小説:食べられる花


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Episode:雪


 「良かった、藤代さんも来てくれたんだね」


 お姉様三人に囲まれて、社食の一角に煌びやかに陣取っていた王子から、爽やかなスマイルと共に発せられた、第一声がそれ。

 「…」

 お昼時間がくるのを戦々恐々に近い状態で待って、よろよろと歩いてきた廊下の先で社食に足を踏み入れるための勇気を養い、気合を入れたあたしの出鼻が、軽く挫かれる。

 「先輩方が熱心に誘ってくださったんでぇ(手を回してたクセにとぼける気?)」

 二対二で相対して座るそこに、あたしは王子から一番遠い席を選んで持っていたカレーをテーブルに置いた。

 「そうなんだ。助かったよ。藤代さん、なかなか捕まらないから」

 苦笑を滲ませた王子に、お姉様方がにっこりと応える。

 「あら当然よ」
 「この目で見ての確認も色々と大事だし」
 「そうそう。抜け駆けしてないかどうか…とかね?」

 美しい笑顔が怖いです、はい。

 「え…、えへへぇぇ」

 …脇汗やばい。

 椅子を引いて、頬を引き攣らせながらどうにかその王子を囲む会の輪に入る。
 どうやら、テーブルの端に重ねて寄せられたトレイや空の器から察するに、王子とお姉様方は既に食事を終えているらしい。
 まだ十二時を十分くらい過ぎた時間なのに、食べるの…早。

 「それじゃあ早速だけど、これ、バレンタインのお礼。あ、藤代さんは気にしないで食べて」

 王子の薄茶の眼差しが、あたしの視線とピタリ、重なって――――――直ぐに離れた。

 「…ありがとうございますぅ」


 王子が紙袋の中から次々と取り出したのは、掌でしっかり掴めるくらいの、でも微妙に大きさや形、付けられえたリボンの色で雰囲気が異なる、お洒落な瓶の可愛い入れ物。
 香水瓶に見えなくもないけれど、中に入っているのは液体じゃなくて、

 「金平糖…?」

 あたしが呟いたのと同時に、水瀬さんが嬉しそうに声をあげる。

 「あら、これ、いま人気の庵の金平糖ね」
 「さすが水瀬さん、よくご存じで」
 「私も知っているわ。確かバレンタインの翌日には予約完売したんでしょ? 役員の誰かがすごく残念がっていたのよね」
 「可愛い〜、見せて〜」


 …ほんと可愛い。


 「これが水瀬さん、こっちが武田さん、春日井さん、――――――で、こっちが藤代さん」

 王子の長い指で、それぞれに瓶の入った透明な箱が丁寧に寄せられる。
 あたしの前にきたのは、白をベースにしたデザインで、

 「ああ、デザインが違うのはこういう事ね」
 「ほんとだ。私は笹ゆらぎ。ふふ、漢字違いだけど、私達の事、気遣ってくれた事がわかって凄く嬉しいわ」
 「良かった。水瀬さんがせせらぎ、春日井さんが春だまり、藤代さんが雪灯り。偶然にいいのが揃ってるなって、ね」

