小説:その赤い実を食べたなら


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禁断、の実を摘まんだら

 雨が降っている――――――。

 彼女と出会った時の、耳に煩うるさいくらいのザァザァ雨じゃなくて、
 傘にあたる雨音すら、まるで風が流れるような、そんなさらさらの雨だ。

 大宮女子高の校門前。
 俺の傍を通り過ぎる可愛らしい傘や、華やかな傘、シンプルな傘の下には、幾つか見知った顔もあったけど、みんなチラチラと視線を向けるだけで話しかけてくる事はなかった。

 ま、こういうところで男が一人でいる事自体、彼女との待ち合わせか、告白の為の待ち伏せか――――――。

 目だけで合図してすれ違っていく元カノ達の無言の気遣いに感激。

 うんうん。
 俺ってば見る目あった。

 どれくらいの時間、雨音が魅せてくれる雰囲気に思考を委ねていたのか。

 正面に見つめていた、校舎から 校門 こちら へと流れてくる傘の洪水の中に、

 ――――――見ぃつけた。

 あの時と同じ、オレンジ色の大きな傘を見つけて、口角が思わず上がってしまう。

 およそ2週間ぶりに見る二度目の彼女は、濃いブラウンの髪を、今日は綺麗に片側にまとめていて、
 自分が歩く数メートル先をじっくりと確かめるようにしながら堅実に歩こうとするその目の前に、進行方向を塞ぐように現れた俺の存在にかなり驚いたのか、

 「――――――え?」

 その素の唇が警戒心も無く開かれている。

 俺を捉えた黒い目は、これが現実かどうか見極めるようにキョロキョロと忙しなく動いていて、目を白黒させるってこんな風に目玉が動く事なんだと唐突に理解した。

 やっば。

 可愛すぎ。

このまま抱きしめて、耳の下とか啄ばんで、じゃれあって、俺の腕の中で彼女をクスクスと笑わせてみたい。

 「あ、・・・の・・・」

 俺を見つめた彼女の瞳が、不思議な吸引力で、これまで紡いできた筈の女の子を喜ばせる俺の言葉を吸い取っていく。

 どうしよう。

 言葉が出てこない。

 何を、言うんだっけ?

 なんだか、こうして二人で見つめ合ってる事だけでかなり楽しくて、時間が止まる――――――・・・、

 ――――――じゃなくて。

 こらこら篤君。
 女の子を口説くのに、ガラにもなく緊張してるとか、自分で笑えてしまいますけど。

 小さく、喉の奥で咳払いをして、

 「――――――君の事、好きになっちゃったんだよね」

 なんとか俺が搾り出した言葉に、彼女は何度も目を瞬かせていて、

 「俺と、付き合って、くれる――――――?」

 「――――――はい」

 「・・・」

 ――――――マジで?

 身体から一気に力が抜ける。
 脱力って、こういう時に使っていい言葉の筈だ。

 うわ、鳥肌立っちゃった。

 このまま、むっちゃくちゃに抱きついて、地面に押し倒して、ゴロゴロしたい。

 そんなすっごい幸せに浸っていたトコロへ、

 「チサ!?」

 険しさを含む、心配そうな声音が、俺と彼女の間に入ってくる。

 彼女と、俺の顔を交互に見るその表情は、不信感バリバリ。

 「マハナちゃん・・・」

 小さく呟いて、機嫌を窺うような 表情 かお をするのは、その声の主が、彼女――――――チサにとって、とても近しい友人だという事を明確に伝えていて、

 「――――はじめまして」

 お友達に嫌われると色々不利だろうし、一応笑顔で挨拶をしておく。

 そんな彼女、マハナちゃんの眉間が顰められるのを見てたけど、気にしないようにして、改めてチサに向き直った。

 「――――――名前、チサ、っていうんだ。どんな漢字で書くの?」

 「あ、あの、知るに、糸偏の・・・」

 知紗。

 知紗か――――――。

 「可愛いね、俺も知紗って呼んでいい?」

 俺が尋ねると、顔を真っ赤にしてコクコクと頷く知紗。

 「これから一緒に帰れる?」

 また、コクコクと頷いた知紗だったけれど、

 「―――――あ!」

 ハッとしたように、マハナちゃんの方を見た。

 いつも一緒に帰ってるって事かな?

