紫。 ただ真っ直ぐに見つめる紫。 それは、 恋をしたいと望む君の、 瞳の中の炎の色。 ねぇ、美織、 ねぇ、美織――――――。 これから、 たくさんの事を、二人で見よう。 急がずに、ゆっくりと感じて生こう。 永遠という蜜をひるがえす、 美織という名の、 一途な紫――――――。 ―――――― ――――― 「レーントォ」 オレの姿を見つけるなり、まるで抱き着こうとする勢いで飛んできた篤。 周囲を行き交う人達が、訝し気な目線でオレ達を見つめている。 「うわッ、バカ」 「バカは酷い! ずっとほったらかしにしてたクセに!」 「や〜めろ、ったく」 「・・・くすん、レント君、たった半年でそんな態度」 「篤・・・マジで、お前のそういう冗談、」 ちょっと苛々度が上がって来たのが伝わったのか、 「あ〜、はいはい。わかったよ」 上目遣いをガラリと変えた篤が、 「お帰り、レント」 懐かしい笑顔でオレを迎えた。 「――――――おう、ただいま」 親父やお袋に会った時よりも、"帰って来た"カンがスゲェ強い。 真壁教授に誘われて、4月からロボット制作アカデミーに、円工業からの特待生として留学させてもらっていたオレは、半年間のプログラムを終えて、二日前に、日本に戻って来たばかりだ。 「哲ももうすぐ来るよ。どっか店に入るか?」 「いいよ。暑くもねぇし、ここで」 「向こうはどうだった?」 「面白かった。機械バカばっかでさ」 「だろうな〜」 「本当は、二期も来いって言ってもらえたんだけど、そうなったらこっちでしなきゃなんねぇ手続きあるしさ」 オレのセリフに、篤が眉を顰める。 「――――――また、アメリカ行くって事?」 「まだ決めてねぇけど、可能性はある・・・かな」 「・・・」 鼻の頭をかきながら曖昧に告げたオレに、神妙な顔をする篤。 「なんだよ?」 「・・・いや。なんか、すっげぇ先に進んだなぁってさ」 「篤・・・」 「もう2年の秋だからさ、色々考えるよね」 「――――――だな」 中学を出たばかりで、ウキウキしてたあの頃から、大した年数も経ってねぇのに、高校生ってヤツは、毎年、選択肢に人生に影響を与えるカテゴリが増え始める。 就職、進学、 ――――――美織は、結婚、――――――か。 顔を見なくなってそろそろ1年。 オレの中に、美織はまだ息づいていた。 正直、直接話した事も無い女の子を、なんでここまで想ってるんだろうって、アメリカで告白される度に、自問自答を繰り返した。 気が合う女の子と、付き合ってみてもいいんじゃないかって、YESを言いかけた事もあったけど、 何故か、思い出すのはいつも、 『ありがとう、哲君、あたしに、付き合ってくれて』 健気に、泣きそうなのを堪えて、気持ち全部かけて、哲を守った美織の顔で、 不思議だけど、時間をかければかける程、 美織への想いが"ろ過"されて綺麗になっていく――――――。 「ま、オレもこれからいろいろ考えて・・・」 気を取り直して言いかけて、 「――――――・・・え?」 思わず、身体を硬直させた。 「あいつ・・・、なんで・・・?」 震えるように口にした直後、まるで何かに操られるように駆け出していたオレの身体。 「はッ? おい、レントッ!?」 篤の声が、大きくオレを追いかけて来る。 けど、 冗談じゃねぇ、 マジで、冗談じゃねぇぞ! なんで、 なんで――――――ッ! 「おい、あんた!」 黒塗りの高級車の前で、金髪の女の腰を抱いて、その頬にキスをする"そいつ"の前に身を投げた。 「煌さん!」 「煌さん」 途端、周囲を数人の男達に取り囲まれる。 チッ、取り巻きかよ。 肩で息をしながら、冷静に周囲を観察する。 なんだ――――――? 周りにいるのは、やけに年が離れた大人達で、 「・・・――――染谷、ただの学生さんだ」 「ですが、」 口を出しかけて、それでも、黒に近いダークブラウンの髪をかきあげながら、ゆったりと微笑んだその眼差しに、男は逆らわずにコクリと頷く。 