小説:食べられる花


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Episode:雪


 同僚と付き合うって、別れた後のリスクが負担《リスク》が大きい。
 他人事で漠然とそうかもねと聞き流していた事が、今のあたしにはよく分かる。


 だって同じビル内だから、どんなに頑張っても会っちゃうんだよね。
 ほんと不幸。



 「藤代さん」

 久しぶりに訪れた社食で、ボリュームたっぷりのカツカレーを食べているあたしに後ろからかかった声。

 「…宮池さぁん、どうしたんですかぁ?」

 駐車場に車がないから、今日は休みだと思って食堂《こっち》に来たのに、油断した。
 チェックしてた事、もしかして読まれた?

 さすがに避け始めて一週間もすれば、対策も練ってくるか。


 「宮池さん、これからお昼――――――ってわけじゃないですよねぇ?」
 「いや、えっと…」

 あたしの前にやってきた王子は手ぶら。
 ご飯を食べる食堂でそれはない。
 それじゃあまるで、あたしと話す事を目的にここに来たみたいになっちゃうでしょ。

 周りにばれちゃいますよ?
 あたしは別に、いいですけどぉ。

 「その…何か、怒ってる?」
 「えぇ? どういう意味ですかぁ?」

 困惑顔で首を傾げて見せたあたしに、王子の眉間は微妙に狭くなった。
 そんな、いつもと違う王子の様子に、わりと近い席に座っている人達が興味津々の顔でこちらを窺うようになる。

 「連絡…既読にもならないし、マンションにも、いないよね…?」

 声を潜めてはいたけれど、王子もだいぶ混乱中みたいだ。


 そりゃあそうだよね。

 社内で会ってもあたしの下の名前で呼ばない事。
 社食でもし隣に座っても不必要に密着しない事。
 その手を餌にしてあたしを操ろうと思わない事。

 付き合い始めにあたしが出した条件の、一つでも約束を破ったら、王子との関係は即時にシャットアウト。
 でも王子は、会社以外であたしを捕まえる事が出来なくて、こうしてリスクを冒して核心に触れている。

 ちなみに、あたしはどっちに転んでも問題ない。

 王子が約束を破れば、堂々と「今後はお構いなく」が出来るし、
 その事態を避けるために王子に遠巻きで見られている内は、なんの害も無いわけだから。


 …ほんとは、あの綺麗な手には、まだかなり未練はありますけど、王子の傍にいるのはもう嫌だと思った女の決意に二言は無し。

 お陰で、社内でのあたしの平和な生活の為に王子への盾にしてやろうと取っていた言質が、ここにきて最大限に活きている。


 「ごちそうさまでしたぁ」

 まだ、ほとんど食べかけのカツカレーを乗せたトレーを手に、あたしは椅子から立ち上がった。
 王子の目が、ハッと見開かれる。

 「ゆ、…藤代さん、ごめん。食事の邪魔はもうしないから、ちゃんと食べ――――――」
 「あたしぃ、急ぎの用を思い出したのでぇ、お先に失礼しますねぇ」

 会釈をして、あたしよりずっと背の高い王子の目をしっかりと見つめる。
 それを受け止める王子の表情には、困惑と、苛立ちと、そして、ほんの少し傷ついたような色。

 だから何?

 知らない。
 あたしには関係ない。

 気持ちを奮って目を逸らさずにいるあたしに、王子が同じくらい奮って問いかけてくる。

 「理由が知りたい」
 「なんのですかぁ?」
 「藤代さんが怒ってる理由」
 「そうですねぇ」


 ふふ、と。
 声に出して笑って見せて、あたしは告げた。

 「知らなかった事を知れて、理解してぇ、もう何も入らないくらいお腹いっぱいになったからですかねぇ?」

 王子の眉間に、更に深い縦皺が刻まれる。

 「ごめん、本当に意味が――――――」
 「…」

 こういう険しさが、まったく似合わない人だとつくづく思う。
 もちろん、それだけじゃない事は知っているけれど、

 穏やかで、誰にでも同じように優しく微笑む、そんな役割だけがピタリとはまる見た目の人。

 傍にいれば、誰もが羨む王子様。
 そこにいるだけで、周りを華やがせる存在。
 柔らかな花弁を持つ、男の人なのに大輪の花で表せる人。

 それでも、もう二度と、


 あたしには食べられない花。


 毒にしか、ならない花《ひと》――――――。


 「待って」

 歩き出したあたしの後を、王子が付いてくる。


 「頼む、話を――――――」
 「もう終わりって事です」


 肩越しにほんの少しだけ振り向いて低く淡々とそう告げれば、あっという間に王子を引き離す事が出来た。



 ――――――ちゃんと歩くのって、難しい。






 三月に入って、あたしが所属するカスタマー部は繁忙期に大突入。


 「ねぇねぇ、発令見た?」
 「見た。西脇さんに業務主任ついたね」
 「結構な早さだよね? あの人、インターンシップからの内定組なんでしょ? なんか待遇違ぁう」


 ブースの横にあるリラックスルームでそう言い出したのは、確か西脇さんと同期入社の先輩。
 思わずスマホから顔を上げて反応してしまった。

 …いやいや、幾らインターンシップからの上がり組だとしても、西脇さんがあなたと同じ仕事しかしない人なら、昇進なんて無理だったから。
 自分達がどれだけ西脇さんの恩恵に与っているか、まったく理解してないし。

 「特別扱いって事?」
 「皆藤さんが贔屓してんでしょ?」

 …この人、ほんと馬鹿じゃない?

