小説:クロムの蕾


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PINKISH
EMBRACE




 「―――――どうぞ」

 玄関から一直線に僕の部屋へ。
 そのドアを開け、中に招き入れるように手を室内に指し示すと、千愛理が戸惑ったように動きを止めた。

 「コートかして」

 千愛理の腕にかかっていた、まだ温もりの残るコートを半ば奪うようにして受け取り、クローゼットから取り出したハンガーにさげて壁のフックにかける。

 「あり、がとう……」

 消え入りそうな千愛理の声。
 緊張しているのが、その強張った表情から意図しなくても読み取れる。

 薄茶の瞳が、時々、ベッドの方に向けられていた。


 「……何か飲む?」

 「あ……、」

 「ココアは?」

 きっと考える余裕はないだろうと思って、一番簡単に作れるものを提案してみると、案の定、ホッとした様子でコクリと頷いた千愛理。

 「待ってて」

 そう言って指先で微かに頬に触れると、震えるように千愛理の睫毛が揺れた。




 あたしの頬に掠めるようにして指先を触れさせたルビ君は、緊張して声を出すのも精一杯のあたしを見越したように、優しく目を細めてから部屋を出て行った。

 「……」

 パタンと閉まるドア。
 一人になって、シンと静まり返った室内を、思わずじっくりと見回してしまう。

 玄関からこの部屋まで、背中をそっと押されながら歩き進んだ廊下からチラリと見たリビングは、猫足のイタリア家具で揃えられた凄くオシャレな雰囲気で、絨毯やライトは花柄を入れたワイン系が主だったような気がするけれど、

 このルビ君の部屋は、

 凄くシンプル……というか、

 黒いシーツが張られた大きなベッドは端の方にあって、部屋の中央にはパソコンデスク。
 それもパイプとかじゃなくて、しっかりとした引き出しが幾つもついた、重さのありそうなもの。

 健ちゃんの部屋と比べるのはおかしいのかも知れないけれど、やっぱり、普通の高校生の部屋とは、違うような気がする……。


 "Stella"の社長って事はつまり、桝井さんが勤めているR・Cコーポレーションの社長でもあるって事で、

 「……あ」

 パパが以前、『若くて驚いた』なんて言ってたのは、

 「ルビ君の事だったんだ……」

 驚いて当然だ。
 花菱と並ぶくらいの大きな企業の代表が、あたしと同じ年の男の子なんだから――――――。

 それから、お母さんの実家の本宮家のグループ会社の会長も務めていて――――――、

 『実際に動かしているCEOがちゃんといるんだ。僕の存在は、……ステッカー……、本宮だと区別する為のシンボル。もちろん、対外的に役目は担うし、決済を求められる事はあるけど、その程度だよ』


 リムジンの中、"Stella"の事を話し始めたルビ君は、いつもとはまた違う饒舌さで自分の置かれている立場について教えてくれたけれど、軽い口調をそのまま受け止められるほどその責務が楽じゃないのは、これまでの遅刻や早退を見る限り、決して鵜呑みに出来る事じゃないはず……。


 胸元のコンクパールにそっと触れる。


 『社長って、セフレはこれまでもたくさんいたじゃない?』


 ルビ君が、桝井さんや照井さんが話していた"あの社長"さんだと知ったからには、マリアさんや沙織先生の事だけじゃ、情報が収まりきらなくて、

 さっき出会ったイライザさんの他にも、"たくさんいた"んだという事実は、やっぱりチクッと胸を刺す。



 けど……、


 『でも、形に残るプレゼントなんて一度だってしたこと無い』


 滑らかな質感を指先で味わいながら、ルビ君の胸の内にある心境を、信じた上で、あたしなりに呑み込んでみる。


 "今、僕の心に居るのは、君だけだ"

 "僕の全てを、君にあげる"

 "これから先、どんな時も、何があっても、僕は君に、心から誠実で在り続ける事を誓うよ"

