小説:食べられる花


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Episode:雪


 ついさっきまで、パンパン返球されていた元子さんの声が何故か途絶えてドキリとした。


 「…あの…?」

 不安になって視線を上げると、元子さんの目はあたしを凝視したまま驚きに開かれていて、


 「も――――――元子ちゃん!」

 声を上げたのは七緒さん。
 それを切っ掛けに、元子さんが本当にハッと息を飲んで、文字通り再生した。


 「お…おお、びっくりした。えっと、ゆきちゃん? 雪ちゃんがあまりにも可愛いから息止まっちゃったわ」
 「え…?」

 …今の、そんな感じだった?


 「ね、可愛いよね、雪ちゃん」

 夏芽さんがうんうんと頷きながら元子さんのグラスにワインを注ぐ。

 「酔ったらもっと可愛いんだけどなぁ。ね〜、一緒にワイン飲もうよ〜、雪ちゃん。七も飲まないしつまんなーい」
 「私がいるじゃないのよ」
 「元子とはいつも飲んでるし〜」
 「えっと…」

 チラリと王子を見ると、既に室瀬咲夜さくやとの会話は終わっていて、亜希さんも交えて談笑を始めていた。

 手に持っているのは――――――ビール!?
 あの白い泡が煌めいているのは間違いなくビールですね。

 他のメンバーもそれぞれ数人くらいで輪を作っているけれど、ほとんどがワインとかビールとか。

 「飲みます」
 「そうこなくちゃ!」
 「…ほ、ほどほどにね、雪ちゃん」

 七緒さんの不安気な表情から、年越しパーティのあたしがどんな様子だったか窺える。
 何をやらかしたのか、王子からもっとちゃんと聞いておけば良かった。


 そう考えて、あたしはふと気になっていた事を口にした。


 「――――――そういえば…今日ここにあたしが連れて来られたって事に、何か意味があるんですか?」
 「え?」

 首を傾げた七緒さんが言ってたセリフ。

 「さっき、今日連れてきたって事はちゃんと意味があるって、七緒さん」
 「ああ」

 あたしが何を聞きたいのか腑に落ちた様子で、七緒さんがふんわりと笑った。


 「二月って、春前でしょ? 最初はただお店が暇な時期にみんなで集まろうって主旨だったんだけど、会社で異動の内示が出ていたり、引っ越しとか、結婚とか、そういう節目の報告をする事がみんな多くて」
 「そうそう。それでここ数年は、近況報告の会、みたいになってるのよね」
 「そこに現れたのが雪ちゃん。年越しパーティの時からたくみさんの気持ちはわかってたけど、なんていうか」


 「「「――――――捕獲されちゃったねぇ」」」


 え?

 口を揃えておっしゃいます?


 っていうか、捕獲じゃなくて、もっとマシな表現にして欲しい。

 そう、心の主張を思わず言いかけた時、


 「何の話?」

 耳元に、王子の声が触れてきたかと思うと、後ろからギュっと抱きしめられる。


 「ダメだよ、雪。元子と話すと変色するから」
 「ほほほ、あなたにだけは言われたくないわぁ、ないわぁ」

 ワイングラスを手に持って、中の液体をクルクルと回しながら肩を揺らす元子さんを余裕の笑顔で見つめながらも、実は内心は動揺しまくり。


 だって、

 親しい仲間達への近況報告を示す会に連れてきて、
 これからも、一緒に参加――――――…?


 「…」


 目の前には後ろから回ってきた王子の両手。
 その美しさでときめいていた感情とは少し違う思いで、その手を、逃がさないように抱え込む。

 色んな思いが、色として芽生えてはあたしの中に染みていって、何だか今までの自分とは違うような気になった。


 「――――――雪…」


 王子の、ビールの香りを混ぜた吐息が耳の後ろに掠ってくる。
 ギュウギュウしてくる強さに、甘えたい衝動が止めどなく湧きあがる。

 …なんか、胸の奥がこそばゆい…。


 「いいね〜。よッ、お二人さん。仲良き事は素晴らしきかな」
 「はは、夏芽、テンション上がってるわね〜」
 「いいでしょ〜、元子もほら、もっと飲みなって。私も濃い目のモヒート作ってもらってこよっかな。ぐいぐいいっちゃうよ」
 「あ、こら夏芽、飛ばし過ぎ。ペース落とそうね」
 「ぶうう〜、巽はそうやって直ぐ過保護するんだからぁ。七ぁ、巽がいじめる〜」
 「はいはい、でもまだ始まったばかりだから、ね? なっちゃん」

