小説:食べられる花


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Episode:雪


 カードをかざして電子錠が解除され、自動で開いたドアの向こうで、西脇さんが皆藤さんと話中だった。


 「羽柴さんに九階までヘッドセット届けるので、少し離席しますね」
 「なんだ、俺が言う前にチャットがいったのか。本当にせっかちだな、あいつは」

 苦笑する皆藤さんに、西脇さんが透かさず口を開く。

 「何かあったんですか?」
 「ああ、十五時から会議室でWeb会議する予定なんだが、打ち合わせで動作確認とろうとしたら音が出ないってんでシステムサポートの奴呼んでやったんだ。そしたら、ヘッドセットの故障だと」
 「そうなんですね」


 シスサポ…。

 耳にかかった単語を処理しきる前に、ピッと再びカードがかざされて、あたしの後から入ってきたのは例の営業支援部の武田さん後輩。

 ここは食いつかねばなるまい。


 「システムサポートチームですか!? もしかしてたくみさんだったりしますかぁ? いいなぁ、西脇さん、あたしも行きたいですぅ、連れてってくださいぃ」

 あたしの突然の挙手に、西脇さんが驚いた様子で目を見開いている。
 眼鏡があってもすごく可愛いったらない。

 女が自分の価値に目覚めると、こうも印象が変わるんだと感心する。


 「えっと…」

 言葉に詰まって曖昧に笑い、首を傾げた西脇さんを救うように、皆藤さんが肩を上げながら言った。

 「サポートしてるのは室瀬だよ。行くか?」

 げ、室瀬咲夜さくや
 はい、色んな意味で終了。

「あ、そうなんですねぇ、あ、待ち呼さんが点いてます。急いで電話とらなくちゃ! それじゃあ、戻りまぁーす」

 ブースに駆け込んだあたしに、武田さんチルドレンが声をかけてきた。


 「残念だったね」
 「ほんとだよぉ」

 王子を愛でる会のあたし、健在。





 けれどその日から、西脇さんはまた別の意味で挙動が目立ち始めた。





 ――――――あ、気づいたんだ、首の後ろのキスマーク。


 束ねた髪で意識して隠そうとしているのがバレバレ。

 時折、指の節を唇に押し当てて物憂げな表情で思案に暮れている。
 珍しくミスタッチが多いかと思えば、何かを振り切るように真剣な表情で打ち込みを開始して、でもまたふとした切っ掛けで、顔を赤らめたり青くしたり…。

 いや、ここまで真面目に観察するあたしだから気づけている些細な変化ではあるんだけど、それは結局翌日まで尾を引いていて…、



 「西脇さぁん、昨日はどうでした? やっぱりたくみさんじゃなかったんですかぁ?」


 思い当たるのは、バイザーの羽柴さんをサポートしていたという室瀬咲夜さくやとの邂逅で、何かあったか、


 「え? あ、ええ。そう。違って、ました…」


 動揺がありあり見える西脇さんの反応に、はい、確定。


 室瀬咲夜《あいつ》が、何か"しやがった"らしい。


 正直、長年片思いを拗らせた、あの思い込みの激しさに加えて狡猾さをエネルギーにしたタイプの腹黒男が暴走したとしたら、相当な手管《カード》を切ったような気がする。


 「西脇さぁん、よかったらぁ、一緒にランチしませんかぁ?」





 野菜炒めとカツ丼とオムライス。
 あたしの今日の気分はカツ丼一択だったけど、西脇さんは少しだけ悩んでオムライスにしていた。

 「藤代さん、シスサポの人達と仲…いいの?」

 控え目に切り出してきた西脇さんは、眼鏡の向こうからほんの少し上目遣い。
 本当に度が入っていない事が、歪みのない輪郭で証明されている。

 「まあ、そうですねぇ。たくみさんとはよくお話はしますよぉ?」

 そう言って西脇さんの表情を窺えば、視線が僅かに泳いでいた。
 なるほど、会話の目的はやっぱりあいつの事か。

 「――――――後はぁ、室瀬さんですかねぇ?」
 「む…室瀬さん…?」

 少し顔色が変わった。
 素直だなぁ。

 「西脇さん、昨日会ったんですよねぇ?」
 「え、ぁ、ええ、そう。昨日、ね」

 動揺し過ぎだけど、…一体何したんだ、あの男。

 王子との事におせっかいをしに来た時、一方的に結論を出す話し方をした室瀬咲夜《あいつ》なら、拗れた長年の片思いを爆発させた場合、突拍子もない事を言い出しそうな気がする。

