように、金縁眼鏡の奥の瞳が動かされる。

 いざなわれたその先には、まるで花のようにそこに在る千愛理と、そして彼女に少し似た、従姉妹の花菱千早。

 「……」

 千愛理の表情は、固くなってはいるけれど、千早に圧されているワケではなさそうだ。

 亜里が求めているのは、助力すべきか否か。
 僕は僅かに首を横に振った。

 花菱千早が千愛理を目の敵にしていた理由を僕はもう知っているし、千早自身、それを千愛理にぶつける無意味さを感じ始めている筈だ。

 それに千愛理は――――――、


 「千愛理さんの隣にいるのは私の娘です」

 ざわり――――……と。
 僕を取り囲んでいた男達の呼吸が揺れた。

 声のした方を振り向くと、経済誌でよく見る顔があった。

 花菱佑介。
 花菱会長の姪の夫。

 つまり、現花菱の社長トップであり、花菱千早の父親――――――。

 「……佑介」

 隣にいた花菱会長が、その先を半ば制するように深く息を吐き出した。
 けれどそれも気にしないまま、

 「娘の名は千早といいます」

 口ずさんで細められた目の奥に、はっきりとした意図が見える。


 ――――――ふうん?


 「ええ。僕も白邦なので千早さんとも面識はあります」

 「それは良かった」

 「何故ですか?」

 「千愛理さんの価値を見誤っていたのかと思いまして」

 「……千愛理の価値?」

 「ええ」

 花菱佑介は、口を斜めに笑んで告げた。

 「千愛理さんを手に入れても、花菱は決して手に入りませんよ?」

 「――――――え?」

 、それらしく聞き返して見せた遊び半分の僕とは対照的に、周囲の空気は複雑に揺れていた。

 「……すみません。僕の日本語の解釈がおかしくなければ、千早さんが相手なら、花菱が手に入ると聞こえますが」

 「ええ。その積もりでお伝えしました」


 ――――――花菱佑介、どこまで本気?


 「……花菱社長」


 少し考えて、僕はゆっくりと言葉を綴った。

 「これは僕の初恋です。花菱という存在が、果たしてその価値に見合うのかどうか、花菱の面々を前に失礼かもしれませんが、――――――正直、悩むところです」


 僕の発言に、おおよその人達は眉を顰めた。
 自分達が魂を張って守っているグループ会社の価値を、一人の女の子と比べられるのは正直不本意だと思う。

 立場と状況、タイミングが変われば、僕も似たような反応をする筈だ。
 そんな僕の心情を揺らす気でいるのか、花菱佑介は淡々と言葉を紡いだ。

 「初恋……なるほど。ビジネス手腕は卓越していても、女に初心うぶであれば、直ぐに打算的になれないのも仕方ないのかもしれませんね。初恋を失った痛みはいずれ薄れても、チャンスを逃した後悔は金額に換算できませんよ?」

 「後悔の値段……ですか。――――――けれど花菱社長。それと同じように、彼女を想うこの胸のときめきにも、僕は値段がつけられない」

 僕のその応えに、花菱佑介は僅かに目を見開いた。

 「まだ始まったばかりでこの有様です。これから先、男女が進むべきプロセスを経て、もっと深い繋がりを持った時、果たして僕は正気でいられるか自信がありません。今でこそ、この腕の中に閉じ込めて、どこにも出したくない程なのに」

 千早と向き合って何かを話し合っているらしい千愛理の姿に、意図しなくても微笑みは零れる。


 「まあ……」
 「なんて情熱的かしら」
 「やっぱり向こうで育った殿方は変わりますわね」


 ご夫人方のため息に、そうかな、と首をひねりたくなる。

 これは、男性が女性を愛する時に感じる最低ラインの欲望だと思う。

 僕と出会って、千愛理は変わった。

 僕が気づいていなかっただけで、僕への恋心を募らせて、まるで蕾が弾けるように、千愛理の"女性"としての魅力が全身から滲みだしている。

 初めて彼女を目にした時、まるで子供のようだと思っていたのに、今はもう、他の誰よりも、僕を惑わせる存在になった千愛理。


 自分が攻撃される事には強く、けれど大事な人にそれが及ぶ事には耐えられない。
 外見は柔らかく揺れる花のようで、その内側はダイアモンドのように硬い何かを持っている。