 頬を膨らませる夏芽さんの頭を撫でる巽さん、そして笑顔で窘める七緒さん、それを横から見て大笑いしてる元子さん。
 長い付き合いって感じの、この自然な距離感の絡みがやっぱり眩しく目に映る。

 「雪、食事取りに行こう」
 「うん」

 王子にブレスレットをはめた手を引かれてレストランの中に入り、優雅にバイキング。
 しかも中身はハーフバイキング用じゃなくて、いつもはメインのメインディッシュが六種類も並んでいる豪華版。
 通常よりかなり小さいけれど、大好きなハーブハンバーグもあって、雪ちゃんの食欲は急上昇中。

 「…中、こんな風になってたんだ」

 撥水性がありそうな濃いグリーンのシート席は、お洒落と実用性を兼ねてますって清潔感の主張に溢れていて、スタイリッシュ。
 それでいて目に優しいリラックス空間。
 足が伸ばせたら最高だったなと思う。

 「そういえば、雪はいつも外のテラス席だね?」
 「耐えられないくらい寒い日は外に出ないし…」

 それに、最初にテラスの雰囲気を好きになったあたしにとって、それがこの店。
 つまり、テラス席を使えなさそうな日は、この店を訪れる事がない。

 「こっちで食べよ」

 テラスから見ると少し隠れるように配置された二人席を示した王子は、盛りつけたお皿をその席のテーブルへと運び出す。

 「向こうに行ったら話しかけられてゆっくり食べられないよ、きっと」
 「あ〜、うん。確かに」

 あたしも、自分のプレートを持って王子の向かいに腰を下ろした。
 …なんていうか、横幅が十分だから狭くは感じないのに、お互いの距離感が物凄く近いテーブルだ。

 「…」

 照れ隠しを兼ねて、お手拭きの袋を破って中身を取り出しつつ、心地よく流れるオペラミュージックと、時折、スタッフ数人がキッチンとテラスを飲み物の補充か何かで行き来する音くらいしか聞こえてこない店内を、あたしは首を回して見渡した。

 一人でも気軽に入ってスマホに熱中できそうなカウンター、次はあそこに座ってみてもいいかな。
 その他の席はやっぱり一人なら苦手かも。
 あ、レストルーム見つけ。
 トイレにはいっつもモールに戻ってから入ってたから、中にあるとか考えたこともなかったや。

 後で行こ。


 「いただきます」

 どこにいてもやっぱりお行儀の良い王子の合図に、あたしも続く。

 「いただきまぁす」

 フォークを使って、メインのハーブハンバーグから、ちょんちょん、ぐさ、がぶ。

 「――――――美味ひい」

 このフォークの扱いは手慣れたもの。
 ああでも、王子のお箸使いも綺麗――――――…ん?


 不意に、お箸の先に摘ままれたサイコロ状のステーキが目の前にやってきて、時間が止まる。

 「柔らかくて美味しいよ、雪」
 「…」
 「あ〜ん」

 ぱく。

 「柔らかいでしょ?」
 「ぅん」
 「サラダも食べる? はい、プチトマト」

 それもまた、器用にお箸の先に挟んで差し出してきて、

 あむ。

 「…ぅ」
 「ヘタ、取ってあげるね?」

 王子の指が、あたしの唇に触れて、口内のトマトのヘタを掴み、引っ張ろうとする。

 「潰さないでね」

 目を細める王子は、すごく楽しそうだ。
 元子さんが"変態"と称《い》うところは、きっとこういう悪癖《ところ》なんだろうと、しみじみ思う。

 何度か手首を捻らせて、漸くプチっと意外に頑固だったヘタを取り除いた王子は、空いた皿の上にその緑色を落として直ぐに、チュッと音を出してあたしの唾液に濡れた指を舐めた。

 やると思ってました。

 く、美し過ぎる!


