小説:食べられる花


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Episode:資


 咲夜さくや曰く、俺が周りに話しかけられなかったのには、それなりに理由があるらしい。


 『お前、むっちゃくちゃ品がいいんだよ』
 『え?』
 『まあ、よく見える――――――っていうのが当たり?』
 『…なるほど』
 『でもそういう雰囲気のある人間に話しかけるには勇気が要るだろ? 自分の価値を、上位から望まぬ返答で食らうかも知れない恐怖に打ち勝つための勇気』
 『…よく分からないな』
 『"お前なんかが、この僕に話しかける気? 本気?"――――――なんて返されたら、立つ瀬ないだろ』
 『どこの高飛車な王子様だよ、それ』
 『ほんとわかってないんだな。話しかけるなって、暴君に言われるならいいんだよ。誰が言われても、またかって周囲が事態をすんなり呑むだろ? けど、害がなさそうな王子様から首を振られたら、拒否られた方は衝撃《インパクト》がすげぇって話』
 『ふうん…』


 品良く見える。

 そう言えば、通える時に通っていた日本人学校でも時々言われた気がする。

 "タクミ君、王子様みたい"
 "余裕があって、大人っぽいよね"

 余裕があるように見えたのは、出来るだけ周りを見ていたからだろう。

 ハーフだった母親から譲り受けた薄茶の髪と、同色の瞳。
 海外では地域によってこの髪色は珍しくはないけれど、父譲りの優しい顔立ちがプラス、更に、周りの人の顔色を読んで考える時間を作れるように、ゆっくりとした動作を心掛けていた事が相乗して周囲の評価に貢献していたようだ。


 『そんな俺に、咲夜さくやはよく近づいて来たね?』
 『見た目王子で中身暴君とか、それ才能《スキル》。もし本当にそういう奴なら、日本でオレが会社起こす時に人材として欲しかった』
 『なら見込み違いだったわけだ?』
 『…お前、人の心は読めるクセに、自分の事には疎いんだな』
 『え?』

 咲夜さくやの溜息に首を傾げると、二度目の溜息がまた続く。

 『まあいいさ。高等部に上がる前に改めて口説く事にする。その前に、――――――女どもに食い散らかされるなよ?』




 共学であるこのスクールは、性行為は全面禁止。
 発覚すれば即退学という厳しい処分付き。

 でも恋愛は禁止じゃない。

 周囲に不快感を与えず、決められたルールを順守しながら思いやりを育み、性欲に対する自制をコントロール出来る事も、リーダーシップ素養の一つ。


 性行為とは果たして…。

 その時々、一緒にいる女の子の香りをさせて寮に返ってくる咲夜さくやに、疑問は山のようにあったけれど、

 『タクミ、アタシと付き合って?』

 それなりに真面目な告白を受けながら、稀に色っぽい指の絡め方をされて誘われても、

 『ありがとう。気持ちだけ受け取っておくね。それじゃあ、猫《ユキ》が待ってるから』
 『…え?』


 盛大な思春期、どうかしてると思わないでもないけれど、


 『――――――ユキ、お帰り。どこもケガしてない?』


 いつの間にか、俺の部屋に帰ってくるようになったユキが、するすると足元に絡みついてくる方が、グッとくる。


 『昨日の女はトラップだ。よく見抜いたな』

 感心したように咲夜さくやに褒められたけれど、ただユキの方が可愛かったから急いで帰ったなんて、口が裂けても黙っておこう。



 それから、スクールライフは比較的穏やかに二年が過ぎ、十五歳になった春の事。
 土方の伯父が突然面会にやってきて、高校は日本を選択するようにと命令を受けた。
 後見人である伯父の意見を覆す事が出来る筈もなく、俺はスクールを中途で退学する事になり、慌ただしい帰国後、日本の義務教育を受けていない俺の為につけられた家庭教師は佑《たすく》で、

 『親父を悪く思わないでくれよな。俺やいずみ以上に、お前の事、心配してたんだ』

 疑うわけじゃないけれど、それでも信じがたいと言うのが正直なところ。

 『企業屋でもある土方の家を嫌って出た叔父さんの事を親父は好きじゃなかったようだけど、行く先々の県人会とか頼って、甥のお前の様子は調べてたみたいだよ』
 『…うん』