 これから先、色んな事がある度に、新しい千愛理を見て、愛しんで――――――、

 「1年、2年、僕の愛を受けて時を重ねる彼女がどんな女性へと花開いていくのか、そして、その傍に在りたいと願う僕が、どんな人間になっていくのか――――――、男として、僕と彼女とでしか見れない大きな未来を期待するのは当然の事だと思います。そしてそれに価値をつけるなんて、どんな換算ソフトを使っても、やっぱり僕には出来そうもない」


 ふと、僕は大輝に見せられていた資料の一端を思い出した。
 千愛理から目を離し、花菱佑介へと視線を合わせる。

 「……社長とご夫人も、確か学生時代からの恋愛結婚だったと聞いています。お二人も、そのように将来を夢見る所から始まったのではないのですか?」

 「!」

 「そして千愛理のご両親も、短かったかもしれませんが、きっと素晴らしい時間を重ねたのだと、彼女を見ればわかります。――――――そうですよね? 会長」

 僕は、ここで初めて花菱会長へと目線を向けた。
 会長は、光と湛えた目尻を下げて、

 「うむ」

 と深く頷いただけで、

 「もういいじゃろ、佑介」

 それ以上の追随を花菱佑介には許さなかった。





 「すまんかったの」

 人払いをして周りに誰も居なくなると、花菱会長は徐に切り出した。

 「あやつも、花菱に運命を流された子じゃからな。あれでも、千愛理の事を昔から変わらず気にかけている一人でもある」

 「……」

 会長の視線を追うようにして、佑介氏の存在を確認する。
 夫人と見受けられる優しそうな女性と、シャンパンを飲みながら楽しそうに語っているその姿。

 ――――――千愛理の母である花菱香澄が、一族の方針通りに婿をとって政略結婚を呑んでいたなら、彼はただ、好きな人と幸せな結婚をしただけの、恐らくは部長クラス、きっと今より、もう少し責任の重くない場所で、その分ゆったりと、家庭人としての時間を過ごせた筈の男……。

 「当時……、香澄の恋が色んな事を少しずつ変えた。だが、果たしてその事で香澄一人を責められるかどうか、親としてそれは忍びなかったのう……。決まり事ありきでこそ責められる話……。――――――今時、家の為にと結婚を決められとる事のほうが世間から見たら"おかしい"んじゃろうがな、あの頃は、それに逆らえない風潮がまだ色濃い時代じゃった」

 フン、と繕うように咳払いをした会長に、僕は曖昧な笑みしか返せなかった。

 確かに、一昔前と比べると一族の繁栄のための戦略的結婚は随分と数を減らしたと思う。
 それでも、小さい頃から婚約者がいる女性ひとは、アメリカの社交界でも未だに多いのは紛れもない事実。
 僕の脳裏を、ロスで出会った、マリアをはじめとした何人かの女性達の顔が過っていく。
 この腕に抱いた事がある彼女達の中には、家同士の繋がりを超えて幸せな結末に微笑んだ女性ひともいれば、最初から最後まで、涙に溺れていた女性ひともいた――――――……。

「香澄は、長としてのワシを守る為に、話し合うことはせず、家を捨てるという荒業で、全部一人で非難を持っていきおった」

 ――――――え?

 思わず会長を見つめ直す。
 その皺に囲まれた深い眼差しには、複雑な光が揺れていた。

 「ワシがグループの実権の半分を弟に移譲し、直系から香澄を外す算段を付ける為に基盤を固め直すまで数年。その間、香澄と修君には矢面に立ってもらったと言っても過言ではない。……せめて修君の仕事に影響が出ないよう目を光らせる事で精一杯じゃった。気が付けば、香澄は病魔に侵され、一族からは孤立し、何もかもが手遅れになったという現実しか残っとらんかった」

