小説:クロムの蕾


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PINKISH
SWAY


 あからさまに言うと、千愛理とのセックスは、僕にとって"初めての快楽"と呼べた。

 もちろん、これまでのセックスでも快感は得ていたし、身体の相性が良い女性とだと、僅かだけど射精感に違いがある事も自覚している。

 けれど、僕にとってのセックスの楽しみはそこではなく、腕の中の女性を快感に震えさせ、その女性達自身が知らずに隠し持っていた蕾が、僕の手管によって花開いていく様子を観察する経緯が優先的で、僕が達する事はさほど重要じゃない。
 敢えてイかないまま終えた事も何度だってある。


 それなのに――――――、


 「・・・参ったな・・・」

 指先で、すっかりと寝入ってしまった千愛理の頬を撫でながら、思わず零れたのはそんな言葉。
 千愛理に対して、もはや降参に近いそのセリフを思うのは一体何度目だろう。


 体を開く恥ずかしさと、内を破られる痛みを、結ばれて、僕が精を放つまでの間、唇を噛み締めながら必死で耐えて受け止めていた千愛理は、僕の想定を遥かに超えるほど蠱惑的で、


 ・・・今日はまだいい。

 今日はどうにか、喘ぎの中、時折覗かせた苦痛に歪む千愛理の表情が、溺れそうになる僕を叩くように正気に戻してくれていたから。

 けれど次のセックスで、痛みも薄れ、繋がっている時の快感の波に呑まれて乗ってくるだろう千愛理の新たな表情を見せられた時、僕は果たして、理性を以て完遂できるのか。


 壊したい――――――。

 大事にしたい――――――・・・。


 振り子のように、衝動が左右に揺れる中、千愛理の中に欲望を吐き出したいと本能で願った自分の正体が怖かった。


 「千愛理・・・」

 動揺にも近い愛しさが溢れ、思わず唇からその名が零れると、応えるように千愛理の瞼が震えて動く。

 「・・・」

 目覚めるか、そのまま寝入るか、――――――しばらく様子を見守っていると、一瞬止まっていたような気がする細い呼吸が、また小さく繰り返されるようになった。


 終わってすぐ、両手に息を溜めるように体を丸めながら、ありがとう、と小さく呟いた千愛理は、それからしばらく、僕の腕の中で呼吸を整えている内に、まるで何かに誘われるように眠りに落ちた。

 緊張と疲労がピークに達して、僕が執拗に髪を梳く感触に流されたんだろう。


 黒のシーツに靡く、千愛理の、見目も柔らかい薄茶の髪。
 その乱れた髪に編み込まれていた小花が、髪の中やシーツの上で無残に花弁を散らされている。


 ――――――まるで、今の千愛理の本質の化身だ。


 健やかに眠り続ける千愛理の額にそっとキスをして、もっと密着するように抱き寄せた。


 こうして抱き合う事により、副交感神経からβエンドルフィン、ドーパミンやセロトニンが分泌され、それによって感じられる幸せや安堵で快楽を促そうと働く人間の脳。
 それらを混ぜた何かが、未知なる場所から溢れてきて、どんどん僕を満たしていく――――――。


 『愛してる』
 『可愛い』
 『綺麗だ』


 これまで抱いてきた女性達に、感じたままに告げてきた言葉が、実際はどれだけ中身が無かったものか、今初めて気が付いた。



 ――――――否。

 きっと僕を見守ってきた彼女達にとって、それなりにちゃんと意味はあったと思う。
 僕にとってそれが、決して嘘ではなかったように・・・。


 けれど、初めて本気で恋をして、本物を知れば空虚さも解る。


 「愛してる・・・」


 湧き出るこの想いが、

 泣きたいくらいの幸せが――――――、


 尽きる気配なく、次から次へと溢れて来る。


 それは眼差しとなって千愛理に注がれ、

 愛撫となって僕の指から迸り、


 いつしか、千愛理を縛り付けてしまいそうな恐怖を、自分の中に見出してしまう。


 「・・・ん・・・ルビ・・・く」

 寝返りを打ちたかったのか、僅かに体をくねらせた千愛理の唇が僕の名を刻んだ。

 無意識のそれに、喜びが湧く。

 この幸せな想いは、今夜、世界中でサンタからのプレゼントを待ちわびる子供達の無垢な願いにも負けない気がした。



 「千愛理・・・」



 腕の中に閉じ込めた千愛理の存在が、僕の心を完全に支配していた。

 その肌が目の前にあれば、絶えず口づけをしていたい。
 ひと時だって漏らさずに、ずっと愛でて、可愛がりたい。
 髪が流れれば指で梳き、全身余すところなく、僕の体でこの世界から隠してしまいたい。


 けれど、


 このベッドは、縛り付けるには小さすぎる気がする。

 ・・・この部屋も、千愛理を閉じ込めるには、きっと小さすぎる――――――・・・。



 「――――――千愛理・・・」


 満ちた幸せの分だけ、不安が影となって僕を刺激した。

 起こして、僕を見つめて欲しいという衝動に駆られてしまったのを、ギュッと抱きしめ直すことで思い止まらせる。



 この時、

 "あいつ"を自由に泳がせることによって、時々帰ってくる愛情に縋っていたケリの、幼い頃から嫌という程に見せられてきた、愚かで悲しいほどに一途だったその姿を強く思い出していた。


 「千愛理・・・」


 どのくらいの世界(すいそう)なら、君は、快く僕の腕の中で泳ぎ続けてくれるだろうか・・・。



 この日、僕の中で何かが、


 ――――――きっとすべてが、


 ゆっくりと形を変えようとしていた――――――。








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