小説:夜は秘密の花香る


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夜は秘密の花香る
SECRET:07

 ――――――
 ――――


 サヤ…サヤ…――――――


 繰り返し、私の名を紡ぐその優しい声…。

 耳に触れる息が、続く短いキスの音が、――――――ゆったりと左右の胸を揺らされるのも、もの凄くもの凄く気持ち良い…。


 そしてあそこが、

 私の中が、


 ずっとさざ波のような快感を持ったまま何かを包み込んでいる。



 サヤ…――――――



 そこに在るのは――――――、



 サヤ…



 大きくて…固くて…強くて…苦しい…、そんな、何か…、




 「――――――サヤ」
 「…」

 はっきりと名前を呼ばれて、夢の波間から意識が手繰られる。


 「んぁ」


 背中を、線を引くように舐められた感触。

 夢見心地から、一気に現実へと呼び戻された。


 「…ぁ、ああッ」

 体が小刻みに跳ねれば、同時に後ろから廻された腕からの拘束が強くなって、
 動けずにただひたすら痙攣するだけの私の思考は、目覚めたばかりでまだ鈍く――――――そして甘く蕩けている。


 「サヤ」

 吐息のような紡ぎ。


 「ああ…ぁ、ッ」

 応えを待つ気もないのか、そのままゆっくりと、私の中からソレが引き抜かれていった。


 「サヤ」


 そしてまた名前を呼ばれたら、ゆっくりと奥まで戻って来て、

 「…ぁ」

 お互いに、吸い付き合う粘膜の動き。

 それに刺激されて痺れのような快感が中をざわつく。
 それが脳まで電流のように駆けのぼって、私の思考をチリチリと焼き尽くす。


 「ぃ…や…いくッ、…ぁッ」


 止まらないオーガズム。
 果ての無いオーガズム。

 彼が意図してじっくりと動く度に、容易く私に魂を投げ出させる。



 「サヤ…、サヤ…」

 ちゅ…ちゅ…ちゅ…ちゅ…、

 「サヤ、サヤ」

 何度も何度も、背中を撫でる口づけ。


 「あ、あああッ」


 首の後ろを強く吸われれば、


 「…ッ、ぁ」

 その小さな痛みすら、ヘトヘトになった私の身体を官能へと引き摺って行った。


 「サヤ…名前呼んで」


 また、中のモノがゆっくりと引き抜かれると、まるで逆撫でされるかのような不快感に似た感触が、相反した強烈な快楽をじわじわと生んで固まって、


 「は…ぁあ、…ゃ…」

 小さな快感が次から次へと寄せる波のような間隔で弾けて行った。


 「サヤ」
 「あ、…もぅ…ゃめて…」


 どんなに気持ち良くても、こんな風に時間をかけられたら辛すぎる。


 「サヤ、目を開けて」
 「ん…ぁ」

 背後から抱き締められたまま、息も絶え絶えになりながら言われるままうっすらと目を開けると、涙で滲む視界の向こうは、エグゼクティブ・ルームの花模様の上品な色の壁。
 その手前には、空になったガラスのデキャンタ。
 破られた避妊具の包みが一つ。


 「サヤ、オレの名前呼んで」

 耳の後ろから、もうすっかりと覚えてしまった彼の声。


 「なま…、ぇ」


 名前…――――――?


 「サクさ、」

 どうにか思考を繋いで思い出した名前を呼ぼうとして、


 「サクヤ」
 「…ぇ?」
 「サクヤだ、サヤ」

 サク、ヤ…?


