小説:食べられる花


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Episode:雪


 ――――――

 ――――





 短大卒業と同時に入社したこの通信会社は、実は外資系の百パーセント子会社。

 社員研修が記憶に残っている人はもちろん知っていると思うけど、一般の人にそれを知る人はきっと少ない。



 名前が知られている分野が営業を彷彿とさせて昔からある日本企業のイメージを持っている人は、福利厚生の内容を知ればかなり驚くだろうなと思う。



 今、克彦君が満喫中の休暇もその一つ。

 結婚休暇と、ハネムーン休暇。

 特別有給休暇扱いで結婚休暇は三日、ハネムーン休暇には二日が付与されて、更に、手持ちの有給休暇を最大十日までそれに加えて活用する事が出来ると規則に記載あり。



 つまり半月以上のお休み。



 お式と披露宴前後と、その後の沖縄旅行が終わってからというもの、ずうっと家でいちゃいちゃしているらしい。

 それも残りあと四日。



 …早く帰って来て、会いたい。



 愚痴を聞いて欲しい、克彦君。



 「え〜、でもたくみさん、そんなにモテるんだから、彼女いないんて嘘みたい〜」

 「ほんとよね。どこかに隠してるんじゃないの?」

 「私達、別に意地悪したりなんかしないわよ? 見せびらかしたらいいのに、うふふ」



 秘書課のお姉様と企画室のお姉様と営業支援部のお姉様。

 どうやら姉《・》妹《・》では無かったらしいお三方と共に、



 「ほんとですよねぇ。あたし達ぃ、たくみさんがどんな人を選ぶのか、すっごく興味ありますぅ」



 あたしも、親衛隊としてのお振舞い。





 半年前の春。

 アウトレットモール近くにあるイタリアンのお店で偶然会ってからというもの、この王子こと宮池たくみは何かにつけてあたしに話しかけてくるようになった。

 それはもう、見かければ反射のようにあたしの名を呼び、ポケットからお菓子を出しては餌付けしようとしたり、やたら髪を触ろうとしたり。



 どんなに無視しても拒否してもめげなくて、

 王子絡みってトコは釈然としないけれど、せっかく顔見知りになったアキさんのレストランにも、一人で行くと必ず強引に相席してくるから、一人では行けなくなり…。



 『これってあたし被害者だよね! ストーカー被害!!』



 やけ食いしながら克彦君に訴えれば、



 『…雪が嫌がってるのは分かるけど…、あんなに王子顔で爽やかにじゃれてくる人相手に、ストーキングするなよって誰が言える? どっちかって言うと、雪がただ照れてツンしてるって見方をする人の方が…多いかもねぇ?』

 『克彦君!?』



 そんな、押しも引きも全く無意味な感じの馬鹿馬鹿しい攻防を繰り返す内に数カ月が経ち、夏の盛りの頃には、それぞれのお姉様方に呼び止められ、王子とどういうなのかを切れ味凄い笑顔で迫られ、



 『――――――あの、良かったら一緒にお話ししてくださいませんかぁ? あたしぃ、王子様と二人きりなんて緊張しすぎて窒息しちゃいますぅ。〇〇さんがいてくださったらきっと楽しく夢の時間を過ごせる気がするんですぅ。頼っていいですかぁ? 頼らせてくださいぃぃ、一緒に王子様を囲みましょう〜』



 我ながら、女子攻撃を穏やかに躱すという意味では完璧な防御だったと思うけど、

 事態の収拾が想定を超えて、王子とあたし達でランチするのが日課という、面倒な形に収まった。



 それでも、なかなか崩れない強固な王子スマイルには、ちょっとは感心したけれど。



 そうこう過ごしている内に秋が来て、克彦君と梢ちゃんは無事に結婚。

 さすがに新婚のお宅にお邪魔して、こんな八つ当たり的な愚痴を聞かせるなんて出来ないから、ひたすら、克彦君の出社を待って待って耐えた日々。



 あと四日。



 半月は長すぎた。



 人間、適度に毒素を吐き出すのは大事なんだと実感。

 これはもう、愚痴を通り越して絶対に悪口《ゲロ》になる。


 「――――――あれ? 藤代さん、こんな時間にお昼? 奇遇だね」
 「…くッ」


 ここは社食。
 今は十三時五十分。


 「…」
 「もっしもーし? 藤代さん?」

 負けちゃだめよ、雪。



 どうして、シフト以外の日にお昼の時間をずらしても、こうもタイミングを合わせられるのか。
 って言うか、どうしてそうフットワーク軽くお昼時間を調整できるのよ、システムサポート部は!