 「――――知紗の事、俺がちゃんと家まで送り届けるよ、マハナちゃん」

 ニッコリと笑って言った俺に、

 「・・・わかりました」

 マハナちゃんが渋々といった様子で了承する。

 ま、俺が告白して交際を申し込んで、知紗はそれにOKを出したんだから、ここで彼女が口を出すのは違うしね。

 これからは、"彼氏"という立場で"友達"のテリトリーに食い込んでいくつもりだから、最初が肝心。
遠慮なんかしないし。

 「知紗、俺の傘においで」

 「――――え?」

 驚いたような知紗の顔。

 「あ、それとも、そのオレンジの傘が好き?」

 「・・・」

 返答に困ったような、言葉が探せずにいるような、そんな知紗を他所に、俺はさっさと自分の紺色の傘をたたむ。

 「かして?」

 「え?」

 知紗の手からオレンジの傘を奪い取って、相合傘。

 うっわ。

 テンション上がる。

 「行こっか」

 「・・・はい」

 サラサラサラサラ、雨粒の見えない雨の中、知紗の歩調に合わせてゆっくり歩く。

 時々、知紗の真っ黒な目が恐々と俺を見上げてきて、その、閉じる事をすっかり忘れた唇に、やけに目を奪われる。

 「・・・知紗は何年? 俺は まどか の3年」

 「えと、あの、に、2年です」

 1コ下か――――――。

 へたしたら1年生とか思ってた。

 「あ、俺の名前ね、柏田篤。竹冠に、馬」

 「・・・篤、先輩・・・」

 「・・・」

 "アツシセンパイ"

 知紗がそのセリフと紡いだ途端、

 ――――――あれ?

 なんか、

 「・・・知紗、ごめん」

 「え・・・?」

 俺より背の低い知紗に合わせて身を屈め、チュッと唇が触れ合うだけのキスをする。
 まん丸に見開かれた知紗の目が、次第にウルウルとしてきて、首まで真っ赤に染まっていく。

 ――――――初めて、だったかな?

