小説:虹の橋の向こうに


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副虹の黄

 黄。


 光放って惑わせる黄。




 傷つけられても、



 それを見せないように輝く黄。




 笑っているのに、


 泣いているように見えた君に、


 オレの心は一直線に傾いた。





 零れる涙と、


 失われていく恋への希望。




 美織という名の、


 哀しみの黄――――――。






 「藤森」

 コンコン、と机を指でノックされ、読んでいた本から顔を上げると、機械科技術主任の森先生が立っていた。

 「夏休みだってのに熱心だな。今は何読んでんだ?」

 興味半分、そして話題繋ぎ半分のそんな態度に、オレは少しだけ笑いを口許に溜めて、その表紙を先生に見せる。

 「―――――"ヒッグス粒子"、・・・ねぇ。ったく、なんでお前みたいなのが うち にきたんだか」

 テーブルの向こうの椅子を引いて、森先生がオレの正面に腰掛けた。

 その動作の音は、ほとんど無人の図書室内に大きく響いて、いつも黙々と本の整理を進める、去年大学を出たばかりらしい女の司書さんがチラリとこちらに視線を向けてくる。

 ここは円工業高校の図書室。
 普段から生徒の出入りは少ないけど、夏休みは猶更。
 特に、正午で閉まる土曜の今日は、耳鳴りがしそうな程に静かだった。

 「ま、でも、どうやら念願は叶いそうだぞ」

 「・・・え?」

 森先生の言葉に、本に戻しかけていた視線を上げる。


 『念願が叶う・・・』

 それが意味する内容に、呼吸が、止まるかと思った。

 「――――――マジで?」

 頭の中に浮かんでいたセリフをそのまま口から反芻して、その後、ゴクリと喉が鳴ってしまった。

 「マジで」

 頷いて答えをくれた森先生の目が、ふと優しく細くなる。

 「お前は、本当に一直線だな。そんなに好きか」

 「はい」

 好きかと聞かれれば、その答えは一瞬で出る。

 けど、

 「だったら他の教科もどうにかしろよ。物理ばっか出来ても 大学 さき に進めねぇぞ?」

 口調が呆れ気味の森先生に、オレは曖昧に笑いながら言った。

 「オレ、別にそこに進もうとかはまだ考えてなくて」

 「はぁ?」

 案の定、先生は険しく眉を顰める。

 「じゃあなんで、真壁教授への特別講義依頼を学校に打診したんだよ」

 真壁教授とは、アメリカの航空宇宙局の客員研究員を務めた事がある人で、何年か前の"時の人"。
 知ってる人は少ないけれど、実は、この円工業高校のOBだったりする。
 小学4年生だったオレが初めて生で見た探査機の打ち上げに、日本人としてはただ一人、しかも、秘密保持の為に1プラン1フェーズ毎にメンバーが入れ替わる傾向が強い局の施策の中で、計画の全てに関わった、日本が誇るその分野のエキスパートだ。
 円工業高校を卒業後、1年ほど外国を放浪して、現役から2年遅れでマサチューセッツ工科大に入った彼は、学生の頃から専門誌の注目を集めていた物理バカで、鳴り物入りで航空宇宙局に迎えられたらしい。

 沢山の外国人に囲まれて、背は誰よりも小さかったのに、日本のマスコミにインタビューされて彼が語る宇宙の神秘の大きさは、紡がれる言葉毎にオレの心を魅了していった。

 そんな、真壁教授が導いてくれた世界に、

 「ただ・・・、夢中になってるだけっていうか・・・」

 円工業に進路を決めたのは、その真壁教授が一度だけ母校訪問で講演会を実施した事があるからで、在学3年間のうち、母校から講演依頼の打診を続ければ、もしかしたら本人に会えるかもしれないという一縷の希望だけがその理由。

 機械いじりは嫌いじゃないし、中学の時から見学にきていた、毎年 ここ で実施されているロボットコンテストも面白い。
 本でしか読んだことのない理論が、ほんの初級編でも教師の口から語られればドキドキして楽しいし、また別の切り口から本を探してみようという気になる。

