小説:クロムの蕾


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PINKISH
EMBRACE


 「……ふぅ……」


 鏡の中の自分の姿を見つめて、深く、呼吸を繰り返す。

 『そんな顔は誰にも見せられない。――――――見せたくない』

 そう言って、お祖父ちゃんに退席の挨拶をしてくると会場に戻っていたルビ君の言葉の意味が、今やっとわかった。


 ――――――恥ずかしい。


 こんなに、顔を赤くして、目を潤ませたあたしは、自分が知っている自分じゃなくて……。

 ルビ君にしか引き出せない、新しいあたし。


 胸元の、まるでジェリービーンズのような桃色のコンクパールを見つめて、さっきの時間が嘘じゃ無かったと反芻する。


 『今度は、甘い言葉だけじゃなくて、僕の指で、唇で、千愛理の全部を溶かしてあげる』

 耳元での囁きが記憶に蘇る度に、身体がぞくりと反応する。

 『これから、僕の部屋に来る?』


 頷いてしまったあたしは、これから――――――……、


 ……――――――どうしよう。



 胸が、痛いくらいに、ドキドキしてる。

 両手で胸を押さえて、もう一度深呼吸を繰り返していると、


 「……?」


 ふと、コンクパールの位置がずれて、その向こうに、赤紫の痣のようなものが見えた。

 確認しようと思わず下を向いたけれど、コンクパールすら見えない位置で、

 「あ」

 鏡の奥にある個室のパウダールームのプレートに気付く。


 幸い、人の気配が無くて、あたしは急ぎ足でその小部屋へと入って行った。

 鏡に映った胸元を、ジッと見つめる。

 指の先でコンクパールをチェーンごとずらすと、


 「……え?」


 ちょうどコンクパールで隠れる位置に、その粒よりも一回り小さな赤紫の痣が、そこにはあった。

 え?

 なにこれ?

 あたし、こんな痣――――――、



 考えて、


 『……綺麗についた』


 満足気に目を細めたルビ君の言葉を思い出す。


 嘘……これ、


 キ……、キスマーク……?



 かあああああ、と一気に体の熱が上がってしまう。

 鎖骨まで真っ赤になって、心なしか、その跡も目立たなくなった気がしたけれど、


 「ルビ君……」


 あたしを腕に抱きながら、まるで呪文のようだったルビ君の紡いだ言葉を思い出した。


 『僕の言葉だけを信じて』

 『僕の声だけを聞いて』

 『僕だけを見つめていて』



 「……うん」



 覚悟を、決めよう……。

 こんなに、こんなに、大好きなルビ君になら、絶対に後悔なんてしない。



 素敵な恋をしてね――――――。



 そう言って微笑んだママにだって、幸せだよって、ちゃんと報告できる。


 コンクパールの石言葉、


 "僕の、唯一の女性ひと"