 「ごめん、知紗があんまり可愛いから、我慢できなかった」

 俯いた知紗の髪を撫でると、香水とは違う柔らかな香りが漂ってきて、

 「・・・大丈夫、です・・・」

 蚊の鳴くような小さな声に、本当はしたかった二度目のキスは控えておいた。

 『アツシ、センパイ・・・』

 知紗に呼ばれた瞬間、

 なんか胸がギュッと痛んで、

 ――――――キス、しないではいられなかったなんて、何の歌の話だよ。



 ――――――

 ――――



 「――――――俺、病気かも」

 いつものファミレス。

 呟いた俺の目の前には、例によってレントと美織んの、やっぱりまだエッチをしていないカップル。

 ――――――けど、知紗と付き合って一ヶ月経ったこの俺も、まだエッチしていないとか。

 「絶対に病気だッ」

 「・・・もっしも〜し? 篤君?」

 俺の口調を真似て、レントが愉快気に笑っている。
 その隣で、美織んが心配そうに俺を見ていて、

 「篤君、大丈夫?」

 「・・・かなりやばい。全然大丈夫じゃないかも、美織ん」

 毎日毎日、放課後は大宮まで迎えに行って、
 毎日毎日、キスをした。

 チュチュ、チチチチチ、チュチュ

 『篤、先輩・・・』

 『可愛い、知紗』

 チチチチチ、チュチュチュ

 俺のキス、

 もっと知紗に――――――・・・。

 セキセイインコに負けないくらい、知紗の唇を啄ばんだ。

 『ぁ・・・篤、せんぱ』

 キスを重ねる毎に、知紗の吐息の熱さが増している。

 『知紗・・・』

 もっと深くと強請ねだるように、知紗の手が、俺の服の袖に縋りつく。

 『舌、動かして、・・・こう。――――――ね?』

 『・・・はい』

 知紗の舌が、俺の舌に絡んでいるという卑猥さが、まるで射精直前の律動余波みたいに、グングンと腰を刺激してくる。

 耳たぶに触れ、

 首筋に触れ、

 愛撫に近い指先のタッチに、知紗がビクビクと身体を反応させるようになってきた今日この頃。

 「――――――やばい。絶対無理。これ以上我慢とか、マジで無理」

 次会ったら、どこでもかしこでも、知紗のコト、押し倒しちゃえる気がする。

 「・・・っつうかレント君、マジで、美織んと一緒に居るとき、どうやって性欲抑えてんの?」

 頭を抱えるようにして尋ねると、

 「えッ!? 篤君!?」

 「篤ッ、お前なぁ!」

 いつか聞いたような悲鳴が二人から同時に上がった。

 「あ〜、はいはい。すみません」

 またしても軽〜く謝罪して、すっかり氷の溶けたメロンソーダのストローをくわえようとして、

 「・・・」

 何か言いたげな美織んの目線が申し訳なさそうにレントに向けられ、

 「いや・・・、美織は、気にしなくても、いいから・・・」

 「・・・・・・ぅん」

 正面で繰り広げられる、この痒いようなくすぐったいような、微妙なラブラブ感。

 ちょっと前までは、こんなやり取り見せられたら 「バカップル!」って溜め息出たけど、

 やばい・・・。

 シたくても、なかなか先に進めないレントの気持ちが、悲しいくらいに良くわかる。

 「あ〜、抱きたい」

 大袈裟ってくらいに息をついた俺に、レントが同じく、肩を落とす程の呆れ顔でクスッと笑った。

 「そんな風に、"彼女"に夢中になってるお前、初めて見た」

 「え〜? 俺、エッチエッチって、今までだって結構明け透けだったでしょ?」

 「いや、そうじゃなくて、さ」

 「ん〜?」

 「お前がさ、」

 レントが、真っ直ぐに俺を見て、何か言葉を続けようとした時――――――、

 ブルッ、

 テーブルの上に置いてあった俺のスマホが、点灯と同時に振動して、アプリ起動を知らせてくる。
 浮かび上がってきたそのメッセージに、

 「・・・ッ」

 俺の体の内側は、一瞬で真っ黒に染まってしまった。

 脳から始まって、全ての指先、
 神経も、血管も、――――――息すらも。



 "アツシ君の彼女、モテモテだね。今、光陵の男の子に告白されてるよ"



 2年くらい前の、元カノからの、――――――たぶん、悪意あるライン。

 『麻花ちゃんと買い物の約束してて・・・』

 知紗がそう言うから、今日は会えなかった。

 「篤――――――?」

 俺を呼ぶレントの声が、少し上ずっている気がする。

 「・・・何?」

 自分では、凄く感情を抑制して応えたつもりだったけど、指は、同時に知紗へのメッセージを作成していて、

 「ナンかあった?」

 「・・・知紗が今、どっかのヤローに告白されてるっぽいんだよね」

 「・・・」

 "知紗、今どこ?"

 「・・・ふうん? それでその顔か」

 ――――――え?

 声にはせずに聞き返した俺に、絶妙のタイミングでレントが答えをくれる。

 「お前、すげぇヤバイ顔してる」

 「は?」

 なんだよ、ヤバイ顔って。

 鼻で笑うくらいに顔を上げたけど、視界に入った美織んでさえも、驚いた様子で固まっていて、

 「・・・なにかなぁ、一体。ちょっと大袈裟・・・」

 言いながら、ファミレスのガラスに映る自分を見た、途端、

 ヒュッと、喉を走る息。
 心臓が、バクバクと音を立てる。

 そこに居たのは、自分でさえも知らなかった、俺の 一面 かお

 俺、こんな顔・・・、

 「篤、お前、自覚ある――――――?」

 「・・・え?」

 「 うち のヤツらには誰にも会わせたくないとか、見せたくないとか。今までと違って、なんか珍しいコト言ってんなって思ってたけど」

 「・・・」

 混乱する頭で、

 "知紗、今どこ?"

