「お嫁さんになれたらいいなって思ったの・・・。"いつ(五)の世(四)までも"じゃなくて、" 顔が真っ赤に見えるのは、この日を離れようとしている陽光のせい・・・? けど、 「ごめんね」 そう言ってオレを見上げた美織の顔が揺れているのは、間違いなく、オレの視界を霞ませようと、制御も出来ずに浮かんでくる涙のせいだ。 「・・・なんで謝るの? 美織」 「だって・・・だってまだ高校を卒業したばかりなのに・・・こんなの、重たいでしょ? ――――――だから」 そのセリフに、ふと、笑みが零れてしまう。 「それを言われたら、オレはもう、・・・立つ瀬がない」 「――――――え?」 首を傾げた美織に、オレが想いを打ち明けようとした時だ。 「?」 ふと、辺りの空気が色を変えた気がした。 夕日が沈んだのかな、――――――と、 何気に、水平線に視線をやると、 「――――――美織・・・、見て」 身動きも出来ずに、ただそれだけをどうにか伝えると、 「え?」 隣で、美織が動いた気配がする。 「・・・嘘・・・すごい――――――・・・」 オレと美織の視線を釘付けにしているのは、 地球に沿った大気がプリズムとなって、太陽が緑色に輝くそのひと時・・・。 「これ・・・、グリーンフラッシュ・・・?」 「うん」 その神秘的な光から目を逸らさないまま、オレは右手で美織の手を握りしめた。 完全に包み込んだ小指には、オレが2年前のクリスマスにあげた、ピンキーリングがはまっている。 「――――――美織」 沈んでいく太陽の周りで、名残惜しそうに揺らめくプリズムはまるでフレアで、 その姿が半分になり、スピードを増して消えていくまでの時間は、ほんの数十秒。 太陽が消えたこの瞬間、光の代わりに静寂が満ちて、もうしばらくすれば、また新しい支配者が気配を覗かせる。 ねぇ、美織。 本気で今夜は、 神々しいくらいに輝くだろう満月が、美織の視線を奪ってしまうまで、ずっと独り占めしていたい。 「・・・重いって言うなら、オレの方が先だから」 「・・・え?」 薄闇の中で、美織が不思議そうな顔をしているのが、見えなくても想像できる。 オレは繋いだ手を動かして、指と指を深く絡め合わせた。 「このピンキーリング、ミンサー織の模様が入ってるでしょ?」 「・・・うん」 「これさ、――――――" 「――――――え・・・?」 美織の小指が、ピクリと動く。 「・・・ほんとに?」 「ほんと」 「・・・嬉しい――――――」 キュッと握り返された掌の熱に、胸の鼓動も高ぶってくる。 「・・・18歳の誕生日、おめでとう、美織」 「ありがとう、レント君――――――」 「物理的なプレゼントは、明日アラモアナで買う予定」 「ふふ。もういいよ。さっきの言葉だけでももう十分。旅費だって、結局ほとんどレント君が払ってるんだよ? これだけでも凄く贅沢なプレゼントだよ」 「・・・ほんとは、貰ってほしいものが他にもある」 「・・・え?」 オレは、波の音だけが聞こえてくる暗闇の中で美織の体を抱き寄せた。 息がかかるほどに耳元に唇を寄せて、告げる。 「――――――プレゼントは、オレも貰って?」 「・・・・・・ぁの・・・」 「今夜は、オレを、美織の一番近くに呼んで欲しい」 「・・・ッ」 「もう、美織が欲しくて、独り占めしたくて、マジで、泣きそうだから」 「レン、トく、」 美織の喉から、小さな嗚咽が逃げ出した。 「あたしで、・・・いいの?」 「美織がいいの」 「・・・」 「・・・ダメ?」 二人の心臓の音が、すべての音をかき消しそうな程に脈打っていた。 「――――――ダメじゃないよ」 「美織・・・」 「・・・あたしも、レント君が欲しい」 「美織・・・」 「誰よりも、一番近くに来てほしい」 言いながら、オレの背中に回した手に、 「大好き・・・」 キュッと力を込めた美織を、 「美織、マジ、オレやばいかも」 「・・・え?」 愛しくて、このままペシャンコにしちゃいそうだ。 こうなったら月虹そっちのけで、 朝までずっとイチャイチャするつもり――――――、 ――――――だった、 のに・・・。 ―――――― ――――― 「――――――嘘だろ・・・」 ホテルのロビーに入った途端、 ゾワゾワ――――――と、身体にも心にも鳥肌が立ち、 同時に、辟易した感情がオレの全てを支配する。 「お帰り、美織」 その呼びかけは砂糖より甘そうな声音で、 「――――――と、レントクン」 オレに向けられたのは、 ソファに座って足を組み、優雅にチョコレートブラウンのウェーブがかった髪をかきあげる、そんな見目の柔らかさとは全く裏腹の感情を込めたもの。 実際、オレの名前、完全棒読みに聞こえるし 「――――――煌君!?」 オレの隣で、若干、トーンが上がったように聞こえる美織の声が響く。 くっそぉ、と酷い悪態をつきたくなるのは毎度の事だから、ここはグッと抑えて大人な対応で――――――、 「・・・なんでここにいるんですか?」 ――――――努力虚しく、言葉選べず。 そんなオレを愉しそうに見つめながら、美織の"兄貴分"の灯煌、・・・さんがこれでもかと爆弾を落とした。 