 「サクヤだ」


 サクヤ…。


 「サク…ヤ」
 「…ッ」

 後ろで、息を飲む音がする。
 思わず思考を取られそうになると、

 「もう一度」
 「サクヤ…」
 「サヤ」
 「サクヤ…ッ」
 「――――――ぁぁ…こっちだ、サヤ」

 背後から顎を持たれて、捩じるように振り向かされれば、上身を覆わせるようにして覗き込んだサクさんの、――――――サクヤの顔があって、

 「ん、ぁ」

 首を捻りそうな程の辛い体勢のまま、唇を唇で塞がれた。
 角度が合わなくて、舌を回される度に隙間から涎が流れ落ちる。

 それをわざとらしく音を出しながら啜って対応したサクヤは、濡れた唇で更にキスを求めてきて、


 「サヤ、サヤ」

 私の左足を抱え直し、そしてまた、時間をかけて腰を進めてくる。

 激しく突かれる事もなく、最奥に当たればぐりぐりと押し付けてくる感じがまるで逃れられない刻印を押されているようで、得体の知れない怖さを微かに感じるけれど、



 「サヤ」



 ――――――ああ、


 「サク、ヤ…ッ」
 「もっとイケよ」
 「あぁ、…サク、ヤ」


 その恐怖を飛び越えて、全身が、サクヤに支配されていくのが分かる。
 髪を撫でられ、首を噛まれ、体中にキスをされて、中にずっと熱い一部を埋められて、


 「これから先、オレ以外の男に抱かれようなんて、そんな事思いつきもしないくらい、天国の先まで連れてってやる」
 「あ、ぁぁッ」
 「サヤ、好きって言えよ」
 「ゃ、サクヤ、ああぅ」
 「サヤ」
 「ああ、サクヤ、好き、好きッ」
 「オレも好きだ、サヤ、好きだ」



 凄い。

 もう駄目。


 凄すぎる。



 何時間も、こうして丁寧に愛撫されて抱き続けられると、馴染んだ情みたいなものが湧いて来るから不思議だ。
 愛しそうに名前を呼ぶ振りも、演技だろうが営業技だろうが、何でもいい、そんな事どうでもいいと受け入れてしまっている自分がいる。

 「サヤ、前からシタい」
 「…ん」

 ずっと背後から抱かれていたせいか、覆い被さる体勢の彼と久しぶりに真正面から向き合えば、本当に好きな人に会えた時のように切なさが込み上げてきた。

 「サヤ」

 ほんのりと、笑ったようなサクヤから、
 はらはらと降るように甘い香りが落ちてくる。

 その媚薬に誘われた私は、最後の道徳心の砦さえ投げ売ってしまった。


 「サヤ」
 「サクヤ――――――、ぁ、ああっ」

 両腕で閉じ込められるように強く抱き締められれば、幸せが絶頂になって、


 「凄い、ぃや、いく、あああぁぁぁッ――――――…ぁッ…っ」




 半ば無理やり購入させられた、

 "オプションマッサージ付き、ラブラブ恋人コース"。



 私は、存分に満喫してしまっていた。








 で。



 「――――――おはよ、サヤ」
 「…」


 目が覚めたのは朝の十時過ぎ。
 ベッドでぼんやりと目を開けた私のそばに座る彼が、朝の挨拶をしながら私の前髪を撫でた時に見えた、大きさのある腕時計の針の位置を思いがけず確認出来た時は、泣きそうになってしまった。

 セックスの合間に飲まされるワインでほろ酔い状態を維持されていた私はずっと、何をしていても何をされても意識がふわふわしていて、最初に室内が明るくなった時に土曜の朝だと認識し、それからまた長い行為の後、二度目の夜を確認した事だけは何となく覚えている。
 そして今は二度目の陽の光。

 つまり今日は、


 日曜日。

 きっとそう。
 絶対そう。

 まさか、セックスに溺れすぎて人としての生活を放棄し、認識もしないまま月曜日を迎えていただなんて思いたくはない。


 「サクさん…、痛ッ…」

 気怠さを通り越して飽和状態の体を起こそうとしたら、全身筋肉痛状態に途中で言葉が途切れてしまった。

 「嘘…」

 いくら私が普段から運動をしないと言っても、まさか性行為を要因としてこの痛みがやってくるなんて…。

 あまりの衝撃に、口から出そうとしていた疑問の二の句を継げずにいると、

 「サクヤ」
 「え?」
 「オレの名前」
 「あ」

 そう言えば、何度もそう呼べと言われている内に、最後はずっと叫んでいた気がする。

 …誰かの名前をあんなにも大きな声で口にするなんて経験、あるとしたら、いつか結婚して母親になってだろうな、なんて、子供が出来た友人を前に考えた事はあったけれど、まさかこんなシチュエーションで得られるとは思わなかった。