「・・・はい」 「うん」 そいつが満足気に頷くと、周囲がホッと息をついたような気がした。 "この辺りを仕切ってる人の息子さん――――――" お袋の言葉が蘇る。 ・・・ぜってぇ堅気じゃねぇな。 「――――――それで?」 次に話を振られたのはオレだったらしく、 「・・・僕に用があって、声をかけてきたんですよね?」 「――――――・・・ええ、まあ」 応えながら、チラリと目線を向けると、やっぱりそいつの腕は、相変わらず傍に立つ金髪の女の腰に絡んでいて、 「・・・あんた、美織と付き合ってるんじゃないのか?」 唐突なオレの問いに、そいつの頬がピクリと反応した。 「・・・ 「はい。――――――紫さん、こちらへ」 男に導かれるまま車に乗り込もうとしたその女の琥珀の瞳が、一瞬だけオレを捉えた。 綺麗な形をした唇が、ほんの少しだけ笑みに結ばれたような気がするのは、むかつくから見なかった事にする。 バタンとドアが閉まったのを合図に、オレはもう一度切り出した。 「・・・あんた、美織とは別れたのか?」 「――――――まず、伝えておくよ。僕は美織とは別れていない」 「は? 二股って事か?」 「そうじゃない。別れようがないという意味だよ。つまり、付き合っていたという事実が無い」 「・・・え?」 あまりにも開き直ったその態度に、だんだんわけが解らなくなった。 「美織は僕の可愛い妹分。その美織の名前に免じて、僕は今、寛大な態度で君に時間をあげているつもり。これが意味の無い、ただ、美織と僕を貶める為の愚弄なら、――――――君にも強い覚悟を決めてもらう必要があるよ?」 優しく整った顔立ちに似合わない、鋭い眼光。 一瞬、呑まれそうになりながらも、絞るように、それを告げた。 「・・・あんた、卒業したら、結婚するって・・・」 「さっき傍にいた彼女が、僕の唯一の恋人で、婚約者だけど――――――、大体君は・・・」 「――――――・・・?」 混乱したオレの頭が不思議に思う程、そいつは妙なタイミングで言葉を切った。 顔を上げると、その深い海の色をした眼差しは、ジッとオレの腰の方を見つめていて、 「?」 釣られて見下ろしたそこには、オレがいつも持ち歩いているキーホルダー。 さすがに鍵の束は持っていないけど、腰に下げる癖だけは、どうにも抜く事が出来なかった。 「君は、ミサオさんの・・・」 ミサオさん? オレが眉間に皺を寄せると同時に、 「・・・そういう事か――――――」 そう言って、そいつは唇の両端を僅かに上げた。 それは、長虹橋で美織に見せた、あの優しい笑みと同じで雰囲気で――――――、 「君は、――――――藤森レント君?」 「――――――え?」 「渡米したって聞いていたけど、日本に帰って来たんだね」 「何で・・・オレの名前・・・」 戸惑うオレを他所に、クスクスと、そいつは愉快そうに笑っていて、 「周囲の大人に、聞いてみるといいよ」 「―――――?」 「君が知らない事が、きっと沢山あると思うから」 「・・・」 「それと、僕は君の味方」 「――――――え?」 「美織を想って、こうして行動出来ただけで、君には愛を囁く資格がある」 「・・・」 「今度は、美織と二人で、僕に会いにおいで」 美織の兄貴分だと名乗ったそいつは、茫然と立ち尽くすオレと、周囲に訊くようにという指示を残して、さっさと婚約者だという女が待つ車内へと、姿を消して行った。 ―――――― ―――― アッシュがかった、肩を過ぎた艶やかな黒髪。 触れただけで、指の痕すらついてしまいそうな白い肌。 ほんのりと色づいた唇に、ふんわりとした印象を投げる眼差しは、まるで透き通った水晶で――――――。 1年振りに目にした美織は、恋に恋してたあの頃よりも随分と大人っぽく、女らしい表情をするようになっていて、 遠くからしか見た事がなかったその存在は、やっぱりオレにとって、特別だった。 「・・・あ、悪ぃ、これお前の?」 大宮女子のテリトリー内にあるファストフード店。 