 ――――――なんて、

 日々の鬱憤疑問に押しつぶされて怒りを発現しちゃダメ。


 あたしは藤代雪。

 結構可愛くて、人並には仕事が出来て邪魔ではなく、本気の彼氏を紹介するのは嫌だけど、男を釣るのに都合の良い女子仲間的な藤代雪。

 座右の銘は真実一路。
 存在テーマは豆腐に鎹。


 よし。


 「たくみさん、今日は会えないって思ってましたぁ。これからランチですかぁ?」

 思い切って顔を上げれば、

 「会議が長引いちゃってね。月初だし、今週はそっちも忙しいんじゃない?」

 本日のA定食であるカツカレーが乗ったトレイをテーブルに置いて、当然のようにあたしの隣の椅子を引いた王子に表情が引き攣ってしまう。

 「そ、そうなんですよぉ、もう忙しくてぇ」

 はい、空笑いが本気で乾く。
 視界に、いつもの指定席に座る西脇さんが目に入って、あたしは思わず話題に取り上げてしまった。

 「あ、でもぉ、西脇さんとか、管理側だともっと大変そうですけどねぇ、月末から月始めにかけてはぁ」
 「そうらしいね。咲夜さくやもランチで捕まえるのに苦慮してるみたいだ」

 …ちょっと王子。

 友人の秘めているだろう想いを、お前が認めるのか、認めちゃうわけね。
 横目でその責めを送り出したあたしを顔色を読んで、王子は少しだけ困ったように笑って見せて、小さく肩を持ち上げた。

 「どうせ気づいていたでしょ? 藤代さんは害は無いと信じてる」

 スプーンで、大きめの一口を頬張った王子に、あたしは半ば呆れながらも好奇心に負けて訊いてみた。

 「長いですよねぇ? 告白とかしないんですかぁ?」
 「しない。そう決めてるみたい。――――――藤代さんさぁ、近くには誰もいないし、普通に話したら?」

 それは無理です。

 「あのぉ、室瀬さんってぇ、結構イケメンですよねぇ? 本気出せば意外と攻略できそうな気がするんですけどぉ」
 「それには心底同感だけど、人のものを奪うのは美徳としない家系で、そう教えられて育ってるからなぁ。あいつはしないよ、きっとね」

 …美徳…――――――ねぇ?

 寝取られワードがネット検索でランクインする時代に嘘みたいな信念だわ。

 「…ん?」

 人のもの?

 ぼんやりと、王子から西脇さんへと視線を移す。

 相変わらずの防御壁眼鏡。
 それにプラスされる長い前髪のスクリーン。
 お洒落感のない、ただ後ろに括っただけの髪型。
 一人でいる時は相変わらず俯き加減で、――――――カスタマー部の領域を出たら、経理部の金井さんと話してる時以外、彼女はずっとこんな感じ。

 そんな西脇さんが、


 "ヒトノモノ"


 「…え?」


 他の男《ひと》の女《もの》?


 「え?」


 何となく思考がクリアになってきて、その単語が豆腐じゃない方の脳にちゃんと収まった。


 「え? 西脇さんって、彼氏いるの!?」
 「は? 知らなかったの?」

 あたしの発言には相当驚いたようで、王子がかなり大きく目を見開いている。

 「だ、だってそういう話する間柄じゃないし、ブースに入ったら他の人と恋バナ出来る雰囲気は全然ないし…って、嘘、ほんとに?」
 「わざわざ友人が悲しくなるような嘘を吐く趣味は無いよ」
 「で、ですよねぇ?」


 驚いた。

 普通、彼氏とかいたらそういう気配《におい》ってしそうなのに、彼女からはそんな感じ、全然しなかった。
 まさに衝撃。

 「結構長いよ。学生時代からだから――――――もう六年か」

 うわ、さすがの詳細情報。

 「…たくみさん、同じ大学じゃない、ですよ、ねぇ?」

 西脇さんが克彦君の後輩なら、それは確実。
 王子って確か、そこに隣接していた有名大の出身…――――――、

 「あ」

 まさかの辿り着いた想定に思わず声が出てしまった。

 ゆっくりと王子へと顔を向ける。
 内心とは違って、興味津々ってミーハーさを出して、

 「まさか室瀬さん、大学の時からの片想いなんて事ないですよねぇ?」

 ふふふ、きゃはは、の効果音付きだったのに、

 「…まあ――――――ね」

 また、王子が困ったように小さく笑った事に、あたしは軽く眩暈を覚えた。

 …しくじった。

 室瀬さん長年の片想い説、それはどうやら、まさかの攻撃力だったらしい。

 「すみませぇん…」

 モブが切り込み過ぎた事にちょっぴり反省を見せて謝意を呟けば、王子は微かに一息ついて、それから改めて口を開いた。

 「あいつは、優先すべき視点から0か100かって生き方をする奴なんだ。その気性は、他では良い感じに活かせても、事が西脇さん案件になるとどうしても前に出られなくて、その場で足踏み。それがずっと続いてる」
 「…それは、西脇さんに彼氏がいるからって事ですかぁ?」
 「そ。彼氏がいるって視点から、彼女は人の女《もの》。だから自分から動くのはゼロ」
 「じゃあぁ、もし西脇さんが室瀬さんを好きになったらどうするんですかぁ?」
 「それならきっと100になって咲夜さくやは動くよ。西脇さんが好きだと言ってくれるのなら、それは自分が見染められた結果であって、誰かの幸せに意図的に介入して奪ったわけじゃない。もちろん、付き合うのは彼氏と別れた後ってケジメはつけさせるだろうけど」
 「理解出来るような出来ないような…」