 思い当たる節が、無いわけじゃない。
 確かに、やけに熱心に生活環境を聞いてくる日本人がたまにいた。

 佑《たすく》とも、気づいたらWebで会話をするようになっていたから、そのお膳立てが伯父にあるとしたら、それは真実なんだろう。


 『それでも、俺が俺の為に築いた世界がパブリックスクールにはあったんだよ』
 『…そうだね、本当にごめん』

 慰めるように頭を撫でられて、思い出す。




 ユキ…。

 最後の一年は、ずっと俺の腕の中で眠っていた彼女が今頃どうしているのか。

 寂しいけれど、外の森で寒い思いをするくらいなら、他の奴の腕の中で眠ってくれている方が、まだマシだ。


 ユキと離れて二か月。
 咲夜さくやとのやり取りでは、もう話題に上らなくなった。
 それは、ユキは元気でやっていると信じていい根拠の筈だった。



 『――――――たくみ、ネロが、死ぬかも知れない』


 その一報が、届くまでは。




 一度、スクールを出た学生が敷地内に入ろうと思えば、もちろんそれは外部の人間と扱いは一緒。
 もしかしたら入れないかも知れないと懸念しながらも、申請はしておいてやるという咲夜さくやの言葉を頼って直ぐに飛行機のチケットを取り、伯父を怒鳴るように説得して、その日のうちに日本を発った。
 咲夜さくやが送ってくれた画面いっぱいのユキの写真を見ながらの、気持ちが落ち着かない十時間のフライトプラン。
 タオルに顔を包まれた真っ白なユキの、あまりにも印象が強すぎる開ききった瞳孔の黒目が、まるで作り物のようにカメラを通して俺を見ている。
 鼻の周りが薄いピンク色が、心なしか前より濃くなったような気がした。

 毛が抜けてる…?

 口の周りは、撫でてやると特に気持ち好さそうで、時間を忘れて指先で擦っていたのを思い出す。
 少し固いヒゲの根元が丸まった弾力は指の腹に心地よくて、俺も釣られて一緒に寝落ちなんて事もよくあった。