 嬉しそうに微笑む王子は、何だか凄くリラックスしていて、ご満悦って感じだ。

 「最近は外国からの観光客向けに名づけがロマンチックよね」
 「そうねぇ。名前負けって商品もたまにあるけど」
 「ありがとう、たくみさん。美味しくいただくわ」

 お姉様方がうっとりとする程の女性らしい所作で感謝を述べているから、あたしもそこは、ちゃんと倣う。

 「ありがとうございますぅ」

 スプーンをおいて両手で包んだ箱の中の瓶には、白を中心にピンクや黄色、水色に緑、そして赤。
 淡いパステルカラーの可愛い金平糖がぎっしりだ。

 さすが王子。
 心配りもお洒落ですね。


 「それじゃあ、俺はそろそろ。藤代さんはゆっくり食べてって」
 「あ、…はい」


 席を立ちながら、王子が何気なく手にしたのはお姉様方の分も含む重なったトレイで、

 「あら、いいのに」
 「ついでですよ」
 「ありがとう」

 久しぶりに見たな。
 ここ最近、ずっと避けてきた、お姉様方といる時の王子。

 関係が始まる去年の年末までは、当たり前の光景だった。


 「いいわねぇ、彼のこの、何気ない行動が"素で王子様"な感じ」
 「ほんと。世の大半の男が彼のカス分くらいでもミラーリングされたら、世の中の女性達は結構心穏やかになれるわよねえ」
 「それはどうかしら? 彼、今まで浮いた話がほとんどないでしょう? ここだけの話、恋人としては欲求不満にさせられそうじゃない?」
 「春日井ぃ、お伽噺《とぎばなし》にその領域は駄目よ」
 「そうそう。夢の国のお姫様と王子様がにゃんにゃんする話なんてあり得ないでしょう?」
 「やっぱり? でも私には大事だもの、そこ」

 いやいやお姉様方。

 意外と夢の国のお姫様方も王子様も、激しく頑張ってますよ。
 主にネット内の裏夢小説で、ですが。


 それに王子だって――――――、



 油断して、思い出しそうになって首を振る。


 危ない危ない。
 思い出に浸るのが一番危険。


 王子もきっと、関係を持つ前と同じに戻ろうって、そういう意味だったんじゃないかな、今日のは。


 うん。


 早く忘れよう。


 キラキラ光る白の金平糖を横目に見ながら、あたしはカレーを一口、大きく頬張った。






 シフト通り出社して、たまにお姉様方と時々王子も含めて社食でご飯を食べて、週イチくらいで梢ちゃんと克彦君とで家飲みして、それ以外の夜は自宅でネット三昧。
 もちろん、マンスリーマンションはちゃんと三月一杯で引き払って、今はしっかり住み慣れた自分のお部屋で就寝中。
 つまり、王子と付き合う前と同じ生活を無事に取り戻せた。

 四月に入ると、昇進や、資格を取得して総務や経理に異動した人もいる状況にプラス、新規契約が多い時期でもあってサービス回線は割とパンパン。
 でも、西脇さんの昇進に管理職を目指す一部の同等条件の雇用者であるコールテーカーが沸きに沸いて処理能力を爆発させ、高パフォーマンスが続いている結果、放棄率を含むサービスレベルはまだ目標を割っていない。
 年に何度かある繁忙期の中でも、この月は特に、一日一日が濃くてすごく長い。
 サラサラと時間が流れていた一月から三月までと違って、水が固くて流れが悪く、お互いに譲り合って連休が取れるゴールデンウイークだけが目の前のとりあえずの希望。
 あたしの場合、休日手当が目的のフル出社だけど。


 そんな中。


 「やっぱり変わったよね、西脇さん」
 「そう思うでしょ? 顔が正面向くようになったんだよ。今まであまり目に入ってなかったけど、ちゃんと見ると可愛いよね、あの人」
 「わかる! わかるよ! なんていうか、ふっと笑った時、あたし思わず、眼鏡外して見せてって叫びそうになったよ!」

 年明けから、落ちる一方に見えた西脇さんの、存在感というか生きるチカラっていうか雰囲気っていうか。
 とにかく何もかもがメタモルフォーゼして、現在、女子としての評価がぐんぐん急上昇中。

 確かに、前々から西脇さんの正体を知っていたあたしでさえも、驚きの変化だった。


 セックスで満たされたから?
 そうなの?

