小説:虹の橋の向こうに


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主虹の緑



 出会いは偶然。


 次の約束は必然。



 それが初恋だったあたしは、

 あっという間に、全てを薔薇色に染められた。


 それは、高校1年の夏休みの事――――――。




 中学の時の制服もセーラー服で、ただし、スカーフは"白"だった。

 後輩に、学園祭に使うから貸してほしいって言われて、クリーニングに出せなかったスカーフだけ手洗いして、ベランダに干したのが全ての始まり。


 その日は夏日で、薄い生地のスカーフは、あっという間に乾いてくれて、


 『あ、乾いてる』


 ご機嫌でそれを取り込もうとした、その瞬間、



 『あ』


 急に強い風が吹いて、白いスカーフは、長虹橋の方へと、巻かれるように飛んで行った。


 『嘘・・・、どうしよう』


 川に落ちたら終わりだ・・・。

 どうしようも出来ない。


 とにかく着地点を見極めようと、スカーフを目で追っていた。


 ひらひらと、まるで鳥のように夏の空気の中を舞い踊ったスカーフは、マンションの敷地内に植えてある、大樹の影に隠れてしまって、


 『うわ』

 注意して、耳を澄ませていたあたしだから拾えた、そのくらい小さな悲鳴が聞こえてきた。


 長虹橋の方だ――――――。


 慌ててサンダルを引っかけて家を出て、長虹橋へ向かうと、

 『あ・・・』

 そこに、あたしのスカーフを握りしめて途方に暮れていた哲君がいたんだ。


 『・・・君の?』

 『・・・はい』

 『大宮?』

 『あ、――――――はい』

 『ふうん?』


 哲君は、何かを考えるような顔を一瞬見せたけど、直ぐにニコリと笑って、あたしに言った。


 『凄く可愛いね。俺さ、大木哲』

 『オオキ、テツ・・・君?』

 『そ。君は?』

 『・・・樫崎、美織』

 『ミオリちゃんかぁ。俺さ、今、彼女募集中なんだよね』

 『――――――え?』

 『こうしてスカーフ落として出会うとか、運命感じない?』

 言われて、顔が赤くなる。
 心の中を読まれちゃったのかと思った。

 『・・・う・・・、うん』

 『だろ? 試しにさ、付き合ってみようぜ?』


 小学校は、共学だったけど、あの頃はパパが一番で、初恋は無かった。
 ここに引っ越してきてからは、中学も高校もずっと大宮女子で、

 降って湧いた恋のチャンスに、あたしは、確かに浮かれていたのかもしれない。



 『――――――うん』


 返事をしたこの瞬間、初めて、"彼氏"というものが出来た。



 『やりぃ。今夏休み中だよね? ってか、当たり前か』

 『ふふ、―――――うん』

 『じゃあさ、次はいつ会える?』

 『あ、――――――えっと、・・・土曜日、か日曜日・・・』


 平日は、夏休み中でも特別カリキュラムがある。
 毎日じゃないけれど、宿題やレポートも大学生並に多いから、一日サボるとかなりきつい。


 『え? 他は?』

 『・・・あの』

 『明日も明後日も、予定入ってるの?』

 『・・・』


 哲君が、しっかりと手に握ったままの、あたしのスカーフ。
 その時あたしは、ある事に気がついた。


 スカーフ、――――――"白"の・・・。



 脳裏に、強烈に蘇って来た記憶。


 ――――――円工業の生徒は、"普通科"好きなの。尻の軽い"白"しか相手にしないんだよ。昔からこの街じゃ、結構常識。だから、大宮の女子は、普通科の子しか円に続くあの長虹橋を渡らないの。・・・っていうか、今更さ、それを否定する事に意味はあまりないじゃない? だって、この近くに女子なんて、あとは"赤"の特進しかないわけだし。"赤"は間違っても円の生徒は相手にしないだろうしね。


 瑠璃ちゃんが言ってた事が本当なら、

 もしかして哲君、あたしが普通科の生徒だと思ってる・・・の?



 『・・・あの、バイト、で・・・』

 『あれ? 大宮ってバイトOKだっけ? ・・・まあいっか。分かった。じゃあ土曜日ね。11時とか、こっちに来れる?』

 『・・・え?』

 『駅前のファミレスでご飯しよ。待ってるから』

 『あ、あの』

 『それまでは、これ、預かってるね』

 『待って、それは』

 『じゃ』


 颯爽と手を上げて、スカーフを振りながら走り去って行く哲君を見つめながら、


 『――――――彼氏・・・出来ちゃった』


 パパとママのような恋がしたいって、ずっとずっと憧れていて、


 子供の頃から夢見ていた素敵な恋の話の入口に、あたしもとうとう立てたんだって、

 そんな喜びばかりが、哲君に閉ざしてしまった真実をおいてけぼりにして、あたしをドキドキとさせていた。




 次に哲君に会ったのは、その約束のファミレス。

 『ミオリ!』

 レストランに入って、キョロキョロとしたあたしを、待ちかねていたように呼びつけた哲君。


 ――――――え?

