小説:虹の橋の向こうに


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副虹の藍

 藍。


 深い海の藍。



 冷たい、海の色――――――。




 離れていても、


 低い温度で燃え続けたこの恋は、


 光を見つけて、



 あと一歩、

 もう一歩とオレを手招く。





 傍に行っていいかな?


 触れても、いいかな――――――?




 頼むから、オレを呼んでよ。





 美織という名の、



 愛の藍――――――。










 「 池谷 いけや ――――――?」


 バイトの帰り、お袋の使いで滅多に足を伸ばさない隣町までやってきて、凄ぇ久しぶりの名前で呼ばれた。

 肩越しに振り返ると、そこには一組のカップルが立っていて、


 光陵高校の制服の上から黒のダッフルコートを着た、真面目そうな顔をした奴と、
 そいつの腕に指先を絡めて立つのは、大宮女子の制服をコートの下に覗かせる、

 ・・・最後に見たのは、中学の卒業式。


 あの頃はポニーテールだった髪型が、今はサイドにまとめてられて少し大人っぽくなっていて、ほんのり眩しく、オレの目に映った。


 「萌奈・・・」

 「・・・久しぶり、レント」

 「・・・おう。遠野も」

 「・・・ああ」

 お互い、目配せだけで終焉する。

 気まずい空気に、改めて萌奈に目を落とした。

 大人っぽくはなったけど、まだほとんど、オレが知ってる萌奈だ。
 ファーの付いたココア色のコートが、良く似合ってて、萌奈らしい。


 「・・・話す?」

 萌奈の目線に合わせるように、身体を屈めてそう言ったのは、"今カレ"の遠野で、

 「あ、・・・うん」

 懐かしさが込み上げる微笑みで、そう頷いたのは、オレの"元カノ"。


 オレ達は、中学は別だけど、3年の時、夏休みに大手進学塾で募集がかかった受験対策プログラムで一緒のクラスになった間柄だ。

 バレンタインの日、もうチョコをあげられないって、泣きながらオレの家の前まで言いに来た萌奈の後ろには遠野がいて、そういう事ならと、オレは黙って身を引いた。


 あの時は、ただひたすら胸が痛くて、遠野に肩を抱かれながら俯いて去って行く萌奈の後姿に、


 泣きたいのはオレの方だ。


 ――――――弱い自分から湧き立ったその黒い感情に、別の意味を含んだ涙を飲んだ事も、悔しいくらいに良く覚えてる。



 「・・・元気?」

 何故か、萌奈の意向で気を利かせて離れたらしい遠野を横目で見送って、オレは萌奈へと声をかけた。

 「うん。レントも、元気そう・・・?」

 「ぷ、なんで疑問形?」

 「あ、・・・なんだか、100%じゃないのかな、って思って」

 「・・・そっか」


 2年以上も、親よりも近い位置で見つめ合っていた仲だ。

 そして、それくらい近くに居たから、離れた時の、右側の喪失感は凄かった。

 ああ、オレは本当に萌奈に惚れてたんだと、今、顔を見ても、すんなりと思う。


 「オレも、解る」

 「――――――え?」

 「今のお前、すげぇ落ち着いてる」

 「・・・うん」

 「穏やかで、・・・幸せそう」

 「レント・・・」


 そうだった。

 萌奈は、平穏が好きで、乱されるのが苦手で、

 いつだって、静かな時間を望んでた。



 『――――――嘘でしょ? レント、そんな馬鹿な事・・・、光陵に行くんじゃないの? ・・・あたし、無理だよ・・・、だって、だってあたし、・・・大宮にいくんだよ?』

 オレの進路が決まった秋から、萌奈はいつも不安気な光を目の中に持っていて、


 「今なら、わかるよ。あの時、オレがお前にやれなかったもの」

 「レント・・・」


 オレを見上げる萌奈の目に、うっすらと水面が張っている。


 「今なら、わかる」


 オレがあげられず、

 代わって遠野があげたもの。


 大宮の"赤"の彼氏が円の男なんて、そんな騒がしい未来の日常を想像して、萌奈が平静でいられる訳は無かったんだ。
 萌奈の反応に戸惑ったオレは、萌奈のそんな不安を見逃していた。

