小説:虹の橋の向こうに


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主虹の青

 「美織〜、先週のテスト結果、貼りだされたよ!」

 「あ、うん!」

 廊下から呼びかけてきた瑠璃ちゃんに、あたしは席を立ち上がった。

 土日でしっかり体調を整えてきた瑠璃ちゃんは、月曜の今日から元気いっぱい。
 気合いを入れようと、朝から格闘してきたらしいポニーテールが、廊下をスキップで進むたびに左右に揺れる。


 ――――――あれ?


 廊下の窓から見える校門を目指して、まだお昼時間なのに下校する生徒達の姿が見えた。
 彼女達は、あたし達特進科が入ってる校舎とは別の校舎から出てきている生徒達で、


 「あ、そっか。普通科は今日から中間テストなんだっけ」

 「そうなんだ・・・」

 キラキラした彼女達の笑顔に、なるほど、と思う。

 白のスカーフを秋の風に揺らしながら、木の葉と舞うように歩き進む、成績なんか二の次の彼女達はこれからきっと、明日の為のテスト勉強をするんじゃなくて、円工業のテリトリーに行くんだろう。


 あの、長虹橋を渡って――――――。



 「さてと、どれどれ〜?」

 掲示板を前に、瑠璃ちゃんが学年別の貼り出し表を確認し始めたのを切っ掛けに、あたしはハッとして現実に戻る。

 「瑠璃ちゃん、今回はかなり頑張ったからね、上がってるといいね」

 「う〜ん」

 各学年1クラスしかない特進科のテスト結果は、毎回全学年全員分が貼り出される。
 3年生の何人かが、チラチラとあたしに視線を送ってきた。

 赤いスカーフが、誇らしげにきっちりと結ばれている先輩達は、きっとあたしの事が嫌いだと思う。


 ――――――気にしない。


 「あ、やった、9位〜」

 飛び跳ねた様子の瑠璃ちゃんの声に、

 「瑠璃ちゃん、良かったね」

 あたしは切り替えるように笑って言った。

 瑠璃ちゃんは前回、35人中23位。
 同点同位、その人数によって次の順位が変わるから、前半と後半では順位の価値がかなり変わる。

 それに、今回の試験は難易度が高かったから、これは本当に、凄く頑張った結果だ。

 「美織のおかげだよ〜、ありがとう〜」

 「瑠璃ちゃん、頑張った頑張った」

 抱き着いてきた瑠璃ちゃんの肩をポンポンと叩いていると、今度はさっきの先輩方とは別の生徒があたしを煙たそうに見つめていた。


 「ふふん、今、狭間さんが睨んできてるでしょ?」


 ――――――え?

 その、あたしを見ている狭間さんには背中を向けている筈の瑠璃ちゃんの言葉に、心底驚いた。


 「・・・瑠璃ちゃん、背中に目がついてるの?」

 「いつもの事だから想定範囲内。今回も、美織が不動の1位だもんね。もう自慢の親友だよ!」


 本人よりも得意気に語る瑠璃ちゃんに、

 「・・・」

 あたしは苦笑だけを返して終わった。






 "今、長虹橋のトコにいるんだけど、会えない?"



 受信したメールの本文を見て、不覚にも胸がときめいてしまった日曜日の午後。


 ――――――どうしよう・・・。


 『オレと、付き合ってください』

 そう言ってくれたレント君に、あたしはYESもNOも言えなかった。

 身体が、自分の意志で動かせなくなってしまって、
 言葉が、自分の意志で発せなくなってしまって――――――・・・。


 『直ぐじゃなくていいし、返事』

 『・・・』

 『振られるにしてもさ、ちゃんと正面からオレの事を考えて欲しいから、今、断る理由が無いんなら、友達以上恋人未満でさ、チャンス、ちょうだい?』


 そんな事を言われたら、流され上手なあたしは頷くしかなくて――――――。



 あたしは、リビングを抜けて、長虹橋を見下ろせるベランダに出た。
 大木の間に見る事ができるあの十字路。


 「――――――あ」


 先週、一緒に虹を見たのと同じ位置に、レント君が立っていて、


 ――――――え?


 一瞬、こっちを見たような気がしたのは――――――、気のせい・・・だよね?

 だって、このマンション、40戸入ってるんだし、向こうから見たら、こんなベランダ、ハチの巣みたいなものだと思うし・・・、


 それにしても――――――、


 「・・・どうしよう・・・」


 スマホを握ったまま、ベランダに蹲る。

 白いコンクリートの隙間から見えるレント君が時々スマホを見つめるのは、きっとあたしからの返信を待っているから、だと思う・・・。

 返事をしないと、レント君はずっとあそこで立っている事になっちゃう・・・?

 でも、もしかしたら10分くらいしたら帰るかも・・・。


 ・・・もし、帰らなかったら・・・?



