小説:食べられる花


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Episode:雪


 ――――――
 ――――

 「うーん、つっかれたぁ」

 制服から着替えてロッカーを出て、ロビーへと続く廊下を歩きながら大きく伸びをした。
 今月はトップ3に入れる気がする。
 それくらいの件数を受け付けて、チケット出して、思ったより長い残業にはなっちゃったけど、なんか達成感あるわ。

 「あたしも、コールセンター検定とか受けてみよっかな…」

 そして、西脇さんに続けるように目指してみるのも、いいかも知れない。
 コールセンター業務は嫌いじゃないし、管理している側の視点もなんとなく理解できる。
 ちゃんと勉強したら、あたしもスーパーバイザーを目指せるのか、今度の個人年度目標《コミットメント》では相談してみよう。

 うん、悪くないかも。
 そうしよう。

 …恋とか、誰かがいないと出来ないような、共同作業はもういいや。
 仕事なら基本、一人で頑張っていけるし。

 「よし」

 退社の時間がずれているからか、疎らな人の気配だけで館内がすごく静かで、思ったより声が響いた。
 警備員さんがチラリとあたしを見たけれど、会釈で挨拶をしてスルースルー。
 カードを使って外に出れば、辺りはもう薄暗かった。

 周囲を見回す癖はまだ抜けない。

 あれから二週間。
 会社で王子の姿も見かけることもなくなったし、たまにあった待ち伏せもなくなった。
 これで自然に終われるって感じかな。

 そう思って歩き出したあたしに、


 「――――――おい」

 横から出てきた影がそう言って呼び止めてきた。


 見ると、そこに立っていたのは室瀬咲夜さくやで、


 「…」

 少し無言で視線をぶつけ合った後、

 「お疲れ様でぇす」

 にっこりと愛嬌を振りまいてみる。
 暗くて残念。

 今のは会心の一撃《えがお》だった。


 「どうしたんですかぁ? 室瀬さん」

 顔はよく見えないけれど、眼鏡に中《あた》っている白の照明の反射が眩しいわ。
 あたしを敵認定している事が、雰囲気と声音で何となくわかる。


 「…たくみを見ていられなくなった」
 「はあん、それでおせっかいですかぁ」
 「ちゃんと話をしてやる事は出来ないのか?」
 「えええ? 何て言うかぁ、室瀬さんにそんな事言われてもぉ、説得力ないっていうかぁ」

 全力で恋に後ろ向きな人が、他人様には全力《フェア》でいろなんて御託、バカにし過ぎ。

 「お友達同士、指をくわえながら欲しいものを見てればいいんじゃないですかぁ?」

 あんたは西脇さんを。
 王子はユキを。


 そう言って嘲笑を含んだあたしに対し、しばらく間をおいてから室瀬は言った。



 「――――――お前は?」


 「…は?」


 どうして話が切り替えられたのか、一瞬呆けてしまう。


 「お前は欲しいとは言わないのか? お前も指を銜えて見てるだけか?」

 挑発だと分かったのに、反射的に応えてしまっていた。

 「意味わかんない。あたしは欲しい物はちゃんと欲しいって言える」
 「ならなぜ、手に入るたくみに手を伸ばさない?」
 「あたしにはもう必要ないからよ」

 ふん、と聞こえそうなくらい鼻息荒く答えれば、無機質だった室瀬さんの目に、フッと光が灯ったような気がした。

 「――――――嘘つきだな」

 「はあ?」



 空気が張り詰める――――――と身構えたのに、



 「まあいい。ただの痴話げんかって事だけは何となくわかった」


 言った後、悟ったかのように大きくため息を吐《つ》いて肩を落とした室瀬さんに、あたしは思わず目を瞬かせる。


 …はい?


