小説:食べられる花


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Episode:雪


 〈ひぇぇ、鬼畜すぎだよ王子ぃ〉
 〈なにここ、バイブお尻に突っ込んで二本挿しぃ!? やだぁ、ヒロイン壊れるってぇ〉
 〈ああ、でもこのシーンは良いね〜。キッチンで立ちハメ。やめて、まだ濡れてない、痛いの、それでいい、痛みと共にオレを感じてその体に刻めばいい――――――初めての相手が自分じゃないって葛藤が出ててなかなかキュンと来たよ〉
 〈それな! うち、先月の"テーブルの脚に手錠"がけっこうキタんだよね! それに刺激されてっていうか、もう王子みやがれ〜って思ってさ〉
 〈いいよぉ、もう最高ぉ。さすがだよねぇ〉
 〈呑気に言ってるけど、新年一発目はスノウちゃんだよ? はい、リスト〉

 セリフと同時に、ピコン、と音がしてアプリ内でアップロードされてきたファイルが承認を求めてきている。

 「あちゃ、そう言えばそうだった」

 〈ありがとう〜、がんばるねぇ〉

 キーボードをタイプしてEnter。

 〈スノウちゃんが書くヒーローって手の動きがセクシーになるから、王子がどんな風になるか楽しみだよ〉
 〈オリジナルの王子はちょっと体ぎこちないしね〉
 〈いやいや、そもそも王子はセックスしないから。キスで止まってるから。出版社許さないから〉
 〈世間では眩しいくらい爽やか王道王子も、うちらの手にかかって裏《ここ》ではもうぐちゃぐちゃだけどね〜〉

 裏夢女子達の会話の間に間に、お花の代わりに生えているのは大量の草。

 〈どのシチュエーション使うか悩むぅ。でもそろそろ家族で年越しそば食べる時間だから、おちるね〉
 〈りょ〉
 〈スノウ、あけおめ〜〉
 〈こらこら、まだ時間早いよ〉
 〈あはは、来年もよろしくねぇ〉

 鍵付きチャットルームを出て、今日はもうサイトからもログアウト。
 パソコンにダウンロードしたファイルをウィルススキャンして、

 「脅威はありません。よきよき」

 改めてカチカチッと開く。
 Wordファイルにびっしり書き綴られているのは、あたし達裏夢女子五人でランダムに提案したシチュエーションアイテムリスト。

 「十分間スパンキング…は書けないなぁ。良さがわかんないし。シックスナインに抜かずの三発、…うわ、クンニ十分? んんん、セリフが思いつかない。ヒロインはぁはぁ言わせるだけで終わっちゃいそう」

 ソフトからハードまで、二百万部突破したピュアラブも、裏に回されればドロドロのオカズ仕様。
 彼女に一途なロマンチストのヒーロー王子は、あたし達の世界では究極のエロ帝王でしかない。
 たった一人の女の子に夢中だからこそ、ヒロインしかいないからこそ!
 あんな事やそんな事、こーんな事までやらせてあげたい、というファンの情熱で生まれた夢裏リストなのだ、これは。

 …高校生にこんな事させんなよ、ってくらいの、五人の趣味の差異も際立ったリストだけど。

 新年一発目のSCENEはあたしの出番。
 大晦日の今日、一人暮らしのあたしには特に予定は無いし、

 毎月二十五日の締め切りにはまだ余裕あるけど、早速始めてみようかな――――――と、エディタを開いた時だ。

 スマホからチリンとベルの音がして、手に取って確認すれば、梢ちゃんからのメッセージだった。


 "一緒に年越ししない?"

 「ええええ?」

 さすがに新婚夫婦の初大晦日にお邪魔するのはねぇ…と返せば、

 "克彦君のお友達も来てるんだよ。気にする要素ゼロだから。あ、でも硬そうな煎餅たくさん買ってきてー"

 「おせんべい…」

 バリバリ噛みたいって事は、もしかしたら梢ちゃんは機嫌が悪いかもしれないって事だ。
 つまりは、その克彦君のお友達の来訪が、梢ちゃんにとっては予定外の想定外、もしくは、招かざる人だったか。

 でも、克彦君が梢ちゃんの意に沿わない事を敢えてするとは思えないけど…。

 これは、行った方が良いのかな。


 「直ぐ行くね、と」

 スタンプで返したあたしは、画面ロックをかけるのと同時に、最短最速の準備について思考を切り替えた。




 ここは、数日前にも訪れたばっかりの新婚夫婦のお宅。
 新婚生活にあたって楽しく選んだだろう明るめの小物が可愛いリビングは、ミカンのお花が幾つも咲いた、すこぶる寝心地の良い炬燵がど真ん中にあって――――――…、


 「どッ、…」

 ど、――――――うしてあんたがここにいるのよ!

