うっすらと目を開けると、黄色に近い柔らかい光が溢れた室内に、はめ込み式のクローゼットや、スタイリッシュなデスク、その上にあるPCの画面が見えて、 「・・・ここ・・・」 あたしの・・・部屋じゃない・・・。 どこ――――――? じっくりと覚醒していく意識の中で、まず目覚めたのは体を縛っている温もり。 あたしの素肌に、あたしの腰に、 「・・・ぁ」 手を動かして触れて、それが人の腕だと思い出す。 次に覚めたのは聴覚で、あたしの背後から、規則的に聞こえてくる微かな呼吸音。 そして、意識し始めたあたしの、ドクドクと強く内側から打ってくるような心臓の鼓動。 「・・・」 どうしよう・・・。 下腹部の、何処と説明の出来ない場所がヒリヒリと痛んでいる。 まだ異物感があるそこには、確かに昨夜、ルビ君が――――――・・・、 次第に、鮮明に蘇ってくる記憶が、あたしの顔を熱くした。 どうしよう、本当にどうしよう――――――。 確かに、あたしはあげたかった。 ルビ君にとって、それが想いを伝える方法だというのなら、あたしはあげたくて、だから、もちろん後悔はないけれど――――――、 恥ずかしい。 昨日、あたしがルビ君の前でどんな格好をしていたのか、 何を言わされて、・・・二人で何をしたのか――――――、 実感するごとに体中が熱くなって、 心が火照るようで、 そして、直に伝わってくるルビ君の肌の感触に、・・・全力で甘えたくなっているあたしの変化が――――――・・・。 「!」 ふと、背中で動きを感じた。 ドキッと反応した直後に、うなじに、チュッとキスの音がする。 「おはよう、千愛理」 「・・・ぉはよ・・・」 「体は? きつくない?」 やっぱり、恥ずかしい・・・。 「大丈、夫」 振り絞るように答えた時、 「きゃ」 あたしのお尻の下あたりに、何かがピクリと動いて当たる。 一瞬、ルビ君の足かと思ったけれど、ちょっと、・・・違う気がして・・・、 「・・・あの」 「ああ、ごめん。生理現象。――――――プラス、欲求?」 「・・・」 中学の時、男子がわざと女子に聞かせようとして話してたのを耳にした事があるし、知らないワケじゃない。 けれど、 もう、なんていうか、全部全部、恥ずかしい――――――。 思わず体を丸めたあたしの耳に、クスクスというルビ君の笑い声が聞こえてきた。 「こっち向いて、千愛理」 「・・・」 「僕がそっち側に行こうか?」 ――――――え? 思った時には、ルビ君の体があたしに乗ってきていて、 反射的に仰向け気味になったあたしの体を、ルビ君が真上から見下ろしている。 「あの・・・顔、まだ洗ってないし・・・」 「大丈夫、可愛い」 「・・・歯磨きも、してないし・・・」 「僕もね」 「・・・」 起き抜けでも、こんなに綺麗だなんて、反則だと思う。 あたしの両横に腕を立てたルビ君の態勢は、あたしが視線を動かすと、その白人の血が入った独特の白い肌の体が、自然と目に入ってきて、 「キス、していい? 千愛理」 琥珀色の瞳の輝きが、眩しいくらいに、あたしの心に色めいたときめきを落としてくる。 「・・・ぁの」 ――――――どうしよう。 完全に迷いながらも、ギュッと目を閉じて、身構えるようにそれを待ったあたしに、 「嘘」 「――――――え?」 思わなかった言葉に、ハッと目を開いた。 「部屋を出て右の奧にバスルームがあるから、行っておいで」 「・・・」 立ち上がったルビ君の手には、椅子の背から取り上げた黒のガウンがあって、 「ウェインは暫く自室から出てこないから」 「・・・」 椅子に残っていたもう1枚のガウンを羽織って、目のやり場が出来たルビ君を、あたしはようやく直視した。 機嫌・・・悪いワケじゃないと思う。 でも、何か――――――、 ふと、そんなあたしの視線を受け止めて、ルビ君が微笑む。 「ごめん」 「え?」 「千愛理が悪いワケじゃない」 言われている事の意味が解らなくて、少し、混乱してしまった。 良くない話・・・? 「ごめん、謝るのもおかしかったね。・・・難しいな」 苦笑よりも、もっと険しい表情で、ルビ君はベッドに腰かけた。 手を伸ばしてきて、あたしの頬にそっと触れる。 「――――――僕が、混乱しているんだ」 「・・・?」 