 正直、まだ具体的に、これを仕事にしたいという意志があるワケじゃないから、高校以降の進路はまだ決めていないけど、漠然となら、もし何かを目指すとしたら、こっち分野だろうなという、方向性は感じている。

 けど、

 「まぁ、とりあえず今は、好きな事に親しめればいいっていうか・・・」7

 そんな緊張感のないオレの態度に、

 「お前なぁ・・・」

 はあああ、と深く息を吐きながら、テーブルに俯せる森先生。

 「本当にそんな理由で うち を受験したんだとしたら、お前は本当に・・・、なんつうか・・・」

 「・・・」

 「中学ン時のお前の担任に聞いたぞ? もうちょっと頑張れば光陵にも入れる成績だったんだろう? 会えるか会えないか分かんねぇ遥か昔の卒業生に期待して、なんでわざわざ底辺の高校を選ぶんだよ」


 ここから、大宮の更に向こうの街にある光陵高校。
 県内屈指の進学校だ。



 ――――――嘘でしょ? レント、そんな馬鹿な事・・・、


 萌奈も、似たような事、言ってたっけ。


 ――――――待ってよ、光陵に行くんじゃないの?


 オレが、志望校を円に決めたと告白した秋頃から、何となく距離が空いてきた。


 ――――――どうして・・・? あたし、無理だよ・・・、だって、



 中1で初めて同じクラスになってから、二ヶ月目で隣の席になって、好きになって、それからずっと夢中だった。
 可愛くて、愛しくて、抱き締めるたびに大切だと感じて・・・、時々ケンカもしたけど、次の日に顔を見れば、やっぱ好きだって、何度だって惚れ直した。


 ――――――だってあたし、・・・大宮にいくんだよ?



 『だから?』


 ――――――だから、・・・って・・・。


 途方に暮れた様子で泣きそうになった萌奈に、


 『オレとお前がやってくのに、なんでそれが問題になんの?』


 2年以上の付き合いなのに、初めて、萌奈の考え、・・・その心が見えなくなって、


 『悪ぃ、・・・お前が何に戸惑ってるのか、全然わかんねぇわ』

 『レント・・・』


 萌奈の中で、オレという存在と、一体何が天秤にかけられているのかも理解出来なかった。





 「・・・り、おい、藤森ッ」

 「!」

 太い声で名前を呼ばれて現実に還り、ゆっくりと焦点を合わせて、心配そうな顔でオレを覗き込んでいる森先生を見た。

 「――――――あ、すみません」

 謝罪が口を突いて出て、同時に、手元に置いていたスマホを確認すると、そろそろ篤と約束している時間が近い。
 それを会話終了の合図だと察した森先生は、ガタンと音を立てて椅子から立ち上った。

 「ったく、お前ぇは小難しい本を読み過ぎなんだよ。他の奴を、ちょっとでいいから見習って適当にハメ外せ。――――――あ、見習うのは本当にほんのちょっとだぞ。ウチの奴等は女に関しては自由過ぎだからな」