レジ前に並んでいた美織のスクールバッグから、紅い花模様のついた黒のハンドタオルがはらりと落ちた事を切っ掛けに、まずはファーストコンタクト。 あの時――――――、 長虹橋に美織のスカーフが舞い降りた時、掴めなかったものを、手にするために・・・。 そう思ったら、無意識に美織の腕を掴んでいて、 警戒するような美織の瞳が、真っ直ぐにオレを見つめている。 初めて目が合ったのに、 やべぇ。 感動にもひたれず、自分の行動の言い訳を考えるしかないなんて、マジでバカだ、オレ。 「ちょっと、なんなんですか!? この子にナンパなんてやめて下さい」 美香さんから聞いていた、同じマンションに住んでいる美織の親友、瑠璃って子に噛みつかれはしたけれど、 「あの・・・、ありがとうございました」 別れ際、オレの目を見てしっかりとお礼を言ってきた美織に、やっぱり愛しくて、泣きたくて、体中が震え出して、 「・・・」 ――――――口を開くと、うっかり名前を呼んで抱きしめてしまいそうだったから、頷いて応えるだけで、精一杯だった。 美織にとっては初めてになるこの出会いの中、オレの腰に下がる、ピンク色のミンサー織のキーホルダーへと美織がチラチラ視線を動かしていたのは、多分気のせいじゃない筈だ。 『同じキーホルダーをね、美織ちゃんのパパも付けてるの。レント君と同じ、半年前から』 『・・・え?』 『1年前、美織ちゃんが傷ついた時――――――、レント君なら、きっと美織ちゃんを大事にするからって、ほんとはかなり推薦したの。でも・・・、"傷を癒やすところから"じゃなくて、ちゃんと、自分の足でどうにか立てるようになってから、その後で、新しい気持ちで次の恋を経験して欲しいって、お二人の強い希望があってね』 つまり、美織に相手が出来たように見せかけて、意図的にオレを引き離したというワケだ。 "力になれなくてごめんね" 沖縄で、美香さんがそう言って謝ったのは、美織の両親の気持ちを汲むと、"オレの味方は出来ない"という意味だったらしい。 『でもね、ミサオさん、えっと、美織ちゃんパパがね、代わりに、目印をレント君にあげるって』 オレの腰に下がる、ミンサー織のキーホルダー。 『美織ちゃんはパパっ子だから、同じキーホルダーを持っているレント君を、必ず印象に留めるだろうからって』 美香さんの言葉に、 『・・・なんか、カンニングみてぇ・・・』 少し複雑な感情は芽生えたけれど、 『何言ってるの。恋は駆け引き! コレだって立派なソレよ!』 まぁ、 それが仕組まれた切っ掛けだったとしても、結局その後、美織に好きになってもらえるかどうかは、オレ次第だし、 それに、人の性格ってのは、そう簡単に根本的なものは変わらないだろうから、 ・・・正直言って、1年前、哲の時と同じように、強引に行けば、美織が流される可能性は大だよなぁ――――――。 ―――――ってか、いっそ、もうドカンと流されてオレんトコに来いって感じだし、・・・うん。そこはいっか。 ・・・案の定、 本当にたまたま偶然に、 長虹橋の上で一緒に虹を見る事が出来た感動の中で、 「・・・あのさ、どっかでちょっと雨宿りしない?」 「・・・え?」 「ホラ、この綺麗な虹の余韻、少しで良いからさ、一緒に噛みしめようぜ? ――――――オレ、奢るし。ね?」 「あ、うん・・・」 「・・・」 (こらこら美織さん・・・) 心の中で、篤口調でガックリと肩を落とす。 警戒心無さすぎだろ――――――。 ああ、こりゃマジで、口説き落とすまでは鉄壁のブロックで他の男に隙を与えないようにしていかないと、あっという間に途中で攫われちまう。 美織がオレを好きになるまで、全然気が抜けねぇ・・・。 「――――――樫崎美織さん」 1年前、あの長虹橋で初めて見た時、 「あなたに、ひとめぼれしました」 あの時から、ずっとずっと好きだった。 ほんとにずっと、好きだったんだ。 だから、 美織を、これからはずっと独り占めしたいから、 「オレと、付き合ってください――――――」 「・・・あたしのスカーフ、"赤"ですよ・・・?」 