小説:クロムの蕾


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PINKISH
EMBRACE


 ホテルのクリスマスイルミネーションをバックに、夜風に靡く金髪が美しい、

 ……過去に、ルビ君の腕に抱きしめられて愛されたかもしれないその女性ひとは、とても優しい目であたしを見た。

 その青はまるで、"Stella"のガラスケースの中に見た最高級のサファイアのようで、けれど、あの石独特の冷たさはなくて、――――――どちらかというと、……多分口にしちゃうと失礼かもしれないんだけど、


 "素敵な恋をしてね、千愛理"


 そう言って微笑んだママの顔と重なったから、とても不思議な感覚……。


 【彼女は僕の恋人の千愛理。―――――千愛理、彼女はイライザ】

 あたしの腰に片腕をしっかりと廻して、"恋人"という明確な単語であたしを包んでくれるルビ君。

 これはきっと、あたしに対するルビ君の思いやり――――――……。


 でも、……なんて、挨拶すればいいんだろう?

 はじめまして?

 こんばんは?

 ……お会い出来て、……


 ……――――――出来れば、こんな出会いは無くても良かった気がしないでもなくて……。

 あたしがそんな仄暗い事を考えているとも知らないイライザさんは、あたしを見てふわりと微笑んでくれる。


 「……」

 居た堪れなくなりながも、言葉もないまま会釈をして、


 ――――――あれ?


 あたし、この眼差しを知ってる……。



 複雑で、切なそうで、――――――でも、とても優しくて、




 "あなたも、きっとすぐに、花咲くように綺麗になるわ――――――"



 ……ぁ、



 ……沙織、先生……?



 顔が似ているわけでも無いのに、どうして――――――?



 イライザさんと見つめ合ったのは、ほんの数秒。
 その結果、何故だかあたしは、抱き寄せてくれるルビ君の腕の温もりが素直に信じられて、


 ――――――ふと、僅かに頷いたような気がしたイライザさんに、自然と、笑みで答えを返していた。



 【……あなたも幸せそうで良かった、ルビ】

 その言葉の齎す意味は、イライザさんも、今、幸せだという事で、

 でも、なんだかそのやり取りは、二人にしか分からない秘密の合言葉みたい。

 こんな事ですら、あたしは――――――……、

 「……」

 俯いたと同時に、あたしの腰に廻されていたルビ君の腕に優しく力が込められる。


 ――――――え?


 密着した存在の温度から、何かが感じ取れそうな気がした時だった。



 【―――――夫が迎えに来てくれたみたいだから】

 あたし達の背後に視線をやったイライザさんの声に誘われて、ルビ君と二人、思わず後ろを振り返ると、そこには、金髪を輝かせ、黒のコートに身を包んだ男の人が立っていて、

 【それじゃあ、素敵な聖夜イヴを】

 【ありがとう、イライザ。君もね】

 ここから離れる事を一瞬も迷わずに、その旦那さんの方へと去って行ったイライザさんの後姿を、あたしは時間が止まった世界に取り残されたような感覚で見つめていた。

 直接会話をしていないけれど、どうしてだか、凄く意味のある出会いだったような気がするのは、……この心にある小さなシコリみたいなものが、醜くない……、"綺麗なもの"だと、思いたいからなのかな……?


 「……彼女、結婚したんだって」

 「え?」

 突然そんな事を言って、向き合うようにあたしの身体を動かしたルビ君は、そのトパーズ色の眼差しであたしを意味深に見下ろしている。

 「……」

 その言葉がどういう意味で紡がれたのか、あたしは必死になって考えてみて、


 "もう結婚してるんだから、僕とは関係の無い人だよ"

 もしかして、そう伝えたいのかと至ってしまった。


 ――――――でも、


 「沙織先生も、既婚者……だし」

 ポロリと零れたあたしのセリフに、ルビ君の瞳がハッと見開かれる。


 「……」

 それは、あたしが想像していたものとは全く違う反応で、


 「あ、違うの、」

 慌てて首を振る。
 ルビ君の事だから、あたしをからかう様な不遜な笑顔で、

 "知ってたんだ。……ヤキモチ?"

 なんて――――、そんな感じで軽く躱してくると思っていた。


 まさか、こんな顔をさせてしまうなんて……、


 眉尻を下げたまま固まってしまったルビ君に、あたしは、強い自己嫌悪に心を上から押されてしまって、下を向いたまま動けなくなる。

 どんな言葉ならこの状況をフォロー出来るのかと、ぐるぐる考えを巡らせていると、


 「――――――千愛理」

 あたしの右手をとったルビ君は、そこに咲く小さな花に、そっと唇を寄せた。

 「……言い訳はしない」

 「……」

 「沙織先生の事、千愛理が知っていた事には驚いたけど、……少し前に、関係はちゃんと終わってるんだ。今は、――――――これからは、僕にはずっと千愛理だけだから」


 "千愛理だけだから"

 その言葉よりも、肯定がはっきりと込められた内容に、あたしの心臓はバクバクしていた。
 今までは、全部あたしの推測で、想像で、拾った現実のピースがそう示していただけで……、

 なのに――――――、

 ルビ君と沙織先生が"そういう関係"だったという事が、今のルビ君のセリフで明確になってしまった。


 そして、

 その"少し前"というのがいつの事なのか、

 屋上で、あたしがルビ君に想いを告げたあの日……、廊下から見た、胸が潰れそうなほど悲しくて、寂しくなるくらいにお似合いだったあの時の二人の姿が、その話をしていた時なのかな……?