 ずっと、気づかなかった。


 美織と哲の事で、初めて、世間の目って奴を知って、

 そして初めて、萌奈の目線が想像出来た。



 オレは、――――――心のどこかで、


 萌奈がオレじゃなくて遠野を選んだのは、

 "光陵に行かない男"と、"光陵に行く男"で天秤にかけられたと思ってた。

 そういう女だったのかって、多分どこかで思ってた。


 けど、秤に乗ったのは、萌奈の心。


 「ごめんね、レント。・・・あたし、頑張りたかったよ? レントと、ずっと歩いていきたかった」

 「・・・うん」

 「でも、耐えられなかったの・・・。レントの進路を知った時のお母さんの落胆した顔とか、高校で新しく出来た友達になんて言われるんだろうとか、レントの事好きだけど、それに負けて、嫌いになりそうな気がして、ずっと不安で・・・」

 「うん」

 「そんな感情知られたくなくて、無理に笑う自分に疲れて・・・、だから、さよならしたの」

 「うん」

 「ほんとは、ずっと好きだった。夏くらいまで、まだレントが好きだった」

 「萌奈、お前」

 チラリと、遠野を見る。
 すると、萌奈が泣きそうな顔からクスリと笑った。

 「大丈夫。遠野君も知ってる。あたし達、付き合い始めたの、秋口からだから」

 「――――――え?」

 「ずっと、支えてもらってた。都合よく、友達として・・・」

 「・・・」

 「遠野君、あたしが追いつくのを、待ってくれたの」

 「・・・そっか」


 本当は、良かったなって、そう言って抱き締めて、頭を撫でて、

 オレのありったけで、萌奈を甘やかしたかった。


 これはきっと、情ってヤツなんだと思う。

 でも、それはもう、遠野の役目で、


 「オレも、やっと夏に、好きな子出来た」

 ハッと、萌奈の目が見開かれ、そして、ホッとしたように微笑む。


 「良かった――――――」

 「ん」


 オレが頷いたのと同じタイミングで、


 「狭間」


 遠野の声が辺りに響く。


 あ、あいつ、今、萌奈が笑ったのを見て、絶対にヤキモチ妬いたな。


 「っつうか、遠野のヤツ、まだお前の事、苗字で呼んでんだ」

 「あ、・・・うん」


 何か意味を含むように、頬を赤くする萌奈。


 「・・・ま、クリスマス、もうすぐだしな」

 「・・・うん」

 頷いた萌奈は、多分もう意志を固めていて、きっと次に会う時は、お互いに名前を呼び合っているんだと思う。



 「オレ――――――、お前と出会えて、付き合えて、・・・マジで良かった」

 「・・・レント」

 「幸せになれよ、絶対」

 「――――――うんッ。レントもね!」


 握手とか、ハグとか、そんなものは要らなくて、


 中学の頃、二人で必死に恋してた時と同じ笑顔で、遠野へと向かった萌奈の背中をジッと見つめる。

 控えめに腕を絡めて歩き出した二人の姿は、あのバレンタインの日とダブって見えて、


 だけど、それを見るオレの心境は、まるで違う。



 やべぇ。

 なんか、嬉しくて泣きそうだ。



 ふと、振り返った萌奈と目が合った。



 "頑張れ"


 多分、100%じゃないオレの様子から、報われない恋をしてると察したんだと思う。

 唇で綴られたわけじゃないそのメッセージに、オレは小さく頷いていた。







 虹の原理は光のプリズム。

 太陽光が水滴の中に入り込み、その中で一度屈折した光が水滴の色となって、虹としてオレらの目に映る。
 その理論で言うと、他にもいろいろ条件は必要だけど、水滴が空中にある内に、もし太陽の光が差し込んだなら、その太陽とは逆の方向を探せば虹を見つけられる確率は高くなる。