 「…変態」

 トマトを咀嚼して飲み込んだ後、たっぷり間をおいて真剣に呟けば、

 「ダメだよ、雪。悪影響」

 王子もまた真剣な顔になってちょっと笑える。

 「元子さんの事、知らなくても出ましたよぉ、この単語は」
 「これで変態なら、家で俺達がやってる事《・》って、何でしょう?」
 「ぅ」


 ですね。


 「雪、それ、俺にもちょうだい」
 「…」

 キラキラキラキラ、王子様用"煌めき"が空気中に飛び交っております。
 頑張れ、雪ちゃん。
 負けるな、雪ちゃん。

 恥ずかしさに打ち勝って、気合で腕を上げる。

 フォークの先が、複雑な重さを醸し出す〜。


 「あ〜ん――――――ん、ンまい。さっすが、安定の、ハンバーグ」

 もぐもぐする姿も、社食で話し始めた頃からずっと知っていた筈なのに、カッコ可愛く目に映るから、ほんと恋パワー恐るべしだ。

 「雪、オムレツ食べる? はい、あーん」


 今更だが説明しよう。
 王子《へんたい》はとにかく、姫《えもの》の全てに構いたがりである(※某ナレーション風)。


 「美味しい? 雪」
 「…ん、美味ひ」

 当初のあたしの想定以上、一般的なイチャラブ好きという基準を、王子の基本《デフォ》はかなり上回っていた。
 この人は、とにかく何でも"二人で一緒"が好きな人。

 でも強制じゃない。
 例えば、食後の流れで一緒にお皿洗いに誘われたりする事はあっても、PCに向き合っているあたしを呼んだりはしない。
 構いたがりだけど、構うタイミングとかは凄く気を遣われている。
 DVDも、途中で眠っても怒ったりはないし、むしろその方が別の方向にシフトしたイチャラブになって楽しいらしいしい、でも本気のYesとNoはしっかりと読み取って対応してくれる。
 Yes/No枕ってこういう時の為にあるのかとチャットで呟いたら、リア充には不要なアイテムじゃ! と、否定的な意見が多かったけど。


 「――――――そういう素直なトコ、ほんと可愛いねぇ、雪は」


 ああ、また不意打ちであたしを射ってきたよ、この王子。


 「…それはどうも」

 薄茶の目を細めるその顔を見て、あたしもまた心臓がギュっとされる。


 「俺ねぇ、雪といる時間がすごく好き」
 「…」
 「こうして楽しくご飯食べるのも、家でゴロゴロしてて、呼んだら雪が返事してくれるとか、そういうのも、すごく大事」
 「…うん」

 王子の指が、あたしの指先をちょいちょいと刺激してきた。

 「…あたしも…そういうの、は、好き」

 ただいま、って王子が当たり前のように言って部屋に上がってくる時。
 おかえりって、小さくても言ったあたしを見て、王子が嬉しそうに微笑んでくれる時。


 「うん、俺も、好き」


 指が絡んでくる。


 「うん…」


 視線も、絡んでくる。





 「――――――雪と、結婚したい」




 …え?


 「そう遠くない内に、というより出来れば早いうちに、家族になって、一つの家に一緒に住みたい」


 強く、指先を握られた。



 「今度は、指輪を贈らせて? 雪」
 「…」
 「いいでしょ?」


 ここここここ、これ、プロポーズ??

 だよね?

 求婚、だよね?


 そんな、真っ白になったあたしの頭に、止めを刺すような変なビームを打ち込む王子様ムードは今はやめて欲しい。

 「雪?」


 あたしの名前を呼ぶ声が、いつもより断然ほわっとして甘い。
 あたしを見つめる薄茶の眼差しが、直視できないくらい甘い。


 ど、ど、どう、しよう、


 王子の親指が、すりすりすりすり、掴んだあたしの三本の指の背を撫でている。


 「受け取ってくれるよね? 雪」
 「ぅ、ぁ、ぇ…」



 イ…Yes/No枕、今ここにあったら、息がもうちょっと楽だったかも。



 「…ぅ…はぃ」



 …熱、出そうなんですけど。



 付き合って二か月…足らず?

