小説:食べられる花


<食べられる花 目次へ>


Episode:雪


 十二月に入ると、煌びやかに装いを変えてくる街の華やかさと共に、女の子達の服装やお化粧も変わって来る。
 意識してそわそわし出して、きっといつもより何倍も可愛くて艶やか。
 同性から見てもそう映るなら、異性への効果は数倍の筈で――――――、


 「ぷ、プロポーズ!?」


 食後のスマホいじりをしていたあたしの耳に入ってきたのは、背後からのそんな声。
 特に興味もない人の恋愛談義を聞かされるのは学生時代でお腹一杯だから、さっさと席を立とうとスマホのロックをかけた時、その名前は刻まれた。

 「嘘、やっぱり結婚しちゃうわけ? 咲夜さや

 ――――――サヤ?

 「…」

 ちょっと首をコキコキしてる振りで、肩越しに背後へと目をやって確認すると、間違いなく、西脇咲夜さやさんと金井未希子さんがこちらに背を向けて座っていた。


 「まだわからないんだけど…ちょっと前に、お正月には私を連れて帰るって、ご家族に電話してるの聞いちゃって…」
 「おお、そっかぁ。クリスマスにはこっちに来るんだっけ?」
 「うん」


 そういう季節にもなるよね、クリスマス。
 求愛のタイミングには何もかもがバッチリだし。


 「んん、咲夜さやが決めたんなら応援はするけどさ…」


 …あれ?

 思ったより、金井さんの反応が冷たい…?

 「本当は気が進まないけどね」

 もしかして結婚を先越されて悔しいって感じだったりするの?

 だとしたらかなり意外。
 前にアニメイベントで見かけた時から、絶対に漫画かアニメの中に恋人がいるタイプの領域の人だと思ってたし、友達の幸せは手放しで喜ぶ人かなと勝手に決めちゃってた。


 「独占欲の強い男なんて漫画ならいいけど、現実には辛くない? しかもクローズ的な独占の仕方だし」
 「でも、凄くホッとするし、安心するっていうか、…ね」
 「…そんな顔しないの。水差して悪かった。式にはちゃんと参列してお祝いするから」
 「うん。ありがとう、未希子」
 「って言うか、まだプロポーズされてないし。勘違いだったら凄く恥ずかしいよ、咲夜さや
 「う、そうだけど…、でもね、今まで彼、クリスマスなんて意識して外に誘ってくれた事、一度もなかったから…。しかも彼からホテルでお泊りなんて仄めかされて、らしくなくてびっくりしちゃった」
 「うわぁ、なんかベタだけど、うん。そっか。なら期待値は高いね」
 「うん。やっぱり、何て言うか、――――――実は心待ちにしちゃってたみたい、私」
 「…く、咲夜さや、可愛すぎる、その顔」


 金井さん、声に変態モードが混ざってますよ〜――――――と。


 …ふむ。

 この会話から察するに、西脇さんの彼氏は結構な引きこもり男。
 そして彼女である西脇さんを閉じ込めたいタイプの男。
 そんな彼氏が、家族に紹介する予定を入れていて、クリスマスに珍しく外泊――――――なんて。

 これはありかな。

 確かに、セオリー通りの展開になる気がする。


 一瞬だけ、西脇さんに一途に想いを寄せているらしい室瀬さんの事が頭を過ったけれど、参戦する気が無い奴に同情は無い。


 "お幸せに〜"

 心の中で呟きながら、何となく幸せのお裾分けを貰ったような気分になって、それを零さないように唇を笑みの形でしっかりと結びながら、あまり音をたてないように席を立った。



 それから暫くの間、あたしの生活は平穏そのもの。

 数年後を見越した新規事業参画の為に開発部門が総出で社内コンペに駆り出されているらしいと噂が出て、あたしの穏やかな日常を時々乱しに現れていたシステムオペレーション部の王子の出現率が有難くも減ったのは、そういう事かと納得した。

 クリスマスに、あたしの大好きなお店のガトーショコラ1ピースが社内便で送られてきた時は驚いたけれど、食堂で渡されなくて良かったと、魂抜ける程に脱力しながら王子の気遣いに感謝した事が最新の近況。


 …――――――感謝…?