 淡々とした語り口調だけれど、どれだけの後悔が籠められているか、千愛理を見つめる目の優しさに窺える。

 「……」

 重くはないけれど、大切だと思える沈黙の時間が、僕と会長を完全に包んだ時だった。


 「――――おお、そうじゃ」

 空気を切り替えるように、会長は、まるで僕を戒めるような厳しめの皺を顔に刻んで見上げてきた。


 「今夜の事、おさむ君には、話は通しておるんじゃろうな?」

 「――――――え?」

 まさかそれが、会長に言及される話題になるとは思ってもいなかった僕は、どうやら完璧な表情をつくる事に失敗していたみたいだ。

 「どうなんじゃ? 急な出張でパーティには来れんと連絡があった時、千愛理は大切な人と行くようだからよろしく頼むと、修君はそう言っとったぞ?」

 「……」

 佐倉修。
 千愛理の父親の名前。

 会長から放たれ続ける鋭い眼光に、僕は大袈裟に肩を竦めて見せる。

 「……修氏には、娘さんをエスコートさせていただくと、電話で挨拶を」

 「そうか」

 「まだ千愛理には内密に」

 「ふむ、そうか……」

 満足気に目を細める会長に、僕はらしくなくホッと息をつく。


 ―――――大輝のアドバイスに従って、修氏に連絡しておいて良かった。

 ちゃんと意志を確認し合って一緒にいようとする男女に、ここまで干渉するのは、日本では普通なのかな―――――?


 "大事にする"のとは違う、"礼を尽くす"という日本の言葉の意味を、もう少し理解する必要があるみたいだ。


 真剣にそんな事を考えている僕の視界の隅で、ふと、"シグナル"を見た気がした。
 注意しながら、さりげなく辺りを見回すと、人影に埋もれるようにしてひっそりと存在していたウェインが、重要項目の確認サインを送っている。

 重要項目。

 ハッとして千愛理を見る。

 そこには、千早に紹介を受けながら何度か頷いて、目の前の男に請われるままに右手を差し出している千愛理がいた。
 ちょうど、男の掌が千愛理の指先を取り、儀礼的にその甲にキスをしようとしている場面だ。


 「……ほう。あれはそちの算段か?」

 会長の言葉に、僕は正直に首を傾げた。

 「ソチ?」

 「――――――おぬし、……Youの作戦か?」

 "You"と言い直してきた会長に、思わず笑いが零れる。

 「あの花の事ですか?」

 「そうじゃ」

 「ええ、もちろん」

 また笑みを重ねた僕に、会長は肩を震わせるように小刻みに笑った。

 「面白い男じゃ」

 「……褒め言葉、でよろしいんでしょうか?」

 「まあ、それでよい」


 そんなやり取りを続ける間にも、一人、また一人と千愛理の前に男達が並ぶ。

 「……会長、失礼させていただいても?」

 僕の言葉に、背後に控えていた亜里が珍しく何度ものどの調子を整えるように鳴らし、それを見ていた会長の笑いに拍車をかけた。

 「くくくく、良いぞ」

 「……失礼します」

 一礼して、僕は千愛理へと歩き出す。

 柔らかいピンク色の生地に、オレンジとグリーンのオーガンジーのドレス姿。
 華奢な肩を隠すように羽織った異素材合わせのストールから伸びた手の先には、爪に咲いた愛らしい花。

 誰かに挨拶をされる時、キスが留まる事を目的に咲かせた花だ。

 作戦勝ちは良かったけど――――――、


 花菱の面々、掌返し過ぎじゃない?


 千愛理に群がる人混みに、身体を割り入れようとした時だった。


 「社長」

 背後から付いて来ていた亜里が、急に僕を呼び止め、目の前に僕のスマホを差し出した。

 「着信中です。"Stella"照井と表示されていますが、例のアプライザーでは?」

 「! ありがとう」

 歓喜に飛び跳ねた心のまま、素早く受け取って応答する。

 『あ、社長? 今ホテルの前に到着しました。別館の会場までこのままお持ちしてもよろしいんでしょうか?』

 その言葉は、無理難題をクリア出来たという"答え"で、

 「頼めるかな?」

 業務でもないのに、散々急かしたあげく、こんなところまで来させてしまっているけれど……、

 『もちろんです』

 「ありがとう。入口まで僕も向かうから」

 『助かります。ビジネススーツじゃ、そこの敷居は高すぎますから』

 ふふ、と漏れ聞こえる照井さんの笑い声。

 「それじゃ、後で」

 『はい』

 個人的な頼みにも関わらず、嫌な印象を微塵も感じさせずに継続してくれる寛大な対応に、そんな彼女と縁があって一緒に働けているという誇らしい気持ちが湧き上がってきて、意図せずに気分が高揚する。