 『ユキ…』

 離れたりなんか、したくなかった。
 でもずっとあの森で生まれ育ってきたユキを、俺の勝手で連れ出すなんて、そんな決断は出来なくて…。


 『たくみ、学校の許可は貰った! さっさとお前の部屋に行け!』

 空港から地下鉄で移動して、駅からはタクシー。
 寮の前に辿り着けば、待ち構えていた咲夜さくやが俺に叫ぶ。

 『俺の?』
 『時期が時期だからまだ空部屋なんだよ。ネロはそこにいる』

 背中を押す手が"走れ"に聞こえて、そんなに切羽詰まった状況なのかと俺は全速力で寮へと走った。
 咲夜さくやの顔色の悪さに、胸騒ぎが収まらない。

 方向の定まらない気まぐれな風。
 それらが運んでくる森の匂い。

 古くて歴史のある瀟洒な建物。
 聞こえてくるバスケの喧騒。
 気取った制服姿の学生達。

 たった二か月なのに、何もかもが懐かしい空気なのに、別の意味で心臓が痛い。


 『え、タクミ?』
 『戻ったの?』
 『ごめん、また後で!』

 俺の顔を見て驚いたように声をかけてくる同級生に、立ち止まる事もしないで余裕なく手を振って返す。

 そして、やっとやっと辿り着いたのは、二年間お世話になった俺の部屋。
 うち一年は、ユキと一緒に温もりのある時間を紡いだ俺達の部屋。


 『はあ、はあ、はあ…』


 息を整えて、それから、大きく深呼吸。
 ノブに指をかけ、ゆっくりとドアを開ける。


 『…ユキ…?』

 室内は、出て行く時とほとんど変わっていなかった。
 ただ、ベッドには俺が見たこともない花柄の毛布があり、それが渦のように巻かれている。

 『ユキ』

 その中心で、丸まっているのは白い体。
 大きな黒目が、今までの最大の大きさでばっちり俺を捉えている。



 動けなかった。

 俺も、そしてユキも動かなくて、



 どれくらい見つめ合っていたのか、


 『んなぁ…』


 小さな鳴き声を合図に、風がそよぐ音がする。
 窓から光が舞い降りて、ユキの瞳から、まるで涙が落ちたように見えた。

 実際は、光に反応した瞳孔が縦長に形を変えただけで、涙を流すなんて、そんな馬鹿な事はあるわけないんだけど、


 『ユキ』
 『んな、んな…』

 立ち上がろうとしているのか、前足を踏み踏みと動かす弱々しいユキの声に、ギュっと胸が締め付けられる。

 一人になったって、思ったのは俺だけじゃなかった。
 俺がいなくなって、きっとユキも、寂しく思ってくれていたんだろう。

 『ユキ』

 恐る恐る、一番近い手の肉球へと指を伸ばす。

 指先がカサカサの皮膚に触れたところで、まるで掴まえたとでも言うように、ユキの指がキュッと丸まった。
 僅かに引っかかって繋がれた、俺の指とユキの指。

 『ごめん…』


 もう、離れたくないと、心から思う。


 『ユキ、ごめんね、一緒にいられなくて…』
 『なぁ…』
 『寂しい思いさせて、本当にごめん』
 『んなぁ…』
 『もう絶対に、離さないから』


 お腹に腕を廻して、瀕死だというユキの体をそっと抱き上げた。
 久しぶりの温かさが、シャツに染みてじんわりと伝わってくる。

 柔肌の直ぐ向こうに感じる心臓の鼓動は、怖いくらいにどくどくと速かった。


 『ユキ…』

 そのふわふわとした額に唇を寄せて、何度もキスをしながらユキの感触を確かめていると、



 『――――――すれ違いの果てにやっと結ばれた恋人か、お前らは』



 低く言い放った咲夜さくやの手が、ユキの首根っこを掴まえて持ち上げる。


 『こらクソ猫《アマ》! たくみ連れてきたぞ、さっさとメシ食え、ほらッ』
 『咲夜さくや!』

 まるでボールを放るように、弱っているユキを壁際へと投げ放った咲夜さくやに、俺は瞬間で怒りを沸騰させた。


 『何するんだよ! やっていい事と悪い事があるくらいわかるだろ!?』
 『ああ? 知るかよそんなの。オレのこの一カ月の苦労を思えば、軽い仕打ちだ、こんなの』
 『咲夜さくや!』
 『お前、よりによってこんなタチの悪い女に捕まりやがって』
 『はあッ!?』

 咲夜さくやが何を言っているのか、まったく意味が解らない。

 『いいか!? こいつはな、漸く他の寮生達のようにお前が休暇から帰ってこないと理解して、一週間前からオレに対してハンスト始めたんだよ!』
 『――――――え?』


 持ち出された単語が腑に落ちなくて、思わずユキを見てみれば、

 『んなぁあ』

 尻尾を立てた可愛らしいキャットウォークで、咲夜さくやが用意していたんだろうキャットフードの山へと向かっている。
 そのゆったりとした気高い姿は、とても具合が悪いようには見えなくて…、


 『…ハン、スト?』


 それはアレ?

 ハンガーストライキで間違いない?


 『一か月くらい前から、珍しく飯の時間以外にもオレの周りをうろつき始めたと思ったら、窓の外を朝までずっとカリカリカリカリカリカリカリカリ』

 あ、それ、俺の部屋に入りたい時のユキの合図。

 『しかも窓を開けても入って来やしねぇ』
 『…』
 『シーツを泥だらけにされた時は猫のする事だ仕方ないとも思ったけどな! レポート机から落とされるわ、インクひっくり返されるわ、カバンに爪痕は残すわ、クリーニングから戻った制服に粗相はするわ、オレがやった餌を皿ごとひっくり返しやがるわ、その時に見上げてくるこいつの目線の生意気さとかマジで、マジでッ』

 こんなに感情的に話す咲夜さくやは初めてだ。
 それだけで、この一カ月の戦いの壮絶さを想像出来る…。

 『…えっと、ごめん…。でもユキが悪戯とか、そんなのした事なかったのに』
 『いたずら? んな可愛い話じゃねぇよ! こいつは何かやらかした後、必ずお前の部屋の前に逃げ込んで、追ってきたオレを睨みつけるんだよ! オレには聞こえたね、あんた、さっさとたくみを連れてきたらどうなのよって、でないと何するかわかんないわよって、ドラマに出てきそうなぶっ飛んだ女のセリフ』
 『…いや、まさか――――――ね…?』
 『んなあぁ』

 タイミングよく答えたユキの声が、まさかぁ、と聞こえるから不思議だ。


 『…ごめん、咲夜さくや


 黒だ。
 ユキちゃん真っ黒。








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