 哲君と同じテーブルに、他に4人の男の子達がいた。


 『来いよ』

 立ち上がって、席に近づくのを躊躇していたあたしの背中に手を添えて、


 『こいつ、ミオリ。俺の彼女。な?』

 『え?』

 相槌を求められ、

 『あ、――――――はい』

 思わず頷く。


 『はあ? マジか』
 『哲に女!』
 『くっそ、負けた』
 『はい、おめっとさん』

 ガタガタと音を立てて席を離れて行く彼らの背中に、

 『けけけ、ざまぁ』

 得意気な顔でそう笑った哲君。

 『・・・あの』

 あたしは眉を中央に寄せて、説明を求める。
 そんなあたしの感情にやっと気づいたのか、哲君が、耳元で囁いた。

 『ダチに紹介するのってさ、カレカノっぽいよな?』

 『・・・』

 『次はミオリの友達も紹介してよ。あいつらにさ』

 『・・・うん』

 キュッと腰を抱かれたまま、あたし達は二人で並んでご飯を食べた。

 哲君は常にあたしの身体に触れていて、

 『ミオリ、可愛い』

 意味も、タイミングも良く分からない内に、頬にキスを繰り返される。



 『可愛い』

 『好き』

 『可愛い』

 『好き』


 分刻みで囁かれる愛の言葉に、


 あたしは、すっかり中毒になって、


 『なぁ、いいだろ? ミオリ』

 『――――――うん』


 そのファミレスの帰り、駅前でキスをして、



 『なぁ、いいよな? 俺が好きだろ?』

 『――――――うん』



 次の土曜日、

 つまり、3回目に会った時、あたしは、哲君とエッチをした。


 本当は、



 凄く不安でいっぱいで、


 こんなんでいいのかな?

 早くないかな?



 『ミオリ、避妊、した方が良い?』

 『う、・・・うん』


 あたし、好きだよね?

 哲君で、いいんだよね――――――?



 嵐のような未知の感覚に体中を震わせながら、

 心の中では、苦しいくらいの自問自答が繰り返される。



 『好き』

 『可愛い』


 半泣きしながら、文字通り、破かれるような痛みに耐えて、


 『すっげぇ可愛かった、ありがとう』


 額にキスを貰った時、


 ああ、哲君で良かったんだって、


 これから、たくさん、色んなことを分かち合っていこうって、


 あたしは、本気で思ったんだ――――――。





 そして、運命の4回目・・・。

 友達で集まってるっていうファストフード店に呼ばれて会いに行った時の事――――――、



 『え? こんな子、知らないって。普通科に居ないよ』

 哲君の友達の彼女が、あたしを見るなりそう言った。
 席に座る事も出来ないまま、あたしはその場に立ち尽くしてしまう。


 『あ、違う、――――――ああッ! 思い出した。あんた、特進科の子だよね?』

 『はぁ? ミオリが特進? 嘘だろ?』

 『そうだよ。しかも、ミオリ・・・美織、――――――そうだよ、樫崎美織! 中学からずっと大宮で首位守ってるって、全国模試も100位以内に入ってる才女!』

 『はぁっ?』


 『マジか?』
 『哲、うける』
 『え、ちょっと待って、お前、この前ヤったって』


 ――――――え?


 『哲、く・・・』

 そんな事も、話すの・・・?


 『え? 嘘、付き合ってひと月も経ってないんでしょ?』
 『っつうか、会うの3回目でベッドへGo、だよな? 哲』
 『へぇ? 特進も意外と軽いんじゃん』
 『きゃはは、ほんとだよ。うちらを馬鹿にする教師に聞かせた〜い』


 笑いに色があったなら、
 悲しみに色があったなら、

 あたしと、彼らとを二分する色が、きっとはっきりと空気を分けていたのが見えた筈。
 それくらい、世界が別たれている感じだった。


 『哲、どうすんだよ? 全国で100位とか、お前の手に負えなくね?』


 あたしは、目の前で繰り広げられるその会話を、まるで他人の事のように聞いていた。



 ――――――哲君・・・。


 あたしは、前にも後ろにも、一歩も動けなかった。

 そして、


 ただ、哲君の目だけを、見つめて――――――。


 心から信じて、


 ただ、ただ、見つめてた・・・。



 大丈夫だよって、

 "赤"でも関係無いって、

 "好き"とか、"可愛い"には、そんな事は、全然関係ないって――――――、



 きっと、そう言って、




 『――――――はぁ、マジ、お前、面倒くせぇ』


 『・・・え?』



 ・・・心の何処かが、ピキリと割れた。



 『っていうか、俺、騙されたんじゃん? 特進の女って知ってたら、付き合ってねぇって』

 『・・・哲、君・・・』

 震える唇で、嘘だよね、って、願いを込めて名前を呼んでみたけれど、


 『あ、そうだよ、あの時俺さ、試しに付き合ってって言ったんだよな』


 あたしが見ている世界だけ、パラパラと音を立てて崩れていく。


 哲君の世界は、平気そう――――――。

 彼らが住む世界は、平和そう――――――・・・。


 『あ〜、じゃあさ、お試し期間、終了。な? ミオリ』



 『あはは、何それ、クーリングオフみたい』
 『え? なにそれ』
 『期限内なら、返品できるんだって』


 あたしの世界にだけ、終焉を知らせる、地鳴りのような鐘が鳴り響いていた。








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