 「ち…違う違う違う! 問題点はなんであたしにそんなの送って来んのよって話だし、一介のオペレーターでしかないあたしにシスオペから社内便って変でしょ絶対! 変だよね!? 大体、どうせくれるんならケチケチしないで1ホール送れっての! そう思わない!?」

 息も切れ切れ、必死でそう言ったあたしに、

 「ん〜、そうだねぇ」

 同じ炬燵《こたつ》で寛ぎながら、器用にお花の形にミカンをむいていた梢ちゃんは困ったように笑い返して来る。

 「はい、どうぞ」
 「…ありがと」

 差し出された半分のミカンを受け取り、あたしは、その一房を口にする事でこれ以上の墓穴堀りを避けた。

 「…甘っ、凄く甘いね、このミカン。美味しい」
 「でしょ? 食べて食べて、まだいっぱいあるから。たくさんむいてあげる」

 満面に笑う梢ちゃんは幸せに満たされていて、最近ますます可愛くなった。
 …人妻になったら色気が出るとか言うけれど、梢ちゃんは春が長すぎて、どっちかっていうと肝が据わった感じでステップアップしたって感じ。
 その分、余裕が滲み出て、ほんわかムードに天使の輪をかけてるみたい。

 「実家から箱で来たんだよ。二人で食べる量じゃなくて、どうしようかって思ってたの」
 「あ、さっき食べたゼリー、このミカン?」
 「そうそう。手絞りでぎゅーって頑張ったよ」

 顔が…可愛い。
 克彦君はこういう所もぎゅーってしちゃうんだろうなぁ。

 「うわ、手ぇこんでるね。天然の甘さだったんだ、あれ」
 「ふふ」
 「克彦君、甘いの好きだもんね」
 「でもね、白玉にミカン混ぜたら拗ねられちゃった」

 白玉団子は克彦君の大好物の一つ。
 好きなものを食べた時の、けれど思いもしなかった味への衝撃が何となく想像できて、ちょっぴり同情してしまう。

 「…それはないよ、梢ちゃん」
 「んん、そうかなぁ? あんみつみたいで有りだと思ったんだけど…。なんだか白玉はお汁粉の中ってセオリーがあるみたいで」
 「あ〜、莢子《さやこ》おばさまのお汁粉、美味しいもんね」
 「確かに。お義母さんのアレにはまだ適わないかな〜。はい、もう一個」

 いつの間にかテーブルにはもう一個のオレンジの花が咲いていて、梢ちゃんから新しいミカンが手渡された。

 「…でも、克彦君は食べたんでしょ? そのミカン白玉」

 受け取りながら、あたしは確信して尋ねる。
 しかめ面をしながらも、一生懸命平らげようとした克彦君の様子が簡単に想像できていた。

 「うん。捨てるのは勿体ないって」

 やっぱりね。
 きっと梢ちゃんが作ったんだか捨てるなんて出来ないってとこだよね、うん。

 「克彦君らしいや」
 「ね」

 ここは克彦君と梢ちゃんの新居で、まだまだ新しい築浅マンション2LDK。
 バスルームとトイレ以外にドアのない不思議なつくりが気に入って決めたらしいけど、いつも一緒にいる事が自然な二人らしい選択理由だと思ってしまった。
 そんな新婚夫婦宅の二人のお部屋に、明日は大晦日だという本日、雪ちゃんはがっつりお邪魔中。
 というのも、克彦君が急な二泊三日の出張で昨日から駆り出されているからだ。
 来年度には、人事部内での昇進が内定しているらしく、主要な企業間のパーティに部長に呼び出される機会がとにかく増えたらしい。


 「――――――ところで雪ちゃん」
 「ぅん?」

 手にしたミカンの重さたっぷり加減に誘惑されて、かなり大粒の二房を口の中に放り込んだ。
 噛み潰した途端に、まるでジュースを飲んだかのような、じわっじゃなくて、じゅわわって感じの甘さの広がりに感動。

 「おいひいぃ」

 食べ終わってもいないのに、次のミカンの房に手が伸びたりして、


 「その王子様とデート、予定はまだないの?」

 梢ちゃんが、あまりにものんびりと口にするから、


 「……ん?」

 耳に入って、脳に格納されてあたしの腑に落ちるまで時間がかかった。



 ぶほっ。


 「きゃ、――――――ちょっと雪ちゃぁん」
 「ごめ、こほっ、コホッ」



 ミカン噴いちゃったし、

 気管に入ったし!



 「もおおおぉ、雪ちゃんったらぁ」
 「ケホ、…こ、梢ちゃんが変なこと言うからでしょ!」
 「えええ?」

 ティッシュを素早く数枚抜き取って、汚れたテーブルを拭くスピードが只者じゃない梢ちゃん。
 いざって時は早く動くタイプだったんだね――――――なんて、変なところに感心しながら、あたしは改めて攻撃態勢。


 「なんであたしが王子とデートなんて話になるのよ! ちゃんと聞いてた!?」
 「うん、聞いてたよ?」

 不思議そうに首を傾げる梢ちゃんが、初めて未知の存在に見える。

 「どうしてあたしが王子とデートするとか思うワケ!?
 「だって、雪ちゃんって気にならない人の話をする性格じゃないでしょう?」
 「…ッ」

 墓穴を、掘るまいと思ってミカンの話にチェンジしたのに、まさかの素知らぬ振りした索敵からの直撃コース。
 梢ちゃん、侮り難し…。

 「なんだか雪ちゃんってば、あの野郎この野郎っていいながら、すっごくチラチラ見てる感じがするんだもん」
 「うわあああ何か、やめて、王子の策略に嵌まってる感じが超嫌だから!」

 耳を塞ぎたくなる衝動を抑えきれなくて、「あ〜あ〜」言っちゃう。
 断然嫌!
 もうほんとに嫌!