 ストレートにそう尋ねてみたいけど、それを聞くとどうして? って警戒される。
 そしたら、『首の後ろにすんごいキスマークついてたの、実は見ちゃったんですぅ』って言わなきゃいけなくなる。

 西脇さんはいつも後ろに髪を束ねているから誰の目にも入らなかったと思うけれど、あたしがそれに気づけたのはほんと偶然。
 あたしに研修用のチェックシートを手渡しに来た時に、掴み損ねて床に舞い降りたそれを、西脇さんが拾おうとしてくれた事が切っ掛けだった。

 あんなトコに普通付ける?
 バックだよね、バック!
 しかも小さくてあんなに濃いの、視たら退《ひ》く。
 どんだけわざと吸引したのって、マジでひく。


 けどまあ、新しい彼氏、出来て幸せならそれでいい。
 女子が憔悴してくのって、やっぱり見ていてきついからね。

 西脇さんなりに精一杯隠していたとは思うけど、滲み出る不幸感はセンサーが敏感な女子に必ずかかる。
 そういう人の口端から、どうしても興味や噂が走りだして、本人の意図しないところで物語は突き進むものだ。




 「藤代さん、ここいい?」

 黙々と焼肉チャーハンを食べていたあたしの向かいに、王子がラーメン片手にやってきた。

 「いいですよぉ、どうぞぉ」


 こういうのもすっかり慣れてしまいました。

 社内恋愛は破局の後が悲惨って言うけれど、お互いがちゃんとした節度で努められれば、そんなに大変でもない気がする。



 …そう言えば、



 ふと思い当たって周囲をチェック。

 お姉様方の姿、無し。
 半径二メートル以内に、人の気配、無ぁし!

 これはチャーンス。


 「あの、一つ聞きたいんですけどぉ」
 「ん?」
 「ぶっちゃけぇ」


 あたしは、少しだけテーブルに身を乗り出して告げる。


 「――――――室瀬さんって、西脇さんの事、まだ諦めてないの?」


 割り箸を割ろうとした王子が、手を止めてあたしを正面から見た。


 「…なんで?」
 「え?」


 あれ?

 ちょっと最近では珍しい真剣な顔。

 「何でって――――――」

 あたしも釣られて眉間に皺を寄せた時、

 「痛《つ》ッ」

 王子が急に表情を歪めた。

 「え?」

 見ると、割り箸の歪なところが引っ掛かったのか、親指から血が滲んでいる。


 「ひえッ」

 手ッ!

 綺麗な王子の指がぁぁあッ。


 「大丈、」


 心の叫びがそのまま行動に移って、あたしは思わず、そう尋ねながら手を伸ばしていて、




 「――――――触るな」



 …え?



 あと数センチで触れそうになったところで、低い声に止められた。

 誰でもない、それは、あたしを睨みつける王子本人から出た言葉。



 「…あ、ですよねぇ、あはは…」


 席に体を戻したあたしに、王子がハッとした様子で顔色を変える。


 「あ、違うんだ、ごめん、ゆ、――――――藤代さん…」
 「ううん、ほら、手、やっぱり王子の手はね、格別って言うか」
 「…うん。ちょっと深く刺さっただけだから、直ぐに治るよ」
 「せっかくの綺麗な手なんですからぁ、傷なんか残さないようにしてくださいねぇ?」







 ――――――なんで?







 正直、王子に対してモヤモヤが、ゴミみたいにどこかに溜まってる。

 それでも、表面上は"藤代雪"を崩せない。
 崩さない。

 お姉様方と王子を囲んでランチタイム。
 中身のない、上辺だけの王子との会話。


 こんなんだっけ。

 こんなもんだっけ。



 「それじゃ、またね、藤代さん」
 「また来週あたりチャットするわ」
 「はあい。失礼しまぁす」

 エレベーターの前で一礼して、あたしは王子と水瀬さんを背後に歩き出した。


 ロッカーに寄ってポーチを取って、トイレの洗面台で歯磨き。

 シャコシャコシャコシャコ。
 心のささくれも一緒に落とす。


 「お先に〜」

 手を振る同僚に「ん〜」って返事をして、浮かべる愛想笑いは超ぶっさいく。

 昔から、可愛い可愛いと褒め倒されてきたあたしの顔は、今は醜く、鏡の中に映っている。




 知らない。

 あたしには関係ない。



 ――――――最近の王子の、水瀬さんを見る目つきが変わったような気がするなんて。








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