「なんでって、ここは僕のホテルだしね」 「は?」 ――――――最悪だ・・・。 選びに選んで、選び抜いたホテルだったのに、 まさにこの状況は、 "飛んで火に入る夏の虫"状態――――――。 そんなオレに追い討ちをかけるように、 「やっぱり・・・」 ポツリ、そう呟いた美織に、煌さんが嬉しそうに目を細める。 「クス。美織は絶対に気付いてくれてると思った」 マジで・・・? ―――――そう言えば、空港でホテルのリムジンバスが来たとき、ロゴを見た美織の様子は少しおかしかった気がする。 あの時、 部屋を別々に取っていることをまだ美織に伝えていなくて、それが気になって、オレはそのシグナルをスルーしてしまった。 一生の不覚。 「最初はね、"スノウライト"って名前であれ? って思って、そしたら、新しいホテルだってレント君が教えてくれたから、ハワイにオープン予定のホテルがあるって煌君が言ってたのを思い出したの」 「美織・・・」 思わず、責めるような目を向けてしまったオレに、 「・・・だって、言えば絶対に気にすると思ったから・・・」 ――――――確かに。 ホテル変えるって、意地になってた筈だ・・・。 「・・・ごめん、なさい」 上目使いで瞳を揺らす美織に、さっきまでの熱を思い出す。 「――――――みお、」 オレこそ、"こんな事"でごめん――――――。 そう伝えようと、繋いでいた手を引いてお互い寄り添いかけた時だ。 「それじゃあ美織、食事に行こうか」 「え?」 「――――――は?」 立ち上がり、両腕を広げた煌さんの胸に、 「・・・み・お・り!」 オレが手を繋いでなかったら、絶対に飛び込んでただろってくらい、美織の足がほとんど反射的に前に出ていて、 クン、と伸ばされた二人の腕が、まるで犬用のチェーンだ。 「あ、・・・えっと・・・」 しまった、という顔をしている美織は、オレと煌さんの存在に挟まれて、微妙にオロオロしている感じで、 いや、ここは彼氏のオレをきっぱりと選んで欲しいんだけど、 「・・・・・・・・・はぁ。分かったよ。食事には」 付き合ってやる、そう言い掛けたオレにかぶせるように、 「ああ、そうだ、美織。今夜は条件が良いらしいから、月虹も見えるかも知れないよ?」 「ほんと!?」 「美織の為にテントも用意してあるから」 「え?」 「僕もまだ見た事ないんだ。楽しみだね」 ――――――は? ちょっと待て。 「夜食も作らせているから」 ・・・――――――おいおい、嘘だろ? 「あ、・・・あの、」 チラリ、 心配そうな美織の目線が、オレの方に向けられる。 言っとくけど、深く考えるまでも無く、機嫌、悪くなるよ、オレ。 それを視線にありったけ込めたけど、敵の方がやっぱり上手で、 「ごめんね、レントクン。邪魔だとは思うんだけど、小さい頃から美織の誕生日は欠かさずに祝ってきたんだ。急にこの日を独占されると、なんだか胸に穴が空いたみたいで・・・」 声音まで変えて、切なげにそれを語った煌さんに、 「煌君・・・」 美織が、ますます目尻を下げて、哀しそうな顔をする。 ――――――騙されてるから、美織。 けど、そんな美織が長年慕ってきた兄貴分から、オレが強引に引き離すなんて出来るわけはなくて、 「・・・ったく」 そして、煌さんはそれも計算尽く。 「・・・一緒するのは構いませんけど、美織に触るのは禁止ですから」 「ありがとう、レントクン、嬉しいよ」 ニッコリと笑う煌さんは、傍から見れば、目も眩むような好青年で、 「――――――まだまだだね」 オレの耳元で、そんな言葉をシレっと囁いているなんて、 多分知っているのは、 少し離れた場所で煌さんを見守っている、側近の染谷さんくらいだと思う。 『あの子、小さい頃から私達夫婦よりも煌君に甘えるように、うま〜く躾けられちゃってるのよねぇ。きっとしばらくの間は、パブロフの犬的に、煌君には適わないかも。本当にごめんなさい』 いつだったか、美織のお母さんが申し訳なさそうにそう言っていたけれど、 「・・・」 正直、かなり複雑なのは事実。 けれど――――――、 さっきまで、オレといた時の適度な緊張を完全に解いて寛いでいる美織の、安心しきったそのゆるゆるの笑顔を見ていると、どうしてか、オレが不機嫌になる事なんか、大した問題じゃない気がしてくるから不思議だ。 「レント君」 不意に、煌さんの傍から満面の笑みで駆け寄ってきて、オレのシャツの袖を指先で掴んだ美織。 「ん?」 「あのね」 背伸びして、オレの耳元まで唇を寄せて、美織は言った。 「グリーンフラッシュが見れたのは、二人の秘密ね」 頬を染めたこの美織の表情は、決して煌さんには向けられないものだし、 オレもまだ知らない、"恋人"としての美織の全部は、急がなくても、きっと一生オレのものだし――――――。 ――――――ま、いっか・・・。 結局、ため息をつきながらもこの状況を苦笑して甘受するオレは、 いつの間にか、かなり美織に躾けられてるんじゃないかって、 「・・・マジか」 ――――――この悩みは、一生ついてまわりそうだと思った。 |