「大事にしたいのに、なりふり構わず、僕をぶつけたくなる」 「ルビ君・・・」 「コントロール出来るようになるまで、・・・少し、時間がかかると思うけど」 「・・・」 「嫌いにならずに、ついてきて欲しい」 あたしを吸い込んでしまいそうなほど、窓から差し込む光に反射して大きく咲いたルビ君の瞳の中のヒマワリは、言葉を綴るたびにくるくると動いて見えて、 「―――――うん」 しっかりと頷いて応えたあたしの額に、ホッとしたように両端を優しく上げたルビ君の唇が、軽く触れた。 初めてのバスルームで、ゆっくりと体を洗い流す。 あたしとルビ君の混ざった匂いが、フローラルのボディシャンプーの香りに塗り替えられていく。 『キスしていい?』 さっき、そう言われて戸惑ったあたしの態度が、きっとルビ君を躊躇わせたんだと思う。 いいよ、――――――と。 昨夜のように明確に返事をしていたら、多分今頃、もう一度エッチしてた筈・・・。 「・・・どうしよう・・・」 頭から、熱いシャワーを浴びながら、あたしはタイルに蹲った。 「どう、しよう・・・」 『混乱、しているんだ』 違う――――――。 混乱しているのは、あたしだよ、ルビ君・・・。 『なりふり構わず、僕をぶつけたくなる』 ぶつけて欲しかった。 『キスしていい?』 そんな言葉で、あたしを暴かないで――――――。 "好き" という気持ちと、 この欲望の――――――、 比率は本当に正しいの・・・? 昨日のあたしと、ルビ君に対するあたしの想いは、全然変わらない。 ううん。 もっと大きくなった筈なのに――――――、 怖いよ、ママ――――――。 イライザさんが、マリアさんが、沙織先生が――――――、 どんな風にルビ君の腕の中にいたのか、現実に知ってしまったあたしの心に、 初めて、強すぎるくらいの嫉妬が生まれている。 そして、 『僕はね、SEXは最大の愛情表現だと思っているんだ』 もっと抱いて欲しい。 あたしに応えなんか求めずに、もっともっと抱いて欲しい。 「・・・ぅ」 初体験したばかりなのに、こんな風に思うあたしはおかしいの? 幸せに目覚めたのは一瞬で、 『キスしていい?』 どうして聞くの? あたしの全部は、もうルビ君のものなのに・・・。 そんな考えが過って、きっと躊躇ったように見えた筈のあたしに、"愛を伝える"事を、彼は止めた――――――。 ――――――違う。 『大事にしたいのに』 そう言ってくれたルビ君は、きっとあたしを思って、止めてくれた。 ほんとうは・・・、 ――――――どっち・・・? 初めての経験に、色々と高ぶっていたのか、 "女"としての自分の中の急激な変化に、 あたしはただ泣きたくなるだけで、全然、ついていけていなかった――――――。 どれだけ泣いていたんだろう。 多分、そんなには経ってないと思うけど・・・。 シャワーの音に隠れて、目を擦らないように気を遣いながらも、一頻り泣いたら、なんだか心の閊(つか)えが無くなったみたいに軽い気分になった。 きっと今は、何を考えても、不安定な答えしか出ない気がする。 "開き直り" そんな言葉に近い決意で、あたしは顔を上げた。 昨夜、ルビ君に身を預けたように、 あたしはルビ君を信じよう。 頬を軽く叩いて、大きく深呼吸をして、 他所のお家だし、あまり長くシャワー借りるのも心苦しかったけど、リフレッシュに頭も洗いたくなって、 セットしてもらった時、少しだけどムースも使ってたし、ギチギチして酷い状態かも・・・、 そう思いながら、すっかり濡れていた髪に触れると、 「・・・――――――あれ?」 どんなに手を当てて探しても、セットをした時に使われた筈のピンが一つもない。 それに、寝起きなのに、まるでトリートメントした後みたいに、指が少しも引っかからない。 あれだけ本宮家のメイドさん達にしっかりと編み込まれたのに・・・、 そういえば、付いていたお花も・・・、 「嘘・・・」 もしかして、あたしが眠った後、ルビ君が解いてくれた――――――・・・? それはつまり――――――、 『千愛理』 こんなに柔らかくなるまで、ずっとあたしの髪を梳いていてくれたという事で・・・、 あの後、初めての事が無事に終わって、ホッとした途端に、吸い込まれるようにして落ちてしまった眠りの先の夢の中、 『千愛理』 『千愛理』 何度も何度も、ルビ君の声に名前を呼ばれたような幸せを感じていたのは――――――・・・ 「ルビ君・・・」 高鳴る胸を抑えながら、 ルビ君の顔が見たいという欲望を抑えながら、 とにかく急いでシャワーを浴び終えて、それから初めて、気が付いた。 