 皆藤さんはちゃんと時期を見計らって平等にメンバーのスキルチェックしてる。
 もちろんチェック対象にあがるためには担当のスーパーバイザーの推薦とか、TAT《作業効率》上位者になるとか、前提は色々あると思うけど、去年だって、シフト調整で急に出社したあなたに、皆藤さん、Excelでデータソートの依頼してましたよねぇ?

 まあ、勤務年数で引っ掛けてみただけでしょうけど。
 あの後、次の業務の声が掛からなかったって事は、そういう事です、はい。


 「でも、いいなぁ。私服勤務OKになるわけでしょ?」
 「えええ、あたしはヤだわ。毎日考えるの大変じゃん」
 「でも食堂とかさ、私服で行ったらメンズの目に留まりやすくない?」
 「確かに! 制服よりはチャンス多そう」

 いやいやいやいや、ないないないない。
 チャンスある人は私服制服関係ありませーん。
 性格ブスが滲み出る女子は、何着ても男の目は惹かないって。


 「ああ、そういう意味で言うと、西脇さんは私服になっても、変わらなそう」
 「言えてる。こう言っちゃなんだけど、すっごく地味だもんね」
 「そうそう」
 「ちょっと根暗な感じするよね」

 あたしも似たような事を思ってたから、何ともきまずいけれど――――――、

 準ミスって、知ったら悲鳴上がるだろうなぁ。
 スタイルだって脱がしたら楽しそうだし、西脇さんのあの顔、眼鏡の向こうの表情を自分しか知らないって、男が喜ぶばっかだよねぇ。

 そう。

 敢えてキャラ設定で例えるなら、何て言うか、こう、西脇さんって、腕の中でずっと大事にしたいって思わせる雰囲気が多分ある。
 馴染めば馴染むほど捨てられないタオルケットみたいな、ギュっとすればするほど放したくないぬいぐるみみたいな。

 ――――――室瀬咲夜さくやは、西脇さんのそういうところに執着しているのかな。

 男の理想って際限なさそうだし、実際に傍にいて触れていない分、幻想が果てしなく作用してそうだし。


 「西脇さんって、彼氏とかいた事あると思う?」
 「あんた知らないの? 失恋したんじゃないかって噂。最近げっそりしてたじゃない」
 「遊ばれて捨てられたってやつでしょ?」
 「まじかぁ。あ〜それは辛いね〜」


 笑いを含む言葉《セリフ》が不愉快に重なっていく中、

 「…」

 コンコンコン。

 なぜか、出入り自由な筈のリラックスルームのドアが三回ノックされ、その後すぐに開けられたドアの向こうから姿を現したのは、話題になっていた西脇さん。
 四人組は一瞬だけ顔を強張らせて、けれど直ぐに愛想笑いに切り替える。
 さすが女子。
 これも女子力。


 「すみません、近畿地方で回線障害が一定時間あったようで、障害センターから溢れた分が自動転送でこちらに回ってくる事になりました。申し訳ありませんが、休憩を切りあげてコールを拾ってもらえますか?」

 そう告げる西脇さんの視線は、部屋をめぐる前に一度だけあたしに向けられたけれど、その後からはずっとおしゃべり四人組に固定されている。

 「…あ、はあい」
 「わかりました〜」

 椅子がガタガタと音を立てる。
 四人とも、社会人《おとな》ではあったみたいで良かったよ。

 「あ、藤井さんはまだ入ったばかりですよね? もう少し休んでて大丈夫です」
 「え?」

 彼女達がリラックスルームを出て行くのを横目に見ながら、スマホにロックをかけて立ち上がったあたしに、西脇さんは手を上げてそう言った。

 「あと七分、ちゃんと休んでください」

 眼鏡の向こうで目を細める西脇さんの後ろには、眉間に皺を寄せた顔が三つと、恥ずかしそうな顔が一つ。
 それでも何も言わないのは自分達が過度に休憩をとっている自覚があるからだと思う。


 「…珍しいですねぇ、西脇さんがそういう応戦するのぉ」

 両手で頬杖をつきながらそう尋ねると、西脇さんは肩をすくめて笑った。

 「さぼりで影響が強く出るのは個人に対する評価ですけど、こういう時の数値は部署全体の貢献度として計られますから」


 他人の給料が横ばいもしくは上がらないのは特に問題じゃないけど、部署の稼働率が疑われるのは困るって事ですよね、はい。

 さすがです。
 考え方がもう部署の管理視点です。

 存在感薄そうに作られたこの外見に騙されちゃいけない。
 プライベートは知らないけれど、やっぱりこの人は、将来きっちり"管理業務が出来る人"候補生だ。

 「仕事人ですねぇ、西脇さん」

 あたしの返しに、何度か目を瞬かせた後に小さく笑った西脇さんは、同性でもなんかキュンとくるような切なさがあって、

 ――――――ささやかに、これは、クル。

 胸がドキドキする。

 うわあ、見てみたいな〜、準ミスの頃の西脇さん。

 「それじゃあ」
 「はぁい」

 どうやら、どん底から浮上しかけているらしい西脇さんの背中を見送って、あたしは再びスマホを手に取った。








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