小説:クロムの蕾


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PINKISH
EMBRACE




 女性の身体は楽器と同じ。
 理性と恥辱、その間に拾う快感に思わず漏らすその甘い声が、男にとって、自分の培ってきたテクニックを確認する愉しみのバロメーターでもある。


 千愛理とのセックスも、きっと同じだと思っていた。

 これまで抱いてきた女性達と同じように、感じる場所を探しながら、じっくりと味わって、共有する時間を、普段とは違う密着度で楽しむ行為――――――。


 それなのに、

 まだ固い蕾の千愛理の身体を、なるべく丁寧に開かせようとする今の僕は、愉しむなんて余裕が無い。


 ――――――違う。

 予感はあった。

 屋上でのキス。

 気が付けば、本能的に千愛理の制服を脱がそうとしていた僕の手が、

 先走る熱情が、

 千愛理の息さえも呑み込もうとする程の、

 ……初めて、相手の事が気遣えない程に夢中になっていたキスの深さ――――――。


 それまでの経験が全て覆るような衝撃に、それまで、セックスに対して思わなかった、自分を見失ってしまいそうな不安を感じた事は、誤魔化しようもない事実だった。


 そして、あの時に感じたその不安が、今の僕を揺るがしている。

 どうしたらいいのか迷っている千愛理の手が、縋るようにシーツを握って震えていて、
 なのに、僕がキスをする度に迸る快感に漏らす声には否定は無くて、

 その様子が、可愛くて、愛おしくて、


 まだ誰も触れた事の無い千愛理の胸の先の固さを舌に閉じ込めた時、僕の身体の奥から熱すぎるモノが込み上げた。

 優しくしないといけないのに、噛みついてしまいたい。
 蕩けるくらいに甘やかしたいのに、酷くしたいような――――――、


 一つでも、己の感情の操作を間違うと、自我の何もかもを失ってしまいそうな危険な欲望が、僕の理性の奥に見え隠れしている。

 「ふ……、んぁ」

 恥ずかしさに打ち震える千愛理を、もっともっと辱めたい。
 乱れ、快楽する己に傷ついてこそ燃え上がっている千愛理のこの姿はきっと、


 この世界で、僕だけしか知る事の出来ない、特別な姿だから――――――。



 「千愛理……、混乱してる?」

 暴走を自制したくて、"心から誠実で在り続ける"という約束の基、僕は口を開く。

 「僕も、凄く戸惑ってる」

 「――――――え?」

 不思議そうな千愛理の声が、何故か、僕を泣きそうな気分にさせた。



 「初めての千愛理に、無理をさせてしまいそうで」

 「……」

 「壊して、しまいそうで――――――」


 心中を吐露する、声が掠れる。


 「大事にしたいのに、早く千愛理の全部が欲しくて」


 手を伸ばして、そっと、千愛理の柔らかい髪に触れた。
 所々に差し込まれた色とりどりの小花が、僕の心を表すようにその反動で震えている。

 「とても、……らしくなく色々、考えて、焦って……」

 頬の撫でて、千愛理の機嫌を窺うように、ちゅ、と軽いキスを落とす。

 「……それを出さないように、凄く、……緊張してる」

 「ルビ君……」

 僕の告白を噛み砕く毎に、ゆっくりと開かれていく、千愛理の潤んだ薄茶の虹彩。

 その瞳と、一体どれくらい見つめ合っていたのか、


 「――――――ルビ君」

 不意に、千愛理の両手が僕の頬を包み込んだ。





 こんなルビ君、初めて見た――――――。


 前に、バイト帰りに公園で会った時、確かに泣き出してしまいそうだったあの時とは、また違う弱さ……。

 どうしてだろう……?

 綺麗な顔が、切なそうに歪んでいるのは同じなのに、今のルビ君は――――――……、


 『僕はね、セックスは最大の愛情表現だと思っているんだ。誰にも見せられない姿を僕にだけ晒して、乱れる声、表情、それらを隠すことなく向けられて、初めてその想いを感じられる……』


 ――――――違う……。

 違うんだ。


 哀しかったのか、辛かったのか、

 今にも溢れて、泣き出してしまいそうな感情をひた隠しにして、あたしの腰を抱き締めたあの時とは違う。


 「ルビ君――――――」


 ルビ君は今、意志で、あたしに、

 あたしだけに、


 『緊張してる――――――』


 自分の弱さを、伝えてくれているんだという事が、その輝くような黄金の瞳から伝わって来た。


 今は、あたしだけに――――――……。



 そう考え至ったら、両手が、自然にルビ君の両頬に伸びていて、



 「―――――壊して、いいよ……?」


 真っ直ぐに、ルビ君の目を、見る事が出来た。


 「……千愛理……?」

 ルビ君の眉間が、中央に寄る。
 その眼差しには、怪訝な表情が浮かんでいて、あたしは慌てて言葉を足した。

 「我慢、しないで……、ルビ君の好きなように、……その、……シテくれていいから」


 何をするのか、あたしだって知識が無いわけじゃない。

 「あたしは、……初めてだから……」

 こんな事で恥ずかしがって、どうしていいのか判らなくなってしまうような未経験者じゃ、もしかしなくても、今までルビ君が相手にしてきた女の人達には、全然敵わないのかもしれないけれど、

