小説:虹の橋の向こうに


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副虹の緑

 緑。


 安らぎと慈しみの緑。




 君を包む、



 そんな自分でありたいと望む。




 ねぇ、美織、


 その笑顔を守る役目、


 オレじゃダメかな?




 見つめ合って、


 二人で紡いでいけるなら、


 この恋の未来は、明るいと思う。



 オレに芽生えた、


 美織という名の、


 優しい緑――――――。







 2週間前、駅前であのキスシーンを見てから、オレは多分、無意識に自分の中にある"何か"を知った。
 ついさっきまで、気づかない振りをし続けて、出来るだけ美織の事を思い出さないように努力していたけれど、

 ・・・時間が経てば経つほど、愚かなスパイラルに嵌まっている自分がいて、


 努力して、考えないように意識を使う程、結局は美織の事を考えていた自分――――――。



 あの、長虹橋に舞い降りたスカーフが、どうしてオレのところに降りてこなかったのか・・・。

 美織を初めて目にした時、凄く好きだった萌奈の存在が薄れかけていたオレの中に、新しい光が差し込んだ事を、どうして素直に受け止めて、

 『オレも立候補したい』

 生まれていた望みを、どうして言葉にして、哲の隣に立たなかったのか。

 そんな後悔はいつも心の何処かにあって、改札を過ぎて振り返っても、まだ繰り返されていた二人のキスに、自分でも引くくらい嫉妬した事で、もう、それを自覚しても良かったんだ。


 「・・・な・・・、なんか、シラケちゃったねぇ?」

 「ああ、お前ら、誰か哲にオンナ紹介してやれよ」

 「そうだね、うん。哲君、今からメールで一人増やすから、ちょっと待っててよ」

 「・・・」


 返事をしなかった哲の目は、現実を見ていないような気がした。
 最後の最後で、美織という人間の魅力に、初めて気づいたんだと思う。

 けど、


 「哲、良かったな、新しい女すぐできるかもじゃん」

 「あ、・・・ああ、うん、そうだな」

 友達に合わせて、その腰を完全にシートに落として作り笑いをした時点で、哲は、次の一歩に踏み出しそこなった。

 今なら、もしかしたら、


 ――――――美織の心に間に合ったかも知れないのに、


 「馬鹿な奴・・・」


 あんなに一途な眼で見つめてくれていた美織を、お前は一体、何と天秤にかけたんだ?


 「・・・篤、オレ行くわ」

 「おう、いってら〜」

 篤の言葉に背中を押されながら、オレはドアに向かって歩き出す。


 「嘘、レント君だ」

 哲の傍に座って居た女の子が、オレに気付いて声をあげた。
 それを切っ掛けに、そこにいた9名が、一斉にオレの方を見る。

 もちろん哲も、自分に向けられている、無意識に敵意を込めていたらしいオレの視線を受けて、険しい顔で眉根を寄せた。


 「・・・な、何だよ、藤森」

 「――――――別に」

 絡む気は無いから、ふいっとドアに向かおうとすると、

 「お前だって、適当に遊んでんじゃねぇかよ。似たような事してんだろ?」

 早口で告げられたその言葉に、

 「あ?」

 思わず反応して振り返ってしまう。

 そこには、必死に自身を取り繕おうとする哲の顔があって、

 「お互い同意して、今日がその結果だろ? 白スカーフまで用意して、美織だって"そういうつもり"で俺と付き合ったんだろうし・・・、"白"って騙されてた俺の方がワリにあわねぇって、な?」

 「あ、ああ」
 「そうだ、哲、お前は悪くねぇぞ」
 「藤森だって、結構女泣かしてんだろぉ?」


 「・・・」

 矛先がオレに向いたのは、美織の為に、少しは良かったのかも知れない。


 「オレ何度か見かけたけどさ、夏休みに入って、日替わりで違う女連れてんじゃん。すげぇよな、さすが円でモテる男トップ5と称されるだけある藤森レントだよ」
 「経験値、どれくらいっすか? 二桁は当然っすよね?」
 「あ、もう三桁いっちゃったとか?」