 「亜里、少しの間、千愛理をよろしく」

 通話を終えてそう言った僕に、

 「ぇ?」

 「ちょっと取って来たいモノがあるんだ」

 「――――――承知いたしました」

 少し驚いたような顔をした亜里も、直ぐに眼鏡の縁を指で押し上げながら、コクリと頷く。
 色んな人に話しかけられながら戸惑っている様子の千愛理は、それでも、千早と悪くない雰囲気で笑い合いながら会話を交わしていて、きっと健斗への想いの事を打ち明けられたんだろうと思った。

 僕が歩き出すと、遠目に見守っていたウェインも動き出す。

 花菱の主だった面々と挨拶を交わしていたと周知されたからか、人の集まりを避けて会場を突っ切る僕を眺める眼差しには、数十分前とは全く異なって、怪訝な雰囲気はほとんど見受けられなかった。



 「社長!」

 既に静まり返ったエントランスを抜けると、路樹を彩るイルミネーションを背景に、今日は珍しく、紺色のビジネススーツ姿の照井さんが乗降スペース近くに立っていた。

 「照井さん」

 「お疲れ様です」

 「うん。ごめんね。わざわざ来てもらって」

 「いいえ、関わらせてもらって嬉しかったですから。――――――どうぞ」

 そう言いながら、照井さんがバッグの中から取り出したシェル型のジュエリーボックス。
 クリーム色のベルベットで作られたその箱を受け取り、上下を両手に包むように持って、パカリと開ける。

 「――――――うん、いいね」

 僕の言葉に、照井さんがホッと笑った。

 「良かったです」

 「ありがとう、照井さん」

 「はい」

 出来に自信を覗かせる照井さんの成果物は、まるでジェリービーンズのように光沢のある綺麗な桃色。
 火焔模様が少なく、プラチナに刻んだティアラのようなデザインの土台に小さなツメでコンクパールがセットされたそのネックレースは、千愛理の胸元に絶対に映えると思う。
 ティアラから左右に伸びる小花の彫刻デザインも、千愛理にピッタリだと思った。

 ケリの恋人である天城アキラが、僕にアレキサンドライトの加工を依頼した時、付き合っている振りをしている千愛理の事が不意に過って、思わず千愛理のイメージだったコンクパールを一緒に頼んでいた。

 思えば、きっともうその時から、千愛理は僕のこころの何処かに住み着いていたんだろう。


 「――――――それ、佐倉さんにですよね?」

 「……え?」

 その桃色の輝きから目を離して、ゆっくりと顔を上げる。
 するとそこには、今まで見た事も無いような笑みを口許に携えた照井さんがいた。

 「2号店に佐倉さんがアレンジに来てた時、社長、向こう側の道路に、居ましたよね?」

 「……」

 日本に来るタイミングで車は買い換えたけれど、2、3度社に乗り付ければ、今の僕の専用車の車種くらいは直ぐに判るだろうし、運転席にはウェインが居るから、それも目印になる。
 だからといって、たまたまアレンジ中に僕がそこに居たからといって――――――、千愛理との関係を結びつける要素は、照井さんには無かった筈だ。

 僕が通っている高校の事は、桝井さんしか知らないし……。

 「私、社長の車だ〜って思ってたんですよね。珍しいなぁって。そんな事考えながら店に入って、あの佐倉さんのディスプレイ見て、何となく、佐倉さん、辛い恋をしてるのかなって気づいて――――――。前に、一晩限りの恋が出来る人からすれば自分はお子様なんだろうなって寂しそうに話してたのを思い出して、ピンときちゃったって言うか……」


 ……一晩限りの恋をする人って、もしかして僕――――――?