 「何も……出来ないけれど」

 「……千愛理」

 「でも……」


 この胸にある、ルビ君を好きだと走り出す感情は、

 「もう、あたしも、言葉では無理だから」

 「――――――え?」

 「大好きって、伝えるだけじゃ、どうしても足りてない気がするの」

 「千愛理……」

 「だからお願い、やめないで、このまま、」


 あたしを気遣わないで、続けて欲しいって、


 「……んッ」


 その言葉は、ルビ君の開かれた口の中に吸い込まれていった。






 "壊していい"

 ――――――その言葉に、心に閊えていた何かが、コトリと音を立てて本能の泉に転がり落ちた。


 その容積の分だけ溢れ出た欲望は、真っ直ぐに千愛理へと向けられる。



 『ずっとルビ君と、一緒にいたい――――――……』


 千愛理が口にしたその想いは、
 僕と関係のあったイライザや沙織先生の存在に戸惑った千愛理が、女として無意識に対抗したのかもしれないと、ほんの少し疑っていた。

 そして、それを僕が受け止める事で千愛理が安心するのなら、


 ――――――土壇場で首を振ったとしても、最後まではしなくてもいい。
 ただ抱き締めて、これまでにない密着度で二人の時間を過ごす事が出来たなら、千愛理の焦りをやんわりと抑えて、それから改めて、ゆっくりとした歩みで関係を進める事が出来るなら――――――。


 ブーケブートニアで心を交わし合った後、あの温室で感じた、ただ、呼吸を一つにした幸せな時間を、僕の部屋で誰にも邪魔される事無く、長く長く紡げればそれでいいと、密かにそう考えていた。


 けれど、

 『……ルビ君が感じる事の出来る、"あたしからの想い"をあげたい。エッチでしか伝えられないのなら、あたしは今夜、それをあげたいの――――――……』


 千愛理の意志は、僕がまったく想像すらしなかったところからきていて、

 そして、

 "好きな人を抱く"というこの行為に、これまでに感じた事のない、躊躇とも呼べる感情を覚えて、らしくなく強張っていた僕の心に、


 ついさっきまで、未知の世界を知ろうとする行為に羞恥し、震えていた筈の千愛理が、


 「―――――壊して、いいよ」

 そんな呪文を綴りながら、可視の魔法をかけてくる。

 僕の頬を包む手からは、もう震えは伝わってこなくて、
 きっと僕が、最初に千愛理に惹かれた切っ掛けとなった、その強い、強い、可視の眼差しを、


 真っ直ぐに、


 僕に――――――、

 僕だけに――――――……、



 『綺麗な髪……大好きよ、ルビ……』

 "ママ……僕を見て"


 『綺麗なヒマワリ……』

 "ママ……僕を見て"


 『……あの人に、そっくり……』


 ――――――僕を……、



 "――――――ケリ、愛してるよ、ケリ……"

 『……ルビ……、ありがとう――――――』


 ――――――、


 ……あれは何時の事だったか。

 欲望を巡らせて口ずさんだその言葉で、ようやく手に入れたケリの微笑みは、長年ボードに伏せられていた写真の中の、ウェディングドレス姿の笑みと同じ……。

 母親であるケリを、まるで恋人のように甘やかす事で、……例えその関係に、歪という名が付けられるのだとしても、


 "愛されている"という希望の片鱗をその関係の中に見出して、

 僕はただ、


 ――――――"満ち足りた振り"をしていたんだ。


 「……ぅ、ルビく……はぁ」

 黒いシーツの上で、僕に触れられる度に、薄桃色に変わった千愛理の肌が跳ねるように動く。

 「千愛、理……」

 「ぁ、……ふ」


 濡れた千愛理の唇は甘くて、
 絡む舌の柔らかさに、呼吸を求めて喘ぐ熱に、

 「好き……ルビ君……」


 狂おしい程に渇望した愛が、

 僕だけに向けられてくる想いが、


 今確かに、

 僕の腕の中、


 "ここ"にある――――――。


 「千愛理……」

 「ルビ君」

 「好きだよ」

 「ルビく、……あ、……ッ」

 「好きだ」

 「……あたしも、好き……、ぁ」


 僕だけを――――――、

 何よりも、


 僕を1番に求めてくれる、目の前の、心惹かれた千愛理の存在に、



 「千愛理――――――……ッ」


 途中から、自分が何をしているのか、ほとんど自我を失っていた。








著作権について、下部に明記しておりマス。



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