 それを肯定してくれたルビ君に、あたしの想いを、全部受け取って欲しいから――――――。


 自分の意志を確かめるようにコンクパールを握ったタイミングで、パウダールームのドアがノックされる。


 「千愛理さん? 社長が会場から出てこられました。ロビーでお待ちです」

 亜里さんの声に、


 ゴクリ、と唾を飲み込んで、


 「はい!」

 気合が入り過ぎて、ちょっと恥ずかしいくらいの返事になってしまった。






 来た時と同じ、本宮家の白いリムジンに乗り込んで帰途についたあたし達……――――――正確には、あたしとルビ君とウェインさん。

 亜里さんは、元々スノウアロウズホテルに宿泊予定だったみたいで、

 『なら、ここで解散。お疲れさま、亜里』

 ニッコリと天使の笑みを浮かべたルビ君に、問答無用で乗車を拒否されてしまった。


 『社長! 無理強いはダメですよ! 千愛理さん! 流されちゃ駄目!!』

 ドアが閉まる寸前まで、そんな(かなり恥ずかしい)事を叫んでいた亜里さん。


 ――――――心配ないですって、返事をしようとしても、ルビ君が掌で口を押えるから、結局お別れの挨拶も出来なかった。


 「ルビ、これからどちらへ?」

 スノウアロウズのイルミネーションを抜けた途端、来た時と同じ位置、つまり、ルビ君の左斜め向かいに座って居たウェインさんが、指示を求めて尋ねてくる。

 「僕のマンション」

 あたしの左隣でそう答えたルビ君に、

 「!」

 僅かに、ウェインさんの眼が驚きに見開かれたような気が、したけれど、

 「それから、三戸部さんにケータリングを頼んでおいたから、後で受け取りに行ってくれる?」

 「―――――承知しました」

 隠し棚を開いて、受話器を取る。

 「自宅へ」


 ……ルビ君の住む、お部屋――――――。


 「ルビ君、ケータリングって……」

 「食事。千愛理も、パーティで何も口にしてないでしょ? 僕もさすがにお腹は空いた」

 前を留めていないコート姿のルビ君は、その合わせから見えるタキシードがなんだかとても雰囲気ムードがあって、大人びていて……、

 「その前に……、食べたいモノも、あるけどね」


 あたしの瞳を覗き込むようにして、トパーズのヒマワリが薄闇の中に悪戯っぽく花開いている。

 ルビ君の指先が、あたしの前髪に触れ、額に触れ、すっと頬をなぞって下りて、唇に止まり、
 ゆっくりと、確かめるように左右に動く感触が、私のどこかを疼かせた。

 「キスしたい。……少しだけ、今食べてもいい?」

 掠れて消えそうな程、吐息のようなルビ君の言葉に、


 「――――――だ、……駄目」

 胸がいっぱいで、そう応えるのだけで必死だった。





 「それでは、私はこれから本宮の屋敷に寄って、――――――2時間ほどで戻ります」

 「……2時間――――――ねぇ」

 「……」

 「……」


 何故か、微妙な雰囲気で目を合わせたまま動かない二人。


 「……あの……、ルビ君?」

 「――――――ま、何時に戻ってきても関係ないか」

 ポツリとルビ君の口から漏れたその言葉の意味が良く分からなくて、

 「じゃあ、よろしく、ウェイン」

 「はい」

 そう応えたウェインさんは、あたし達が認証を抜けて建物の中に入った時点で、やっとリムジンの中に姿を戻した。
 エレベーターを呼び戻す間に、思わず辺りを見回してしまう。

 「……良かった」

 ホッと呟いたあたしに、ルビ君が不思議そうに首を傾げる。

 「何?」

 「あ、あの、本宮のお屋敷が凄かったから、普通のマンションで良かったなって」


 これ以上気後れしちゃったら、もう自分を奮い立たせる言葉が思いつかない。

 そんなあたしに、ルビ君が優しく目を細める。


 「このマンション、一見普通に見えるけど、このエレベーターのボタンをはじめ、全ての操作に指紋登録が必要なんだよ」

 「――――――え?」

 「それに、カメラに向かって決められたサインを出せば、2〜3分でセキュリティが駆けつける。……試してみる?」

 ルビ君の言葉に、あたしは慌てて首を振った。
 それとほとんど同時にエレベーターが降りて来て、

 「行こう」

 繋がれていた手に、更に力が籠もる。

 「7、押してみて」

 中に入ると、楽しそうに言ったルビ君に従って、あたしは「7」のボタンを押した。

 「――――――反応しない」

 呟いたあたしの背後から、ルビ君の腕が伸びてきて、その指先が「7」を押す。
 すると、見知ったオレンジのランプが点灯した。

 「凄い……」

 「ね?」


 耳の後ろから、くすっと笑ったルビ君の息がかかる。

 「――――――明日」

 ドキン、とルビ君の低めの声に胸が鳴った。


 「千愛理の指紋、登録しに行こう」

 「……え?」

 「僕は仕事もあるし、活動の時間が不規則だから、自由に出入り出来た方が、きっとこの先都合が良いよ」


 ちゃんと、未来があるルビ君との話。


 「――――――はい」

 なんだか、苦しいくらいドキドキしているのに、

 その反面、凄く温かくて――――――……。


 後ろから肩を丸ごとギュッと抱き締められて頬にキスをされたあたしは、
 エレベーターの上昇と共に、なんだか沢山の階段を一気に駆け上がったような気がしていた。








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