何よりも、悲しみが伝わってくるその一言に、あの頃の美織が、どれだけその事に傷ついていたか、表されていて、 「――――――幸せってさ」 「・・・え?」 「右の小指から入って、左の小指から逃げてくんだってさ。だから、幸せが逃げないように、このピンキーリングでストップかけんの」 オレが綴る言葉一つ一つに、真剣に応えてくれていた美織の視線が、ふと、オレの指輪に落ちる。 「だからオレ、美織とは、右手、繋いでいきたい。これからもずっと」 「・・・レント君」 「美織がくれた幸せを、ずっとオレの中に溜めていく、そんな恋を、美織としてみたい」 「・・・ダメ、かな?」 そう迫ったオレに、 哲との事を思い出したのか、泣きながら、 「ダメじゃないよ――――――」 と答えをくれたのは、それから暫くしてからの事――――――。 腕の中に抱きしめることを許してくれた美織は、とても細くて、甘い香りがして、 初めてキスをした時なんか、このまま心臓が壊れて止まるんじゃないかって怖くなるくらいに、体中が痺れて、瞼まで震えてた。 それから穏やかに一ヶ月が過ぎて――――――、 「――――――あ、レント」 教室のドアを出る直前、美織との待ち合わせに急ぎ足だったオレを呼び止めたのは、現在はフリーの篤くん。 「俺、昨日エミっちに待ち伏せされてさ〜」 「・・・エミっち?」 「あ〜、ほら。ちょっと前に、1年振りに会った子達。ファミレスで偶然会ったじゃん。哲と三人でいた時、女の子二人に、席に乱入されたっしょ?」 「ああ・・・」 やたら、オレの彼女になりたいって連呼してたあの女か・・・。 「お前が美織ちゃんと歩いてるの見たらしくてさ、とりあえず、お前からは"彼女がいる"とは聞いてないって濁しといた」 「あ〜、了解」 「じゃあな」 「おう」 その時はまさか、それが引き鉄になって、美織を泣かせるなんて、思ってもいなくて――――――、 「・・・あんたなんかが、レント君の"彼女"なワケないじゃん!」 待ち合わせ場所だった、大宮女子の近くにあるファストフード店。 2階にあるイートインフロアを目指して階段を上っている途中で、聞き覚えのある高い声が、そんな事を叫んでいた。 「この前、あんたがレント君と歩いてるの見たけど、あんた右側にいたじゃない! レント君、女の子と手を繋ぐときは、絶対に指輪してる方の手で繋ぐの。右手で繋いでるのなんか、今まで見た事ないんだから!」 ・・・逆。 右手で繋ぐのが特別なんだよ。 っつうか、何でわざわざそんなデカイ声で・・・。 それを言われている美織を思うと、ため息の中に苛立ちが混ざる。 ・・・どこだ? 階段を上り切った先で、素早くフロアを見回した。 「レント君の親友のアツシ君だって、彼女が出来たなんて聞いてないって、昨日言ってたし!」 ・・・篤、タイミング、マジで神がかってる――――――。 大宮の、"白"。 美織と、その向かいにもう一人、前に一度見た事がある、美織の ・・・確か、エミだったか? 「それに・・・、それにッ」 震えて上ずるその声に、ハッと感じた危険信号。 「ちょ、待、」 オレが制止するよりも早く、エミの口から、オレが懸念した悪意が放出される。 「レント君、哲君と友達なんだから! 1年前のあんたの事、レント君、全部知ってるんだからッ!」 美織の目が、ハッと見開かれ、 それからゆっくりと、オレを見た。 ――――――最悪だ。 マジで、いろいろ、タイミングが最悪。 思わず、視線を床に落としてしまった一瞬のうちに、美織は、オレの傍をすり抜けるようにして階段を駆け下りて行ってしまった。 くそッ! 「美織!」 直ぐに踵を返して追いかけようとしたけれど、 「行かないで、レント君!」 「――――あ?」 何故か、エミが両腕でがっしりとオレの腕を捕まえていて、 「おい、放せ」 「やだ、やっと会えたのに! レント君がアメリカに行ってる間も、エミ、諦められなかった! ずっとずっと好きだった!」 「・・・お前、何言ってんの?」 