 「え、ちょ、痴話げんかって」
 「痴話げんかだろう?」
 「違うから!」

 まったく想定外の方向なんですけど!
 内心慌てまくるあたしの様子をまったく無視して、室瀬咲夜さくやは淡々と告げた。

 「…オレは別にどっちでもいい」
 「よくない!」

 しかもこの、むっちゃくちゃ面倒くさそうな顔がまた、心の中のあたしにビシバシ地団太を踏ませる。
 今度こいつの目の前で西脇さん抱きしめてやろうかなんて、こっそり決意したあたしを歯牙にもかけない態度で、室瀬咲夜さくやは再び口を開いた。

 「一応聞いておく」
 「何を、ですか!」
 「お前にとって、あいつとの二か月は苦痛だったか?」
 「…」


 ――――――はい?


 質問が全く意味不明なんですけど。


 「宮池たくみとの付き合いに、あなたは耐えがたい苦痛を感じましたか?」
 「あの…」

 苦痛とか、なんでそんな重たい表現になるの?
 しかもその、感情の入っていない棒読みの敬語が、混乱するあたしのイライラを余計に構い倒してくる。


 「あなたは、宮池たくみと一緒にいて悲惨でしたか? 傍にいるのは死にたいくらい嫌になりましたか?」
 「…」


 すみません、内容がダーク過ぎて、あたしの気持ち、とっくに百メートルくらい彼方まで退《ひ》いてるんですけど…。

 「宮池たくみと付き合ったことは、人生に絶望するくらいの汚点になりましたか?」

 質問が重なるごとに、あたしの思考は眩暈のように掻きまわされ、気が遠くなるように視線が左右に広がっていく。

 「あのですねぇ」

 今度は、あたしが大きなため息を返してやった。
 呆れが存分に入ってますから、どうぞ感じ取ってくださいね、と。

 「…室瀬さん、ご自分が何をおっしゃっているのか、ちゃんとご理解されてますかぁ?」
 「オレは別に理解する気はない。言葉の中身について問いたいのなら、たくみに直接聞いてくれ」
 「…え?」

 それはつまり、王子がそのような言葉で落ち込んでいるって事?


 まさかの事態。
 もうちょっとライトな感じでスルーされると思ってた。

 「…」


 そっけなくした時の、王子の寂しそうな顔が脳裏をよぎる。
 ほんの少しだけ切ないような気になったあたしに、室瀬さんは更に試すような視線で問いてきた。


 「たくみは、お前にとって飲み込めないほどの毒だったのか?」
 「……ぇっと…」


 何だろう…、このプレッシャー。

 も…、もしかして王子、近くにいたり、する…?


 「別に、そこまで悲惨じゃなくて、その…、何となく、相容れないっていうか…」

 思わず辺りを見回しながらそう応えてしまったあたしに、

 「そうか…、なるほどな」
 「へ?」

 腕を組み、納得したような口ぶりで頷いて見せた目の前の男は、まさに異星人。

 何がなるほど?
 どこがなるほど?

 凄く――――――嫌な予感がするんですけど。


 「わかった」
 「え…?」
 「"今は"、相容れないんだな」
 「はい?」
 「それだけ聞ければいい」
 「いえ、あの、」

 ちょっと待って、

 「邪魔したな」
 「あ、…え?」

 このまま放置されるわけ?

 夕闇に溶けかかった景色へと歩き出した後ろ姿を見つめながら、あたしはしばらくの間、室瀬さんを呼び止めようとした手をあげた状態で、茫然と立ち尽くして、




 ――――――そして、その翌日。


 三月いっぱいまで契約をしているマンスリーマンションに逃げ込んでいたあたしは、自分から王子を問い質すという選択肢はなく、かといって室瀬咲夜さくやに連絡する手段はなく、


 悶々と当てもなく一晩中、ベッドの上の転がりまくった状況への答えは、まったく意図しない方向からやってきた。



 「ちょっといいかしら、藤代さん」

 声を耳にした途端、


 あ、これ、無視しちゃいけないヤツ。
 そう全身でピリピリ感じ取って、

 「水瀬さぁん。どうしたんですかぁ?」

 にっこり笑顔で振り返れば、あたしを出迎えたのは、緩いパーマのかかったダークブラウンの髪をふんわりと背中まで流す派手な雰囲気の美女、企画部の肉食系女子、水瀬さんだ。

