―――――― ―――― 入学式で新入生代表を務めた彼女は、胸元に結んだ赤いスカーフを誇りとして、舞台の上で割と堂々と挨拶してた気がする。 学期ごとに行われる中間・期末テストはいつも首位。 特進科全体の実力テストでも、毎回上級生を押さえて首位。 100位以内に入ったらしい全国模試の結果を受けて、専門指導の先生方が職員室でやけに盛り上がっていたのは入学して数ヶ月目の出来事で、 クラスメイトも、すれ違う先輩方も、"あの騒動"が起こるまで、彼女には誰もが一目置いていた。 優しそうな印象を醸し出す、目尻が下がった眼差し。 不思議な光沢を放つ黒髪がサラサラ綺麗。 円工業の生徒との不純異性交友が噂になって、夏休み明けに1週間の停学処分になり、向けられていた沢山の眼差しがあからさまに一転して侮蔑の視線に変わっても、彼女は真っ直ぐに前を見てた。 生活態度も変わらず、成績も落とさず、 決して自分の姿勢を崩さなかった、"強い人"――――――。 2年間同じクラスだけど、周りはライバルという空気が強い特進科では、特に接触する機会も無かったし、あたしが持っている彼女への印象は、その一言に尽きていたと思う。 それが――――――、 「あの、樫崎さん。ちょっといいかな?」 冬休みを10日後に控えた教室は、新学期まで0校時も無くなったけれど、各々机に向かって勉強する空気は全然変わらない。 むしろ、こういう時間で差が出るとかで、水面下、いつもよりピリピリしてる感じもする。 そんな中、あたしへと時々視線を向けてくる樫崎さんの表情は、この特進科には全然似合わない恋色をしていて、 きっと、中学の時の事が伝わったんだなって、直ぐに判った。 「ごめんね、せっかくのお昼休みなのに」 あたしが告げると、樫崎さんはゆっくりと首を振る。 「あの・・・あたしも、話してみたかったから・・・」 「それなら、良かったけど・・・」 「うん・・・」 「・・・」 購買の前のベンチに並んで座って、何となく無言の時間が過ぎて行く。 去年のクリスマス前。 遠野君とデート中に久しぶりにレントに会って、 『オレもやっと、好きな子、出来た』 付き合っていた時、あたしの胸をたくさんキュンとさせていた、鼻をかきながらの照れた顔で打ち明けられて、 でも、凄く苦しそうな表情が垣間見えたから、片想いなのかなって心に引っ掛かっていたあたしは、幼馴染の篤から会う度に話を聞き出していた。 レントの片想いの相手が、あたしのクラスメイトの樫崎さんで、 でも当の樫崎さんはレントの存在すら知らなくて。 彼女に新しい彼氏が出来たらしい話を切っ掛けに、4月からアメリカに留学する事を決意して。 ―――――それから半年。 帰国して直ぐに、樫崎さんがフリーだと知ったレントが積極的にアプローチして、 最近やっと、付き合えるようになった事――――――。 「「あの」」 勇気を振り絞って出した声がかぶっちゃった。 「「・・・」」 今度は、目を合わせながらの沈黙で、 ――――――ふと、どちらからともなく笑顔が浮かぶ。 「ごめんね、狭間さん。声かけてくれたのって、あたしが見てたからだよね」 「それもあるけど・・・、あたし、今年の始めくらいから、レントが樫崎さんに片想いしてるって、ずっと知ってたから」 「・・・ぁ」 樫崎さんの頬がピンク色に染まる。 「・・・樫崎さんは? あたしの事・・・」 中学の時、あたしとレントが付き合っていた事を耳にしたんだと思いながらも、ちょっと言葉を濁す。 話を核心に触れさせるのは、樫崎さんが知ってたんだって、きちんと確認してからがいいと思ったから・・・。 でも、 「レント君が・・・」 「えッ?」 「狭間さんと、中学の時、・・・結構長く付き合ってたって、昨日教えてくれたの」 「・・・」 びっくりした。 そして、 「レントらしい」 って、思わず口から、笑いと一緒にそんな言葉が漏れてしまって、 「―――あ、」 元カノのこんな発言、絶対に嫌だったよね。 「ごめんなさい!」 慌てて謝罪したあたしに、樫崎さんはまたゆっくりと首を振った。 「あたしが、戸惑わないように先手打ってくれたの。そのレント君の気持ち、判ったから」 「・・・え?」 「恋に臆病になっているあたしを、・・・なんていうか、待ってくれてるっていうか・・・」 ちょっと憂いを帯びた顔で微笑む樫崎さんに、あたしは1年前の事を思い出した。 きっと、その時の恋が、やっぱり彼女を深く傷つけていたんだと、真相を知らないあたしでも想像がついて――――――、 「・・・あのね、樫崎さん。