 「…本名、ですか?」

 初めて名前を聞いた時、過った疑問を尋ねてみた。

 「ん?」
 「室瀬、サクヤ――――――さん?」
 「…」

 しばらく、無表情で私を見つめ返していたサクヤは、切り替えるようにニッコリと笑う。

 「どうかな」

 垂れた右部分の前髪を指で抓むその様子に、反対側の髪は既にしっかりとセットされて固まっている事に気がついた。
 シャツも、例のイタリアブランドのシャツで、薄青に近いグレー。
 光沢のある黒の細身のパンツが、高級そうな黒の腕時計と相まって、上品な雰囲気を醸し出している。

 会社にいる室瀬さんとは随分と違うけれど、
 たった一晩、ホストとして知っているサクさんとも、今日のサクヤは何となく違う気がした。

 「で?」
 「え?」
 「オレを呼んだだろ?」
 「あ」

 そうだった。


 「あの、今日って日曜日…であってますか?」
 「ああ。合ってる」
 「良かった…」

 とにかく一度家に帰って、ゆっくり休もう。
 明日は仕事だけど、二日頑張れば申請した有給も合わせた 連休 GW の始まりだ。

 「すみません、チェックアウトの時間って十一時ですか? 十分でいいのでシャワーの時間を…」

 こんな違和感だらけの身体にそのまま下着も洋服も着るのは嫌で、思い切ってそんな交渉をしようとした私の髪を、

 「あの…」

 指にクルクル巻き付けては逃げられる行為を楽しんでいる様子のサクヤに、なんだかもう、平伏したい気分だった。
 この前はまともな挨拶もせずに逃げ出して未経験だったけれど、ホストというのは一緒にいる限り相手に尽くす事に妥協がないらしい。

 「――――――あの、サクさん」

 居た堪れなくなって声をかけると、私に目を合わせてきた彼の片眉が僅かに不機嫌そうに形を変えた。

 「サクヤ」
 「あ…、はい」

 そうでした。

 「それからしゃべり方も、外で会う時は別に敬語じゃなくていい」
 「あ…、はい。いえ、――――――うん…」

 ずっと注がれてくる視線の強さに気圧されて、仕方なくその場を呑み込めば、

 「チェックアウトは十二時だから、急がなくても大丈夫だ」
 「あ…、ありがと」

 速攻で浴びよう。
 そして早く家に帰ろう。

 一時間ごとに増えて行く延長料金。

 とっておいた冬のボーナスが、もしかしたら吹っ飛んじゃうかも知れないと、慣れない散財――――――とも えない爆買いに自分で呆れながら、まあどうせ…来週のGWに大阪に行こうと思っていた軍資金の片鱗でもあったから、良いように考えれば、悪くなかったのかもと。

 なんだか、初めてサクさんを買った次の日に迎えた朝よりも気分がすっきりしている私って、ホストという存在に上手く価値を見出せるタイプの女だったのだと、妙に実感してしまって、呆れと不安がぐるぐると思考を回り始めた。



 もうどうにも出来ない気がするけど、どうにかしたい。
 どうにかしなくちゃ――――――。


 そんな取り留めも無い事を考えながら、シャワールームに向かって出て来るまで、意気込みを緩めずに今まで生きてきた中での最短シャワー時間の記録を塗り替えて出てみれば、


 「はい、これ持って」

 着替え終えた私の手にサクヤが持たせたのは、見るからに高そうな木目調の紙で出来たお弁当箱。

 「…え?」
 「サンドイッチ。腹減っただろ? ルームサービスで頼んどいた」
 「…」

 確かに、ワインの合間にチーズやクラッカーを口に入れられていた気はするけれど、食事と呼ぶには程遠いもので、

 「ありがとう…」
 「出るぞ」
 「あ、…はい」

 ずっしりと重さのあるお弁当箱を持ったまま、私はサクヤに促されて部屋を出ようと歩き出した。

 そう言えば、夜景を見る暇も無かったな。
 ほんの少し未練を思いながら、閉じられていくドアの隙間に陽の入る室内を眺め見る。
 すると、その隙をつくようなタイミングで、サクヤが私のバッグも弁当も持っていない左手を無造作に掴んできた。


 ――――――え?