 「ええぇ〜?」
 「レント君すごい〜」


 煽る奴らと、頬を赤らめる事もなく高い声を出す女子の、意味不明に盛り上がってる雰囲気に、マジで怒りが湧いて来た。
 普通に生きてる高校1年生が、なんでそんな数とセックスできんだよ。


 「――――――1人」


 オレは、身体を向き直して、哲を真っ直ぐに見つめた。

 「・・・え?」

 口をポカンと開けた間抜けな表情で、哲が目を瞬かせている。
 周りの奴等も、同じような反応で、

 「お前らの言う、オレの経験値ってヤツ」

 「・・・は?」


 ムキになって、こんな馬鹿げた会話の相手をしている自分を、堪え性が無いとは自覚済み。

 「今まで付き合った女、一人しかいないからね」


 一瞬、時間が止まったような静けさが走る。

 「・・・え・・・、冗談、だよな?」
 「・・・付き合ってなくても、スルよね? シてんだろ?」

 そう必死に念を押されても、答えが変わるはずも無く、

 「お前らが言ってる事、全然意味が分かんねぇ。オレ、100人の女抱くより、惚れた女、100回抱く方が趣味にあってる」


 ザワリと、周囲が揺れた。
 遠くに聞こえる笑い声は、多分篤のものっぽい。

 こんな事を公衆の面前で言うオレって・・・、とも思うけど、反面、それを言える自分に、何処となく自信を思う。


 オレにとってセックスは、好きだって溢れて来る気持ちをお互いに零し合うもので、

 最後の方は、もう、それを注ぎ合う事は出来なかったけれど、


 ――――――それをオレに教えてくれたのは、間違いなく、中学時代に経験した萌奈との恋だ。



 「まあ、人それぞれの考え方だろうから、押し付ける気はないけど」


 ・・・けど大木、

 お前はいつかきっと、

 ここで見た美織の、――――――まだ始まったばかりだったかもしれないお前への想いを反映させた、あの強くて儚く、悲しい笑顔を、本気で大切にしたい女が出来た時、苦しく思い出す日が来るはずだ。


 「じゃ、もういい? オレ、バイトだから」

 そう言ったオレを、誰も引き止める気はないみたいだから、今度こそ、ドアを開けて店を出て、迷わず、長虹橋の方へと歩き出す。


 夏の太陽の熱が、体中に刺さってきた。
 でもこれ以上に、美織の心は焼けた筈だ。


 あいつ、タクシー乗ったりしてないよな?
 けど、もし外に出て泣き出したなら、誰にも見られたくなくて、その可能性もあるかもしれない・・・。


 「美織・・・」

 その名を呟くと、足が自然と小走りになって、

 「くそ」

 2ブロックを過ぎたところからは全速力。


 哲達の相手しないで、さっさと出てくればよかったと、ちらり、後悔が過る。


 はぁ、はぁ、

 自分の呼吸が完全に聴覚を支配する世界で、目の前には長虹橋。


 「あ」

 ちょうど橋の真ん中に、とぼとぼと歩く美織の後姿を見つけた。

 (追いついた・・・)

 体中から力が抜けて、弾んだ息を整える。


 ・・・泣いているようには、見えないけど・・・、

 様子を窺いながら、横断歩道を渡って、美織と同じ、橋の左側の歩道に立った。
 このまま、オレの歩幅で急ぎ足をすれば、



 赤・橙・黄・緑・青・藍・紫


 きっと、緑あたりで、美織を捉まえる事が出来る筈――――――。




 なんて声をかけよう。

 今の美織は、男なんか信じられない気分だろうし・・・、



 距離を詰める事が出来ずに、美織のアッシュがかった黒髪が揺れるのを、ただ、追いかけていた時だ。


 気付いたら、ハザードを点けたシルバーの高級車が、美織を越した、ちょうど"青"の辺りで停車していた。

 後部席のドアが開き、一人の男が姿を現す。
 多分、二十歳くらいの、黒っぽいけど、柔らかそうな焦げ茶にも見える髪を靡かせた、かなり顔立ちが綺麗な奴で、

 「美織」

 微かに聞こえてきたその声に、美織が反応して顔を上げる。


 「・・・ウくん」

 驚いた顔をした美織が呟き返す内に、男は、素早くその傍に駆け寄っていた。


 大きな手で、美織の前髪をかきあげ、心配そうに覗き込んでいる。
 小さく首を振る美織は、泣く事はなかったけれど、安心したように、そいつの胸に額をつけ、しばらくすると、ふわりと微笑んだ。

 また、その男の大きな手が、美織の頭を撫でる。


 親戚のお兄ちゃん、とか・・・?