 色んな情景が思い出されて、
 何だか、全てが現実味を帯びてしまって…………、


 「千愛理」

 少し強めの口調で名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。
 そこには、さっきと同じ、まだ少し困ったような表情をしたルビ君がいて、


 「――――――ほんとに、ごめんなさい、あたし」


 過去の事を、まったく気にならないと言ったらウソだけど、それをどうこう言う気は全然なくて、


 ただ、ちょっと、


 "あの方と噂になったのは、いつも魅力や才能溢れる、年上の女性ばかり――――――"


 マリアさんも、イライザさんも、そして、沙織先生も……、
 みんな綺麗で、大人の女性過ぎて……、


 「……芯はとても強いのに、僕に恋をした千愛理は泣き虫だよね」

 「――――――え?」


 耳朶にキスをされて、突然、キュッと抱き締められる。

 「泣き顔も可愛いけど、やっぱり僕の本意じゃないかな」

 クスクスと笑いを含むルビ君の唇が、あたしの首筋に下りて来る。

 「ルビく、え?」

 首の後ろに感じるルビ君の指の動きに合わせて、リップ音がまた耳元に戻り、頬を伝って、

 「ちょっと待って、ル、」

 言いかけたあたしの唇を塞ぐように、ちゅ、とキスをされてしまった。

 「ル、」

 ちゅ、

 「ルビく」

 ちゅ、

 何度も何度も、あたしの唇に軽くぶつかってくるルビ君の唇。

 時々、冬の風に乾いた唇同士がひっついて、離れる時にそれが引っ張られる感触が、なんだか、どうしようもなく恥ずかしくて、それが齎す擽ったい感触が、寒さに凍っていた身体をあっという間に火照らせてしまった。


 ウェインさんも、亜里さんだって近くに居るのに――――――、


 「ルビ君、あの、」


 身体を捩って、必死で後退しようとした、その時――――、


 「merry christmas」

 あたしを見つめてそう囁いたルビ君の瞳が、まるで星のように輝いた。


 「――――――え?」


 シャラン……。

 目の前に出されたルビ君の掌の中から、空に浮いたように揺れているのは、まるでジェリービーンズのような光沢のあるピンク色の丸い粒を中心にした、とても綺麗なネックレース。

 「千愛理に似合うと思って作らせたんだ」

 銀色の彫刻に乗せられた可愛らしいそれには、とても見覚えがあって……、


 「――――――コンク、パール……?」

 「うん。そのドレスにも似合うと思うから、着けていい?」

 「……ぇ」

 まともな返事も出来ず茫然とするあたしの首の後ろに手を廻して、まるで抱き締めるような体勢のまま、ネックレースを着けてくれているルビ君の次の言葉を硬直して待つこと数十秒の間、あたしの頭の中は、現実に追いつきたくて必死で、


 「――――――うん。似合ってる」

 あたしの胸元を見て満足気に頷いたルビ君の指が、そっとそのネックレースのラインをなぞってきた事を切っ掛けに、目を覚ましたように顔を上げる。


 「……ルビ君……?」

 「ん?」

 「どう、して――――――?」


 だって、

 だって"これ"は、


 ……このコンクパールは――――――、


 「照井さんから聞いたんでしょ?」

 あたしの問いに、直接ではないけれど、それでも明らかな答えを出したルビ君。



 "イブに間に合わせて欲しいって、社長に頼まれて、今超特急で加工中"

 『千愛理に似合うと思って作らせたんだ――――――』



 つまり、


 「"Stella"の社長って、ルビ君……?」

 「うん」

 今度は、悪戯っぽい意味も含んで、コクリと頷いてくる。


 それじゃあ、

 「……ずっと、知ってたの……?」


 あたしが、"Stella"でフラワーアレンジしてる事を……?

 困惑したあたしの質問に、ルビ君は、少しだけ顔を横に振ってそれを否定した。

 「知ったのは、千愛理が2号店のアレンジをしてる時……」

 「――――――あ」

 だから……、


 ストック、ブラックバカラ、オールドダッチ、クリスマスローズにコキア。
 心に引っ掛かっていた、どうしてルビ君がブーケにあの時と同じ花を選べたのかという疑問が、するすると思考を抜けていく。


 「そのコンクパールは、僕の誓い」

 「……え?」


 スノウアロウズの庭を、さやさやと風が駆け抜けて、ルビ君の、クリーム色の近い金髪がふわりと揺れた。


 それと同時に、照井さんの言葉が蘇る――――――。


 "コンクパールにももちろんあるの、石言葉"



 「ルビ君――――――」

 「もちろん君自身にも誓うよ」

 そう言いながらしゃがみこんできたルビ君の頭のテッペンが、何故かあたしの眼下にあって、


 ――――――え!?


