小説:食べられる花


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Episode:雪


 そして、割と稼働率低い状態で平和に業後を終えたあたしが向かったのは、裏の駐車場へと続く通用口。
 難しい顔を努めた警備員さんが仁王立ちで電子錠ドアの近くに待機している。
 実はこの駐車場、我が社の上層部もしくは事前申請されたV.I.Pのお客様の為の駐車場というのは建前で、うち十台分は特別待遇社員専用だという事を、元総務部のあたしは知っていたりする。

 その中には、年俸で引き抜いてきたエンジニアさんとかもいるらしいから、この駐車場の使用権があるって事は、もしかして王子ってそういう人?

 ピッと電子錠に社員カードをかざすと、警備員のおじさんの片手が、すっと耳元へと上がる。
 イヤホン…?

 「おつかれさまでしたぁ」

 一応、ご挨拶をしながら関門突破。
 外に出ると、アスファルトの駐車場までを示す石畳の短い歩道があって、


 「…らぁ、さっさとかえせっての」


 ――――――ん?


 全身を包んだ冬の冷たい空気と共に、どこからか流れてきた声があたしを取り巻いた。


 「そろそろ…――――――いいかげんに…」
 「――――――なもんはむりだ」
 「はあ? …びゃくまん――――――」
 「――――――たんぽ…――――――だろ?」
 「…けんなよ、まじで!」


 …聞きかじりですが、会社で聞くには危険な内容のような気がするんです。

 見ない振り、を頑張りたかったけど、はい、好奇心圧勝。
 ちょっと足音を立てないように意識して、声が聞こえてきた方を予測し、ちょいちょい、車を探している風にしつつ、さりげなく移動移動。


 ――――――お、駐車場を正面に、十六時方向で発見しました。


 うわ、真っ金髪。

 ひざ丈のコートも全体に艶ありすぎでしょってくらいの、黒なのにやたら光り輝いてるやつだし、その下から覗く赤と黒のまだら模様のパンツがド派手。

 あ、この派手さをちょっとだけ覆す、優しそうな作りの顔は見覚えがある。
 総務で受付を担当してた時、何度か室瀬さんを訪ねてきてた人だ。

 …格好はこんなに派手じゃなかったけど――――――って事は、


 あたしは、ちょっと位置をずらして派手男の向こう側の人を確認する。

 壁にもたれて腕を組んでいるのは、眼鏡をかけた室瀬咲夜さくや



 ふうん。


 特に何かを理解したわけじゃないけれど、何となくそう腑に落として興味を失くしたタイミングで、小さくクラクションが鳴らされた。

 誘われて視線を向けると、一台の車が駐車している車の向こうに停まっていて、中の影があたしへと手を振っているのが見える。


 「白馬か。さすが王子」


 しかもセダンとは。


 「お疲れさま」
 「おつかれさまです」

 助手席のドアを開けて、さっさと乗り込んだあたしがシートベルトに手を伸ばした時、

 「先にコート脱いだら?」
 「え?」
 「目的地まで一時間くらいかかるから、コートのままだと窮屈じゃない?」

 そう言う王子は真っ白なモヘアセーターに薄茶のパンツ、赤茶のブーツ。

 「わざわざ着替えたの?」

 言われるまま、コートを脱ぎながらあたしは尋ねる。
 お昼休み時間、社食でチョコを渡したいらしい女子達に囲まれていた時は、ジャケット姿だった筈。
 そういえば、お姉様方の姿が見えなかった気がするけど、もう渡されたんだろうか。

 「うん。今日は特別なデートだからね」

 バレンタインでこうなら、誕生日とかクリスマスとかどうなるんだろう。
 ちょっと面倒臭い気分になってきたのは顔には出ていないはず。

 「後ろに置くね」
 「ん」

 軽く折りたたんだコートを後部席の王子のコートの隣に並べ置いて、まだ新車っぽい感じがぷんぷんする綺麗なコンパネの内装を見ながら前方を向く。

 「シートベルトOK?」
 「…できました」
 「じゃあ出発ね」


 エンジンがかかっているのかどうか判りづらい車は、それでも静かに周囲の景色を動かし始めた。
 出口に向かって、王子の手がハンドルを切っていく。


 右へ、左へ、ハンドルをきって――――――…、


 …あれ?