 その言葉は、どうにか音になる前に飲み込んだ。
 雪ちゃんえらい。
 根性。

 「こ…こんばんはぁ」

 あたしは、知っている優しい空間に、何故か缶ビール片手に寛いだ状態で混ざっている有り得ない異物へと会釈した。
 頑張って笑顔を作っていたけれど、やばい、口元から頬にかけて、攣りそう、ピクリそう、痙攣しそう。

 「わぁ、宮池さん、びっくりしましたぁ。どうしたんですかぁ?」

 くッ…、棒読み。
 微妙に敗北感を味わってしまう。

 しかも、あたしのわざとらしさに絶対気付いた筈なのに、王子こと宮池たくみは、クールな印象を授ける黒のタートルネック姿が吹っ飛ぶ程の爽やかな笑顔でサラリと言った。

 「こんばんは。藤代さん。一人寂しく年越しする予定だって話したら、堂元さんが誘ってくれてね」
 「へぇ…ソウナンデスネ」

 克彦君、なんて余計な事を。

 「お二人、仲良かったんでしたっけぇ?」

 聞いた事ない、絶対無い。

 「最近はね」

 目が細くなり、色素の薄い睫毛の束が目元にアクセントとなる影を落とした表情からは、凄く会心の一撃って心情が窺えて、

 …あたしが驚いている事に、王子の心が小躍りしてるような気がして、ムッとする。


 「最近ですかぁ。そうですかぁ…」

 ついさっき、何食わぬ顔であたしを玄関で出迎えて、ここまで誘《いざな》ってくれた克彦君は既にキッチンへ退避済み。
 梢ちゃんがいるからって、そこが安全地帯だと思わないで欲しい。

 「宮池さぁん、乾杯しましょぉう。あ、あたしぃ、飲み物取ってきますねぇ」

 一度も腰を下ろす事無くキッチンへと足を向けたあたしは、ちなみに、肩にかけたバッグからも手を放しておりません。

 「梢ちゃーん」

 帰ってやる!
 梢ちゃんにだけ挨拶して直ぐに帰ってやる。

 ドカドカ足音を立てながらキッチンへと進んだあたしは、


 「…」


 どうしよう。

 なんか、

 料理作りながら、普段からは信じられないくらいイチャイチャしてるんですけど、あの二人。

 「お味、薄いかなぁ?」
 「どれ? …お酒のつまみも兼ねてるから、もうちょっと濃い方が良いかもね」
 「やっぱりそうだよね」
 「僕はこずが作るものならどっちでも美味しく食べられるからいいけど」
 「…かっちゃんったら」

 会話の合間にちゅっちゅちゅっちゅ入るのは、それが目に映るからという理由じゃなくて実際に耳に聞こえてくる音で、

 って言うか、"こず"とか"かっちゃん"とか、今までもふと口にしてる時があったから、そうなのかなとは思っていたけれど、やっぱりか。

 見てよアレ、まるで熟年夫婦ね、――――――なんて。
 二人をずっと見守ってきた、家がお隣同士の両家のご両親は、お式でも披露宴でもそう言って苦笑していたけれど、

 まだまだ熱々じゃない。

 …どうしよう。

 あたしの前では見せる事のない密着ぶりに、お邪魔して良いのか物凄く躊躇う。

 どうする、雪ちゃん。


 「…んんん…」

 躊躇って、迷って、


 「…ぁあ、もうッ」

 逡巡した結果、あたしは踵を返してリビングへと戻る事になった。


 「あれ? 飲み物は?」

 心なしか、目を丸くしたように見える王子の斜め位置に、あたしは口を尖らせたままバッグを投げ置いて腰を下ろす。
 テーブル四角だし、辺は四つしかないし、必然的にそうなるし。
 社食で隣に座るよりは距離はあるけれど、炬燵《こたつ》だとすっごく変な感じ。