 ちょっと待って。


 エレベーターホールで待っている間も、やってきたエレベーターに乗ってからも、そこから降りて、フロントの近くでにこやかな表情で立っていたコンシェルジュに部屋のカードキーを渡しても、ドアマンに一礼されながらホテルを出ても、サクヤは決して私の手を握ったまま離してくれなくて、


 「乗って」

 どんな仕掛けなのか、乗降スペースに待機していたのは、モスグリーンの左ハンドル。
 金曜の夜、サクヤが私を会社近くまで迎えに来た時に乗っていたあの車だと確定出来る。

 こんな色をしてたんだ…。

 何となく、最初に見た時よりも光沢が増しているように思えるのは陽の光のお陰なのか、それとも宿泊している間のスタッフの頑張りか、その艶やかなボディラインに思わず目を奪われてしまっていた。

 「サヤ?」
 「あの――――――私、タクシーで帰りますから大丈夫で…だ、大丈夫だから」

 再び、サクヤの眼光に制されて言葉遣いの練り直し。
 まさか、敬語で話しなさいって言われる方が楽だと思う日がくるなんて…。

 「料金は、きちんと支払いま…支払うし、ただ、窓口が開いてないと、全額は…」

 いっその事、このタイミングで請求金額を教えて欲しいと願ってしまう。

 二泊三日。
 お客が負担のホテル代だけで、サービス料を合わせればもしかすると七万近くなるかもしれない。
 …週末だから十万かも。

 そんな事を考えていると、不意に、掴まれていた手の指をサラリと撫でられた。

 「…サクヤ?」

 教えられたとおり名前で呼べば、更にギュッと指先を潰されそうになる。


 「とりあえず、そこまで一緒に行こうか」
 「え?」

  そこまで ・・・・ って?

 考えを巡らせようとして、ハッとした。
 ATMから準備出来るだけでも手付けとして払えという事なんだろう。
 同じ会社で逃げようがないからツケでいいって言ってたわりには、何だか切羽詰まってきたなと思う。

 借金…今日中に幾ら払えとかあるのだろうか。
 …この車、売れば三百万くらい捻出できそうな気がするのは素人目だから…?

 ま、私には関係ないけれど――――――。


 「はい。わかりま、…わかった」


 カードで引き出せる口座には、当月分の生活費だけをわざと分けてある。
 それ以外は全て窓口での通帳取引。
 余計な出費を出さないよう考える力をつけられるのだと主張し実践する母に習って、私もバイトを始めた高校の時からそれをやってきた。
 家賃の引落が十日で、でもGWがあるからまだ先。
 十二万くらいは引き出せる筈だ。

 大人しく助手席に座らされて、サクヤの運転で移動を開始して五分。


 「――――――あ、そこのコンビニで」

 道なりに見えてきたコンビニにサクヤに声をかけると、サングラスをかけた彼は、何故か無言のまま反応を示さない。

 銀行まで行く気なのか。
 けれど、どこの金融機関かは教えてない――――――。

 まさか統計学的な人気の銀行にあたりをつけているとか…?

 「…」

 湧き上がる不安とは裏腹に、赤信号にもあまりかからず、スムーズに車は進んでいく。
 右でギアを操るのが珍しい光景。

 車のこの位置にいるのに、自分が運転していないなんて不思議な気分だ。

 それにしても、随分と運転が上手いなと思う。
 技術的な事じゃなくて、――――――とても優しくて、同乗者にストレスを感じさせない運転。

 歩行者優先はもちろんだけど、詰まった十字路には無理に入らず、路地からの左折は一台は必ず入れてあげて、右折車には対向車線の状況次第で道を開けてあげたり…。


 黒髪の、黒縁眼鏡でその綺麗な顔を隠しながらひっそりと過ごしている会社の室瀬さんがそれに合っている気がする。
 似たり似つかなかったり、知れば知る程に、色んな面が見えてきて、とても不思議な印象を与える人だ。


 ――――――変な人…。



 そんな事を考えながら外の景色を見ていた私は、二日間の体力消耗も手伝ってか、ついうっかり眠ってしまって、一体どれくらい車を走らせたのか。



 目が覚めたらそこは、




 「――――――ど、」




 動物園…?








著作権について、下部に明記しておりマス。



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