 「策略?」

 カク、と更に首を傾げた梢ちゃんは、可愛いんだけど、可愛いんだけど、あたしは恥ずかしさ全開の自分を誤魔化すように声を張り上げた。

 「そうなの! あんだけ周りに出没しといて、急に鳴りを潜めたかと思ったら、好きなものだけ送りつけてくるなんて、絶対に絶対に作戦に決まってるじゃない! なかなか自分に靡かないから、狙い定めて釣りしてんのよ、あいつ。これ見よがしに餌でつんつんしといて、パクッて食いつくのを絶対にニヤニヤしながら待ってるわけ! あたしは絶対に釣られてなんかやらないけどね!」
 「…なんかもう、生け簀の中って感じだねぇ」
 「違ぁぁあう」

 女子との関係には慎重だけど、別にあたしだって男が嫌いってわけじゃない。
 克彦君みたいな人がいいなって思ってただけで、でも二人とはいない気がするのでそれはあくまでも希望。
 実際はそんなに望みが高いわけでもない。

 ただ普通に優しくて、絶対に浮気なんかしなくて、普通に仕事してて、絶対にギャンブルはしない人で、見た目にこだわりはなくて、でもコンプレックスが無い方が面倒くさくなくて良くて、克彦君との関係を認めてくれて、そして何よりも、絶対に絶対に手が綺麗な人。

 「雪ちゃん、理想が結構高いかもって思った事は無い?」
 「…ちょ、ちょっとは思ったけど」

 合コンに行くたびに、世の男共の現実を思い知らされて倒れそうだったし。

 「それで? その王子様はどれくらい当てはまってるの?」
 「浮気は絶対にする」
 「そうなの?」
 「わかんないけど、浮気しようがしまいが、絶対に女子と揉める事になるから論外!」
 「ふうん…」

 まずお姉様方が面倒だもん。
 今は同じ金魚のフンだから楽しく会話出来てるけど、ちょっとでも差がつこうものなら、何されるか判んない。
 良い大人がまさかって思うけど、今は大人のいじめも凄いらしいし、油断は大敵。


 「王子様は優しくはないの?」
 「うん? …優しいか優しくないかで言うなら、優しいとは思うよ。上辺だけって感じもするけど」

 ついでに、誰にでもって感じもね。

 「同じ会社なら、仕事はしてるよねぇ? ギャンブルは?」
 「競馬はしてるみたい。競馬場に行った話、聞いた事あるし」
 「こうして雪ちゃんから聞いた感じだと、コンプレックスは無さそうな人だよねぇ」
 「…多分?」
 「でも、手は綺麗なんだ?」

 そう。
 そこがあたしにとっての大問題。

 どうしても目を引いてしまう。
 惹かれてしまう。
 気が付けば、じっと仕草の行方を見つめている。

 「雪ちゃんにとって、手って恋愛要素六割だっけ?」
 「…」

 手さえ綺麗なら、もしかしたら他の要素は下の下でも耐えられるかも、なんて。
 話した事がありましたね、はい。

 「それでも、王子様と恋を始めるのは嫌なの?」
 「…嫌って言うか…、向こうにだって、始める気があるかどうかは微妙だし。あたしだって、ちょっと現状の成り行きで不本意に気になったから話題にしただけで、別に好きとかじゃないし」

 そっぽを向いて言ったあたしに、梢ちゃんが小さく溜息を吐いた。

 「そう言えば、雪ちゃんって、彼氏いた事ないよねぇ」
 「梢ちゃん、まじまじと言うのやめて、なんか胸が切なくなるから」

 もう羞恥に耐えられなくて、テーブルにうつ伏せたあたしの頭を、梢ちゃんの手がよしよしと撫でた。
 克彦君と同じ手の感じ…。

 「もう克彦君と梢ちゃん家《ち》の子になるぅ」
 「それもいいけどねぇ。雪ちゃんにはちゃんと好きになった人と幸せになって欲しいなぁ」
 「無理だもん」
 「んん」

 目を閉じて、梢ちゃんが撫でてくれる手触りにうっとりと意識を向ける。


 「ずっと女友達を警戒してきてるからね、雪ちゃんが臆病になっちゃうのも仕方ないかな、とも思うけど…」


 物凄く、心地いい――――――。
 ツボを押さえられてるんだよね、克彦君直伝。


 だから、


 「…んふふ、なんか…ゴロゴロ喉を鳴らしたい気分ん〜」

 束の間の幸せを感じながら、呑気にそんな事を言ってゆらゆらと雰囲気《ムード》に微睡んでいたあたしは、


 「ん〜、もうちょっと、強引でもいいのかなぁ…?」


 梢ちゃんの呟きが一体誰に向けられたものなのか、まったく考えもしなかった。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。