 「結構凄い人らしいですよぉ? 学生の頃にプログラミングの大会で優勝した事もあるとかでぇ」

 確かそんな事を王子が話してた気がする。

 「シスサポで主任とかしてるんでしたっけぇ? でもですねぇ、たくみさん親衛隊のお姉様方が言うにはぁ、三年前まではシスサポにいなかったらしいんですよぉ? 見るようになったのはここ三年くらいって聞いてますぅ」

 あたしに耳を傾ける西脇さんは凄く真面目な顔をしていて、

 「技術部の人に聞いてみたんですけどぉ、もしかしたら海外の開発部から来たんじゃないかって当初は噂されてたみたいですねぇ。そうなると超エリートじゃないですかぁ? なので人事部の人にも寝技使って頑張ってみたんですけどぉ」
 「寝技…――――――、あ」

 それが、ハッとした様子になり、

 「…うちの人事部は、優秀…だから、ね」

 言葉を選んだ西脇さんの、人柄が出るよなって思う。

 室瀬咲夜さくやはこういう所に惹かれたんだろうか。
 誰かの一番になって、無条件に愛されるには、やっぱりこういう控え目で真面目な人がいいのかな――――――。

 ふと、社食内の空気が動いた気がして目を向ければ、ちょうど王子達シスサポのメンバーが四人で入ってきたところだった。


 「あ、すごい」

 あたしの呟きに西脇さんが顔を上げる。

 「噂をすれば、ですよ」
 「え?」
 「アレがたくみさんです」

 あたしに示されて、西脇さんが肩越しに入り口側を見る。

 「キラキラしてますよねぇ」

 文字通りキラキラ。
 何かを空気中に振り撒いて、疎らな女子社員達の視線を奪っているクソ王子め。
 その後ろを歩く室瀬咲夜さくやは、前に克彦君と一緒にホテルで見かけた時の洗練された典型的な美形という正体をすっかり潜めていて、前髪で隠れている目はどこを見てるのか分からない、人見知りな雰囲気を醸し出した地味な擬態はパーフェクトだ。

 「室瀬さんもぉ、よく見れば綺麗な顔立ちに入るかなとは思うんですけどぉ、ああいう訳ありな感じは好みじゃないんでぇ」
 「…訳あり?」

 結局、克彦君も王子も、肝心な事は何も教えてくれない。
 それはつまり、隠すべき事があるという事で。

 「あの人ぉ、イタリアのブランドのシャツ着てるんですよねぇ。日本には店舗無くて、直接行くかお取り寄せかのシャツ。しかも一着二万くらいのシャツですよぉ? それを色違いで持ってるんで、もしかしてお金持ちなのかなぁって、それが室瀬さんを観察する切っ掛けになったんですけどぉ」
 「そのシャツって、ここに刺繍が入ってる?」

 食い気味に襟の部分を指して尋ねてきた西脇さんに驚いた。
 そしてそのあと、真剣な表情で何かを思考しているその姿に、マジで突っ込みたいよ、室瀬さん。

 昨日のたった十分程度で、一体何して西脇さんとの距離を詰めちゃったの?


 「意外ですぅ。西脇さん、ああいう室瀬さんみたいなのが好みですかぁ?」
 「え?」
 「だって今ぁ」


 核心迫ってやろうと、あたしは素で言った。


 「――――――あたしが知る中で、ダントツに興味を以って耳を傾けているような気がします、西脇さん」

 ハッと目を見開いた西脇さんは、今度はあたしに対して興味を向けているのが分かる。
 本当に、同性のあたしでも色んな感情を通り越して可愛いって感心出来るくらいに素直な人だ。