 そしてその光は、見る角度によって色が変わり、


 紫・藍・青・緑・黄・橙・赤――――――。


 見上げるその角度が低い方、だいたい40度の位置から、2度ほど上がる位置までの間に、紫から赤色へと7色で続いていく。

 だから虹は、いつも内側が紫で外側が赤。
 同じ水滴を見ている筈なのに、角度によって見る色は微妙に変わり、


 そして、見る場所によって大きさを変える――――――・・・、



 それはまるで、人と人との関係みたいだ。






 「――――――これ、お前が設計したのか?」

 篤に呼ばれて、難しい表情で作業室にやってきた大木哲は、促されるまま暫くPCを覗き込んで、そして改めて、眉間を狭めた怪訝な顔で、オレの事を見上げてきた。

 「ああ」

 頷いたオレに、

 「・・・お前、なんで うち にいんの?」

 「あ?」

 「これ、理工学部レベルだろ? おもちゃ作るレベルじゃねぇぞ?」

 言いながら、再びPCの画面へと視線を戻した大木哲。

 「おもちゃじゃねぇ。造ってんのはロボット」

 「判ってるって、ってか、これ制御できるプログラム・・・あ〜、これ、前のヤツには荷が勝ちすぎてたな」


 何気なく北見を落とすような発言にムッとしたけど、

 「お、まてよ、ここのアームのトコで使ってるユニット移動のフェーズを・・・」


 チームに入るか入らないか、返事もしない内に、周りが見えなくなったように独り言が始まるのは北見と似てる。
 何の説明をしなくても、言語と設計書の位置を自力で辿っていけてる様子は、冗談抜きでこいつのレベルの高さを知らしめていて、