 「どうしたのじゃないわよ。あなた、最近ちっとも顔見せないし、たくみさんも比例してるみたいに萎れていくし」
 「ええっとぉ、時間がずれてるんですよねぇ、シフトあるんでぇ」
 「シフトならこれまでもあったじゃない。急に私達を避けてるって思われても仕方ないくらい露骨よねぇ?」
 「そぅ、ですかぁ?」

 笑顔が、引き攣る。


 「――――――まさかあなた」


 水瀬さんの顎がくいっと上がった。


 「協定違反して裏でこそこそ彼を口説いたり、プレイベートでこっそり繋がったりしてんじゃないでしょう、ねぇぇぇえ?」
 「ひいいいいぃぃ」

 両頬を抓られて、

 「いひゃい、いひゃいですぅ」

 つ…繋がってました、物理的に。
 口が裂けても言いませんが。

 「そんな筈ないじゃないですかぁ、水瀬さぁん」
 「そおぉ? ならいいんだけどぉ」

 準備運動みたいに、手をコキコキするの、やめて欲しい。

 「それじゃあ、今日のお昼はちゃんと社食まで来なさいな。私達からあげたバレンタインのお返しを準備してるって、たくみさん言ってたから」


 …そういえば、四人連名で準備したのもあったんだっけ、チョコ。
 お金だけ預けてお姉様方にお任せしてたからすっかり忘れてた。

 「えっとぉ、あたし今日はお昼当番でぇ」
 「――――――藤代さん。私、結構伝手は広い方だけど、大丈夫?」
 「え?」
 「大丈夫?」
 「ぇ…えぇと…」

 な…なんですか?
 その、発言に命賭けますか、的な脅迫オーラがチラチラする念押しは――――――、

 「それで? お昼は、食堂に来ていただけるのかしら? 藤代さん」
 「も、もちろん、お伺いしまぁす…」
 「良かったわぁ。四人揃った時にお礼を渡したいってたくみさんが」
 「へ、へええぇ」


 まさか…、



 「あ、藤代さん、さっきの件なんだけど」
 「お昼替わる件でしょぉ? もちろんOKだよぉ。もう大歓迎。さっき小谷さんにも――――――」
 「違うの、替わってくれる人、他に見つかったからもう大丈夫だよ」
 「え?」
 「約束があるなら即断ってくれて良かったのに。藤代さん優し過ぎだよ」
 「ええ?」
 「さっき先輩からチャットきて、藤代さん忙しいのかなって気にしてたよ? 無理に今日のお昼に誘っちゃったから、気になったんだって」
 「…先輩って?」
 「営業支援部のタケダ先輩」
 「…え?」
 「ほら、あたし、そこからの異動組」


 お姉様その二…、



 「藤代さん、ちょっといいかしら」
 「越智さん。お疲れ様です。どうしたんですかぁ?」
 「秘書課の春日井さんから伝言。今日は時間に遅れないように社食に来て欲しいって」
 「え?」
 「ランチ。約束しているのでしょう?」
 「…ええと、はい、(たぶん…)」
 「あなた、ずっとチャットをオフにしてるの?」
 「…はい」
 「グループチャットで周知されている業務連絡はちゃんと確認できてる?」
 「大丈夫です! それは、もちろん」
 「ならいいけど、情報の遅れがオペミスに繋がる事もあるのよ? あなたのオペレーションの精度にはいつも感心しているけれど慢心にミスを経験する時期でもあるわ。少しでも意識が緩んでいるのなら、今日のこの機会に、ぜひ引き締め直して欲しいものね」
 「はい。ありがとうございます。頑張ります」


 尊敬するスーパーバイザーの越智さんに、ちゃんと先を見据えて注意してもらえて、嬉しさマックスだったけど、


 そしてまたお姉様その三…、



 「信じられない…」



 ――――――王子《あの人》、戦略変えてきたんですけど!








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