 ――――――そんな、身内っぽい感じはするけれど・・・、



 「・・・また、出遅れたな・・・」

 その男に促され、車に乗り込む美織を、オレはただ、ぼんやりと見つめる事しか出来なかった。





 「――――――なんだ、レント。また来てたのか」

 昼を過ぎた頃、やっと寝室から出てきたかと思うと、オレの顔を見るなりそんな事を呟いた親父は明らかに不服そうで、

 「ダーリン、そういう事、言わないの」

 美香さんに肘でせっつかれて、チッ、と舌を打つ。

 「ここんトコ毎日じゃねぇかよ。いくら"いつでも遊びに来てね"と言われたとしても、そこは真に受けねぇのが大人だろ」

 「・・・オレまだ子供だし」

 っつうか、どうせ美香さんとの時間が少なくなるって理由で不機嫌になってる親父も子供みてぇだし。


 そう思ったのはオレだけじゃなくて、美香さんもだったみたいだ。
 笑いを堪えているのが、口の形と、頬の動きで解った。

 「惚れた女の抱き方を知ってる男を、オレぁ 子供 ガキ とは言わねぇ」

 「・・・じゃあガキってどんなんだよ。SEXの仕方知ってるから大人だってんなら、 うち の奴等、みんな大人だろ」

 「ばぁか。ガキってのはな・・・」

 親父は、ガタンと椅子を鳴らしながらオレの向かいに腰を下ろした。

 「"自分勝手に振る舞う"事と、"自分の意志で動く"事の区別が出来てない未熟者の事だよ」

 「――――――」


 ・・・くそ。

 妙に納得、とか思ってしまう。

 (美香さん限定)エロバカ親父のくせに、さすがに経営者なだけあって、こういうポイントは妙に人を惹くんだよな。

 悔しいけど。


 「それにオレは、"惚れた女の抱き方"を知ってる奴、と言ったんだよ。経験があるかどうかじゃない」

 「・・・?」

 「ただシタのか、それも、メイクラブしたのか」

 「ふふ、そうねぇ」

 美香さんが目を細めた。

 「萌奈ちゃんを見る限り、レント君はそういう意味では、男の子じゃないわね」

 「・・・」

 「すれ違ってしまうまでは、ずっと幸せそうだったもの。萌奈ちゃん」

 「・・・だと、良いけど、さ・・・」


 美香さんの言葉に、男としての価値、ちょっとは自信が取り戻せる。


 あれから――――――、美織が橋の上から他の奴にもってかれるのを成す術もなく見送ってから既に1週間。

 そのうち5日、何かと理由をつけて同じマンションに住むこの部屋を訪ねているけれど、そんなんで美織の動向が掴めるわけなんかなくて、

 「――――――美冬さん、随分心配してたわ、"美織ちゃん"の事」

 「!」

 美香さんが、突然親父に振った話に、思わず心が跳ねた。

 "美織ちゃん"

 やけに強調された名前に、誘われたと気づいたのは目が合った後。

 「・・・やっぱりレント君、美織ちゃんの事知ってるのね?」

 「・・・いや、知ってるっていうか・・・」

 「おかしいと思ったわ。突然かりゆしウェアのこと話したり、沖縄を頻りに話題にして・・・。まさか美織ちゃんの情報が目的だとは思わなかったから、昨日、美織ちゃんの事、初めて美冬さんから聞いて、やっとレント君の態度が符合した気がしたのよねぇ」