 そうこうやり取りしている内に、王子達一団が近くを通りかかった。

 「あれぇ、藤代さんじゃん。今昼休み?」
 「やだぁ、たくみさんじゃないですかぁ」
 「カツ丼美味しそうじゃーん。ここ一緒していい?」

 あたしと王子とのそんなやり取りに、ビクッとしたのは西脇さん。
 どうやら王子も気づいたらしい。

 「えぇっとぉ、実は今、女の子同士のお話し中でぇ」
 「あ〜、女の子同士の内緒話か。なら無理にはお邪魔出来ないかなぁ」

 お互いによそ行き顔のまま疎通。
 さっさと行った行った。

 「さすがたくみさん。見た目だけじゃなくて中身もイケメンですねぇ」
 「でしょ? 君が早くこの魅力に陥落してくれるといいんだけどなぁ」

 …良く言う。
 もうその気なんてないくせに。

 「やだぁ、そんな事口癖みたいに言うからぁ、会社中の女の子が本気にして騒いじゃうんですよぉ」
 「女の子は、そういう純粋なところが可愛いよねぇ」
 「もう、たくみさんったらぁ」

 ああ、イライラする。

 「あはは。それじゃあ、西脇さんも、良かったらまた今度ね」

 手を振りながら離れていく王子から直ぐに目を逸らせば、自然に室瀬咲夜さくやを捉えてしまった。

 僅かに上がる口角、色っぽく、それでいて執着を滲ませるねっとりとした視線を西脇さんの首の後ろに向けて、
 それを感じ取ってか、西脇さんがキュッと結んだ唇を小さく震わせて、微かに涙目で頬を染めている。

 満たされたように笑った室瀬咲夜。
 その全身が、今までとは違って、お前は俺のモノだと主張している。

 思わず王子を振り返ってみれば、苦笑して肩を竦められて、

 はい?
 え?

 つまり、そういう事って事って事?

 嘘でしょ?
 いつの間に進展?


 「西脇さんって…、結構顔に出るタイプだったんですね」
 「え?」
 「隠したいなら、もっと気を付けた方が良いと思います」


 女のあたしでも、西脇さんの事、ギュっと抱きしめて守ってみたくなる。
 きっと、室瀬咲夜《あいつ》も、そうやって大事に抱きしめて愛したいと願っている。


 大事に、――――――大事に…。



 「…私、藤代さんは、気になる人に会うって知ってたら、パスタにしておけば良かったって、全身で悔しがるタイプの人かと思ってた」


 この瞬間、西脇さんのあたしに示す関心が、視点を変えて深くなった事に気が付いた。
 今は人と関わらないようにしているこの人は、本当はきっとこんな風に、真っ直ぐに他人に向き合える人。

 そういう人だから、誰かに一途に好かれるのかな?
 王子に対するイライラと、変化していく周りの動きに対するモヤモヤと、

 「…会社での顔は、所詮は余所行き顔ですよ。人によって、どう見せたいか、その価値観は違うと思いますけど」

 心の中は色んな思いで複雑だったけど、どうしてかそれが口を突いた。
 あたしだって、そんな単純じゃないって、変な主張?


 どうしよう…わけわかんないくらい、自分の中が乱れているのが判る。


 「そうだね。私も、よくこうした方がいいのにって言われてる自分と、今の自分の違いは、きっと明確じゃない」
 「西脇さん…」

 ああ、嫌だな。


 「知ってしまえば、ここにいる藤代さんだって、あまり変わらないように思えるもの」


 綺麗過ぎて、凄く嫌だな。


 「――――――あたし」


 負の感情が、言葉を紡ぐ。


 「西脇さんには、室瀬さんはあまりお薦めしたくないですねぇ」

 無邪気を装ってそう言えば、西脇さんは首を傾げた。

 「あの人、多分借金があるんです。それも数百万単位の」

 不安気な彼女の表情に、どこか胸がすくような感じがする。

 「西脇さんがあの人を好きになっちゃうと、ちょっと嫌だなぁって思いますので、敢えて告げ口しておきますねぇ」


 そして、大波のように襲ってくる後味の悪さ。


 心が、荒れる。
 泣きたくなる。


 西脇さんが嫌。

 彼女を好きだという室瀬が嫌。

 あたしを見ない王子が嫌。



 全部、嫌。

 みんな嫌。



 こんな悪意のあるあたしも、




 ――――――ほんと、嫌。








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