数日、薄暗い空模様から秋雨が振り続ける天気が続いていた。 今週は、0校時から授業とテストでカリキュラムがみっちりだった事もあってか、せっかくの土曜なのに、瑠璃ちゃんは発熱しちゃっておばさまから外出禁止令。 一緒に新しい問題集を探しに街へ出かける予定だったから、なんとなく家に居る気にもなれなくて、あたしは一人でマンションを出た。 お気に入りの熱帯魚が泳ぐ傘には、霧のような雨がさらさらと降れて、時々、思い出したように、まとまった一筋が地面へと流れ落ちる。 長虹橋の入口まで来た時、もちろんあたしは目指す書店がある大宮女子校方面へと左に曲がる予定でいたんだけど、 「――――――あ」 突然、世界に差し込んで来た眩しい程の光に、ふと予感がして傘を下ろす。 虹の原理は光のプリズム。 今なら――――――、 長虹橋の先を見た。 太陽はあたしの方から差している。 きっと、雨粒の中に入り込んだ太陽光が屈折して、こちら側からなら素敵な虹が見える筈・・・。 「・・・ぁ」 赤・橙・黄・緑・青・藍・紫――――――、 短いけれど、くっきりと色を出した綺麗な虹が、ぽっかりと空いた薄藍の中にその姿を現した。 雨粒が見せてくれる、光とのその共演はとても美しくて、あたしは暫く、身動きも出来ずにそれを見上げていた。 「――――――すげぇな」 「・・・うん」 ほんと、凄い――――――・・・、 「・・・」 ・・・って ・・・――――――え? 背後から聞こえた声に、無意識に応えてしまっていたけれど、 「でも、風邪ひいちまうぞ」 さっきと同じ声で紡がれたと同時に、あたしを細やかに濡らし続けていた雨が遮られた。 慌てて振り返って見ると、 「・・・あ」 そこに立って、あたしへと紺色の傘を傾けていたのは、 「また会ったな」 ファストフード店で、あたしのタオルを拾ってくれた、円工業高校のあの男の子だった。 ――――――なんで、こんな事になっちゃったんだろう? 「あ、ポテト食う?」 「いえ、結構です」 「あんな小さいバーガー1個で足りんの?」 「・・・いつもは、デザートを食べるから」 「へぇ? オレも同じもの食べてみたい。ここ、良く来るんだろ? いつも何食ってんの?」 テーブルの端っこに置かれていた三角ポップのデザートメニューを示されて、 「・・・これ」 「美味そうじゃん」 言ったと同時に立ち上がって、颯爽とレジに並んだ彼。 「どうしよう・・・」 な・・・なんか、あたし、思いっきり流されてる感じがする・・・。 ほんと、あたしの悪いトコロだ――――――。 深いため息が零れてしまう。 ここは、大宮女子のエリアの端っこにある、瑠璃ちゃんとよくいくファストフードで、つまり、レント君にタオルを拾ってもらった場所。 『どっかで、ちょっと雨宿りしない? この綺麗な虹の余韻、少しで良いからさ、一緒に噛みしめようぜ? オレ奢るし』 『あ、うん・・・』 虹の余韻、――――――なんて、 思わず、頷いてしまうほど、さらっとそんなセリフを言った彼は、 ――――――藤森レント君、というらしい。 あたしと同じ2年生。 偏差値がそんなに高く・・・ない・・・・・・、・・・コホン。 もとい、――――――偏差値が結構低い(ごめんなさい)円工業は、やっぱり不良っぽい人が多いけど、それと同等っていうくらい、カッコいい子が多いって事でも有名だ。 彼、レント君も、 制服の時もカッコ良かったけど、 私服だと、また別の意味でカッコ良さが引き立つ男の子・・・。 白いシャツに、レンガ色のロングベストが、彼の、赤茶とクリームのメッシュの髪に似合っていて、凄くカッコいい。 細身の黒のジーンズに、あたしが好きなアメリカのメーカーのブーツ。 腰に下がるのはやっぱりこの前と同じお財布と鍵束、前に目に入った、パパと同じキーホルダーも健在。 左手の小指に、彫刻が入ったシルバーの指輪。 