 衝動のまま知紗に送ろうとしていたそのメッセージを、冷静に判断して跡形もなく消した。

 他人には、見た覚えのある、今の俺のこの 表情 かお は、
 間違いなく、嫉妬に歪んだ醜い顔で――――――、

 「俺・・・ヤバイ?」

 こんな風に、嫉妬で我を忘れそうになるとか。

 「うん、ヤバイ」

 俺の問いに、真剣な顔で頷くレントに、メッセージを送信する前に意識取り戻せて良かったと、マジで心から思う。
 あのまま、激情に流されて知紗に会いに行ってたら、きっとめちゃくちゃに傷付けた気がする。

 「やべぇ・・・超、恥ずかしい・・・」

 泣きそうな気分で真面目に口にしたのに、何故か美織んが 「ふふっ」と笑った。
 レントが不思議そうに首を傾げる。

 「何? 美織」

 「うん。なんだかね、思い出しちゃったコトがあって」

 美織ん。

 出来れば、こんな情けない俺を拾い上げる、切実に救いのある話が欲しいです、今。

 「あのね」

 縋るような俺に、美織んはふんわりと笑ってこう言った。

 「楽園のイヴが、禁断の果実を食べた事によって、アダムの前に裸で立つ事が恥ずかしいという感情を生んだ時のエピソード」

 それは"知恵の実"。

 良い意味でも、悪い意味でも、本当は 人間 ひと 与えたくなかった、禁断の実――――――。

 「知紗ちゃんは、篤くんにとって」

 「ちょっと待って! 美織ん。これ以上はマジで、恥ずかしすぎるから!」

 ああああああ、と。

 耳を押さえて唸りながら、テーブルにうつ伏せて、悶死中。

 「はは! それいい! 美織、ナイス!」

 頭を抱えた俺の上から、レントの笑い声が聞こえてくる。

 くっそ〜。

 スマホを改めて手に持って、急いで知紗にメールを打つ。

 "今どこ? 会いたい。時間作れる?"

 すると、即効で返って来る知紗からの返事。

 "まだ麻花ちゃんと買い物中です。あたしも、会いたいです"

 その内容に、身体に巣食っていた何かが、流れるように霧散していく。

 うん。

 会いたい。

 会いたい、知紗――――――。

 "終わったらメールして。直ぐ迎えに行くからね"

 "はい"

 俺が食べたのは、知紗という禁断の、

 「アダムとイヴは、楽園を追いやられて、たくさんたくさん苦労したけれど、だからこそ育めた愛の価値を初めて知るの」

 「食べたのって、イヴだっけ?」

 「諸説によって色々あるみたい。蛇にそそのかされてアダムが食べたり、イヴが食べて、それをアダムに食べさせたって話もあるし・・・。地域によって、禁断の実はリンゴだったり、ブドウだったり。あ、トマト説もあるんだよ?」

 「へぇ?」

 一度読めば何でも記憶してしまうらしい美織んが、そんな、聞く人によってはどうでもいいような話を一生懸命続けていて、それを見守るレントは、そんな美織んの一呼吸すら逃すまいと、優しく一心に見守っている。

 そう言えば俺も――――――、

 知紗とキスをする度に、俺の記憶には栞がつくようになった。

 人の流れ。

 空の色。

 風の方向――――――。

 知紗と一緒にいる時の、目にする全てがその栞。

 最初の頃は、恥ずかしがる知紗の為に周囲を見渡すのが目的だったけれど、知紗といる世界の確認だ。

 知紗とのキスを思い出す時、

 知紗の顔もそうだけど、

 俺は、

 俺と知紗を包んでいた世界の色を、
 目に映りこむ空の色を、
 風の肌触りを、

 いつだってその栞を頼りに、こんなにも切なく思い出す事が出来る――――――。

 「そっか・・・」

 今さら、この気持ちに名前がある事を知るなんて――――――。

 「ほんと、俺ってバカだね〜。気づくの遅すぎ」

 甘さも混じる溜め息を吐きながら顔を上げた俺に、レントと美織んが、すっごく優しい眼差しを向けてきた。

 ああもう、

 潔く、認める。

 知紗。

 知紗。

 名前を呼ぶだけで、

 こんなに泣けるように君を愛しく想えるのは、

 俺が、知紗に"恋"をしたからなんだ――――――。








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