 「どうしよう・・・」


 あたしの心は、右へ行ったり左へ行ったり――――――。

 答えを出したのは、メールが届いて、7分経ってからだった。






 「レン、ト、君」


 本当に、小さな声で呼びかけたあたしだったけれど、
 長虹橋の透かし手摺に凭れるようにして立っていたレント君は、直ぐに振り返ってあたしを視界に入れてくれた。


 そして、


 「美織」

 あたしの名前を優しく呼んで、ふわりと、笑う。


 ――――――名前、呼び捨て・・・。


 円工業の男の子は、彼女じゃなくても、当たり前のように名前を呼ぶって知ってたけど、慣れないあたしは、やっぱりドキドキしてしまった。


 「あ」

 「――――――え?」


 気まずそうに口許を押さえるレント君。

 顔が少し赤くなって、また、鼻の先を指でかいた。


 「ごめん」

 「え?」

 「ずっと、心ン中で美織の事、名前で呼んでたから」

 「・・・」


 ――――――ジン、と。

 心に響いて来る、レント君の真っ直ぐな言葉、態度、――――――そして、あたしに向ける、恋心・・・。



 「来てくれたって事は、時間、平気?」

 「・・・」

 声に出せなくて、あたしは、コクリと頷いた。


 「橋の下に、確か公園あっただろ? そこまで、川沿い散歩しよう」

 「――――――・・・」

 「手、繋いでいい?」

 「――――――え?」

 驚いて顔を上げると、クスクスと笑うレント君が待っていた。

 「やっとオレ見た」

 「・・・」

 「まだ、返事貰ってないけど、チャンス、最大限に活かせるように、さ」

 右手を、あたしへと伸ばしてくるレント君。

 「――――――あと、万が一! だけど、・・・振られた時のための、思い出・・・とか、ちょっとくらい欲しいかな」

 「・・・」

 クイクイ、とレント君の指が動く。

 「ダメ?」

 「・・・」

 なんだか、"甘えんぼ"要素が見え隠れするその仕草に、


 「大丈、夫・・・」

 あたしは、まるで魔法にかかったみたいに、左手を、その右の掌に差し出していた。




 長虹橋には入らずに、マンションへの道を戻って、橋の下に続く遊歩道へと進んで行く。

 身長差は20cmくらいかな?

 歩調について行けず、あたしが心持ち小走りになると、レント君は決まって肩越しに振り返り、ちょっとだけ歩幅を緩めてくれる。


 公園までの15分。

 何度も何度も、レント君はあたしの手を握り直して、その度に、あたしの事を気にかけてくれて、

 あたしの歩幅とうまく進む 調子 こつ を覚えたらしいレント君は、二度と、あたしに小走りをさせなかった。


 あまりの優しさに切なくて、

 あたしはキュッと、泣きそうになった――――――。




 「うわ、懐かし」

 橋の下にある遊歩道の先にある小さな公園は、瑠璃ちゃんから聞いた話だと、橋が出来るずっと前からある公園らしい。

 それを懐かしいというレント君は・・・、


 「オレ、昔はこの辺りに住んでたんだ。親が離婚して、今は工業の向こう側の街に住んでるんだけどさ」


 ――――――離婚・・・、


 「あ、円満離婚だから大丈夫。そう悲観的なものじゃないって。お互い好きな事をするのに、ちょっと不自由になって、必要な会話を失くしたってのが切っ掛けで、タイミング良く、それを共有できるパートナーが、それぞれに新しく出来たって、まあ、良くある話」


 ・・・よくある・・・話・・・なの、かな?

 なんて応えていいか判らずに、俯くしか出来ないあたしにほんのりと情けなさが募る。


 「美織ンとこは?」

 「――――――え?」

 「両親、仲いい? ――――――っていうか、オレの予想では、かなり仲良さそう」

 「・・・うん。パパは、ママが一番って人で、ママも、そんなパパが大好きって、いつも言ってる」

 「そっか。うん。やっぱな」

 「・・・ぇ?」

 「・・・美織は、そういう恋が好きそうな気がしたから」


 ドクン、と。

 胸が痛く鳴った。


 「オレも、そういう恋がいいんだ」


 レント君・・・、


 「オレ、美織と右手で手を繋いだのには、実は意味があるんだよなぁ」


 あたしと繋いだままの手を二人の間に上げて、レント君は照れたように笑う。
 戸惑って首を傾げたあたしに、彼は自分の左手を見せた。

 「これ」

 小指を動かして、示しているのは、

 「・・・ピンキーリング?」

 「うん」

 頷いて、また、あたしの手の握る右手に、力を込める。

 そして、


 「幸せってさ――――――」

 レント君の焦げ茶の目が、優しくあたしを見下ろした。


 「右の小指から入って、左の小指から逃げていくんだってさ」

 「・・・」

 「ガキん頃からの、お袋の受け売り。――――――だから、幸せが逃げないように、このピンキーリングでストップかけんの」


 ピンキーリングにそんな 意味 ジンクス があったなんて、全然知らなかった・・・。


 「だからオレ、美織とは、右手、繋いでいきたい。これからもずっと」

 「・・・レント君」

 「美織がくれた幸せを、ずっとオレの中にためていく。そんな恋を、美織と、してみたい」


 あまりにも、素敵なレント君の言葉に、あたしは、涙が、出そうだった。


 「まだ、美織はオレを知ったばっかだし、好きになれとか、無理強いは出来ない」

 「・・・」

 「でも、そういう恋を始めるチャンスだけは、絶対に欲しい」

 「――――――・・・ッ」

 「・・・ダメ、かな?」


 手を繋ぎたい。
 そう言った時と同じ仕草で、あたしの機嫌を窺うようなレント君。


 胸がキュンとして、じわっとして、


 その結晶が、あたしの瞳からぽろぽろと零れ落ちた。


 「美織・・・」

 突然泣き出したあたしの頭を、レント君の手が、優しく撫でる。

 指先で、涙を拭ってくれる――――――。




 「・・・じゃない」



 「・・・美織?」

 「ダメじゃないよ――――――ッ」


 ブンブンと首を振るあたしに、レント君が、「マジで・・・?」と呟いていた。



 あたしは、こんな恋がしたかった。



 優しく、愛しく、

 お互いを真っ直ぐに見つめて、包み合う、



 こんな恋がしたかった――――――。




 「ぅぅ・・・、ふえっ」



  てつ 君、

 哲君――――――・・・。




 あたしは、1年前も、


 ただこんなふうに、"恋"がしたかっただけなんだよ――――――。








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