 一応、節操は持って相手してきたつもりだし、複数が重なっていた事もあったけど、それは相手がそれを望む傾向がある時だけだった。
 一晩限りなんて、マリア以外に覚えはない。

 「照、」

 「宝石言葉」

 僕の言葉を、タイミング的に遮った形になった照井さんは、それでも珍しく、優先を僕に譲らなかった。

 「――――――え?」

 「佐倉さん、ルビーの宝石言葉を聞いてきたんです」

 「……」

 思わず、耳に着けたルビーのピアスに指先で触れた。

 3月生まれの僕は、誕生石はアクアマリン。
 名前の由来は、漢字にふる方のルビで、

 "ルビー"は、僕の母親であるケリの誕生石だった。


 僕はケリの守り石。

 それは、幼い頃からの誓い。
 父親である"あいつ"から虐げられて来たケリの存在を、まずは僕が認めるところから、ケリの精神の崩壊を引き留めていた。

 僕が護るよ――――――。


 ルビーの石言葉は、情熱――――――……。


 そして、"疑惑の愛"


 息子として僕がどんなに愛を注いでも、ケリが縋るのはいつも"あいつ"からの愛だけで……。

 表面では、愛していると囁きながら、けれどケリの一番は僕じゃないと、ずっと打ちのめされていた。
 直向きな愛の振りをして、なんて醜い愛なのだと、僕はいつも、自分自身を否定してた。

 マリアに置いて行かれたあの朝、僕には、やはり僕だけの愛は存在しないのだと、……涙が止まらなかった。

 僕が抱いているつもりで、本当は抱き締めてくれていた女性達は、そんな僕に"愛する"という役目を与えて、僕を慈しんでくれていた。


 ……マリアとの再会でそれが理解出来た今、


 そして、千愛理という存在を見つけた今――――――、


 僕は、このルビーの意味に、もう心を痛める事は無いと思う――――――。


 「あの、……社長?」


 黙り込んだ僕に、照井さんが不安気な顔を向けていた。
 ハッと現実に戻った僕は、ゆっくりと首を振って続きを促す。

 「ルビーの石言葉は、情熱、だね。千愛理にそう言ったの?」

 「あ、……はい」

 千愛理、と僕が呼んだ事に対してか、照井さんが嬉しそうに頬を緩めた。

 「最初は凄く、複雑に揺れてましたけど、なんだか、納得がいったように笑ってました」

 「そう」


 千愛理の顔が、直ぐに見たいと思った。

 僕の事を、どんな風に感じていたのか、千愛理の唇から聞かせて欲しい。
 出来れば夜通し、この腕に抱きながら――――――。


 「それから私、」

 幸せに浸りきっていた僕に、照井さんが悪戯っぽく笑って告げる。

 「そのコンクパールの石言葉も、ちゃんと伝えておきましたので」

 「え?」

 「それじゃ。私もこれからイブの食事会なんです。もう失礼しますね、社長。よいクリスマスを」

 「あ、Have a Happy Christmas!」

 「You too!」


 コンクパールの石言葉――――――。


 急ぎ足の照井さんの姿はあっという間に夜の空気に溶けて消えて、残された僕には、切り上げられてしまった会話の余韻だけが残されていた。

 このネックレースを受け取った時、千愛理はそれにどう答えてくれるんだろう?


 また、恋を灯した涙目で、僕を煽るように見上げるんだろうか。

 甘えるように僕の袖を掴んで、僕のキスに応えてくれるんだろうか――――――。


 参ったな……。

 想像するだけで、火照るように顔が赤くなってしまう自分が、とても良く分かる。

 少し離れた場所に居るウェインの方は、暫く向く事は出来ないと、スノウアロウズの本館のイルミネーションへと遠く視線を向けて、冷たい夜風に頬の熱を逃がそうと向き合ったときだった。


 【ルビ……?】



 僕を呼ぶ、甘い声。

 そして、覚えがある甘い薫り――――――。



 顔を向けると、そこには、懐かしい美しさが佇んでいた。

 流れる絹糸のような腰までの金髪。
 真っ青な瞳、奥ゆかしい目の光と、そして、僕を天使だと、どこまでも優しく崇拝し、愛してくれた女性ひと


 【イライザ……】


 何か月か振りに、僕はその名を口にしていた――――――。








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