 「当たりだろ?」

 得意気に笑った篤に、

 「おう」

 オレは、暫く進捗の無かったロボット造りが、ようやく前に進み始めた高揚感を味わっていた。





 何かに夢中になっていると、日々が過ぎるのは凄ぇ早い。

 篤が彼女とラブラブなクリスマスを過ごす中、オレと哲は作業室で徹夜。


 「見てろよ」

 リモコンで動作を見せる哲の自信有り気な表情に、銀のロボを見るオレの視線にも力が入る。


 二足歩行で数歩進み、停止。

 両腕が前にゆっくりと上がり、そのまま背後へと肘から折れる。
 両手は、背中に引っ掛けられたカゴを掴み、


 今までは、ここでカゴを上げようとする力が、うまくアームに伝わらなくて空回り。


 ――――――けど、


 「あ」

 カチ、と。

 ワンクッション、両肘にあたるユニット部が左右に開いたように見えた。
 カゴをスムーズに持ち上げ、頭の位置まで問題なくカゴを持ち上げている。


 「・・・上がった」

 「な?」


 あとは、膝を軽く曲げ、腰を前に折り曲げれば、自動的にボールが目の前のバスケットへと落ちる寸法。


 「やばい、マジすっげぇ・・・」

 「だろ」

 「哲! お前スゲェ!」

 思わず、バンバンと背中を叩く。

 「へへ、って、痛ぇよ」

 「これで絶対優勝な!」

 言いながら、握った拳を目の前に出すと、

 「・・・おう!」

 それに合わせて応えをくれる哲。
 すげぇすげぇ言い合いながら、何度か拳を押し合って、それからふと、熱が冷めるようにゆっくりと腕が下りた後、


 「レント、・・・ありがとな」

 哲がポツリと切り出した。


 「ん?」

 「久しぶりに、好きな事に夢中になれた気がする」

 「・・・」

 「なんか、高校入って、周りが女知って大人ぶってく中で、・・・変に、いろいろ焦ってたのかも、俺」

 「・・・哲・・・」

 「ほんと、馬鹿な事した。――――――美織に・・・スゲェ酷い事した・・・」


 俯いた哲は、情けねぇ顔をしてるのに、オレには、今までで一番イイ男に見えて、


 「――――――なんかアレだね、青春だね、哲君」


 茶化してニヤニヤと言ったオレに、

 「篤か」


 そう突っ込んできた哲は、

 ――――――もちろん、美織にした事を、哲は忘れちゃいけないとは思うけど、


 もう、"ダチ"と呼んでもいいと思った。








 それから、本戦が行われた2月まで、オレの生活はロボットコンテスト一色で、

 3月になり、春休みに入ると、5ヶ月近くもその姿を見ていない美織の顔を思い出すのが、情けねぇけど、ほんの少し難しくなってきていた今日この頃。


 「・・・おいこら、お前のロボコン優勝祝いだろうが、もっと景気良い顔しろよ」

 親父に頭を小突かれて、ハッと我に返る。


 途端、イヤホンが外れたかのようなインパクトで、脳内に入ってくる独特の太鼓の音。

 指笛、掛け声、――――――独特の言葉。


 ここは沖縄の、国際通り、ど真ん中。

 日曜の午後は歩行者天国とかで、観光客やら地元の家族連れやらで人口密度が結構高い。

 「あ、可愛い! あの民芸品店、寄ってみましょうよ、レント君」

 いつもより、随分とテンションの上がった美香さんが、早く早くと手招きする。

 「おう、ちゃっちゃと動け」

 「チッ、クソ親父」

 「あぁ?」

 「・・・分かったって」

 凄んだ顔で背中を押され、美香さんを追って店内へと入って行く。

 この旅行は、オレのロボコン優勝の名目にかこつけて、

 『いいなぁ〜、沖縄、行きたいわ〜』

 なんて言ってた美香さんの希望を親父が叶えたに過ぎない。


 「・・・ダシに使いやがって」

 「おう、いいダシになってんぞ」

 「・・・」

 「土産は買わねぇのか?」

 「買うよ」

 「他二人の奴も好きなの選んでいいぞ。優勝祝いだ」

 「―――――高っけぇヤツ選んでやる」

 「上等だ」

 鼻で笑って、美香さんの方へと歩いて行く親父に刺激されたからか、


 「・・・篤と哲に何か探さねぇとな」

 なんとなく周りの品物が見えるようになってきた。

 ロボコンが終わってから、やっぱり気が抜けたからなのか、ぼんやりとする事が多くなって、
 来月から、真壁教授に誘われてアメリカに行く事も決まっているのに、妙に集中していないオレに喝を入れたい目的も、一応あるとは思う。


 気ぃ、遣わせてんだよなぁ――――――。


 自分が思っているよりも、色んな人に。


 「・・・何にすっかな」

 シーザーとか、黒糖とか、ご当地キャラ・・・。


 店内をキョロキョロと見回して、


 「!」

 ふと、目に留まったキーホールだーがオレを釘付けにした。


 『いつの世までも、あなたを想う。心を込めた石垣島の美しい織物を大切な人へ』


 美しい織物――――――、


 美織・・・、


 「いつの世、までも・・・?」


 誘わるように呟いたオレの傍で、


 「あら、ミンサー織ね」

 「ミンサー織?」

 「そう」


 美香さんが、オレが見ていたキーホルダーを手に取った。

 「見て」


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 「五つと四つの模様が交互に織り込まれているでしょう?」

 「うん」

 「それが、" いつ までもそばにいて"――――――というラブレターだったんですって」

 「・・・」

 「・・・そういえば、美織ちゃん、今月はお誕生日だったわね」

 「――――――え?」

 思わず、反応して顔を上げる。


 「3月3日、ひなまつり。美織ちゃんにぴったりよね」


 「・・・」

 チャリ・・・美香さんが手に取ったキーホルダーとは、また別のものを手に取ってみる。


 ピンク色に、その五つと四つの模様が紺色でつけられた織物が、丸いプラスチックの中に閉じ込められたキーホルダー。


 「私が、美織ちゃんに渡してあげてもいいわよ?」


 スゲェ、誘惑だった。

 けど、

 「・・・いいや」

 オレの応えに、一瞬だけ驚いたような顔をした美香さん。

 「――――――そう?」

 「うん。買ってくる」

 「え?」


 今度は驚きを声に出した美香さんを背後に、さっさとレジに持って行って会計する。

 「あ、直ぐ使うから、袋は要らないです」

 そう言って、旅行先でも腰に下げていた鍵束の中に、早速それを仲間入りさせた。


 何となく、美織を感じる事が出来るモノ――――――。

 女々しい気はするけど、美織の幸せに波を立てようって気はないから、今のオレにはこれで充分だ。



 「レント君・・・?」

 「ありがとね、美香さん」

 「・・・」

 「バッチリ気合入った」

 オレの言葉に、美香さんが申し訳なさそうに眉尻を下げる。

 「ごめんね、レント君、力になれなくて・・・」

 「なんで美香さんが謝んの? こればっかりは他人はどうにも出来ないよ」


 オレ以外の誰と恋をしようが、それは美織の自由だ。
 そこに、第三者の意志なんか介入していい筈なんか無い。


 「これをエネルギーに、アメリカでちょっと頑張ってくるよ」


 さっきまでとは違う表情でそれを告げる事が出来たオレに、美香さんはホッとしたように頷いた。








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