そして、右の耳に同じデザインのイヤーカフ。 制服の時とは明らかに違うその恰好は、なんだか特別なもののような気がする。 オシャレは、女の子とのデートの為――――――で、 天気が悪くなって、ドタキャン、されちゃった、とか――――――・・・? 「――――――おまたせ」 いつの間にか、席に戻ってきていたレント君。 「・・・え?」 あたしの目の前にコトリと置かれたそれは、あたしがお薦めしたデザートで、 「オレはストロベリーにしてみた。あとでチョコも味見させて?」 「・・・ぅん、ありがとう・・・、あ、お金」 「いいって、オレ奢るって言ったじゃん」 「・・・」 「どうせ味見するし、半分くらい貰うかもよ?」 屈託なく笑うレント君に戸惑いながらも、大好きなそれはやっぱり美味しそうで、じわりと口の中が潤ってしまう。 「いただき、ます」 「ん」 レント君が生真面目に頷くのを見届けて、スプーンを手に取り、生クリームとスポンジ、チョコレートムースを一緒にすくい取って、パクリと一口、 「・・・ぅん」 ―――――やっぱり美味しい。 脳内からハートビームが出てしまいそう。 「お、美味ぇ」 レント君も、まるで当たりくじを引いた子供みたいに、嬉しそうに笑ってる。 甘いデザートの魔法は、男の子にも有効みたいだ。 「――――――うん」 なんだか、あたしも嬉しくなって、口許が緩んでしまった。 「スポンジがいいんだな。ソースが口に残らねぇ」 「うん」 「可愛い」 「うん、そうなの、このムースの重なったところの色合いとか、すご」 「笑った顔、すっげぇ可愛い」 ――――――・・・、 「・・・、えッ?」 デザートから顔を上げて、正面のレント君を見ると、とろけそうなくらい優しい笑顔でジッとあたしを見つめていて、 「マジで可愛い」 こげ茶の瞳が、真っ直ぐにあたしを射止めている。 トクン、 あ、 ちょっと待って、 動き出そうとするあたしの心に、あたしは強く強くブレーキをかけた。 ダメ、 ダメ、 ――――――絶対にダメ! 「あ・・・、はは、そういうのは、好きな人にだけ言った方がいいですよ? 免疫無いと、ほら、あ、あたしみたいに、すぐ本気にしちゃうかもしれないんだから」 急いでデザートを口に運ぶ。 パクパクパクパク、これでもかって、ほとんど味わう事もなく、飲み下し。 ――――――勿体ない、・・・けど、食べて終わったら早く帰ろう。 「・・・本気にしてよ」 「・・・――――――え?」 「カシザキミオリさん」 レント君の唇が、はっきりと刻んだあたしの名前に、 「――――――どうして・・・?」 不信感が、少し込み上げてきて、思わずスプーンをテーブルに置いた。 だって、この前、タオルを拾ってもらった時、瑠璃ちゃんが口にしたのはあたしの下の名前だけで、苗字は――――――、 明らかに戸惑いを隠せなかったあたしに、 「・・・あの、さ」 スプーンをトレイに置いて、レント君は何故か姿勢を正す。 ほんのり顔を赤らめて、指先で鼻の頭をかいたレント君。 ――――――あ、 前に見た、照れた顔――――――・・・。 ドクン、ドクン、 あたしの鼓動が、慣れない状況に早鐘を打ち始めた。 苦しいくらいに、呼吸も浅く、早くなる。 「オレ・・・さ」 「・・・」 「あなたに、一目惚れしました」 「・・・」 「オレと、付き合ってください」 デザートのクリームに、垂れた前髪が付いちゃいそうなくらい頭を下げてそう言ったレント君に、 「・・・・・・あたしのスカーフ・・・"赤"ですよ」 思わず出てしまった正直な気持ち。 「知ってるよ」 当然のように頷いたレント君に、ふと思い出す。 そうだ。 タオルを拾ってもらった時、あたし、制服着てた。 「・・・・・・」 あたしは、 まるで時間が止まってしまったかのように、 何も答えるどころか、しばらくは、身動き一つ、出来なかった――――――。 |