小説:虹の橋の向こうに


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⌒ 月虹 : 美織


 ――――――
 ―――――


 荷物を預けて空港を出たあたし達は、ワイキキトロリーのピンクラインとレッドラインを使って幾つかの観光スポットを満喫。

 煌君に連れられて何度か海外旅行はしたことがあったけれど、

 「わ、レント君、このソルベすっごく美味しい」

 あたしがスプーンに小さく乗せてそう言うだけで、応えとして、レント君が顔を近づけて来る。
 甘いもの大好きな二人だから、お互いが持ってるスイーツを分けるのはあたし達の間では普通の事で、

 「あ、うめぇ。美織、あずきは?」

 「食べる」

 「はい。あーん」

 まるで小さい子にするように必ずそれを言うレント君に、あたしは毎回恥ずかしい気持ちになるけれど、

 「・・・あ、美味しい。氷、あっという間に溶けちゃった」

 「なくなった?」

 「うん。――――――ぁ」


 不意に近づいてきたレント君の唇が、一瞬だけあたしの唇に触れる。

 「甘いもの食べてる時の美織って、なんかキスしたくなる」

 「・・・レント君のバカ」

 「ふふ」

 周囲を気にして挙動不審になるあたしを見て、レント君はいっつも楽しそうに笑う。

 「ごめん」

 「もう知らない」

 「・・・もう1回キスしたら、機嫌なおる?」

 「――――――うん」

 ここはハワイ。

 さっき周りを見た時に、カップルは当たり前のようにイチャイチャしてて、

・・・あたし達がキスするのなんか、誰も気にしてないって判ったから――――――。


 「・・・」

 「・・・次、行くか」

 「うん・・・」


 いつもより長いキスをしたら、ドキドキ倍増。
 レント君がますますかっこ良く見えて、


 ――――――こういうの、煌君と あお さんを見ていて凄く憧れだったから、

 やっぱり、好きな人との旅行は全然違うんだなって、胸が破けそうなくらい苦しいのに、体が浮いちゃいそうなほど、とっても楽しい。


 それに、

 ここハワイは、やっぱり生まれ育った沖縄に似ていてほんの少しだけ懐かしくて、でも時々、ふわっと薫る異国感が凄くあたしを興奮させた。

 結局、晩御飯までしっかりと食べて、宿泊するホテルに到着したのは、夜になってから。

 「すごい・・・綺麗・・・」

 真新しいホテルは、南国の風合いを生かしたすっごく開放的なロビーで出迎えてくれて、さっそくフロントに向かったレント君が、カードキーを手に戻ってきた。

 「荷物、もう部屋にいれてあるって」

 「そうなんだ」

 「はい、これ美織の部屋の」


 目の前に出されたカードキーに、

 「――――――え?」

あたしは頭の中が真っ白になった。


 「ダブルだから、ゆっくり眠れると思うよ」

 「・・・」

 まるで、操られるようにキーを受け取っていたけれど、


 (お部屋・・・、一緒だと思ってた・・・)


 思わず、喉から出そうになった言葉をあたしはグッと呑みこんで、

 「・・・うん。ありがとう」


 ――――――ちゃんと笑えてたかどうか、少し、自信無かった。





 レント君と付き合ってから、1年半。

 ――――普通のカップルなら、どんなに遅くても、もう・・・エッチはしてる・・・よね?


 付き合うようになるまで、あたしの知らないレント君の1年があったみたいだし、付き合ってからも、エッチがトラウマになってるんじゃないかって、別に急がないから大丈夫だよって言ってくれたレント君にずっと甘えてきたけれど、

 でも――――――・・・、

もし、エッチする切っ掛けがあるのなら、この旅行だと思ってた。


 レント君って・・・、そういうペースなのかな?


 萌奈ちゃんに聞いてみたいって衝動に駆られたのは一度や二度じゃない。

 でも、それを萌奈ちゃんに尋ねたら、何となく別の事があたしの中に生まれそうな気がして、怖くて触れなくて、


 それとも、――――――あたしだから、シナイのかな・・・?


 ふと大きくなる不安は、あたしなりに上手に隠してきたつもりだったけど、

 『溜めちゃだめだよ』

 追及はせず、それでも、心配そうに眉を潜めた瑠璃ちゃんが、時々そう諭してくれた。




 「――――――あたし・・・、魅力、無い・・・のかなぁ・・・?」

 時差ボケも、きっとあったんだと思う。


 一人で使うには贅沢すぎる大きなベッドにうつ伏せて、ほんのり泣きそうな気持であれこれと考えを巡らせているうちに、


 素敵な造りの部屋も堪能しないまま、

 夜景すらも、確認しないまま、



 「・・・レント、君・・・」

 小指のピンキーリングを見つめながら、
 壁の向こうにいる筈のレント君を想いながら――――――、


 『美織がくれた幸せを、ずっとオレの中にためていく。そんな恋を、美織と、してみたい』


 まだ出会ったばかりの頃、あたしを泣かせたあのセリフが記憶を過ぎる。


 レント君。

ちゃんと、幸せは溜まってる――――――?



 気が付けば、次の日の明け方まで、あたしはぐっすりと眠ってしまっていた。





 ――――――
 ――――


 午前5時過ぎ。

 「――――――困った」

 早く起き過ぎちゃった。


 どうしよう。

 レント君・・・まだ起きてないかな・・・?


 でも、喉乾いちゃったし・・・、
 ホテル内のコンビニなら、一人で出かけても大丈夫だよね・・・?