 何て言うか、

 「…線引き難しくないですかぁ?」
 「ん?」
 「だって、結局のところ室瀬さんは西脇さんを好きなわけですしぃ、超絶イケメンじゃなくたって、それなりに魅力ある人がチラチラ自分の事見てたら、女なら誰でも気になりますよぉ。例え西脇さんがいくら地味に生きようと頑張ったとしても、やっぱり胸が高鳴ったりるすと思うんですよぉ? その視点から言うと、穿った見方にはなりますけど、イケメンが熱を持って誰かを見つめる事自体が既にちょっかいって気がするじゃないですかぁ」

 それを、自分から仕掛けとか仕掛けてないとか。
 一体誰がどう判断するのか、まったくもって定義が謎。

 「馬ぁっ鹿みたい」

 思わず鼻で笑っちゃう。

 「結局それって、ただ室瀬さんが良い人ぶって逃げてるだけの話じゃない? しかも自分に対して」

 言い切って、オムライスの最後の一口をもぐもぐ。
 何か反論が返って来るだろうと構えていたのに、なかなか王子からお言葉が無い。


 「…」

 チラリと横目で様子を窺えば、口を半開きの状態であたしを見つめてくる王子がいて、

 はいはい。
 どうせあたしらしくない発言でした。

 「――――――って感じですぅ」

 にっこり笑って付け足したけれど、王子は微妙に肩眉を下げて不快感を隠さずに表してくる。


 ですよねぇ?

 ま、別にいいけど。

 まだたっぷりコップに入っていたお水を一気飲み。
 席を立つ準備を粛々と進める。
 早く立ち去ろう。
 それが一番。

 すると、立ち上がろうとした直前、

 「君の眼鏡も、なかなか分厚そうだ」
 「え?」

 ふと漏らされた声に、あたしは再び王子を見た。
 そこには、いつもの王子とはまた違う、やんわりとした笑みが浮かんでいて、

 「その口調が、藤代さんにとっての眼鏡なんでしょ? って、俺のはそういう話ね」

 王子が右手に持つ、微かにカレーを食べた跡の付いたスプーンが、その綺麗な指によって器用にクルクルと回される。

 「…ええぇ? 何の話ですかぁ、それ」

 小首を傾げて可愛く問えば、

 「何だと思う?」

 打って変わって、王子の表情は一瞬で生真面目なものに変わった。


 ――――――何?


 「…」
 「…」


 隣同士、首を捩じった体勢で、お互いに真顔――――――どちらかというと睨み合ってと表現するのが正しい数秒。


 "それを聞いてどうしようって言うのよ"

 あたしの中で、不機嫌さも混ざる疑問が限界まで膨れ上がった時、


 「馬ぁっ鹿みたい」

 そう発したのは王子で。

 「…ぇ?」

 一瞬だけ見えたような気がした冷ややかな顔も、幻だったんじゃないかと思うくらい今は跡形もない。
 いつもの、宮池たくみらしい、王子様然とした柔らかな笑み――――――。


 「でもまあ、鳴りを潜めるように生きている西脇さんを、見た目で堕とした程度の信頼関係で傍に置いて幸せに出来るほど、咲夜さくや自身が平和な環境に住んではないから、今の状況は、俺としては一応の最善だと思ってるよ」

 内容は、少し否定的に聞こえて、
 でも、ほんの少し揺れた王子の眼から感じ取れたのは、親友への優しさのような気もする。


 「…ん〜、なんか意味わかんないですぅ」

 これで終わり、という意志を込めてあたしは椅子を鳴らして席を立つ。

 「それじゃあ、今日はこれで失礼しまぁす」
 「うん、またね」

 ひらひらと手を振る王子に笑顔に一つ会釈を返して、あたしはトレーを持って歩き出した。


 「…」

 背中に、王子の視線を感じる。

 あの人の眼差しに熱量が無いとは言わないけれど、こうして構われるようになった半年で判った事。

 王子の"好き"は、あたしが知っている"好き"とは大分違う。
 つまり、あたしとの時間に求めているのは遊びの延長のようなもの。
 ペットに構う気安さと一緒だ。


 ――――――みんな擬態してる。


 ううん。

 そもそも、擬態していない人間なんて、

 もしかしたら、本当はいないのかも知れない――――――。








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