「ね、お願い、レント君」 キラキラと、何かを期待するようにオレに向けてくる眼差しは自信に満ち溢れていて、 「エミ、いい"彼女"するから」 指先が、男にとって何かを期待させるような動きで、オレの二の腕まで這い上がってくる。 「ね・・・?」 「!」 鳥肌が、全身を駆け巡った。 「放せって!」 「きゃ」 強めに腕を振ると、一歩下がるほどに体勢を煽られたエミが、 「どうして・・・?」 信じられないというような目でオレを見る。 「――――彼女じゃなきゃ、こういうの、マジ意味ねぇんだって」 「・・・なんでよ!」 「は?」 ゆっくりと進めてきた何もかもを、意志で悪意を投げてぶち壊した挙句、無意味な会話を繰り返してくれるこの状況。 「勘弁しろよ、マジ意味不明」 「なんでよ! 簡単じゃん! エミを彼女にしてよ! "彼女"にして! あんな子なんかより、全然エミの方が可愛いでしょ? なのになんで"赤"なんかに、」 「――――――は?」 「あ・・・」 さすがに顔色を変えたエミ。 まるで時間が止まったかのように、オレの息も、暫く止まった。 「・・・―――――それが本音か?」 「違、そうじゃなくて!」 慌てた様子で、弁解のジェスチャーを繰り返そうとするエミの手の先にある爪は、淡いオレンジで、凄く綺麗に磨かれていて、 女子力ってヤツはきっと高いんだろうと思う。 ――――――けど、 「そんなに前から真剣にオレを見てたなら、当然知ってたよな?」 「・・・え・・・?」 「オレがずっと美織に惚れてた事」 「・・・」 「1年以上も、諦められずにいたこと」 「レントく」 「あいつが幸せならって、オレが身を引いたこと」 「・・・エミは、」 「泣きたくなるくらい、あいつを想ってたこと」 「・・・」 「やっと・・・、付き合えるようになったこと」 「・・・ぁ」 エミが、ゆっくりと周りを見渡す。 自分が美織を貶めようと大声を出して騒いでいた分、今、自分に同じだけの視線が向けられている事にやっと気付けたらしい。 大半は、大宮の生徒。 「1年前の美織の傷を抉るなんて酷ぇ事してまで、オレの幸せをぶち壊すのが、あんたの"好き"の伝え方なんだ?」 「ちが、」 「悪いけど、そういう考えの女の子とは、絶対恋愛できないから、オレ」 「・・・で、・・・でも・・・、でもエミは!」 これ以上何をどうしたいのか、エミが、縋るような目を向けて、オレのコートの袖を掴もうとした時だった。 「うるさぁぁぁぁいい!」 女子から、こんな怒鳴り声が出るのかと驚くほどの大音量で、 「藤森レント! あたしは瑠璃! 美織の親友! 初めまして!」 啖呵にしか聞こえないその勢いに、 「え? あ・・・――――と、初め、まして?」 思わず応えていたけれど、本当なら今直ぐにでも美織を追いかけたいところで、 「今のでだいったいの流れは理解したから、はい! あんたはさっさと美織を追いかける!!」 「――――え?」 瑠璃の言葉に、パッと視界が開けた気がした。 「いいのか・・・!?」 「もちろん!」 「そんな! レントくん、エミは、」 「エミエミうっさい! あんたはこっち。美織の代わりに存分にあたしが相手してあげるわよ、覚悟なさい」 「きゃ、ちょ」 瑠璃が、けっこう乱暴にエミの腕を引いて、美織が座っていたシートの奥へと追いやった。 そしてその隣に自らも腰掛けてエミの行動を封鎖した瑠璃は、ニッコリと笑ってオレを見る。 「溶けるくらいに、ベッタベタに甘やかしてやってよ、あの子の事」 「―――――サンキュ!」 最強の味方に背中を押され、オレはようやく、美織を追うべく、ファストフード店を走り出した。 長虹橋の入り口で、美織は橋の向こうをジッと見つめて立っていた。 何かを思い出しているのか、その瞳には涙のヴェールがかかっていて、 「美織・・・」 オレが近くに来たのにも気づかずに、美織は細く息を吐くようにして視線を地面に落とした。 途端、頬も伝わずに、光の粒が地面に弾ける。。 