 何かヤだヤだと思いつつも、選択肢が無い状態だから仕方ないんだと自分に言い聞かせる。
 足を炬燵《こたつ》に入れないのがせめてもの表現、あたしの意思。
 うん。

 「取り込み中のようなので、遠慮してきました」
 「――――――ああ、そういう事」

 キッチンの方へと一度だけ視線を移した後、ふっと微かに笑いを零した王子が、

 「お酒ならここに幾つかあるよ。さっき奥さんが持ってきてくれた」

 あたしの死角になっていた場所から缶チューハイを次々と取り出してテーブルに置き並べる。

 「パインに梅、桃、あとはグレープフルーツ、どれがいい?」
 「…グレープフルーツで」

 バラエティに富んでいるように聞こえるけど、全部あたしが飲む種類。
 つまりこれは、最初からあたしが来ることを見越しての買い出し結果だ。

 「あーあ、警戒心丸出し」
 「はい?」
 「顔に出てるよ、藤代さん?」
 「…」

 ムッとしたあたしに、王子がクスクスと笑いながらグレープフルーツの缶チューハイを手に取って、


 ――――――あ。


 王子の綺麗な手が、その缶の全体をグッと握って、アーモンド形の爪が螺旋を描くように並んだ。
 もう片方の手の人差し指の先が、プルトップにかかる。

 プシュ、


 「…」

 噴き出た小さな飛沫が、王子の指先を濡らして、


 「はい」
 「…ありがとう、ございます」


 見ているのがバレないように、視界の隅、ギリギリのところに捉えている王子の手は、やっぱり綺麗。

 しかもそれが、滴垂らしてるって、垂涎モノ。
 しゃ…写真撮りたい。

 でも屈服はしたくないから絶対に頼めないし、

 …くっそぉ、切り取って持って行きたいとか、奇怪な思考に走ってしまう御伽噺の住人かあたしはぁぁああああああッ、


 ――――――って、


 「ぅッ」


 ちょっと!

 王子あんた、


 今舐めた?

 その手舐めたよね?


 その手にその顔で!?

 エロい!
 もう究極だから!

 本気で息が止まるかと思った。
 心臓は有り得ないくらいの勢いでバクバク叫んでて、オーバーヒートで止まりそうなくらい。


 (なんかもう、初っ端からイ〜ヤ〜ダ〜)


 早くなった鼓動が刻むように全身に響く程、あたしの顔がグングン熱くなっていく。
 それを誤魔化すように、あたしは缶チューハイの微炭酸に救いを求めて、半分まで一気に喉へと流し込んだ。




 ス、――――――チラ。
 スス、――――――チラチラ。
 ススス、――――――チラチラチラ。

 王子の手が動く度に、あたしはその終着点に一瞬だけ視線を飛ばす。

 「わあ、かっちゃん見て、凄いね、衣装」
 「ほんとだ。ふうん、今年はこの人トリじゃないんだ?」
 「多分すぐ音楽賞の方に移動するんだよ。有力候補みたいだよ? 今年の大賞」
 「演歌は聞かないからなぁ」

 「藤代さん、次は何にする?」
 「はい?」
 「そろそろ空《カラ》でしょ?」
 「…ああ、じゃあ、梅、ください」
 「ん」

 いつもの王子的な愛想笑いを浮かべる事もなく、緑色の缶を渡してくれた王子は、頬が赤くして気分良さそう。
 ちょっと酔っているようにも見える。
 そして、目の前の熟成新婚夫婦も。

 「かっちゃん、そっちのピザとって」
 「ん? これ?」
 「うん」
 「はい」
 「…ええ…と」
 「はい、こず。あーん」
 「…あーん」

 「…堂元さんって、奥さんの前では別人だね。いつもこんな感じ?」
 「今日は克彦君が酔ってますね」
 「疲れが溜まってるのかな。ずっと部長に振り回されてたみたいだし。――――――ああ、そっちが溜まってる可能性の方が高いか…」
 「え?」
 「何でもないよ。それより、次は桃でいいの? "雪ちゃん"?」
 「あ――――――そうれすねぇ。桃れお願いします」


 プシュッ。

 「どうぞ?」
 「…ありがとうおじゃいます」

 王子の手…、綺麗だなぁ…。

 ああ、スリスリしたい――――――。


 「宮池さん、ミカン食べます?」
 「いえ、ビールに柑橘系は苦手で」
 「ふふ、うちのお父さんと一緒だ。雪ちゃんは? 今日もミカンむいてあげよっか?」
 「ミカン食べるぅ」
 「へぇ? 雪ちゃん、ミカン好きなの?」
 「違いましゅよぉ。梢ちゃん家《チ》にたくさんあるのでぇ、お手伝いでしゅ」
 「奥さん、俺がむきますよ。動くと堂元さ――――――ご主人、転がっちゃいますよ」
 「あ」