 どの言葉も、あたしをしっかりと見つめた上で紡いでくれていて、そして、その想いを表すように、ルビ君がこのコンクパールに込めてくれた、"唯一の人"というメッセージ。


 それは、きっと、"今は"紛れもなく"確かな想い"だと、あの黄金に輝くトパーズの瞳が語る熱を、あたしは、

 信じる事が出来るから……。



 『僕の全てを、君にあげる。僕の身体も心も、これからは全部、君のものだよ』

 そう言ってくれたルビ君に、


 「あたしも、あげる」


 全部、あげる――――――。


 祈るように、両手の中のコンクパールと、その向こうにあるルビ君の唇の跡を思っていた――――――。






 ココアの入ったカップをトレイに乗せて部屋に戻ると、ベッドに腰掛けていた千愛理はさっきとは様子が違って見えて、

 「……そういう瞳をする千愛理は、少し怖いかな」

 デスクにトレイを置きながら、思わず笑って呟いた僕に、千愛理が「え?」と首を傾げた。

 その仕草に、胸が切なく軋む。

 愛しいものはこのかいなの中に捺し止めて、ただ欲望のまま独占したいと願う犯罪心理が初めて理解できたような気がした。

 「……こうしていると、ふんわりと咲く可愛い一輪の花なのに」

 手を伸ばし、編み込まれた髪に咲く、小さな花を数えるようにそっと指を這わせる。

 「君の射の力が籠められた眼差しは、何よりも的確に僕を撃つから」

 「……」

 「凄い攻撃力だと思う」

 親指で、その小さな耳たぶの肉感をじっくりと味わっていると、ほんの少し、千愛理の息が早くなってきた。


 「でも、今夜は、その攻撃力に感謝すべきなのかな」

 「ルビ君……」

 ホルターのVネックの上に見える肌に馴染んだ桃色のコンクパールをよけて、薄闇の中で付けた割にはなかなか良い形と色合いのキスマークに唇の端を上げた。

 スノウアロウズからの帰り、車に乗る直前に、頬を染めながらソワソワと"そこ"に手を添えていた千愛理の表情は見逃してはいない。

 「……気づいた?」

 確認する為の僕の問いに、千愛理が顔を真っ赤にして小さく頷く。

 「そう」

 高揚した気分になって、それに従った僕が傍に並んでベッドに腰掛けると、少しだけ身じろいだ千愛理のパステルピンクのドレスの生地が、泣きのような衣擦れの音を響かせた。

 「ちょうだい、千愛理」

 「――――――え?」

 「どうしても今夜、千愛理が僕にあげたかった、千愛理の気持ち。――――――千愛理の全て」

 「……ルビ君……」


 千愛理の薄茶の瞳が、

 怯え、戸惑い、もしかしたら覚悟さえも一緒に、閉じる瞼の中に消えていく。


 「――――――I'm gonna make love with you」


 そう囁いて聞かせた直後には、僕の唇は、既に千愛理の唇と重なっていた。





 ルビ君の唇があたしの唇に触れた瞬間、きゅん、と胸に稲妻が走る。
 少しずつ、少しずつ、ルビ君の唾液に濡れていくあたしの唇に感じる甘さとは逆に、この胸の疼きは凄く苦しくて、

 「……、ん……」

 声が漏れる度に、爆発しそうになる"何か"を内側から逃がせるような気はするけれど、でも、声が出るのは顔から火が出そうな程に恥ずかしい。

 「……もっと聞かせて、千愛理」

 「…………」

 ルビ君の言葉に思わず目を開けると、黄金色にも見えるトパーズの瞳が、深く、優しく、あたしを見つめていた。

 「この甘くて熱い呼吸も、全部僕のもの」

 「……」

 「そうでしょ?」

 頭の中まで溶かしちゃいそうなくらいのルビ君の言葉に、浮かされたあたしは幻惑されたように頷いてしまう。

 ちゅ、ちゅ、と啄むようなキスを繰り返しながら、タキシードの上着をスルリと脱いで床に落とし、シャツのボタンを外すルビ君の顔は泣きたくなるほどに綺麗で、色っぽくて、

 「おいで、千愛理」

 あたしの腰を引くようにして自分の片膝に乗せたルビ君は、少し低くなった位置からあたしを見上げた。
 ルビ君の指先が、あたしの肌を挑発するように、耳下から顎のラインまでスッと滑ってきて、それから折り返すように首筋に戻り、胸元へと下ろされていく。

 「……ッ」

 声にならない短い吐息を、震えるようにして呑みこんだあたしの耳元に、ルビ君がゆっくりと唇を寄せてきた。


 そして、


 「――――――好きだよ」

 囁かれた瞬間、


 「……ルビ君ッ」


 あたしの中で、何かが弾けて消えて行った。


 それはきっと、"恥じらい"とか、"戸惑い"とか、自分を抑制するリミッターで、


 「あたしも、好き、――――――好き……」


 それからは、もう無我夢中だった。


 好き。

 好き。

 好き――――――。


 伝えたくて、

 あたしの全身から伝えたくて、


 合わさった唇も自然に開かれて、いつの間にか深く深く、根元を探る程に舌が絡み合っていた。


 「ぁ、……んぅ」

 自分の喉奥から出る声はやっぱり恥ずかしかったけれど、

 「ッ、はぁ、……千愛理……」

 呼吸が乱れているのがあたしだけじゃなくて、ルビ君もなんだって、キスの合間に苦しそうにあたしの名前を呼んでくれるルビ君に、身体のどこかがキュンと痛む。

 「ん、……ぁ」

 表と裏を何度もルビ君の舌で擦られている内に、びりびりと痺れるような感覚が背中を這いあがってきた。

 「ま、……て」


 怖い――――――、


 何かを我慢するように、あたしがギュッと目を閉じたその時、


 「――――――え? きゃ、」


 唇が離れたかと思うと、まるで転がるようにして、あっという間にベッドに押し倒されていて、


 「千愛理」


 耳元で、ルビ君の優しい声がそれを紡ぐ。


 「もう待たないよ」

 「……」

 「――――――目を開けて、千愛理」

 「……ルビ君」


 ゆっくりと目を開けると、そこには、光を湛えた、まるで太陽の下で輝くヒマワリを宿したルビ君の顔があって、


 さっきよりも色づいた気がする形のいい唇が、

 宝石を守るような長い睫毛が、

 クリーム色に近い柔らかな金髪が、


 手を伸ばせば、独占出来そうな程に、近くにある――――――。



 そして、


 「千愛理は、キスをする度に綺麗になるね」

 「……え?」

 「僕が触れた場所がピンク色に染まっていく。僕のものだって、解り易いくらい」


 "僕のモノ"

 今、その言葉に含まれる意味をちゃんと知っていてこの状況に臨んでいるあたしは、一気に全身が燃え上がった気がした。


 「凄く嬉しい――――――」

 顔が近づいて来たかと思うと、額にちゅっと長めのキスが落とされて、


 「覚悟して、千愛理」

 「……」

 「このコンクパールと同じくらいに、僕が余すところなく色づけてあげる。―――――時間をかけて、ね……」


 悪戯っぽく目を細めたルビ君の言葉……、


 それはつまり――――――、


 「ルビ君……」

 言葉で予感した甘い痺れに、ブルリと肩を震わせたあたしに、


 「だから千愛理も、もっと僕を欲しがって」


 そう囁いたルビ君の顔は、驚く程に男の人で――――――、


 そして、息を呑むくらいに、――――――美しかった。








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