 「ぅっわ」



 ぎゅん!

 と、胸が痛いくらい熱くなった。



 こ…、これは――――――ッ!



 やばいです。

 王子の手が、あたしの理性を悩殺しております。

 今、軽く反らした右の掌の丘を使ってハンドルが時計回りに廻されていきました!
 ぅああぁぁ、直線に戻る時は軽く握っている掌からハンドルの模様がするすると吐き出されております。

 だ、大丈夫でしょうか。
 王子のその美しい掌を傷つけるような素材じゃありませんように、切に願う!


 「雪」
 「…」
 「はい」

 信号待ち。
 伸ばされた左手に、飛びつきたいのをグッと我慢して、口を開く。
 興奮し過ぎて口の中がカラカラだった。

 「危ない、し」
 「大丈夫」

 即答後の王子スマイルに、あたしは無言のまま右手を持ち上げて、差し出された掌にそっと重ねた。

 王子の左手が、ぎゅっとあたしの手を握り込む。
 同時に、あたしの胸がぎゅっと掴まれる。

 中節骨から爪の先までが、あたしの水かきを包むように生えてきて、二人で一つの拳となる。
 心音がそこに溜まって鼓動するようで、繋がった感覚が、すごく官能的に思えてしまった。

 「まずは最初のドライブスルーで飲み物を買おう」
 「…うん」

 今なら、何を言われてもあたしは頷いてしまう。

 借りてきた猫のようだとは、きっと今のあたしの事。
 これから、どう行動すればいいのか、全く判らなくなってしまっていた。



 ――――――
 ――――

 「ここ――――――ですか?」


 一時間と少しのドライブで、辿り着いたのは隣の県にあるリゾート地。
 まるで外国の街に迷い込んだような、暖かなイルミネーションが灯る区画を抜けた先にあるホテルだった。

 この瀟洒な外観。
 誰かのブログで見た事ある。
 確か、会員制のコンドミニアムホテルだったような…。

 「ここのイタリアン、亜希が抱えてるシェフが監修してるんだ」
 「そうなの?」

 なら美味しいに決まってる。

 っていうか、うん。
 食事だよね、食事。
 お泊りかとちょっと身構えたわ。

 「放すね」
 「え?」

 何の事を言っているのか、王子の視線を追って理解する。

 「あ、うん」

 王子の形に固まってしまったような手を、自分でにぎにぎ。
 思ったより緊張していたのか、微妙に汗ばんでいた。

 「コート取れる?」
 「あ、うん」

 王子に言われて、あたしは後部席へと手を伸ばしてコートを二着、引っ張り取った。
 その間に、王子が操る車はエントランスで停車して、透かさず寄ってきたドアマンが、優美な動作でドアを開けてくれる。
 ほとんど同時にあたしからコートを受け取った王子もドアを開けていて、風が通った勢いで、中の温かい空気が一気に塗り替えられた。

 「ぅわ、寒」

 手に持っていたコートを急いで羽織る。
 あたしも一応それなりに、お外で食事ということでワンピースなんか着てきてますけど、ヒールの足が寒くてぞくぞくと震えが上がってくる。
 ブーツにしておけば良かった。

 「いらっしゃいませ」

 ちょっと後悔しながらドアマンの手を借りて車から降り立てば、ここに回り込んでくる途中でもう一人のドアマンに躊躇いなく鍵を預けていた王子が、自然にあたしの手を引き受けてくれて、

 素早い身のこなし。
 ハリウッド映画か。

 こんなとこも王子だね、まったく。


 でも、こういう扱いは、女子としてはまあ、


 「さ、参りましょうか、お姫様」
 「…」


 とても良い気分になったのは間違いない。








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