 なるべく音を立てないように、ゆっくりと部屋のドアを開ける。

 ふと、


 薄暗い廊下に人の気配を感じて、ドキッと体を強張らせた時だった。


 「・・・美織」

 「・・・え? レント君?」

 廊下に立っていたのはレント君で、

 「・・・おはよう。早いね、美織。どうしたの?」

 「あ・・・うん。喉が渇いちゃって、コンビニに・・・」

 「そっか」

 レント君は、チラリと腕時計に目を落とす。

 「レストランは・・・まだ開いてないな。オレも一緒に行くよ、コンビニ」

 「――――――うん」


 返事をしたあたしの左手を、レント君の右手がするりと絡め取る。
 その握り合った手の、やけに冷たいレント君の肌の感触が、あたしの心をヒヤリとさせた。



 どうしたの?


 ―――――は、あたしのセリフ・・・。



 "どこに行ってたの?"


 頭の中を、同じフレーズがぐるぐると回ってる。


 さっき、レント君は間違いなく、カードキーを差し込もうとしてた。
 部屋から出てきたんじゃなくて・・・、何処かから、帰ってきた――――――?


 「・・・」


 "何してたの?"
 "どこ行ってたの?"


 いつもなら、レント君を信じてちゃんと聞けたはずなのに、

 今、それを口に出来なかったのは、



 ――――――やけに甘い香りが、レント君から漂ってきてたからだった。




 ハワイ二日目、現地での初めての朝食は、ホテルでトロピカルなバイキング。

 焼きたてのパンケーキや、自分で具が選べるサンドイッチ。
 眩しいくらいに色とりどりのフルーツと、自家製のウィンナーや、エッグベネディクト。
 レント君に半分もらったフレンチトーストもすっごく美味しくて、


 「美織、今日は、夕方にはホテルに戻ってきたいんだけど・・・」

 「――――――え?」

 テーブルの向こうで、それを言い出したレント君は、

 「いいかな?」

 もう、”そうしたい”って、顔に書いてあって――――――・・・。


 「・・・あ、・・・うん」

 なんとか笑って、頷いたけれど、


 あ、やだな。

 今、すごく黒いモヤモヤが、じんわりとあたしの中に広がっている。

 それを見られたくなくて、パンケーキをカットする振りをして、レント君からなんとかうまく目を逸らしたのに、


 「ごめん!」

 「――――――え?」

 レント君が突然大きな声を出すから、あたしは思わず顔を上げてしまった。

 「そんな顔させたいわけじゃないから」

 「・・・」

 「美織が泣くことは絶対にしないから」

 「・・・レント君・・・」

 「オレを信じて、美織」


 大好きなレント君の焦げ茶の目が、あたしを真っ直ぐに見つめている。
 その姿は、今まであたしが見つめてきたレント君と変わりなんか無くて、曇りも、見えなくて・・・、

 「――――――うん。大丈夫だよ

 「ほんとに?」

 「うん」


 大丈夫。

 レント君を信じるって、長虹橋で一歩踏み出したあたしの事も、信じてる。


 だから・・・、



 レント君と手を繋いでホテルのロビーを抜けた時、


 ――――――あ・・・、


 すれ違った人から、凄く甘い香りがした。


 今朝の、レント君についていたのと同じ――――――・・・。


 「・・・」

 ダメ。

 頭では望んでいないのに、心が、あたしを強く誘惑する。



 肩越しにチラリと振り返ったあたしを待っていたのは、


 ――――――ほら、やっぱり見なきゃ良かった。



 あたしとは全然タイプの違う、チューブトップが強調する胸のラインが色っぽくて、大人っぽい、とっても綺麗な女の人が、レント君を見て意味あり気に笑っていて――――――。



 信じる――――――。



 あたしは、繋いでいたレント君の手を、溺れてしまわないように、ギュッと掴み直した。





 ワイキキトロリーのブルーラインを使ってハワイのパノラマの自然を楽しみながら半日を過ごしたあたし達。
 二階建てバスを降りると、肌で感じていた南国の風の感触が熱として溜まっていることに気づく。

 「美織、肌、痛くない?」

 「大丈夫。日焼け止めも塗ってたし」

 「少し赤くなってるね。冷えピタみないなのがあるか、コンビニ探してみる?」

 ノースリーブの腕を、レント君の大きな手で撫でるように触れられて、なんだかドキッとしてしまう。

 「―――――ほんとに平気。照り返しが思ったよりも強かったから赤くなって見えるけど、沖縄に住んでた時もこんな感じだったよ? あたし、色が白いだけで、肌は弱くないの」

 「そっか」

 ボタンを留めずに、サーモンピンクのシャツを揺らしながら歩くレント君は、中のTシャツに引っ掛けたサングラスで顔を隠して欲しいくらいカッコ良くて、

 「キーとってくる」

 ショッピングモールでも、街を歩いてても、バスにただ乗っているだけでも、必ず誰かの視線を集めてしまう。

 今だって、フロントに向かっていくレント君の姿を追って、これからチェックインする日本人の女の子達がチラチラと目線を向けていて、


 「お待たせ。コンビニで何か買う?」

 「――――――ううん。今朝のがまだあるから」

 「そっか。はい、美織の」

 「・・・ありがと」


 当然のようにそのカードキーを渡されたあたしは、昨日よりももっと寂しい気持ちでそれを受け取った。

 この休憩時間も・・・、やっぱり一緒じゃないんだ・・・。


 「それじゃあ、夜まで一休みして、――――――19時に迎えに行くよ」

 「――――――うん」


 そう言って、それぞれの部屋へと別れたけれど、


 しばらくの間、閉じられたドアの内側に立っていたあたしは、きっと何かの勘が働いたのか、

 ・・・何かあると、1年傍にいた"彼女"としてその顔色から読み取ったのか――――――。


 ガチャリとレント君の部屋のドアが開かれる音を、泣きそうな気持で、聞いていた。








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