 ニヤリと足されたそのセリフに、苦笑しか返せない。

 「それから」

 声のトーンを変えた森先生に、帰り支度を始めていたオレは、一旦手を止めて顔を上げた。


 「――――――教頭の話だと、その真壁教授、依頼を引き受けたのは、お前が先月提出した、ロボコン用の設計図見たのが決め手だったらしいぞ」

 「・・・え?」

 驚きと、歓びがオレの心を強く揺るがす。


 「ぜひ、"藤森レント君と話がしてみたい"って、さ」

 「!」


 無意識に、グッと拳を握っていた。

 「会えるのは、来年の2月だ。東京の大学で実施する特別講演で帰国する時、 ここ にも時間をくれるとさ」

 「・・・」

 「その時、設計したロボットの完成品が見れるのかと尋ねてたらしいぞ?」

 「マジで?」

 「マジだ。――――――まぁ、気張れ」

 最初と同じような会話を最後に、背を向けて歩き出した森先生の顔は笑っていて、いつもはどこか親戚の兄っぽかったのが、この時ばかりは珍しく教師に見えた。

 しばらく、その後ろ姿をぼんやりと見送って、

 「・・・やべぇ」



 もしも今、オレが子供だったなら、きっとこの机の上で飛び跳ねていたと思うくらい、心の中が、体中が、どこからともなくウキウキと湧き出る喜びで満ち溢れていた。





 図書室からの帰り、篤と待ち合わせをしている駅前から2つ入った路地にあるファストフード店のドアを開けて、

 「げ」

 オレの口から、まるで反射のように出た言葉。
 ほぼ出口正面にある団体席に、あんまり見たくなかった顔を見つけてしまった。


 ――――――大木哲。

 「・・・」


 と言う事はつまり、美織がいるかもしれなくて、


 「お、レント、こっち」

 オレを見つけて、左側端のテーブル席から手をあげた篤の方へと足を進めながら、横目で何となく哲の周囲を巡ってしまう。


 (なんだ、男だけか・・・)

 その周りに座って居る顔触れは、知っていたり知らなかったり。
 オレや哲と同じ機械科の奴以外は、多分、校舎が違う電気科か情報科の奴等かな。
 5人で、結構なスペースを占有して陣取っているから、後からそれぞれの彼女とかが来るのかもしれない。

 「悪ぃ、篤、待たせたか?」

 頬杖をついて、サングラスと同じ色をしたマリンサンデーをスプーンでつついている篤の向かいに腰を下ろし、開口一番にそれを告げる。

 「うんにゃ。また学校の図書室?」

 「ん、・・・まあ」

 ちょっと濁した返事になった事で、篤が少し唇の端を上げた。

 「あ〜らら、ご機嫌よろしくないね? レントくん」

 「・・・」

 学校出るまではかなりご機嫌だった。

 ずっと憧れてた人に名前を覚えてもらって、もしかしたら話す事も叶うかもしれないという歓びで。


 ――――――なのに、


 「また女の子に掴まっちゃった?」

 クスクスと肩を揺らす篤に、オレはムスッとなる。

 「お前が元凶だよ、篤」

 「え、なんで俺っち」

 「今まではNoって返事すれば話は終わってたのに、最近は"駅まで手を繋いで"って妙なお願いがセットになってんの」

 「あはは、エミっちか。大宮でかなり自慢してたらしいからね〜」

 「断ったら、エミはいいのになんであたしはダメなのって騒ぎ出すし」

 「ぷくく、女の子の最強思考。――――――で、今日も駅まで一緒に歩いてきたワケだ」

 「仕方ねぇだろ。校門の前で騒がれて、暑いし、時間は取られるし、・・・――――――なんだよ?」


 たらたら愚痴を言うオレを、怖いくらい優しい目で見つめて来る篤に、少し戸惑ってしまう。

 「――――――そこでさ」

 言葉を切り、水色のソースが掛かるソフトクリームを一口食べてから咳払い。

 そして、改めた様子で、篤は低く口を開いた。


 「"なんでオレが彼女でもねぇテメェと手を繋がなきゃなんねぇんだよ。告白は終わったんだろ? で、オレに振られただろ? 分かったなら足掻いてねぇでさっさと帰れよ"――――――って、心の叫びを口にしないのが、レントだよねぇ」

 「・・・お前、それを口にしたら、男としてっつうか、人としてどうかと思うぞ?」

 「あ、って事は、やっぱり心の中では思ってるんだ!?」

 楽しそうに切り返してきた篤に、

 「まぁ、半分くらいは似たような事を・・・」

 そう、言いかけた時だった。




 「え? こんな子、知らないって。普通科に居ないよ」


 甲高い声が、大きく響き渡る。

 見ると、


 ・・・美織・・・?


 入口のドアの前に立つ美織がまず目に入って、


 「あ、違う、――――――ああッ! 思い出した。あんた、特進科の子だよね?」

 いつの間にか哲達のテーブルに座って居た女の子達のうち、一人が意気揚々と立ちあがる。


 特進?
 美織が?