橋から、まるで目を逸らすようにしてマンションの方へと向かいかけた美織の顔は、今にも大声を上げて泣き崩れそうで、 ――――美織・・・、 今、 ――――――何を想ってる・・・? 誰を、・・・想ってる――――――? 少し息苦しくなったけれど、 「――――美織!」 まだ切れた息の合間に、勇気を出して、その名を呼ぶ。 ハッと振り返った美織は、オレを視界に入れた途端に、迷いが見てとれる表情をした。 さっきの事があるまでは、この一か月間で、随分と美織の心に寄り添えた気がしていたのに、 「話、しよう、美織」 掴まえておかないと、何処かに行ってしまいそうだ。 「話、したい、美織」 いつもなら、自然にオレの手を掴んでくれる美織は、いつまで待っても、その温もりをオレにくれなくて、 「――――――来て」 逃がさないように、その手を無理やり引いて、歩き始める。 ついこの前、美織と初めてキスをした思い出の公園に入っても、不安な胸のざわつきが止まらなかった。 「・・・まずは、謝らせて」 ベンチで並んで座らせた美織に言いながら、指を深く絡めていく。 「哲を知ってるって、言わなかった事」 気持ちが伝わるように、しっかりと両手で美織の手を包み込む。 「あたし、ほんと、バカだから、・・・同じ高校で同じ年なら、普通気づくよね。ほんと、周りが、見えなくなる・・・」 泣き笑いで、自分を貶とすように呟く美織に、 「大丈夫。美織がオレの事しか見なくても、オレがちゃんと周りをみてやるから」 大事に、大事に、護って行くから――――――。 そんな想いで受け止めたのに、 「エッチ・・・したいの?」 美織の、柔らかそうな唇から出たのは、オレを悲しく刺すそんな言葉で、 「だから、近づいたんでしょ・・・?」 「美織・・・」 「哲君から、簡単にさせてくれるって聞いて、それで」 もう、後悔はしないと、美織の前に立つと決めた時に誓ったけれど、 こんな風に自虐的に自分を非難する言葉を聞くと、なんであの時、長虹橋で、あのスカーフはオレの手に舞い降りなかったんだと、つくづく考えてしまう。 「――――――うん。したい」 誤魔化さない。 嘘も、綺麗事も言わない。 ただ、オレがどういう恋を美織と積み重ねていきたいか、正直に、ただ伝えよう。 「好きな子を抱きしめたいって、思うのは当たり前だろ? 美織を好きだから、そういう事したいって、思うのは当然だろ? 一応、健全な男子高校生だし・・・。けど別に、今すぐってわけじゃ無い。いつか美織が、ちゃんとオレの事を好きになって、――――――二人の気持ちがちゃんと寄り添ったら、多分、自然にそういう事になると思う」 濡れた美織の瞳が、オレの真意を量るように見つめてきた。 「哲と話すようになったのは、ほんとに最近なんだ。2クラスしかないけど、同じクラスになった事もない。けど、知り合いだって美織に言うのは、もうちょっとオレの事、知ってもらってからの方が、いいと思った。こんな風に、美織に誤解されて、傷つけたくなかったから・・・。・・・結局、傷つけたけど」 「レント君・・・」 少し苦しい気持ちで浮かべた笑みは、それでも、美織の心には届いたみたいで、 「・・・嫌じゃないの?」 ふと、美織の口調が、甘えを含んだものなった事に気が付いた。 付き合った一か月の内に、時々隠しきれずに見せていた、女の子としての美織の本音。 「美織を見てたら判る。オレは、悔しいくらい、解ってる」 悔しいけど、 「お前はあの時、ちゃんと恋してた。ちゃんと本気だった。あの時の、哲に向けられてたお前の気持ち、スゲェ嫉妬するけど、――――――けど、オレは 美織――――――、 お前の全部、受け止める自信、 幸せにする自信、 誰よりも――――――・・・、 「だから、今度はオレにぶつかってきて欲しい。あの時以上の気持ちで、オレを好きになって欲しいんだ」 「レントく」 「オレは、オレの全力で、美織を受け止める覚悟、出来てるから」 この世の中で、誰よりもあるって、 お前だけを見て、断言出来るよ――――――。 |