 結婚という言葉が出るのがあまりにも早すぎる気がしたけれど、なんていうか、二人でいる時の濃密さがそれを都合よく胡麻化してあたしの疑問を正当化してくれる。

 克彦君と梢ちゃんが長い春って奴で。

 『雪ちゃん、結婚って、勢いも大事』

 そう言ってた梢ちゃんにとって、克彦君と過ごしてきた長い時間は、ただ幸せだっただけじゃなく、思う事も考える事もたくさんあった年月だったに違いない。

 それは、二人しか知らない事。
 そしてあたしと王子の時間も、二人しか知らない事。

 あたし達が結婚と決めたのなら、それは、全然、自然の流れでいいんだと思う。
 違和感はない。

 今みたいに、王子とずっと一緒――――――うん。

 大丈夫。

 想像しても面倒じゃない。
 未来が明るい感じがする。


 「雪のところは住み心地いいけど、俺の荷物も入れるとなると手狭かな…。この季節が一番物件出るみたいだし、不動産屋さん見て回ろうか」


 二人で住む、新しい部屋――――――。


 「うん」


 返事をして気が付いた。
 そう言えば、


 「たくみは一人暮らしだっけ? 実家?」
 「え? ――――――ああ、一人、暮らし」
 「へえ…そうなんだ」

 その割には、一度もそちらにお誘いがなかった。
 王子なら、自分のスペースに招き入れて、イロイロ目論みそうなのに。

 「あ…まあ、うん」

 あ、珍しくちょいちょい目が泳いだ。
 表情も、何だか複雑そう。

 「そう、だな。…少し片づけして、近いうちに雪を招待しようかな」
 「――――――うーん、どっちでもいいよ。無理しなくても全然」


 片付け、かぁ。


 なんか予想ついちゃったかも。

 王子のこの距離感とかスピード感とか時々オーラのように沸いて出てくる独占欲とかを鑑みると、前の彼女ともこんな付き合い方だったんだろうとは想像容易い。

 一緒に住んでたとすると、その残り香があるかもしれない場所にあたしがわざわざ突入するのはどうなのか…と想像しかけてやめる。
 物件見に行く気はあるみたいだし、わざわざ過去を想像で垣間見て自分のメンタルポイント消費する選択肢は無いわ、うん。


 「そうだ。七緒ちゃんが不動産会社に伝手あったかも。先に亜希に話してみるか」


 自分の思い付きに目を輝かせた王子はテラスの方へと視線を向けた。
 あたしも釣られて観葉植物の間から覗き込むと、また人が増えたみたいらしく、

 「あ、ジュリちゃんも来たのか」

 っていうか、頭数のアタマ、随分とカラフルなのが増えてるね。
 交友関係幅広。

 「たくみ、先に戻っててもいいよ? あたし、お手洗い入ってから行くから」
 「ん。先に出てるね」

 言いながら、ちゃんと二人分のトレイをカウンターへと運ぶ王子はスマートでカッコいい。
 スタッフさんからも気軽に声をかけられて、気さくに応えて、知れば知るほど、宮池たくみは見た目からの大枠《カテゴリ》だった王子様というフレームから離れていく。


 王子がドアを開けて外に出たのと同時に、冷たい外気が座ったままだったあたしの足元を撫でるように攫った。
 体がゾクリと反応して、思わず席を立つ。


 「生理現象《トイレ》生理現象《トイレ》〜」

 そんな事を言うあたしの声は、なんだか鼻歌のようで、


 だって、浮かれずにはいられないよ。


 初めての彼氏からの求婚《プロポーズ》。

 「…ぅふ」


 手首のブレスレットを思わず反対の掌で撫でる。


 「ふふ」


 克彦君や、堂元の叔父様、莢子《さやこ》おばさま、そして梢ちゃんも。
 みんな特別だったけれど、王子との関係は、これまでのあたしの人生には無かった初めての繋がり。



 あたしが、


 生まれて初めて手に入れる、あたしだけの――――――、





 「――――――でも良かったよね、たくみさんがやっと特定の人作る気になって」












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