「どうしよう・・・」 ルビ君の部屋から、勧められるままガウンを羽織ってここまで来ちゃったからドレスが無い。 それに、お家までドレスで帰らなくちゃいけないんだ。 ・・・なんだか、本当に朝帰りみたいで――――――、・・・あ・・・朝帰りなんだけど・・・。 どこに考えを纏めたらいいのか解らなくなって、あてもなくキョロキョロと周りを見回したあたしの目に、大きな手提げの紙袋の存在が留まった。 あれ? シャワールームに入る前って、こんなのあったっけ・・・? 意識して見詰めていると、見覚えのあるカラーが綺麗に畳まれて入れられていて、 「あ」 確信に近い気持ちで中を探ると、それは昨日、本宮のお屋敷でドレスに着替える前にあたしが着ていた私服だった。 そして、一番下には真新しい下着のワンセットと、挟まれていたメモ。 "同じサイズのものを準備いたしました。お洋服はクリーニング済みです 三戸部" そういえば・・・、全てがドレス用に揃っていると言われて、メイドさん達に下着も全部脱がされた・・・んだ・・・け・・・、 ・・・え? 「――――――えッ!?」 心の声を改めて口にしながら、裸のまま、頭を抱えて座り込む。 どうして水戸部さんが? 下着を準備したって、・・・つまり、あたしがルビ君の部屋に泊まったのを知ってるって事・・・? 「う・・・、うそうそうそ」 その場で、 顔も体も燃えるように縮んでしまって、 (しばらくは絶対に顔、合わせられない――――――ッ) これだけでも、恥ずかしさで死んでしまいそうだったのに、 「――――――これ・・・」 何とか気を持ち直して着替えを済ませ、部屋に戻ろうとしたところを、待ち構えていたようにドアの前にいたルビ君に、 「食事しよう」 そう誘われて、優しく手を引かれてリビングへと足を運んだあたしは、今度こそ息が止まりそうだった。 きっとコレが、昨夜ルビ君が言っていた、三戸部さんに用意してもらったケータリングのオードブルと、デザートのクリスマスケーキ。 食卓用のフラワーアレンジメントもキャンドル付きで可愛くて、 ああ、今日はクリスマスなんだなって思い出す。 「軽い食事くらいで良かったのに、三戸部さんが色々追加してウェインに運ばせたらしい」 「・・・」 あたし達の会話を気にする様子もなく、チョコレートブラウンの髪色をしたウェインさんは、黙々とカトラリーを並べ始めた。 「昨夜からほとんど何も食べてないし、千愛理もお腹すいたでしょ?」 言いながら、椅子を引いてあたしを促すルビ君に、 「うん・・・」 確かに、お腹は空いたけど・・・、 それよりも、何よりも、 あたしの頭の中は、"その事"でもう一杯で、 だけど、明らかに、絶対に、三戸部さんが故意(・・)に用意したものがそこにはあって、 「・・・この赤いご飯、小豆が入ってる?」 不思議そうに眺めるルビ君に、ウェインさんが淡々と口を開いた。 「お祝い事に食べるものだと言われました」 お祝い事・・・、 「三戸部さんが? ふうん・・・? 日本人もキリストの誕生を祝うんだね」 トパーズの瞳があたしを向いて、きっと肯定の反応を待っていると思うんだけど・・・、 「・・・」 返事が出来なくて、いたたまれない・・・。 「千愛理? どうかした?」 ルビ君の指が、あたしの顔に届きそうになって、 「・・・ううん! あの、――――い・・・いただきます」 慌ててフォークを掴み持って、ウェインさんが取り分けてくれた食事を、お礼を言ってから口に運ぶ。 「こちらもどうぞ」 ウェインさんが、小さな器にお赤飯をよそってあたしに差し出してきて、 「・・・」 あたしと目が合ったかと思うと、僅かだけど、気まずそうな色を浮かべた一瞬後に、逸らされた。 ・・・その態度に、多分ウェインさんは、三戸部さんが用意したこのお赤飯の意味を元々知っていたか、もしくは教えられたんだと確信して、 「本宮の料理は割とシンプルな味付けだから、朝でも食べやすいと思うよ」 「・・・うん」 返事はしつつも、思考は上の空。 (三戸部さ〜ん――――――ッ・・・) さっきまで感じていた不安が一掃されるくらいに、 あたしの頭の中は、恥ずかしさから色付けされた三戸部さんへの泣きたいくらいの恨み言で一杯だった。 |