あたしが言うのも、おこがましいかもしれないけど・・・」 レントは、いつだって誠実だった。 あの焦げ茶色の瞳で真っ直ぐ正面から見てくれて、 頭を撫でて甘やかしてくれて、 あたしは見失ってしまったその腕で、精一杯、あたしを守ってくれてた。 「レントは、信じていいと思う」 「――――――え?」 「全力でぶつかっても、絶対に受け止めてくれると思う」 「・・・」 「あたしは、出来なかったけど・・・」 「狭間さん・・・」 困った様子で、眉尻をますます下げた樫崎さんに、あたしは曖昧な笑みを返した。 あたしは、ぶつかる事が出来なかった。 レントが、円に進学する事を選んだのには、ちゃんとした理由があるからなんだって、頭では十分に解っていたのに・・・。 それなのに、想像出来てしまう周りの反応を気にして、向けられてくる視線を気にして、心からその進路を応援する事が出来ずにいたあたしは、このまま付き合って行っても、きっといつか、レントに嫌われてしまう――――――。 だったら、その前に、 悲しむ準備が出来るように、自分から終わらせようって、あたしはそうして、楽な道を選んだんだ。 あのバレンタインの日。 あたしは、レントの優しさに付け込んだ。 遠野君と一緒にいけば、きっとレントは、黙って別れを受け入れてくれと解ってた。 どんなに辛くても、レントなら、あたしの幸せを一番に考えてくれる筈だから――――――。 「今の彼にはね、ちゃんとぶつかれるの、あたし」 声のトーンを変えて、元気よく言ったあたしに、樫崎さんが僅かに目を丸くする。 「狭間さん、彼氏、いるんだ・・・」 その言葉には、きっとどこか、安堵の息も含まれていて、 「うん」 樫崎さんの気持ちがとても理解出来るあたしは、太鼓判を押すように、しっかりと頷いて返すだけ。 「そう・・・なんだ。そういう話、全然聞かないから」 「ふふ。そうだよね。特進科じゃ、あまり話題にならないよね」 一流の大学を目指して頑張る子がほとんどの特進科。 噂になるのは、成績や、塾での評価くらいで、たまに出る恋の話は、そんなに多くない。 というより、滅多に無い。 きっと、あたしが気にしていた、"彼氏が円"なんて話題、最初はチクチクしたかもしれないけど、直ぐにどうでもいい話になってたんだと思う。 でも、幼かったあたしは、自分を守るために、あの選択が精一杯で、 そして今、遠野君と歩いてる事が、とても大事。 だから、本当にあたしが言えた義理じゃないんだけど、 やっぱり、レントにも幸せになって欲しいから――――――。 「去年ね、デート中に、久しぶりにレントに会ったの。その時、好きな子が出来たって、幸せそうに、でも寂しそうに笑いながら、あたしに教えてくれた」 すると、幸せを噛みしめるように、樫崎さんの唇が、キュッと結ばれる。 「そんな誠実なレントを、信じてあげて欲しい」 「・・・うん」 呟いて、小さく頷いた樫崎さんの微笑みは、今までで一番可愛くて、 「あ、・・・えっと」 なんだか照れてしまったあたしは、思わず口が逸ってしまう。 「あの、レントが円工業の生徒だって事は、もしかしたら気になるかもしれないけれど」 「――――――え?」 樫崎さんが、きょとんとした目を向けて来た。 「レント君が円工業だと、何かあるの?」 「・・・え?」 「・・・?」 「あ・・・、その・・・」 狼狽えながらも、あたしは、その真っ直ぐに向けられた目線を避ける事が出来なくて、 でもそれは、レントの進路を受け入れられなかったあたしを責めるものでもなく、 虚勢を含むものでもない。 「・・・あ」 ひらり、 あたしに舞い降りた昔の記憶――――――。 ――――――そっか・・・。 『無理だよ・・・、だってあたし、大宮に行くんだよ?』 『・・・だから? オレとお前がやってくのに、なんでそれが問題になんの?』 泣きそうな顔で、まるで弱音を吐くようにそれを綴ったレントにとって、 『悪ぃ、・・・お前が何に戸惑ってるのか、全然わかんねぇわ』 付き合っている二人の存在さえあれば、それ以外のスペックは本当に視野に入っていなかったんだって、 今やっと、理解出来た――――――。 「・・・ぷ」 パッチリとピースがはまった感じ。 「―――――ふふ」 吹き出すような勢いで、思わず笑いが零れてしまう。 「え?」 樫崎さんがますます目をぐるぐるさせていたけれど、 「あのね」 あたしは、そのほんのり甘い香りがする耳元に、小さく告げた。 "――――――樫崎さんとレント、凄くお似合いだと思う" |