 ショートカットの髪を撫でるような仕草で苦笑した美香さんの言葉を継いで、

 「―――――美織ちゃんの相手、そのクソ野郎、前に一緒に見た奴か?」

 「・・・ああ」

 親父が、厳しい目つきでオレを見た。

 「同級生か?」

 「ああ」

 「まさか"オトモダチ"じゃねぇだろうな?」

 厭味を含んだその問いに、オレは僅かに首を振る。

 「名前は・・・知ってた。っていうか、美織の母親が美香さんに相談するくらい、・・・美織はその・・・」

 最後は言い淀んだオレの言葉に、美香さんは首を振る。

 「もうそれ以前の問題」

 「――――――え?」

 「その彼との悶着が、生徒達の間で凄い噂になっているらしいの。SNSの威力ね。それがPTAの耳に入って、昨日、臨時職員会議が開かれたみたい。その結果、来週の新学期早々に、美織ちゃん、ご両親と一緒に校長先生と面談する事になったんですって」


 は?

 一瞬、思考が飛んだ。


 「・・・なんで男との痴話喧嘩で、学校が出てくんの? 男漁りにきてる女子なんか、"白"に沢山、」

 「そういう事よ」

 「―――――え?」

 「美織ちゃんのスカーフが、"赤"だから」

 「・・・?」

 「言い方は悪いけど、美織ちゃんが特進科だから、問題になるの」

 眉間を狭めたオレに、親父がため息を吐きながら足説をくれる。

 「不健全性的行為。つまりは――――――だ。・・・美織ちゃんがそいつとSEXをした事を、一時的な快楽を目的とした不良行為として見なされた、そういうわけだよ」


 不健全性的行為?


 「・・・意味わかんねぇ。それなら、美織じゃなくて相手に科せられるべきだろ?」

 「 おまえんとこ でそれが問題になるのかぁ? 女とのいざこざなんか日常茶飯事なのに?」

 鼻で笑う親父に、言葉が返せない。

 「 基本 ベース が違うんだよ。同じ大宮でもこの扱いの差だ。ま、今回は噂が酷過ぎるからな」

 「噂って・・・」


 オレの疑問に答えてくれたのは、悲し気に眉尻を下げた美香さんだった。



 「――――――特進科の樫崎美織は、欲求不満を解消しようと、"白"の振りして円の男に跨った、・・・ですって」



 「酷ぇ・・・」

 あの時、同じ店に居たのに――――――、本当に、どうにか出来なかったのか?


 「やっぱり、口、出せば良かった・・・」

 「・・・どういう事?」

 何かを察したのか、美香さんの口調が尖ったような気がした。


 「・・・その 悶着 トラブル の時、そこに居た。リアルで」

 ピクリ、視界の隅で動いたのは、親父なのか、美香さんなのか。

 「それで?」

 親父の低い声に、重い口を開く。

 「・・・オレが口出すと、女子の噂に拍車かかるから、・・・って」

 「放置したって事?」

 今度は、若干高くなった美香さんの声で、

 「――――――まぁ、それで正解だろうな。レントが入ってたら、それこそもっと酷くなってかもしれねぇ。二股だのなんだのって脚色ついてな」

 テーブルを見つめた状態で伏し目がちに呟いた親父に、美香さんが横目を向けた。

 「先を考えればそうだったかもしれない。でも、それでも・・・、その時、そこにいた美織ちゃんは?」


 美織・・・。

 「一人・・・だったんでしょ? その場で」

 「・・・うん」


 気丈に、崩れるのを必死で耐えて、笑顔さえ浮かべた美織の姿を思い出す。

 「孤独になった時間を、少しは温かくしてあげられたかもしれない」

 「・・・」

 「あなた達の考えるような先じゃない。――――――私だったら、その場で助けて欲しかった。・・・きっと、"その時"こそ、彼女は誰かの助けを必要としてた筈だわ」

 「・・・ん」

 「そして、今の美織ちゃんを支えているのは、彼女が助けを必要としたそのタイミングに、手を差し伸べるのが間に合った人なのね」



 「――――――え?」

 弾かれたように顔を上げて聞き返したオレに、美香さんは厳しい目でそれを告げた。




 「あの日から、美織ちゃんの傍には素敵な 騎士 ナイト がいるらしいのよ?」


 「・・・」


 「残念だったわね、レント君」


 オレの脳裏に、あの日、橋の上で見た、焦げ茶色の髪の男が過っていた。








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