 まるでオレの疑問を代弁するようなタイミングで、哲がその子へと身を乗り出した。

 「はぁ? ミオリが特進? 嘘だろ?」

 「嘘じゃないよ! ミオリ・・・美織、――――――そうだよ、樫崎美織! 中学からずっと大宮で首位守ってるって、全国模試も100位以内に入ってる才女!」

 その子の声は、悪気はないかもしれないけれど、悪質に大きくなるばかりで、他のテーブルにいた客も、迷惑そうにしながら、興味津々で覗き見ている。


 「マジか?」
 「哲、うける」
 「え、ちょっと待って、お前、この前ヤったって」


 ――――――は?


 オレは、思わず腰を浮かせてしまった。

 ちょっと待てよ、ヤったって、


 美織を見ると、蒼白な顔色をしていて、


 「え? 嘘、付き合ってひと月も経ってないんでしょ?」
 「っつうか、会うの3回目でベッドへGo、だよな? 哲」
 「へぇ? 特進も意外と軽いんじゃん」
 「きゃはは、ほんとだよ。うちらを馬鹿にする教師に聞かせた〜い」


 次第に、肩で息をし始めた美織。


 哲、何やってんだよ、惚れた女、そこで一人にしてどういうつもりだよ。


 「レント」

 篤の小さな声が、無意識に立ち上がりかけていたオレを止めた。

 「お前が今出て行っても、女達の噂に勢いが増すだけだよ。自分で思ってるより、お前は大宮では有名なんだぞ?」

 「・・・ッ」

 有名とか、意味分かんなかったけど、こういう時の篤は、判断が正確で、計算も早い。
 唇を噛んで自制を決め、美織へと視線を戻す。



 「哲、どうすんだよ? 全国で100位とか、お前の手に負えなくね?」



 美織は、一心に哲を見ていた。

 こっちの胸が、熱く、痛くなるくらいに、美織の眼差しは、一途で、――――――そして悲しかった。



 「――――――はぁ、マジ、お前、面倒くせぇ」


 ・・・美織・・・、

 「っていうか、俺、騙されたんじゃん? 特進の女って知ってたら、付き合ってねぇって。――――――あ、そうだよ、あの時俺さ、試しに付き合ってって言ったんだよな」


 美織の唇が、震えながらも、確かに、哲の名前を刻んだ気がする。


 「あ〜、じゃあさ、お試し期間、終了。な? ミオリ」



 「あはは、何それ、クーリングオフみたい」
 「え? なにそれ」
 「期限内なら、返品できるんだって」



 ――――――なにあれ、最低

 ――――――円じゃない? ほんと下品っていうか

 ――――――あの子、かわいそう・・・


 周囲の空気が、哲達を刺々しく囲んでいく。

 やっとその雰囲気に気付いたらしい哲達は、周囲にコソコソと噂され、引き攣った表情になっていった。


 そんな中、


 「あ、あのッ、違うんです!」

 美織の声が、毅然と響く。


 「あたしが、迷惑をかけてしまって」


 美織、なんで、



 「ありがとう、哲君、あたしに、付き合ってくれて」



 本当は、泣きたいクセに、



 「もう、"こっち"には、来ないから、安心して、くだ、さい」



 なんでって、叫びたいクセに、



 「それじゃあ、お邪魔、しました」



 ペコリと一礼して、美織は笑った。



 無理やりじゃない。
 媚びでもない。


 彼女はただ本当に、


 哲と過ごした、
 美織にとっては大切だった時間に、


 精一杯強がり、自分を奮い立たせて決別したんだ。




 ドアを開けて、美織が店を出て行く。


 その華奢な背中が愛しくて、

 抱き締めたくて、



 湧き出た衝動に、さすがのオレも、気づかない振りなんか出来っこない。


 「レント」

 「――――――ああ」


 篤が何を確認したいのか、小さい頃から一緒にいるから、直ぐに判った。
 そして、オレの顔を見て、篤も、満足気に笑って小刻みに頷いた。


 自分が一番傷ついたクセに、

 心惹かれた男の為に、最後の力を振り絞って綺麗に笑ったカシザキミオリを、



 泣きたいくらいに、好きだと思った――――――。








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