 コンクパールを間近で見たかったのかと思ったら、


 「や、ルビく」

 肌に感じる感触で、ルビ君の唇が吸い付いているんだと理解したあたしは、思わず体を引こうとしたけれど、ルビ君の手はあたしの両肩をしっかりと掴んで揺るがない。


 「……ッ、」

 ルビ君の舌が、唇が、口内に含んだ肌に吸い付いてモゾモゾと動くたびに、熱い息がかかってくる。

 ずっと一点に集中するその行為に、

 「ぁ」

 体中に、軽い痺れが走りそうになった時だった。


 「――――綺麗についた」

 「……ぇ?」


 満足そうにクスクスとした含み笑いのルビ君と、どこからともなく、脳に、……身体に押し寄せてきたさざ波にのまれそうになって、すっかり涙目になっていた自分との差があまりにも恥ずかしくて、

 ルビ君が離れると同時に、ひんやりと感じられたその一箇所を、両手で覆うようにして慌てて隠す。

 ……綺麗についたって、何が――――――?


 尋ねたいのに、口にしたいのに、


 「好きだよ、千愛理」


 ルビ君の囁きが、あたしの心に入ってくる。

 声が、眼差しが、動かないでとあたしを刺してくる。

 「ルビ君……」


 両耳にルビ君の掌の温りが当てられて、導かれるように上を向かされたあたしの視界には、今にも、唇が触れ合いそうなくらいに近づいてきているルビ君しか映っていない。


 「早く僕に盲目になって」

 「ルビく」



 "コンクパールの石言葉はね――――――"



 「僕の言葉だけを信じて」

 額に、

 「僕の声だけを聞いて」

 瞼に、

 「僕だけを見つめていて」

 鼻先に、



 少しだけ突き出したルビ君の唇から、優しいキスが繰り返し落とされる。



 「―――――I treasure you」



 ――――――君が愛しいよ。


 甘すぎる言葉に、じわりと視界が滲んできて、


 「ルビ君……、ぁ」

 開いたあたしの唇に、深く、ルビ君のそれが重なってくる。
 さっきまで乾いていた筈の唇が、いつも間にか動き回るルビ君の舌に濡らされていて、


 「……ん、……ぅ」

 いつかの、屋上でしたようなキスとは違っていた。


 ゆっくりと、呼吸の仕方すら教えてくれそうに、優しくて、それでいて、奥まで探るような深いキス。
 あたしの知らないあたしすら、探し出そうとする恥ずかしいキス。

 ルビ君の舌の柔らかさが――――――、

 あたしとは違う唾液の味が――――――、


 頭の奥をジンジンとさせて、泣きそうなくらいの幸せを齎してくれる。


 どれくらい時間が過ぎたのか、

 「……」

 「……」

 漸く唇を離したあたし達は、額をくっつけたまま、お互いの弾む息を聞いていた。

 直ぐそこにあるルビ君の瞳は、影になってヒマワリは見えなくて、けれど、とろけそうな程の優しい眼差しで、あたしの事を見つめてくれているのは良く分かる。



 "コンクパールの石言葉は、――――――



      ――――――唯一の人"



 唯一の、人――――――。




 「……」


 ルビ君は、愛を語るのに迷いが無い。

 愛をするのにも、躊躇いが無い。



 『僕はね、セックスは最大の愛情表現だと思っているんだ。誰にも見せられない姿を僕にだけ晒して、乱れる声、表情、それらを隠すことなく向けられて、初めてその想いを感じられる……』




 ――――――あたしは……、



 「ルビ君……」


 恋は、なんて醜いんだろう。

 恋は、なんて切ないんだろう。

 そして恋は、どうしてこんなにも、人を欲張りにするんだろう――――――。



 心臓が、あたしを呑みこみそうな程に大きく鳴った。

 それと同じくらい、あたしの内側に住む何かが、強く強く、ルビ君を求めている。



 「あたし、今日は帰りたくない――――――」

 「……え?」


 ルビ君が、小さく息を呑んだのが分かった。

 恥ずかしくて、痛いくらいの鼓動に負けそうで、でも、


 「ずっとルビ君と、一緒にいたい――――――……」

 「……千愛理……」

 「一緒に、いたい――――――」


 ルビ君の胸に添えられた自分の手が小刻みに震えるのを、右手の小さな花に見つめながら、あたしはただ、それに対するルビ君の答えが紡がれるのを、泣きそうな気持ちで、ジッと待っていた。








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