 王子に言われて何の事だろうとぼんやり視線を上げて見て見れば、梢ちゃんの肩に克彦君が頭を乗せて居眠りしてて、

 「うーん、じゃあお願いしてもいいかな?」
 「ええ」
 「かっちゃんもだけど、あたしも今日は結構酔っちゃったかも」
 「え〜、梢ちゃん、じぇんじぇんそうは見えないよぉ?」
 「そう?」

 気分良く笑ったら、梢ちゃんも可愛く笑って、あたしは幸せな気分で桃の缶チューハイをゴクゴク。
 今日はあたしも、喉が凄く乾いていて、少しペースが早い気がする。

 「あれぇ? 桃の味にゃにょに、ミカンの香りぃ」

 首を傾げながら匂いの元を探すと、

 「わぁ…」

 王子の両手が、器用にミカンをむいていた。
 お花とまではいかないけれど、手の中に包めばミカンが一個あるように見える程、皮の形がなんだか綺麗。

 「王子、上手れすねぇ」
 「――――――そう?」

 背中を丸め、テーブルに頬をくっつけて、王子の指の動きを見上げ続ける。

 中節骨から末接骨がまるで生き物のように動いて、ミカンから、皮をむしり取る音がゾクリと耳を掠めた。
 楕円の裸体が、半分から無造作に割られる。

 何だか、胸にグッときて、体がゾワゾワする。
 変な感じ…。

 「スジもとった方が良い?」
 「…栄養あるんでしゅよ?」
 「雪《・》はそのまま食べる派なんだ。――――――はい」

 指先三本で掴まれたミカンの一房が、あたしの前に差し出された。


 「…ぇ?」


 ゆっくりと、体を起こす。


 ミカンを間に挟んだ王子の目が、真っすぐにあたしを見ていた。
 少しだけ目尻が下がっているのは、きっとそのままの意味。
 とても、穏やかに微笑んでいて――――――、


 どうしてだろう。

 とても、慈しまれていると感じるのは、気のせいだろうか?



 「雪」

 王子の薄い唇から紡がれた二文字の言葉からは、確かな優しさも伝わってくる。

 そう言えば、名前いつから…?
 麻痺したような頭の中で一生懸命考えて、霧がかった記憶を探るのを諦める。

 でもなぜだろう。

 彼の口から出たその音は、とても馴染みがあるように聞こえた。
 そう考えて戸惑ったあたしの思考を、見つめ合ったままの王子の眼差しは、まるで媚薬のように縫い留める。

 何も考えなくていいよ。
 そんな誘惑を醸し出している。

 「雪、あーんして?」

 楽しそうな王子の声に、気が付けばあたしは、唇を上下に開いていて、

 「…」

 アーモンド型の爪が添えられたミカンが口の中に入って来る。
 受け取って身を引こうとした瞬間、何故か下の歯に当たり、次の瞬間にはブチュという音がして、唇から顎、そして喉へと果汁が流れ出た。

 「…んッ」

 反射的に口を閉じようとして、くわえてしまったのは王子の指。
 末節骨から爪の先まで丸ごと、しかも人差し指と中指の二本分。


 え、嘘。

 手、手、手、手ッ、


 食べちゃっ――――――、


 「ごめッ、なさ」


 一気に酔いから醒めたあたしは、大きく後ろへと仰け反った。
 愛《め》でたい触りたいという願望が理想を飛び越えて唐突に叶えられて、頭の中は、羞恥と興奮と何かしらで大パニック。
 いやでも、指突っ込んできたのは王子で、ミカン口に入れてきたのは王子で、でもそれをパクッていったのはあたしで!

 言い訳ほとんどの現状分析が頭でカタカタ動く程に、だんだんと酔いは醒めていく。

 覚醒モードに突入だわこれは。
 ただの理性の復活ですけど。

 なのに、


 「おいしかった?」

 目を細めて、首を少しだけ傾げながらそう尋ねた王子は、

 「――――――ああ、ほんとに美味しいミカンだね」

 あたしの返答を待つ事も無く、ミカンの汁に汚れた自分の指を、音を立てて舐めとる事で正解を得た。


 な、な、な、










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