小説:クロムの蕾


<クロムの蕾 目次へ>


PINKISH
EMBRACE




 【こんな日に……素敵な偶然ね】

 僕の存在を、夜目にもはっきりと分かる青い眼差しで、足元から確認するように見つめながら言ったイライザの声は、ほんの少しだけ震えている気がする。

 こんな日――――――と言われて、今夜が聖夜イヴだと改めて思い出した。
 確かに、こんな夜の再会は、フレーズ的には奇跡的だと思う。

 【―――――そうだね】

 そう応える僕の心臓も、歓びで鼓動が早くなった。
 光を湛えて僕を見つめるイライザの、その顔に浮かべる控えめな笑みから窺えるのは、僕と出会う前よりも、そして、僕と過ごしていた時よりも、

 【……とても、綺麗になったね、イライザ】

 心から、そんな言葉が素直に零れてしまう程の、煌めく美しさ。

 【……ありがとう】

 頬を染め、髪を耳にかけた彼女の薬指に、キラリと光る金の指輪。

 【もしかして、結婚した?】

 僕の問いに、小さく頷くイライザ。

 【例の、彼と?】

 もう一度頷き、幸せそうに目を細めたイライザの金の髪が、さらりと夜風に攫われる。
 金髪にも色々あるけれど、彼女のは輝くような月の金の色だった。

 黒いシーツの中、僕が動く反動で彼女の髪が揺れる光景は、あの頃の一番のお気に入り。
 行為中、僕の顔を正面からは見れないと、いつもバックから愛される事を願っていた彼女の髪の先から、愛撫ごとに零れ落ちていた光の片鱗は、僕を何度も高みに誘った。

 そんな彼女が、誰かに愛し愛されて幸せそうにしているこの現実は、僕が、これまで愛してきた女性達の未来に訪れて欲しいと願っていたもの。

 【イライザ、君がそんな風に幸せそうで、とても嬉しい――――――】

 【ルビ……】

 青の目が、まるで水底のように揺れる。

 僕と出会う1年前、幼い頃からの婚約者を亡くしたというイライザは、出会った時、まるで抜け殻だった。
 美しい器の中にある筈の魂は、その彼に手を引かれたままで……。

 お互い、たまたま招かれたパーティでホストの夫婦を介して紹介され、僕の顔を見るなり、

 "天使が迎えにきてくれたの?"

 そう呟いて真珠のような涙をハラハラと落とし、微笑して泣き出したイライザを、パーティ会場の上のホテルの部屋に連れ出したのが関係の始まり。

 【ルビは――――――?】

 【え?】

 【ルビは、今、幸せ?】

 僕を過ぎて行った女性達が、僕に与えていたのが母性本能だというのなら、イライザもきっと、身体の温もりを求めながら、母親ケリの愛情を無意識に求めていた僕に気付いて、それに応えてくれていたんだろう。

 【僕は―――……】

 真っ先に千愛理の顔が浮かんで、そして、肯定に頷こうとした時だった。


 小さな咳払いと共に、視界の隅で動くウェインの気配。
 振り向くと、そこには千愛理が立っていて、

 ああ、まただ……。


 それは、僕を嬉しくも、切なくもするもの。


 「千愛理」

 透き通った冬の夜の中に、僕が彩った一輪の花が揺れていた。


 そして、

――――――千愛理は今、嫉妬に塗れた自分を責めている。


 独占欲を示した、ブラックバカラを僕の胸に挿した時と、同じ顔――――――。


 "ごめんなさい、ごめんなさい"

 自分で思う羞恥に追い詰められ、今にも壊れてしまいそうだ。
 その姿は、ある種、官能的にすら思えてしまう、

 ――――――切なく僕の存在を求めながら、けれどそれを自重して、"負"を出さずに控えようとする彼女の美徳……。


 いじらしくて、愛しさが込み上げて来る。

 そんな千愛理の様子に、魅入られたように動けずにいると、不意に、千愛理の片方の足が、カツリとヒールを鳴らして半歩下がった。


 逃げる。


 思った瞬間には、

 「千愛理」

 反射的に呼ぶ事でそれを制していた。
 冷たさに冴え澄んだ夜の空気を、はっきりとした僕の声が響き渡る。

 「――――――おいで、千愛理」

 戸惑った様子の千愛理は、しばらく茫然と僕を見つめていたけれど、それでも、まるで幻惑されたかように、ぼんやりとした足取りで近づいて来た。

 千愛理にとって、迷惑でしかない話だとは思うけど、これまで僕が相手をしてきた女性達の数を考えれば、この未来さき幾らだってこんなシーンと向かい合う事になる筈だ。
 彼女達と出会ったのが社交会の場である以上、この先も、それを100%避けて通る事は難しい。

 そして、その現実はきっと、千愛理が僕に心を寄せる分だけ、これから何度だって、深く千愛理を苛む事になる筈だ。

 ――――――ケリ……。

 僕の脳裏に、母親であるケリが、"あいつ"の愛人の影をる度に俯いていた過去の情景が、はっきりと蘇っていた。


 「――――――千愛理」

 傍にやってきた千愛理の腰を、しっかりと腕に抱いて引き寄せる。
 どれくらい外に出ていたかは知らないけれど、ストールを肩にかけただけのドレス姿の千愛理の身体はすっかりと冷え切っていて、

 ――――――あまり長居はしたくないな。


 出来れば今すぐにでも温かい屋内へ連れ戻りたかったけど、さっきの千愛理の様子と僕の推測を統合すると、このままこの場を去る事は、今後の僕達にあまりいい結果は齎さないと判断出来た。

 きちんと、僕にとって価値ある存在が誰なのか、千愛理自身が納得して、それを噛み砕いて呑む必要がある。


 そのためには――――――、

 思案の途中、ふと、イライザと目が合った。


 【……ルビ、その方は?】

 空気を読むのが上手かったイライザは相変わらずで、優しく目を細めながら、流れを促すように尋ねて来る。

 【――――――彼女は僕の恋人の千愛理。―――――千愛理、彼女はイライザ】

 「……」

 千愛理は、無言のまま会釈をするだけで、口を開こうとしない。
 ただ、僕が傍に呼ぶというこの行動アクションに少しは安心出来たのか、浮かべた笑みは僕が知る限り、千愛理らしいものだと思った。

 イライザもそれに笑みを返すだけで、特に何かを言いたそうな素振りも無い。


 ――――――ああ、これでいいんだ、きっと。


 僕の心が、迷いなく千愛理を向いている事を伝えられれば、過去と相対する現状は終了。
 取り繕って仲良くして欲しいとも思わないし――――――。


 【あなたも幸せそうで良かった、ルビ】

 そう祝福を紡いで微笑んだイライザの青い目が、次の瞬間、すっと僕の背後に焦点を絞った。

 【―――――夫が迎えに来てくれたみたいだから】

 釣られて振り返った僕と千愛理の眼に映ったのは、黒のコートを着た、遠目にも輝く、明るい金髪を持つ男。

 "例の彼"

 ずっとイライザの傍にいた、小さい頃からの幼馴染。

 僕は、何も知らない他人だからこそイライザの心の闇に無造作に入り込み、
 繋いだ身体からイライザの頑なさを解したけれど、きっと、僕がいなくても、長い時間をかけてイライザを眠りから目覚めさせたかもしれないひと――――――。

 表情は見えないけれど、彼にとって、僕とイライザのこの再会は、千愛理とはまた違った意味を持っているのかも知れないと思った。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。